閑話
アクアヘイム王国北部、ノースデッド領。
その土地には小さな村が二つと、寂れた砦が一つだけある。
ダークガルド帝国に近いため、この領地を欲しがる者はいなかったが、つい最近になって、新興貴族のノワールという人物が領主に就任した。
そんなノースデッド領の砦にて、一人の少女が旅立つ準備を整えながら、小さな溜息を吐く。
「はぁ……。上手くいきませんね……」
彼女は黒い肌と白い瞳、それから長い耳を持っている。顔立ちは作り物のように整っていて、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
髪はやや青みを帯びた白銀色で、毛先が肩に届く程度の長さ。
服装は黒を基調としたゴシックドレスで、細部に髑髏の装飾品があしらわれている。
外見年齢は十代半ばだが、実年齢は百歳以上。そんな彼女の種族は、ダークエルフと呼ばれていた。
種族全体が不吉とされる職業しか選べないため、古くから排斥され続けて、今では多くの人に忘れられた種族となっている。
「ノワールさぁん、準備は終わりましたかぁー?」
「はい、終わりました。出発しましょう」
ダークエルフの彼女を『ノワール』と呼んだのは、白髪狐目で長身かつ猫背の人物──胡散臭い魔導士、アムネジアだった。
彼の後ろには、隻腕の老執事であるセバスが付き従っている。
ノワールは髑髏柄の風呂敷に、荷物をパンパンに詰め込んで、『よっこいしょ』とそれを背負い、二人と一緒に砦を後にした。
「いやぁ、こうして頼もしいお友達が出来たからぁ、とぉっても嬉しいねぇ。セバスもそう思うでしょぉ?」
「馴れ合いをするつもりはない。我々は友達ではなく、同志だ」
「えぇ~? それってさぁ、同じ意味じゃないのぉ?」
「違う。貴様はもう黙れ」
神経を逆撫でするような、アムネジアの間延びした口調。それに苛立ちながら、セバスは会話を打ち切った。
ここで、ノワールが酷く淡々とした口調で、二人の発言を否定する。
「当方は友達にも同志にも、なったつもりはありません。貴方たちは当方にリリアの死体を差し出し、当方は貴方たちの目的のために力を貸す。そういう取引上の付き合いでしかないこと、どうかお忘れなく」
サウスモニカ侯爵家の敷地内に埋められていた、リリアの遺体。それを掘り起こして盗んだ犯人は、アムネジアだった。
そして、彼は既に、その遺体をノワールに引き渡している。
ノワールはリリアの遺体を貰った対価として、アムネジアが企む民主主義革命に、力を貸すことになったのだ。
「冷たいねぇ! もぉっと仲良くしようよぉ! ……ところでさぁ、ノワールさんの最終目標ってぇ、結局なんだったのぉ?」
そう問い掛けたアムネジアは、ノワールがカマーマを襲撃した一件に関わっていない。あれは革命とは関係ないことだった。
「別に、大したことではありません。当方は、まだ生きているかもしれない同胞たちに、安住の地を作ってあげたかったのです」
大陸のどこにも、ダークエルフの居場所はない。
安住の地がないから、彼女たちは散り散りになって、目立たないように社会の裏側で生きていくしかなかった。
そんなノワールの話を聞いて、アムネジアは少し意外そうな表情を浮かべる。
「同胞の死体を囮に使っている癖にぃ、そぉんな優しいこと考えてたんだぁ?」
ノワールが闇商人として活動させていたのも、爵位と領地を国王から賜ったのも、全ては同胞のゾンビを遠隔操作してのこと。
それは道徳に反する行いで、彼女の仲間思いな一面とは相反するものに見える。
──しかし、
「死体はただの道具です。何か問題でも?」
「……いやぁ、問題はないねぇ」
ノワールはなんの感慨もなく、同胞の死体を道具だと言い切った。
道徳の欠如。これは、ダークエルフという種族全体に共通する特徴だった。
昔は人間の中にも、ダークエルフと共存しようとする者たちが、一定数は存在していた。
彼らはダークエルフに道徳を学ばせようとしたが、どれだけ言葉を尽くしても改善の兆しが見えず、脳の構造が違うのだと匙を投げている。
「領地を捨てる結果になったのは、残念だったな……」
不意に、セバスがノワールを気遣うような発言をした。
彼もまた、排斥された経験があり、仲間思いという一面もあるため、同情してしまったのだ。
「はい、残念です。もう少し慎重に、事を運ぶべきでしたが、大規模な戦争が近いので、色々と雑になってしまいました」
帝国は大陸に覇を唱えており、その野心を隠そうともしていない。
王国には主戦派が多く、昨今ではコレクタースライムの存在が広まったことで、鉱物の供給量が増えて、大量の武具を生産出来るようになった。
こんな状況だと、戦争が近いのは火を見るより明らかだ。
王国と帝国の戦争が起こった際に、帝国が勝っても寝返ることが出来るよう、カマーマの首という保険を求めたが……結果的に、ノワールは折角手に入れた領地を手放すことになった。
「カマーマは強かったでしょぉ? リリアの死体を使わないとぉ、やっぱり無理だよねぇ」
「事前の調べでは、勝てるはずだったのですが……」
ノワールは懐から紙を取り出して、そこに書いてあるカマーマの情報に目を通す。
カマーマ 拳闘士(70)
スキル 【剛力】【金剛力】【堅牢】【不動】
【加速】【強打】【十連打】【烈風掌】
【剛力】は常に筋力を増加させるスキルで、【金剛力】はその上位互換。
【堅牢】は常に防御力を増加させるスキルで、【不動】は一時的に防御力を大きく増加させるスキル。
【加速】は瞬間的に敏捷性を増加させるスキルで、【強打】は威力が高い打撃を放つスキル。
【十連打】は刹那の間に十の打撃を叩き込むスキルで、【烈風掌】は凄まじい風を手のひらから放つスキル。
カマーマが身に着けている装備は、身体能力か攻撃力を底上げする類のマジックアイテムだけだった。
搦め手を用いることなく、単純明快な物理で敵を圧倒するタイプ。
それが、ノワールの事前の調べで判明していたことだ。
アムネジアは彼女が手にした紙を覗き込んで、感心しながら口を開く。
「へぇー、ここまで調べたんだねぇ……。それでぇ? こぉんな化物相手にぃ、どんな勝算があったのかなぁ?」
「カマーマの背後に、足手纏いの冒険者たちがいる状況で、当方の主力ゾンビをぶつける。それで殺せるはずでした。無論、リリアの死体を使わずに」
カマーマが単独のときを狙えば、追い詰めても逃げられる可能性が高い。
しかし、数百人の冒険者を引き連れている状況であれば、彼女は仲間たちを見捨てられずに、殿を務める。ノワールはそう考えていた。
カマーマにぶつけた巨漢ゾンビは、生前に帝国の闘技場で、二十年間無敗という偉業を成し遂げている。彼の職業はカマーマと同じ拳闘士で、レベルが60後半だった。
ゾンビになったことで成長が止まり、弱点も増えたが、死霊術師のスキルで強化出来るというメリットがある。
死霊術師だった同胞ゾンビの支援があって、尚且つカマーマはゾンビ対策をしていなかったから、勝算は十分にあったのだ。
こうして、必殺のシチュエーションを整えたはずなのに──
「あの理不尽な超再生……。途中から、光の球が打ち上げられて、敵味方の傷も一瞬で治りましたし……あれは一体……」
ノワールは長生きしているが、あんなスキルは見たことがなかった。
一応、類似しているようなスキルの話なら、聞いたことはある。ただし、嘘か誠か分からない昔話だ。
伝え聞くところによると、建国の聖女は【聖戦】というスキルによって、勇者を選定したらしい。そして、勇者となった人間は、肉片一つから瞬く間に、何度でも再生する力を得たのだとか……。
だが、カマーマを筆頭に、あの場にいた全員が勇者になったというのは、幾らなんでも考え難い。
であれば、希少なマジックアイテムが使われた可能性が高いと、ノワールは判断する。
……幾ら数が多いとは言え、有象無象の盗賊退治に、あんな出鱈目な効果を齎すマジックアイテムを持ち出すだろうか?
広範囲に上級ポーション並みの効果を齎せるなら、帝国との戦争の勝敗を左右する代物だ。
普通なら、万が一にも紛失、あるいは破損させないために、来るべきときまで厳重に保管するはず……。
分からない。どれだけ憶測を重ねても、ノワールには明確な答えが見えてこなかった。
「……過ぎたことを考えても、仕方ありませんね」
ノワールは思考の海に沈めていた意識を浮上させて、気持ちを切り替える。
取引は絶対厳守。リリアの死体を貰った分は、真面目に働かないといけない。
アムネジアが掲げる民主主義。そんな理想に興味はないし、そこにダークエルフの居場所があるとも思えない。
そのため、きちんと清算したら、早々に離脱するつもりだが……しばらくの間は、一時の雇い主に従う所存だ。
「そぉだ、ノワールさぁん! 寝起きのドラゴンってぇ、どうやったら誘導出来るかなぁ? 年の功で、分かったりしなぁい?」
「大量の魔石を餌にすれば、誘導出来るでしょう。ドラゴンの属性に応じた魔石であれば、尚良しかと」
「おぉーっ、流石は年長者だねぇ! ありがとぉ、助かったよぉ」
満足げに頷くアムネジアに、ノワールはスッと片手を突き出す。
「どう致しまして。情報料は金貨十枚になります」
「え……えぇっ!? 仲間からお金を取るのぉ!?」
「仲間ではありませんが、仮に仲間であっても取ります。情報も当方の立派な商材ですので、悪しからず」
アムネジアはガクッと肩を落として、渋々と懐からお財布を取り出した。
この分だと、ノワールとは徹頭徹尾、取引上の付き合いしか出来ない。
彼女は圧倒的少数派のダークエルフであるため、多数決で物事を決める民主主義にも染まり難い。
「うぅん……。難儀な人を引き入れちゃったかなぁ……?」
アムネジアはしょぼくれて、先行きに不安を感じながら、ノワールに情報料を差し出した。
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