五章 スレイプニル戦役

第134話 冬の始まり

 

 ──アクアヘイム王国に広がる美しい湿地帯。その全てが凍り付き、深々と雪が降り始めた。

 一年の最後にして、最も厳しい季節、冬が訪れたんだ。

 氷雪が溶けて、無事に春を迎えたら、アーシャこと私は七歳になる。


「ふぁー……っ、ふぅ……」


 まだ薄暗い早朝。ベッドの中でゴマちゃんを抱き締めながら、ぐっすりと眠っていた私は、大きな欠伸と共に起床した。

 ここは、私が営む雑貨屋の、二階にある自室。

 ゴマちゃんとは、桜色のフワフワしている体毛と、キュートな困り顔を持つ子供アザラシだよ。

 悶絶するほど可愛い見た目をしているけど、これでも立派な魔物なんだ。


「スラ丸、お願い……。いつものやつ……」


「!!」


 私は微睡む頭をフラフラさせながら、枕元にいたスラ丸にスキルを使って貰う。

 この子の十八番である【浄化】によって、私の涎の跡や寝汗なんかは、綺麗サッパリ消え去った。


 気分爽快になって真横を見遣ると、居候中のフィオナちゃんが未だに熟睡している。

 この子は林檎のように赤い髪と、勝気な性格が垣間見える橙色の瞳を持つ少女で、私と同い年の友達だよ。

 普段の髪型はツインテールだけど、就寝時の今は下ろしている。こっちの髪型の方が、少しだけ大人びて見えるかも。


「むにゃむにゃ……。うぷぷ……。アーシャってば、お腹にお肉が……ぷにぷに……」


 酷い寝言だ。私のお腹は断じて、ぷにぷになんてしていない。

 でもまぁ、冬は運動不足になりがちだから、気を付けよう。


 私はベッドから降りて、部屋の換気をするべく窓を開けた。

 冷たい風が吹き込んでくるけど、私とフィオナちゃんは全く身震いしない。

 何故なら二人とも、寒冷耐性の効果が付いているマジックアイテム、スノウベアーのマントを身に着けているからね。


「これがあれば、冬でもへっちゃらかな」


 フフン、と私は上機嫌になって、スラ丸と一緒に部屋から出ようとした。

 すると、私の身体に、ユラちゃんが纏わり付いてきたよ。

 この子は秋にテイムしたクラゲの魔物で、元々はアクアゼリーだったけど、火の魔石を沢山食べさせたから、ミストゼリーに進化したんだ。


 その見た目は霧状のクラゲで、大きさは一メートル半くらい。

 どうやっても触れないので、スキンシップを取るのが難しい。それでも、頗る良好な関係を築けている。

 ちなみに、最近は火の魔石が高騰していて、他の属性の魔石よりも十倍くらい高かった。


「ふにゃあ~……。ご主人、おはようだにゃあ……」


「おはよう、ミケ。まだ寝ていても大丈夫だよ」


 私が二階の短い廊下に出ると、ここに自分の布団を敷いているミケが、欠伸混じりに挨拶してきた。

 この子は猫獣人の男の子なんだけど、その容姿は女の子にしか見えない。


 髪は雑に肩まで伸びていて、毛先が外側に向かって跳ねている。

 その色は黒、白、オレンジに近い茶色が交ざっているよ。基調が黒で、インナーカラーが白、一房だけ茶色という、三毛猫っぽい配色なんだ。

 顔立ちも猫っぽくて、綺麗な黄緑色の瞳は、アーモンドの形をしている。


 そんなミケの年齢は、まだ八歳。誰がどう見ても子供なのに、廊下で寝かせるのは可哀そうだと思う。

 ……でも、この子は物凄くエッチだからね。私とフィオナちゃんの貞操を守るために、これは仕方のない措置なんだ。

 お高い羽毛布団を買ってあげたから、廊下で寝ていても寒さの心配はないよ。


 私は二度寝するミケを置いて、一階の店舗スペースに下りた後、夜間の警備をしていた従魔たちを労う。


「──みんな、お疲れ様。いつもありがとね」


 店舗スペースにいる従魔は、無機物遺跡というダンジョンでテイムした三匹。

 銀の球体の魔物、シルバーボールのブロ丸。

 鉄の球体の魔物、アイアンボールのテツ丸。

 銅の宝箱に擬態している魔物、ブロンズミミックのタクミ。

 表情もないし、声も出せない三匹だけど、布で丁寧に磨いてあげると喜びが伝わってくる。魔物使い冥利に尽きるよ。


 一通り磨き終わってから、今度は裏庭へと移動する。

 私のスキル【土壁】を使って、裏庭に雪が入らないように壁と屋根を作ったので、あんまり庭という感じがしない。これで地面が土じゃなかったら、完全に家の一部屋だった。


 ここでは、アルラウネハープのローズと、ヤングトレントのグレープが眠っている。

 ローズは下半身が大きな深紅の薔薇で、上半身が人型の童女の魔物。

 グレープは背丈が一メートル程度で、葡萄を実らせる果樹の魔物。

 どちらも寒さが苦手みたいで、冬になった途端に元気がなくなってしまった。


「ローズ、グレープ、おはよう。水をあげるね」


「う、うむ……。アーシャよ、寒いのじゃ……。この季節、ちと妾には辛いかもしれん……」


 ローズは下半身の薔薇を蕾の状態にして、人型の上半身をすっぽりと覆い隠している。

 そんな蕾の先っちょから、にゅっと彼女の手が伸びてきて──私が用意した聖水入りのじょうろを受け取り、そのまま蕾の中で給水した。

 ……寒すぎて、花弁を開く気力がないみたい。


「竪琴を弾いたら? あれって、身体を温かくしてくれるでしょ?」


「ゆ、指が冷たくて、そんなの無理じゃよ……!!」


 ローズが生産してくれるマジックアイテム、ドラゴンローズの竪琴。

 それを使った演奏を聴くと、身体が癒されて、ポカポカと温かくなる。

 技量によって効力が上下するけど、私とローズは暇なときに練習しているから、そこそこ上手く演奏出来るんだ。

 まぁ、その腕前も指が冷えていると、活用することは難しい。

 指を温めてから演奏しても、冬の間ずーっと演奏させる訳にはいかないし、根本的な解決にはならないかな。


「うーん……。家の中も普通に寒いし、薪は一日中使えるほど買えないし……どうしよう?」


 アクアヘイム王国には、薪に適した木々が生えている森は少ない。

 それなのに、お金持ちが大量の薪を買い占めたりすると、市民からの顰蹙まで買ってしまう。

 貴重な薪は、みんなで大切に使う。それが常識なんだ。


「アーシャは魔物使いであろう!? 火属性の魔物をテイムしてたも!!」


「おおっ、そっか! それは良い考えだね。……問題があるとすれば、火属性の魔物が近場にいないことだけど」


 アクアヘイム王国に生息している魔物は、水属性が多い反面、火属性が非常に少ない。この街、サウスモニカの周辺地域には、一匹も生息していないよ。

 火属性の魔物が生息している場所で、最も近いのは……確か、王都のダンジョンだったと思う。

 そのことをローズに伝えながら、私はグレープにも聖水を与えた。


「──であればっ、今すぐ行ってくるのじゃ!! 妾っ、もう寒いのはウンザリなのじゃよ!!」


 ローズは私を急かすように、蔦でベシベシと地面を叩く。


「もうって、まだ冬は始まったばっかりだよ」


「あああああああっ!! もうおしまいじゃ!! 妾は新年を迎えられずにっ、凍死してしまう!!」


 元々、アルラウネは寒さに弱いけど、ローズの場合は【竜の因子】まで持っているから、余計寒さに弱いのかも……。ドラゴンって、多分だけど爬虫類だし。

 ローズは私のお店の従業員で、留守を任せられる代理店長みたいなところがある。そんな彼女が、冬の間は身動きが取れないとなると、結構困っちゃうよ。


 ちなみに、私のスノウベアーのマントをローズに貸すという手は、残念だけど使えない。魔物って、基本的にはマジックアイテムを装備出来ないからね。

 例外として、ローズの下半身から生えている竪琴の花弁みたいに、『自分の身体の一部』という扱いのマジックアイテムであれば、装備出来る。


「どうにかしてあげたいけど……王都にあるダンジョンって、熱砂の大地なんだよね……。この国の最難関ダンジョンだから、私の実力でテイム出来る魔物なんて、そこにはいないと思うよ?」


「第一階層ならっ、どうにかなるであろう!? 其方はもうっ、一人前の魔物使い!! 昔のような、よわよわ幼女ではないのじゃ!!」


「そ、そうかな……? まぁ、可能性はゼロじゃないか……。一先ず、図書館で調べてみるよ」


 私個人で見たら弱いけど、魔物使いは従魔も含めて自分の力なんだ。

 そう考えると、確かにローズの言う通り、私はもう、よわよわ幼女じゃない。

 無論、上には上が幾らでもいる。でもね、下にだって沢山の人がいるところまで、届いた気がするよ。


 そうでしょ? と問い掛けるように、私は自分の影に目を向けた。

 すると、そこからチェイスウルフのティラが、鼻先だけを出してきたよ。

 撫でてあげると、『クゥン!』と甘えた声を出す。身体は大きくなったのに、まだまだ甘えん坊さんだね。


「む……? すっかり忘れておったが、王都と言えば、スラ丸四号はどうなったのじゃ?」


「あー……。そういえば、どうなったんだろう……?」


 ローズに問い掛けられて、私はスラ丸四号のことを思い出した。

 ちょっとね、存在を忘れていたよ。本当に、ちょっとだけね。

 この国の第二王子、ツヴァイス殿下。彼が私の自由を奪うんじゃないかと警戒して、いつでも逃げられるように、四号を遠出させていたんだ。


 全てのスラ丸はスキル【転移門】を使って、二つの地点を直接繋げることが出来る。

 距離がどれだけ遠くても問題ないから、雲隠れするには打って付けだけど……今のところ、ツヴァイス殿下が私を利用しようとする動きはない。


 何かあれば、ステホに連絡が──ああいや、フレンド登録していないから、連絡手段がないかも。

 私とツヴァイス殿下は、紆余曲折を経てお友達になったのに、二人してフレンド登録のことを忘れていたよ。


 さて、スラ丸四号の最初の行き先は、王都にしていた記憶がある。そろそろ到着したのかな……?

 スキル【感覚共有】を使って、様子を確かめてみよう。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る