第111話 リヒト王子

 

 ──見習いメイド兼料理長になった私は、リヒト王子が滞在している客室へと向かった。アイスクリームは溶けないように、スラ丸の中に入れてある。

 廊下にいる騎士たちに会釈して、扉の前に立つと、室内から賑やかな声が聞こえてきたよ。


「ナハハハハハハハッ!! くるしゅうない!! くるしゅうないのだ!!」


「「「キャーっ!! リヒト王子っ、素敵ーーーっ!!」」」


 私と同い年くらいの子供の声が一つと、女性の黄色い声が三つ。

 その声色から察するに、随分とお楽しみ中みたい。

 あんまり入りたくないけど、私は控え目にノックする。


「ぬっ、誰なのだ? 構わぬ、入って参れ!」


「失礼します。お菓子を持って参りました」


 許可を貰ったから室内に入ると、反応に困る光景が私の視界に映った。

 五歳くらいの少年がソファに座りながら、三人のメイドさんを侍らせて、彼女たちのお尻と胸を触っているんだ。


 少年は艶のある亜麻色の髪と、やや色素が薄い亜麻色の瞳を持っている。

 髪型はポニーテールで、その長さは毛先が背中に届く程度だよ。

 やや垂れ目だけど、あんまり柔和な感じじゃない。

 根拠のない自信に満ち溢れていて、『自分ならなんでも出来る!』という思い込みが、表情から滲み出しているんだ。


 乳白色の肌に纏っている衣服は、貴公子然とした白い服で、細部に金糸の彩りがあしらわれている。それから、右手にだけ黒い手袋を嵌めているよ。

 髪と瞳の色、それから顔立ちがツヴァイス殿下に似ているから、この少年がリヒト王子だろうね。


 侍らせているメイドさんは、十代、二十代、三十代が、それぞれ一人ずつ。

 リヒト王子の将来が、楽しみで仕方ないよ。勿論、皮肉だから。


「菓子か……!! 今度こそ、まともなものを持ってきたのだな!? またふざけた菓子を持ってきたらっ、処刑なのだぞ!! 処刑はとっても怖いのだ!!」


 彼が口に出す『処刑』という言葉には、真剣さが感じられない。

 その刑罰がどれだけ恐ろしいことか、分からないまま脅し文句に使っているんじゃないかな……。


「少なくとも、砂糖の塊ではありません。どうぞ、お召し上がりください」


 私はスラ丸の中から、紅茶のアイスクリームを取り出して、恭しくリヒト王子に差し出した。

 彼は訝しげな表情で受け取り、口に入れる前にスプーンでアイスを突っつく。


「うーぬ……? これは、なんなのだ? 確かに砂糖の塊ではないが、とても冷たいのだぞ……。王族である我ですら、こんな菓子は見たことがないのだ」


「アイスクリームという、冷たいお菓子です。時間が経つと溶けてしまうので、お早めにパクッといってください」


 私が促すと、リヒト王子は恐る恐る、アイスクリームを口の中に運んだ。

 それから、一口食べた後に目を丸くして、


「これは──ッ!? な、なんという優しい舌触り……!! 口の中でほろりと溶けて、紅茶の香りがフワっと広がったのだ……!! 圧倒的っ、美味!!」


 思った以上の高評価を得られたよ。気に入って貰えてよかった。

 個人的に、リヒト王子とはあんまり関わりたくないし、もうお暇しよう。


「では、私はこれで失礼します」


「待つのだ! 余興はどうした!? 美味なる菓子には余興が必要なのだ! 全くっ、気が利かぬ駄目メイドめ!」


「…………」


 このガキ。……いや、駄目駄目。身分が違い過ぎるんだから、この程度のことで怒ったら駄目だよ、私。

 長い物には巻かれよう。そう決めて、私はスラ丸の中に手を突っ込み、ドラゴンローズの竪琴を取り出した。


 それでは、一曲だけ披露させて貰います。ポロン、ポロン。


「──ぬ? こ、これは……!? 冷えた身体が、温まったのだ!! 見事っ、実に見事!!」


 ドラゴンローズの竪琴を奏でると、身体が温まって癒される。アイスクリームとの相性がいいみたい。

 リヒト王子は私の演奏を聴きながら、大満足でアイスクリームを完食したよ。


「では、私はこれで失礼します」


「待つのだ! 其方は気に入った! 我に侍ることを許してやるのだ!! 光栄に思え!!」


「…………」


 うわぁ……。面倒なことになっちゃった。

 私は辟易しながら、黙ってリヒト王子の傍に立つ。

 他のメイドさんたちが、『邪魔者が現れた!』と言わんばかりの、鋭い視線を向けてきたよ。

 寵愛を争うつもりは一切ないので、安心してください。


「駄目メイドっ、名乗ることを許すのだ!」


「……アーシャです」


「では、アーシャ! ちこう寄れ! それと、アラサーメイドはもういらないのだ。帰ってよし!」


「そんなぁっ!? 捨てないでくださいっ、リヒト王子ぃ!!」


 三十代のメイドさんが、ここで脱落した。

 涙ながらに去って行く彼女を見て、私も悲しくなってしまう。アラサーには優しくしてあげて欲しい。

 そんなことを思いながら、私がリヒト王子に近寄ると──突然、お尻を触られた。


「…………」


 このガキ。まだ子供のくせにセクハラだなんて、本当にどうしてくれようか?

 私は黄色い悲鳴を上げる訳でもなく、手を振り払う訳でもなく、能面のような表情でリヒト王子を見つめる。


「そ、その反応は、なんなのだ……? 我にこうされたら、嬉しいのではないのか……?」


「嬉しくないです。全然、全く、これっぽっちも」


「う、うぬぅ……。他のメイドは、これで大喜びなのだが……」


 リヒト王子は困惑しながら首を傾げて、私のお尻から手を放した。

 信じ難いことだけど、ご褒美のつもりで私にセクハラしたみたい。

 これは、彼にまともな教育を施していない、周囲の大人が悪いかもね。ツヴァイス殿下、貴方のことですよ。

 私は心の中で、殿下の評価を一段階下げた。


「リヒト王子、何をされて喜ぶかは十人十色、千差万別です。相手を喜ばせたいなら、まずはどうしたら喜んで貰えるのか、確認を取るべきです」


「何よアンタ!? ちょっと若いからって、生意気すぎるわよ!!」


「そうよそうよ!! リヒト王子にお尻を触られたらっ、キャーキャー叫んで喜びなさいよ!! この無礼者っ!!」


 他のメイドさんたちが、私に文句を言い始めた。

 貴方たちがそんなだと、リヒト王子が碌でもない人間になっちゃうよ。

 これが、ただのお金持ちのボンボンだったら、それでも別にいいと思う。けど、彼は何れ、王様になるかもしれないんだ。

 そんな人がお馬鹿だったら、国民全員が困るでしょ。


「リヒト王子ぃ、こんな駄目メイドは放っておきましょうよぉ。十代メイドのお尻なら、触り放題ですよぉ」


「ほ~ら、二十代メイドのおっぱいで、いっぱい遊んでいいですよ~」


 メイドさん二人がリヒト王子にベタベタして、お尻と胸を押し付け始めた。

 そんな光景を見て、私は思いっきり溜息を吐きたくなる。……この国、もう駄目かも分からんね。


「アーシャは何をされたら喜ぶのだ? 見事な菓子と演奏のご褒美に、何が欲しいのか、申してみよなのだぞ」


 私が諦観を抱いていると、リヒト王子から思わぬ言葉を掛けられた。

 彼はメイドさんのお尻と胸に挟まれながらも、真剣な表情を浮かべている。


 王族とは言え、まだ子供のリヒト王子が与えられるご褒美なんて、高望みするべきじゃない。

 それでも、彼は何かを与えないと、引っ込みがつかないみたい。


「それでは、私の頭を撫でてください」


「頭……? お尻か胸ではなく、頭……? そんなこと、初めて言われたのだ」


「頭がいいんです。ほら、早く」


 私がリヒト王子に頭を差し出すと、彼はおずおずと拙い動作で撫でてくれた。

 はい、よく出来ました! こういうご褒美の方が、健全で良いと思うよ。

 そういう気持ちを込めて、私が小さく微笑むと──リヒト王子は頬を赤らめて、私から目を逸らした。


「た、大義であったのだ……!! うぬ……」


「恐悦至極に存じます。では、私はこれで失礼します」


 私は今度こそ、お暇するべく踵を返した。

 すると、リヒト王子に片腕を掴まれて、引き留められる。


「ま、待つのだ! その……あ、遊んでやる! 我が遊んでやるのだ!! 光栄に思え!!」


 どうやら、リヒト王子は私と遊びたいらしい。

 ここで、メイドさん二人が額に青筋を浮かべながら、にこやかな笑顔でリヒト王子に迫る。


「リヒト王子ぃ! そんな駄目メイドなんて、放っておきましょうよぉ!!」


「私たちと遊んだ方が、ず~っと楽しいですよ~? ほらっ、おっぱいおっぱい」


「ええいっ、鬱陶しいのだ! 散れっ、散れっ!! 解散なのだ!!」


 リヒト王子はメイドさんたちを押し退けて、解散解散と連呼した。

 彼女たちは不満げな表情を浮かべたけど、王子に逆らうことが出来ず、すごすごと退室する。


 私も痴れっと、その後に続こうとして──


「待つのだ!! アーシャは我と遊びたいのだろう!? 仕方ないっ、遊んでやるのだぞ!!」


「いや、言ってないです。遊びたいなんて、一度も言ってないです」


「…………あ、遊んで、くれないのだ?」


 リヒト王子がウルウルと瞳を潤ませたから、私は慌てて言い募る。


「いえっ、遊びましょう! 是非とも遊びましょう!! いやぁ、丁度遊びたいと思っていたんですよ!!」


 王族とか関係なく、流石に年下の子供を泣かせたくはない。

 前世どころか、今世の私よりも、リヒト王子は年下だからね。

 彼は私と遊べると分かった途端、パッと表情を明るくしたよ。


「ナハハハハハハハッ!! そうであろう、そうであろう!! 我と遊べることなど、滅多にないのだ!! 光栄に思え!!」


「はいはい、光栄です。それで、何をして遊ぶんですか?」


「我が普段、メイドとやる遊びと言えば……スカート捲りか、スカートかくれんぼなのだ! 好きな方を選ばせてやる!!」


 スカート捲りはともかく、スカートかくれんぼってなんなの?

 ちょっと気になったけど、どうせ碌な遊びじゃないだろうし、尋ねるのはやめておこう。


「スカート絡みの遊びは、却下します。ここは一つ、ブロ丸に乗って冒険でもしますか」


「冒険!? し、したいのだ!! 我っ、大冒険したいのだ!!」


 私の提案に、リヒト王子が食い付いた。冒険は男の子の大好物なんだ。

 そんな訳で、盾の形状のブロ丸に乗って、私たちはゆっくりとお屋敷の中を探索する。これが、今の私たちに出来る冒険だよ。

 リヒト王子は浮かぶものに乗るのが初めてみたいで、とってもご機嫌になった。


「これは気分がいいのだ!! この乗り物は、一体なんなのだ!?」


「私の従魔ですよ。名前はブロ丸です。褒めてあげてください」


「うぬっ、ブロ丸! 大儀なのだ!!」


 リヒト王子に褒められて、ブロ丸は少しだけ嬉しそう。

 こうして、僅かに移動速度が上がったブロ丸の上で、私たちはお喋りに興じたよ。


「リヒト王子は五歳なんですよね? ということは、職業はまだ選んでいない感じですか?」


「その通りなのだ! 来年の春が、楽しみなのだぞ!」


 職業選択の儀式は、六歳になったら受けられる。それは王族でも同じらしい。


「選びたい職業はあるんですか?」


「魔剣士っ!! 我は絶対に、魔剣士になりたいのだ!! 格好いいからっ!!」


 魔剣士とは、魔法と剣の両方が使える上位職だよ。

 必然的に、前提条件として剣士と魔法使いの才能が必要なんだ。

 その二つの職業レベルを30にしないといけないから、物凄く大変な道程だね。


「頑張ってください、応援しています」


「ナハハハハハハハッ!! 我にとっては造作もない!! 何故ならば……っ、我にはこの!! 呪われた魔人の右手があるのだぞッ!! 一度この手で剣を握れば、それは世界を終焉へと導く暗黒の魔剣となり、我は最強の魔剣士として覚醒するのだ!!」


 リヒト王子はそう言って、手袋をしている右手を掲げて見せた。


 ……あっ、それ知ってる。中二病って言うんだよね?

 

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