第154話 悪逆
──惨い。ただ、その一言に尽きる。
アインスが率いている王国軍は、既に立ち去っていた。
どんよりと曇っている空の下、農村は何処も彼処も、轟々と燃えているよ。
民家は全て木造で、しかも空気が乾燥している時期だから、一軒だって残らないと思う。
そこら中に村人の遺体が転がっていて、磔にされている遺体も多々ある。
アインスは子供にも、容赦がなかったみたい……。まだ立つことすら出来ない赤ん坊と、その子の母親と思しき女性が、一緒に槍で貫かれていた。
これを見て、アインスには人の心がないんだって、私は確信したよ。
閑散としている田畑には、強力な毒が撒かれたみたいで、石も雑草も土も、毒々しい煙を上げながら奇妙な溶け方をしている。
王国東部と南部の侯爵家の旗が、あちこちに立てられていて、この惨状を誰が齎したのか、誤解されそうな有様だね……。
スラ丸五号の視界から、この地獄を覗き見したことで、私の正気度はこれでもかと言うほど削れていく。
スイミィ様とリヒト王子が、手を握ってくれていなかったら、途中で目を逸らしていたかもしれない。
でも、目を逸らさなかったおかげで、生存者を発見したよ。剣でお腹を貫かれている、十歳くらいの少年だ。
気を失っているみたいだけど、スラ丸は彼の微かな呻き声を聞き逃さなかった。
「私っ、ちょっと行って来ます!! スラ丸っ、【転移門】を開いて!!」
「ぬおっ!? とっても顔色が悪いのに、どこへ行くのだ!?」
リヒト王子が心配してくれたけど、事情を説明している暇はない。
彼の制止を振り切って、私は二人にベッドのシーツを覆い被せ、向こう側の様子を見られないようにした。
そして、スラ丸の【転移門】を使い、平和な日常と地獄の境界線を跨ぐ。
その後、スラ丸一号と五号の間に繋いだ【転移門】を閉じて、私は少年に駆け寄った。剣が刺さったままだから、出血は思ったより酷くない。
「しっかりして!! 死んだら駄目だよっ!!」
私は【再生の祈り】+【光球】の複合技、女神球を少年の上に浮かべた。
神々しい光が降り注ぐ中で、スラ丸の【収納】を使い、少年に刺さっている剣を回収して貰う。
「ぐぅ……っ!! うっ、うぅ……っ」
剣が消えると、少年が痛みで悶えた。でも、すぐに収まったよ。傷口が再生して、穏やかな表情になっていく。
まだ気を失ったままだけど、呼吸も脈拍も安定しているから、これなら大丈夫そうだね。とりあえず、村の外れまで移動しよう。
「よ、よかったぁ……。一人、助けられた……」
これだけで、私の心は随分と軽くなった。
辻ヒールのつもりだったけど、この状態で放置していくのは、流石に躊躇われる。目が覚めるのを待ってから、帝国内の街か村に連れて行こう。
今のうちに、私は【従魔召喚】を使って、ユラちゃんとブロ丸を呼び出した。
慌てて家から飛び出したので、この二匹を連れてくるのを忘れていたんだ。
この場にはブロ丸を残して、私と少年を護衛して貰う。
スラ丸、ティラ、ユラちゃんには、別の仕事を任せよう。
「スラ丸、村の中に立てられた旗を回収してきて。ティラとユラちゃんは、生存者がまだ残っていないか、確認をお願い」
私の指示に従って、みんなは素早く行動を開始した。
多分、アインスは王国東部と南部の侯爵に、この暴虐の責任を擦り付けたいんだと思う。
そうすれば、帝国南部方面軍は怒り心頭で、王国東部と南部を狙ってくれるって、そう考えたんじゃないかな……?
ツヴァイス殿下の支持者が戦死すれば、玉座は自分のものになるとか、きっとそんな算段だよね。浅はかだけど、そうとしか考えられない。
「はぁー……。倫理観が欠如している馬鹿に、大きな権力を持たせると、碌なことにならないなぁ……」
私が深い溜息を吐いて、アインスの愚かさに辟易していると、少年が目を覚ました。
彼は茶色の髪と瞳を持つ、どこにでもいるような普通の男の子だよ。
「こ、ここは……? オイラ……確か……剣で……」
「怪我は治したよ。もう動けると思うけど、違和感があったら教えてね」
私が声を掛けた途端、少年はハッとなって跳び起きた。そして、今にも泣きそうな表情で、私に詰め寄ってくる。
「──ッ!? み、みんなは!? オイラの姉ちゃんはどうした!?」
「ご、ごめん、分からない……。でも……」
私は言い淀んでから、ちらりと村に目を向けた。
少年が私の視線を追って振り返ると、そこに広がっている凄惨な光景を目撃してしまう。
「ああ……っ、そんなぁ……っ!!」
泣き崩れた少年を見て、私の心に罪悪感が募った。
これは私がやったことじゃないけど、事前に察知しておきながら、何も出来なかったからね……。
ここで、私の従魔たちが戻ってきた。少年は敵だと思ったのか、強い憎しみが籠った目でみんなを睨み付ける。
「待って待って! この子たちは私の従魔だから! 敵じゃないよ!」
「ッ、そう、か……。クソっ!!」
彼は言葉を詰まらせた後、従魔たちから視線を切って、村の中へと駆け出した。
そして、大声で色々な人の名前を呼びながら、生存者を捜し始める。
「……みんな、生存者はいた?」
私が従魔たちに問い掛けると、みんな揃って『否』と伝える動作をしたよ。
スキル【気配感知】を持っているティラですら、生存者を見つけられなかったんだ。そうなると、もう諦めた方がいい。
でも、それを少年に伝えるのは、余りにも気分が重たくなる……。そんな風に思っていたら、
「ああぁ……っ!! あ、あった!! 姉ちゃんの靴だッ!! 足跡があっちに……っ、そうか!! 森の中に逃げたんだ!!」
少年が片方しかない靴を拾って、希望を見つけたような歓喜の声を上げた。
その視線の先には、鬱蒼とした森がある。彼は一も二もなく、森の中に入って行ったよ。
私は彼が見つけた足跡を観察して、小さく歯噛みする。
足跡の数は六人分。一つは血痕があって、裸足だと分かった。
それから、四つは身体が重たい人の足跡だよ。砂利が砕けているので、靴底は金属製だと思う。
太っているから重たいのか、武具を身に付けているから重たいのか……。多分、後者だよね。
「逃げる村人と、追い掛ける王国兵……」
相手は正規の軍人で、レベルが高い戦闘職だと思う。
そこまで考えが至って、私の心はスッと冷めた。
私は辻ヒールをしに来たのであって、命懸けの戦闘をしに来た訳じゃないんだ。
家族でも友達でも、ましてや知人でもない赤の他人のために、自己犠牲なんて発揮させられない。
色々な罪悪感を保身の考えが呑み込んで、私の心から偽善の皮が剥がれてしまった。自分が窮地に陥る可能性が出てきて、心に余裕がなくなると、あっという間にこの様だよ。
「うーん……。まぁ、無理のない範疇で、あの少年を助ける努力はしようかな……。ユラちゃん、この森を霧で覆うよ」
無理そうなら、キッパリと見捨てる。私は、その覚悟を決めた。
私も成長したんだ。凡人は他人を見捨てることにも、並々ならない勇気が必要になるけど、私はその勇気を手に入れている。
この一年で、何度か死線を潜り抜けたからね。死の恐怖が、惰弱な心を鍛えてくれた。
私はスキル【魔力共有】を使って、ユラちゃんに魔力を供給する。
この魔力は【水の炉心】によって、無尽蔵に生成されている水属性のものだ。
ユラちゃんは私の指示に従って【霧雨】を使い、森に向かって全身から霧を噴射した。このスキルは一回や二回程度の使用だと、周囲を軽く濡らす程度の効果しかない。
しかし、数百回も連発すると、広範囲に物凄い濃霧を展開出来る。
ただの霧だけど、ミストゼリーという魔物の特性によって、ユラちゃんはこの中を高速移動出来るんだ。その速さは、ティラの全速力を上回るよ。
──数分後。結構な範囲の森が濃霧に覆われたので、私は【感覚共有】を使いながら、ユラちゃんを送り出す。
先に捜索を始めていた少年を追い越して、更に森の奥を捜すと、
「あっ、見つけた……。やっぱり王国兵か……」
森の中にいた王国兵の数は五人で、そのうちの四人が兵卒用の鎧を装備している。鉄製の重たいやつだね。
もう一人は魔法使い用の、軽そうなローブを装備しているよ。
彼らは二十代から三十代の男性たちで、剣士が二人、槍使いが一人、弓使いが一人、魔法使いが一人という編制だった。
王国兵の他に、村人と思しき女性も一人だけいる。彼女は十代後半くらいで、私が助けた少年と顔立ちが似ているから、彼のお姉さんだと思う。
彼女は今、気を失った状態で、王国兵に担がれているよ。
さて、どうしたものか……。私が悩んでいると、兵士たちの会話が聞こえてきた。
「──なんか、霧が濃くなってきやがったな。もう色々と、ウンザリだぜ」
「そりゃ同感だ……。あの村でやったことを考えると、気が滅入っちまう。軽く略奪するだけで、十分だったんじゃねーのか……?」
「農村は立派な軍事施設だろ。帝国軍に兵糧を流しているんだから、どう考えても俺らの敵じゃねぇか……。あれくらい、やって当然なんだよ」
農村も戦争に無関係とは言えない。その理屈は分かるけど、そんなことを言い出すと、無関係な民間人なんて殆どいなくなる。
やっぱり、戦場に立っているか否かで、線引きは必要だと思うんだ。
そこで線引きが出来れば、戦争は政治の範疇。そして、お互いに民間人を殺し合っていたら、それはもう政治じゃなくて、ただの獣の縄張り争いだよね。
理性のある人間なら、どんな理由がある戦争であっても──いや、戦争だからこそ、民間人を殺すべきではない。
「なぁ、この女は俺たちで食っちまわないか? もう辛抱堪らないんだが……」
「おめーは馬鹿か? 軍に戻ったら、なんて言うんだよ。女はアインス殿下に献上しなくちゃ、ここにいる全員が死刑だぞ」
「最後にしっかり殺しておけば、なんの問題もないだろ! 軍に戻ったら、女は見失いましたって伝えてよ!」
「見失いましたって、それだと結局は罰を受ける。……そうだ、自害したことにするのはどうだ? 痛めつけて本当に自害させれば、審問官も怖くないぞ」
魔法使いが言い出した悪魔的な提案に、全員がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて、賛同してしまう。
彼らは私と同じ、アクアヘイム王国の人間だから、それなりに躊躇はあったんだけどね……。どうやら、そんなものは必要ないらしい。
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