第150話 ルチア=ダークガルド

 

 王国軍司令部は、ルチア様の二つ名に関する情報を共有した。

 ここで、ライトン侯爵が溜息を吐いて、難しそうな表情を浮かべる。


「ブヒィ……。分身を使われたら、殺すのも捕らえるのも難しい。これは厄介ですぞ」


 極大魔法の鍵を使って、ルチア様を帝国軍諸共、一網打尽に出来ればいい。

 でも、それは至難の業だろうと、王国軍司令部は予想した。

 当たり前だけど、帝国だって王国の情報収集は、欠かしていないはずだよね。


 ツヴァイス殿下の裏ボス攻略は、かなり大々的に行われたので、彼が極大魔法の鍵を持っていることは、帝国も把握済みだと考えていい。

 つまり、なんらかの対策を講じると思う。


「極大魔法の鍵を使うのであれば、帝国軍の兵力を十万ほど削りたいのですが……」


 ツヴァイス殿下はそんな呟きを漏らして、一人で熟考し始めた。

 それくらい削らないと、王国に平穏は訪れないのかな。



 そして──翌日になると、帝国軍は兵団を五つに分けた。

 極大魔法の鍵を恐れて、戦力を分散させたんだ。王国軍としては、各個撃破したいところだけど……敵は一つの兵団だけでも、三万人の兵力を有している。

 しかも、その全てに、ルチア様の分身が入っているんだ。大将の不在で隙がある兵団は、一つも存在していない。


 帝国軍の各兵団は、ルチア様のスキル【千里眼】を頼りに、帝国南部のスライムを狩り始めた。

 便利なゴミ箱がなくなるけど、ゴミは埋めるなり燃やすなりすればいい。

 今は、神出鬼没の王国軍をどうにかすることが、最重要なんだろうね。


「七号、もう街には近付かないで。もしも狩られそうになったら、すぐに逃げるんだよ」


 私はスラ丸七号に、命を最優先にするよう指示を出した。

 幾ら帝国軍の数が多くても、【千里眼】というスキルがあっても、街の外にいるスライムを殲滅することは、流石に出来ないはず……。



 ──戦況は日を追うごとに、王国軍にとって悪い方へと向かっていく。

 転移先を次々と潰されたことで、王国軍の動きはどんどん鈍くなってしまった。

 帝国軍はスライムの駆除に専念しており、王国軍に手を出そうとはしていないから、今のところ大きく負けてはいないけどね。


 そうして、直接対決はしないまま、冬が終わりに近づいてきたよ。

 帝国南部の貴族たちが、本拠地に蓄えていた物資は、王国軍がごっそりと奪い取った。

 そのため、帝国軍は食糧不足に悩まされている。……そう予想していたのに、全くと言っていいほど、問題にはなっていないらしい。


「帝国軍は、食糧を民から徴発するかと思いましたが……まさか、寄付という形で集めるとは……」


 ツヴァイス殿下は司令部の天幕で、苦々しい表情を浮かべながらも、甚く感心していた。

 その横では、殿下を護衛中のバリィさんが、紙束に纏められた情報を眺めて、訝しげに首を捻っている。


「あちこちの農村に、皇女が頭を下げて回ったらしいが……どうにも、信じ難い話だな……」


 平民にペコペコと頭を下げる皇族なんて、私も信じ難いよ。

 ルチア様は、目的のためには手段を選ばない人らしいけど、プライドも捨てられるみたい。

 あるいは、そんなものは最初から持ち合わせていないのか……。


「結果的に、民衆の怒りを帝国の為政者へと向けさせる作戦は、失敗してしまいました。少し困った状況です」


「待ってくれ、殿下。幾ら皇女が頼み込んだって、帝国南部の食い物の総量は変わらないだろ? だったら、いつかは民が飢えて、怒り出すんじゃないのか?」


「いえ、ルチア殿が頭を下げて回ったのは、帝国南部の村々だけではありません。帝国内の大きな農村、その全てに頭を下げて回ったそうです」


 ツヴァイス殿下曰く、ルチア様は幾つもの分身を使って、帝国の東西南北でペコペコしまくったんだって。

 寄付してくれる村の数が、多ければ多いほど、一つ当たりの村の負担は減る。


 その理屈は分かるし、『頭を下げてお願いする』というのは、至極真っ当な手段だと思うよ。

 でも、スケールが大きすぎて、私はポカンとしてしまった。

 そんな方法で、十五万人分の食糧を集められるなんて、凄いを通り越して怖いよ。


「なぁ、殿下。皇女はどうやって、兵糧を運んだんだ?」


「コレクタースライムですよ。ゲートスライムへの進化条件は、帝国側には伝わっていませんが……コレクタースライムへの進化条件であれば、伝わっています」


 バリィさんの質問に答えたツヴァイス殿下は、自分のこめかみを指圧しながら、深々と溜息を吐いた。

 司令部のメンバーが集まっているときは、常に余裕があるように見えていたけど……今は、バリィさんとスラ丸しか見ていないので、取り繕っていないっぽい。


 殿下とライトン侯爵の上級魔法があれば、楽勝なんじゃないかなって、私は楽観視していた。でも、この様子を見る限りだと、そう上手くはいかないのかも……。

 まぁ、冷静に考えたら、帝国軍にも上級魔法の使い手は存在するよね。

 人口比を考えたら、王国軍よりも多い可能性の方が高いんだ。


「これから、どうする? 気持ちを切り替えて、王国北部で防衛に徹するか?」


「そう、ですね……。それしかありませんか……」


 バリィさんの提案に、ツヴァイス殿下は渋々ながらも頷いた。

 殿下の当初の作戦は、帝国南部の民衆と為政者を仲違いさせること。

 この作戦を成功させるには、『為政者が民衆から食糧を徴発せざるを得ない』という、状況が必要だった。


 しかし、ルチア様が存在する限り、それは上手くいかない。

 厄介な彼女を討ち取りたくても、本体と分身の見分けが付かない。

 極大魔法の鍵を使おうにも、帝国軍は五つの兵団に分かれている。


 うーん……。うん、これは難しい状況だと言わざるを得ないね。


「殿下、そう気を落とすなよ。全部が全部、失敗だった訳じゃないさ。兵士を殆ど失わずに、大量の物資を奪い取ったんだ。こっちは大戦果だろ?」


「ええ、確かにその通りです……。しかし、ルチア殿を討ち取れなければ、防衛戦もジリ貧でしょう……」


 帝国中の農村から、穏便に食糧を集められるルチア様と、集めた食糧を簡単に輸送出来るコレクタースライム。

 この組み合わせによって、帝国軍は長期的な作戦行動が可能になっている。


 ……あれ? もしかして、物凄く不味い状況なのでは?

 コレクタースライムって、王国よりも帝国を利する魔物かもしれない。

 スラ丸の視界越しに、私が冷や汗を掻いていると、天幕に一人の兵士が駆け込んできた。


「──し、失礼しますッ!! 殿下っ、一大事です!!」


「どうしました!? まさかっ、敵襲ですか!?」


「い、いえっ、いえ? どうでしょう!? わ、分かり兼ねます!! 敵と言えば、敵なのですが……!!」


 要領を得ない兵士の言葉に、バリィさんが苛立つ。


「おいっ、ハッキリと報告してくれ!!」


「も、申し訳ありません!! 実は、自らを『ルチア=ダークガルド』だと名乗る人物が、ペガサスに乗って我が軍の陣営までやって来ました! しかもっ、単身で!! 先方は、ツヴァイス殿下との話し合いを望んでおります!」


 私もスラ丸も、ツヴァイス殿下もバリィさんも、みんな揃って絶句した。

 けど、すぐに殿下が我に返り、ルチア様の目的を予測する。


「まず間違いなく、分身でしょうね。こちらを探りに来たのか、揺さぶりに来たのか……。ふむ……。いいでしょう、すぐに連れて来てください」


「ハッ! 畏まりました!!」


 分身に情報を盗まれても面白くないし、門前払いという手もあるけど、ツヴァイス殿下は話し合いをすることに決めたよ。

 出来ることなら、帝国軍を攻略する糸口を見つけて貰いたい。


「他の司令部の連中は、呼ばなくていいのか?」


「探りか揺さぶりであれば、対応する人数は少ない方がいいでしょう。バリィは万が一に備えて、ワタシの護衛をお願いします」


「ああ、それは任せてくれ。掠り傷一つ付けさせないさ」


 バリィさんとツヴァイス殿下は、拳を軽くぶつけ合って、お互いを励ました。

 もうすっかり、この二人は親友って感じなんだ。


 ──この後、皇女ルチアがその美貌によって、王国軍の陣地内をざわつかせながら、天幕までやって来たよ。

 彼女の髪は腰まで伸びていて、緩やかなウェーブが掛かっている。

 その色は光沢のあるストロベリーブロンドであり、不思議と視覚からの情報だけで、甘くていい香りを感じ取れた。

 瞳はピンクダイヤのような色合いで、強固な意志を持つ人間特有の輝きが見て取れる。


 顔立ちは柔和だけど、表情がキリッとしており、左目の下にある泣きぼくろが、色香を漂わせている。

 肌は象牙のように真っ白で、身長は百六十センチほど。スタイル抜群で、腰は細いのに胸が大きい。

 身に着けているものは、白銀の鎧とドレスを足して二で割ったような、美しいドレスアーマーだ。


 帝国随一の美人さんというのは、決して誇張ではないのかもしれない。

 まぁ、私の十五年後の姿だって、全然負けてないよ。

 

 ……ただし、胸の大きさでは、大敗を喫している。女神アーシャの胸は、良くも悪くも普通だったからね。

 私が敗北感に苛まれている中、ルチア様は自分の大きな胸に片手を当てて、ツヴァイス殿下に目礼を行った。


「わたくしは、ダークガルド帝国の第三皇女、ルチア=ダークガルドです。本日は対談の席を設けていただき、深く感謝しております」


「ワタシはアクアヘイム王国の第二王子、ツヴァイス=アクアヘイム。無駄話は好みませんので、用向きをお聞かせください」


 ツヴァイス殿下はルチア様を椅子に座らせてから、彼女の話に耳を傾ける。


「では、単刀直入にお伝えします。どうかわたくしと、同盟を組んでいただけないでしょうか?」


「……同盟? ワタシの記憶違いでなければ、王国と帝国の関係は、同盟とは縁遠いものだったかと……」


「王国と帝国の同盟ではなく、わたくしと貴殿の同盟です」


 ルチア様の声色や表情には、冗談らしさが微塵も混ざっていない。

 ツヴァイス殿下は困惑しながら、それでも冷静に事情を聴き出そうとする。


「同盟の目的と、ワタシが得られる利益を教えて貰えますか?」


「はい、勿論です。目的は、わたくしが帝位を簒奪すること」


 帝位の簒奪。順当に継承したいのではなく、簒奪だとルチア様は宣った。

 これには、ツヴァイス殿下もバリィさんも、思わず頬を引き攣らせる。


「簒奪とはまた、穏やかではありませんね……。帝国の動乱は、こちらの望むところではありますが……何故、簒奪を企てているのですか?」


「この大陸から、国家間の戦争を根絶するためです」


「貴方が皇帝になると、争いはなくなると?」


「少なくとも、アクアヘイム王国とダークガルド帝国の戦争は、必ずなくなります」


 ルチア様の話を聞いて、私は心の中で拍手喝采だよ。

 今回の戦争が穏便に終わって、ルチア様が帝国で内乱を起こしてくれたら、どう転んでも王国としては万々歳だ。

 彼女が簒奪に失敗しても、帝国は内乱で疲弊するし、簒奪に成功したら、今後は国同士で仲良くすればいい。

 私だったら、すぐに飛び付いちゃう話だけど、ツヴァイス殿下は悩んでいる。


「ワタシと貴方の代で和平を結んでも、後の代で争いが発生しますよ。彼我の国力に差があり過ぎて、王国は窮鼠の如く帝国に噛み付く。そして、帝国には、己の力に見合った野心を抱く皇帝が、必ず現れるでしょう」


「それは重々承知しております。なので、わたくしが皇帝になった暁には、帝国と王国を合併させたいのです」


「合併? 王国が吸収されるだけでは?」


「合併後は両国の名を残さず、わたくしとツヴァイス殿が夫婦となり、貴殿に新たな超大国の玉座を譲ります。これで、如何でしょうか?」


 王国と帝国が合併したら、後は一つずつ、この大陸にある国家を呑み込んでいく。そうすれば、戦争は根絶出来るという訳だね。


「新たな超大国の玉座が、ワタシが得られる利益ということですか……」


「それに、帝国随一の美女も、オマケで付いてきます」


 ルチア様はにこりともせず、酷く真面目くさった表情で、そう付け足したよ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る