第138話 伝説の料理長
──リヒト王子の剣術ごっこが始まってから、ニ十分ほどが経過した。
彼は疲労困憊で倒れ込んで、お付きの人たちに物凄く心配されたけど、その表情は満足げだよ。
「スイミィ様も、そろそろやりますか?」
「……ん、やる。スイも、つよくなる」
順番待ちしていたスイミィ様は、私の問い掛けにコクリと頷いた。
魔物使いになりたいと言っていたけど、剣術を鍛えることに結構乗り気だね。
ここで、一人のメイドさんが私に話し掛けてくる。
「不躾なお願いで申し訳ありませんが、スイミィ様には短剣の修行を付けていただけないでしょうか?」
「別にいいですけど、どうして短剣なんですか?」
「スイミィ様が剣を佩く機会は、ないはずなので……。短剣であれば、護身用として持ち歩くことが可能です」
なるほど、と私は納得した。どうせなら、役に立つ修行がしたいよね。
スイミィ様は短剣の修行でも構わないみたいで、モーブさんに木刀を半分に切って貰ったよ。短くなった片一方の木刀は、人型壁師匠に持たせておく。
「……スイ、おして……おして? ……リッくん、おして、なに?」
「推して参るなのだ!」
「……スイ、おしてまいる」
スイミィ様は壁師匠と対峙してから、滑らかな動きで駆け出して、流れるような短剣捌きを見せてくれた。
普段はボーっとしている印象が強いけど、彼女の運動神経は並々ならないものらしい。しかも、壁師匠の指導をスポンジのように吸収して、瞬く間に技術を習得していく。
……私はスイミィ様の動きに、段々と既視感を覚え始めた。なんだろうって思ったけど、ルークスの動きに似ているんだ。
足音の消し方も加速度的に上達しているし、暗殺者の才能がありそう。
侯爵令嬢には似つかわしくない職業だけど、選択肢が多いのはいいことだよね。
スイミィ様は短剣を振るっている最中でも、終始無表情──かと思いきや、口元に薄っすらと笑みが浮かんでいる。
それに気が付いたメイドさんが、ハッと口を押えて涙ぐむ。
「お、お嬢様が……っ、あんなに楽しそうに……!!」
スイミィ様が笑みを浮かべるのは、かなり珍しいみたい。
よかったですね、と私が微笑ましく思っていると、早くも復活したリヒト王子が騒ぎ始める。
「ぐぬぬぬぬ……ッ!! わ、我の右手が疼くのだッ!! 封印されし魔人が力を渇望して……ッ!! アーシャっ、我にも早く修行させるのだ!! このままでは魔人の封印が……!!」
「はいはい、もう一体ご用意しますね」
私は人型壁師匠を追加で用意して、リヒト王子に宛がった。
こうして、彼も修行を始めたところで──ふと、私は侯爵家のお屋敷にやって来た目的を思い出す。
ヒクイドリの卵、貰う予定だったんだよね。
私の従魔になる予定の子が、今この瞬間にも、食材として使われているかもしれない……。大変だ。一刻も早く受け取らないと!
その旨をメイドさんに伝えると、彼女の口から予想外の指示が飛んでくる。
「──畏まりました。では、お一人で厨房まで行って、卵をお受け取りください」
「えっ、誰も付いて来てくれないんですか……?」
「使用人一同、お嬢様の笑顔から目が離せません。屋敷の中にいる適当な使用人に、お声掛けください」
「そ、そうですか……。分かりました……」
私は別に、それでも構わない。けど、部外者を敷地内でウロウロさせるのって、侯爵家側からしたら褒められた行動じゃないよね。
しかも、私は従魔を連れて来ているから、一応は警戒するべきだと思う。
……まぁ、私なら大丈夫だって、信用されているのかな。
不審者扱いされたくないから、私はすまし顔で背筋を伸ばして、然も『お客様です!』と言わんばかりの体で歩き出す。
「いや、然もっていうか、紛うことなきお客様だけどね」
お屋敷の玄関の扉をノックして、顔見知りのメイドさんに招き入れて貰い、事情を話して厨房へと向かう。
このお屋敷で働いているメイドさんって、多分だけど例外なく、私のお店で美容液を買っているんだ。そのため、右を見ても左を見ても、見知った顔ばっかりになっている。
──なんの問題もなく、厨房に到着した。
ここに入るのは、これで二回目だよ。一回目は紆余曲折を経て、私が料理長に就任し、アイスクリームを作ったんだ。
リヒト王子の我儘が原因で、以前に料理人が大勢辞職したはずだけど……現在では、あんな事件はなかったかのように、十数人の料理人が世話しなく働いている。
「ごめんください、ヒクイドリの卵を貰いに来ました」
一際縦に長いコック帽を被っている料理人に、私は背後から声を掛けた。
振り向いた料理人は、やたらと線が細いアラサーの男性だったよ。
名前は知らないけど、見覚えがある。以前に厨房で、砂糖菓子のお城を作っていた人であり、私に料理長の座を押し付けた人でもある。
彼も私のことを覚えていたのか、ハッとなって目を見開く。
「あ、貴方は……っ、見習いメイド兼伝説の料理長!! 帰って来たんですか!?」
「伝説……? えっと、今日は客人として来ています。それより、貴方は逃げ──いえ、辞職したはずでは……?」
「そうなのですが、すぐに呼び戻していただきまして……」
アラサー男性はそう言って、気恥ずかしそうに頬を掻く。
あれだけ一気に辞められたら、侯爵家としても困るだろうし、そりゃあ呼び戻すよね。
「副料理長、まさかこの幼女が、以前に言っていた……?」
私とアラサー男性のやり取りを聞いて、他の料理人たちがワラワラと集まってきた。みんな若々しくて、十代後半から二十代前半くらいの人たちだ。
どうやら、今のアラサー男性は、副料理長として頑張っているらしい。
「その通り!! この幼女こそっ、栄えあるサウスモニカ侯爵家の厨房に君臨する、伝説の料理長だ!! お前たちっ、最大限の敬意を払えよ!!」
「「「了解です!!」」」
副料理長に紹介されて、私はなんとも言えない表情をしてしまう。
私の料理長の肩書って、まだ有効だったんだね……。普通にいらないよ。
「あの、若い料理人の方たちが、私に尊敬の眼差しを向けてくるんですけど……副料理長、どんな話を聞かせたんですか……?」
「我儘なリヒト王子を菓子一つで黙らせて、しかも調教したと、事実をありのまま教えました」
「やめて!? 私が不敬罪で処されたらどうするんですか!? 調教なんてしていません!! 事実無根です!!」
私は副料理長の話を聞いて、思わず頭を抱えた。
なんだかんだで、リヒト王子とは良い関係を築けているし、ツヴァイス殿下ともお友達になったけど、物事には限度というものがある。
王族は封建社会の頂点に君臨している存在で、私は下層の庶民なんだ。
調子に乗っていたら、私の細首なんて、簡単に飛んじゃうからね。
「ハッハッハッ! 事実無根とはまた、ご自分を過小評価しておられる! 料理長が菓子を与えてから、リヒト王子は『処刑』という言葉を使わなくなりました。これは立派な調──」
「料理長命令です! 黙ってください!」
私が強権を発動させると、副料理長は直立不動になって口を噤んだ。
少し前まで、リヒト王子はすぐに『処刑してやるのだ!』とか、物騒なことを言っていたんだけど、今は言わなくなったみたい。
確かに、私は注意したよ。その一事が、リヒト王子を変える切っ掛けになったのかもしれない。
でも、これを調教扱いするのは、幾らなんでも酷過ぎるでしょ……。せめて、教育と言って貰いたいよね。
そんな思いを込めて、私が副料理長を睨み付けていると──不意に、若い料理人が手をあげた。
「伝説の料理長っ、質問です! あれだけ食べ物の味に煩い王子を黙らせるなんて、一体どんな菓子を作ったんですか……!?」
「企業秘密です。いつかあれで、一儲けする予定なので」
「そ、そんなぁ……!! あっ、そ、それならっ、何か一品!! 簡単な料理でも構いませんので、我々にご指導していただけないでしょうか!?」
「えぇー……。そんなこと言われても……」
私は前世で料理人だった訳じゃないから、ご指導なんて大層なことは出来ないよ。
ただ、料理のレシピを色々と知っているだけなんだ。インターネットを使って、なんでも調べられる世界で、生きていたからね。
「「「どうか何卒っ!! 一品だけ!! 一品だけでいいので!!」」」
料理人たちは綺麗に口を揃えて、腰を直角に曲げながら懇願してきた。
私はゲンナリしながら、深々と溜息を吐く。
「はぁー……。私、ヒクイドリの卵を貰いに来ただけなのに……」
知っているレシピの一つや二つ、別に教えてもいいんだけど、無償で提供しろっていうのは厚かましいと思うんだ。
私たち、別に友達じゃないし、そこまでしてあげる義理はないよ。
こうして、私が渋っていると、副料理長は交渉の糸口を探し始めた。
「そういえば、料理長はどうして、ヒクイドリの卵をお求めなんですか?」
「火属性の魔物をテイムしようと思って、卵から孵化させようかな……と」
よくよく考えてみると、この人たちに料理のレシピを教えれば、スイミィ様が新しい料理を食べられるよね。それなら、卵のお礼になるかも。
私は自分の中に、納得出来る考えを見つけて、普通にレシピを教えてあげることにした。
けど、それを伝える前に、副料理長がハッとなって興味深いことを言い出す。
「閃いた! 侯爵様に献上する予定だった、レアな魔物の卵があります! それを差し上げますので、料理長のご指導と交換ということで、どうでしょう!?」
「れ、レアな魔物の卵……!? 物凄く惹かれますけど、侯爵様に献上する予定のものですよね……? 勝手に交換材料にするなんて、許されるんですか……?」
「ハッハッハッ! 侯爵様には素材の味など分からないので、ヒクイドリの卵で誤魔化しますよ!」
副料理長が朗らかに笑って、とんでもない発言をしてしまった。
この人、クビにした方がいいんじゃないかな?
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