第94話 カウンター浮気

 

 ──正午。私は自分の影の中にティラを潜ませ、リュックの中にスラ丸を入れて、商業ギルドへと向かった。

 盛況なギルド内で受付カウンターを見回すと、一人の女性職員さんと目が合ったので、そちらへ向かう。


「ようこそ、アーシャ様。本日のご用件を伺います」


「果樹の苗木が欲しいので、取り寄せて貰えませんか?」


「畏まりました。色々と種類があるので、こちらの目録からお選びください」


 私は職員さんが持って来てくれた商品目録を確認する。ざっと見た感じ、百種類近くの苗木が記載されているよ。

 これは悩ましいね……。私が熟考していると、スラ丸がリュックの中から身体を伸ばして、葡萄の苗木が記載されている頁をペチペチと叩いた。

 葡萄はスラ丸の大好物だから、その苗木が欲しいみたい。


 私も葡萄は好きだし、悪くない選択肢かな。

 ただ、一口に葡萄の苗木と言っても、かなり種類が豊富だった。小粒だったり大粒だったり、甘みが強かったり酸味が強かったり、香りに定評があったり、ワイン作りに向いている葡萄の苗木なんてものもある。


 裏庭の広さを考えると、植えられるのは一本だけだから、品質重視で甘みが一番強いのにしよう。


「──では、これをお願いします」


 私が選んだのは、最高級の葡萄の苗木だった。

 お値段は外注の手数料込みで、金貨十枚。高いけど、思ったほどじゃない。

 ……なんか、金銭感覚が麻痺してきたかも。苗木一本で金貨十枚って、冷静に考えたら高すぎるよね。


「こちらはアクアヘイム王国の西部にて、栽培されている品種です。南部での栽培は難しいかと思われますが、本当に宜しいでしょうか?」


「ええっと、栽培が難しい理由って、気候ですか? それとも、土や水の問題だったり……?」


「気候ですね。葡萄は雨に弱いので、降水量が少ない西部で育ちやすいのです」


 職員さんの話を聞いて、私は少しだけ逡巡する。

 こんなにお金を掛けて、育てられなかったら最悪だ。でも、魔物化させて育てる予定だから、普通の葡萄の苗木を育てるのとは訳が違う。

 トレントになっても雨が苦手だったら、【土壁】を使って屋根を作ることも出来るし、大丈夫だと思いたい。


「うーん……。うん、買います! 売ってください!」


「畏まりました。お取り寄せまでに、三日ほどお時間をいただきます」


 私は職員さんとのやり取りを終えて、商業ギルドを後にした。三日後が楽しみだね。

 上機嫌に鼻歌を口遊みながら、帰路に就くと──道中で、林檎のような赤色のツインテールが、人混みの中を横切るのが見えたよ。


「今の、フィオナちゃんかな?」


 折角だし声を掛けて、昼食でも一緒にとろう。そう思って追い掛けたけど、私の足が遅くて追い付けない。

 まぁ、フィオナちゃんはスラ丸三号と一緒だから、従魔との繋がりを意識すれば、見失うことはないけどね。



「うぅっ、うぅぅ……っ、ふえええぇぇぇぇん!! シュヴァインの馬鹿ぁ!!」


 噴水広場でフィオナちゃんに追い付いたとき、彼女はベンチに座って泣いていた。

 珍しくシュヴァインくんを悪く言っているから……もしかして、浮気の件を知っちゃった、とか?

 声を掛けるのが怖いけど、見て見ぬ振りをする訳にもいかない。


 私は地雷原に足を踏み入れる気持ちで、恐る恐る声を掛ける。


「あのぉ……フィオナちゃん、どうかしたの……? 話、聞くよ……?」


「アーシャっ!! シュヴァインが……っ、シュヴァインが浮気してたのッ!! 信じられる!? あたしがいるのにっ、浮気よ浮気!! あたしに嘘を吐いて、スイミィと逢引してたの!!」


「へ、へぇ……。どうしてそんなことが……」


 このタイミングで、『知っていました』とは言い難い。

 私は内心で冷や汗を掻きながら、フィオナちゃんの愚痴に耳を傾ける。


「最近のシュヴァインは挙動不審だったからっ、何か隠しているんでしょって問い詰めたのよ!! そうしたらっ、スイミィと図書館で逢引してたって!! しかもっ、仮病まで使って!!」


 シュヴァインくんは結局、スイミィ様と逢引していたことを自白したらしい。


「そっか……。それで、フィオナちゃんはどうするの?」


「別れるわよッ!! もう別れてやるんだからッ!! うぅぅ……っ、うわああああああぁぁぁぁぁん!! アーシャぁ!!」


「よしよし、辛いね。いっぱい泣いていいからね」


 フィオナちゃんはギャン泣きしながら、私の胸に飛び込んできた。

 今回の一件はシュヴァインくんが全部悪いから、私としても止めようとは思わない。別れるのも止む無しだよ。

 正直、刃傷沙汰にならなくて、ホッとしている。フィオナちゃんが癇癪を起こして暴れたら、魔法によって大きな被害が出そうだからね。


 しばらくの間、フィオナちゃんの頭を撫でて、『大丈夫だよ、明日があるよ』と適当に慰めていると──彼女は唐突にピタっと泣き止んで、目を据わらせながら宣言する。


「決めたわ。シュヴァインが浮気したんだから、あたしも浮気する。カウンター浮気よッ!!」


「えぇぇ……。浮気って言っても、相手がいないよね……?」


「アーシャが浮気相手になりなさいよ!! 男装してっ!!」


「男装!? いや、無理無理無理。したことないよ、男装なんて」


 フィオナちゃんの浮気って、シュヴァインくんに焼きもちを焼かせる的な、恋愛の駆け引きだと思う。

 それなのに相手が私だと、あっちも焼きもちの焼き様がないよね。


「じゃあ、あたしに知らない男とデートしろって言うつもり!?」


「そうは言わないけど、せめて同じパーティーの男の子とか……」


「それは無理よ! ルークスはあたしとシュヴァインの関係を修復するために、お節介を焼くでしょ? ニュートは『くだらないことに巻き込むな』って、冷たく切り捨てるでしょ? トールは馬鹿でしょ? ほらっ、どう考えても無理じゃない!!」


「う、うーん……。まぁ、確かに……」


 フィオナちゃんの高度な予測に、私は思わず納得してしまう。


「アーシャっ、やってくれるわよね!?」


 シュヴァインくんに焼きもちを焼かせられなくても、フィオナちゃんの気晴らしにはなるかもだし、特別に一肌脱いであげようかな。


「仕方ないなぁ……。男装が似合わなくても、文句は言わないでね」


「分かったわ! あ、髪は切らなくていいわよ? 流石にそこまでさせるのは気が引けるし、折り畳む感じでお願い」


 話が纏まったところで、私たちは服屋へ向かうことになった。


 店員さんに趣旨を伝えて衣服を選んで貰うと、男の子用の黒いオーバーオールをお勧めされる。この服は肩に掛ける吊り紐が付いたつなぎだね。

 これを着て、髪を折り畳み、赤黒いハンチング帽を被れば──って、やっぱり無理だよ。

 ちょっとボーイッシュになったけど、まだまだ全然女の子に見える。


 一応、肩幅を少しだけ盛れば、後ろ姿は及第点かも……。あ、仕草を工夫して顎を引き、帽子のつばの影で目元を覆えば、少しはマシになった。

 男性用かつ厚底の革靴に履き替えて、一段低い声色で喋ることを意識しよう。

 それから、男の子っぽい口調で──


「さぁ、私の可愛いフィオナ。デートの時間だよ」


 そんな台詞を吐き出した私は、羞恥心に駆られて頭が爆発しそうになった。

 透かさず【微風】を使って、気持ちを落ち着かせる。

 フィオナちゃんは私が差し出した手をそっと握って、ポッと頬を赤らめたよ。


「素敵……。あたしのアシャオット……」


「アシャオット!? え、なにそれ?」


「アーシャって呼ぶのは変でしょ? だから、改名。今のあんたはアシャオットよ! ほらっ、あたしをエスコートして!」


 変な名前だなぁ……と思いながらも、私には代案がないから受け入れる。

 服屋から出た私は、フィオナちゃんと手を繋ぎながら、頭の中でデートプランを構築した。

 彼女はいつも、シュヴァインくんをリードしているから、逆にリードして貰うのは新鮮だよね。こういうのも気分転換になると思う。


「フィオナ、まずは装飾品を見に行こう。初めてのデートの記念に、何かプレゼントしたいんだ」


「素敵な提案ね! 喜んで受け取ってあげるわ!」


 フィオナちゃんは喜色満面の笑みを浮かべながら、私の手を引いて歩調を速めた。

 油断するとリードを奪われそうだから、釘を刺しておこう。

 私は彼女の腰を抱き寄せて、至近距離から橙色の瞳を覗き込む。


「急がないで。キミと歩く素敵な時間が、すぐに終わってしまったら、私はとても悲しいから……」


「きゅん……。アシャオット……」


 フィオナちゃんは瞳にハートマークを浮かべて、私を熱っぽく見つめ返してきた。こんな感じで、シュヴァインくんにも呆気なく惚れちゃったんだろうね……。


 この後、私はフィオナちゃんに合わせて、亀のような歩みで装飾品店へと向かったよ。

 そこまで遅く歩いて欲しかった訳じゃないけど、文句は呑み込んでおく。

 

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