第90話 浮気現場
──私はスラ丸をリュックに入れて、自分の影にティラを潜ませながら、この街で唯一の図書館へとやって来た。
ここでは武器の持ち込みが禁止されていて、従魔も武器扱いになるので、スラ丸は受付に預けておく。
ティラの存在は露見しなかったから、影に潜ませたままだよ。私はルールよりも、保身を大事にしているんだ。
「さて、ポーション作りの本はどこかな……?」
整然と並んでいる背が高い本棚。それらを順番に確認していくと、目的の本はすぐに見つかった。
秘匿されている技術だったら、どうしようかと思ったけど、かなり目立つように置いてあったよ。
体制側としても、ポーションは出来るだけ多く、安価で流通して欲しいだろうから、隠す必要がないのかもね。
最も安価な下級ポーションは、アルラウネの花弁を乾燥させて粉末にした後、熱湯に入れて冷ますだけ。とっても簡単だね。
「お茶作りと大差ないなぁ……。これは拍子抜けかも……」
高価な道具を使ったり、加熱時間を調節したり、追加で素材を投入したりすることで、品質が向上するみたい。
突き詰めると奥が深い。でも、先達が書き残してくれた資料が沢山あるから、私が手探りでやることは少なそうだよ。
ただし、ドラゴンローズの花弁だけは、用途がどこにも書いていなかったから、試行錯誤が必要になる。
ポーション作りに必要な知識を一通り調べた後、折角だから他の本も読み漁ってみた。
私の新スキルを調べると、【耕起】は珍しくない外れスキルで、【従魔召喚】は希少な当たりスキルだと書いてあったよ。
「うーん……。希少、希少か……」
このスキルを取得したときに気が付いたんだけど、召喚って従魔を空間転移させるってことだよね。
コレクタースライムを召喚したら、ゲートスライムへの進化条件を満たすことになる。つまり、私以外にも、この進化条件に気が付く人って、そう遠くない内に現れると思うんだ。
「人攫いには、今まで以上に気を付けないと……」
私はそう呟いてから、静かに考えを巡らせる。
体制側よりも先に、犯罪組織がゲートスライムへの進化条件を知った場合、大問題に発展しかねない。
これは体制側の誰かに、知らせるべきかな?
問題は誰に、どうやって伝えるか……。末端の人間だと、裏で危ないところと繋がっているかもしれない。
その可能性を考慮すると、出来るだけ上の人の耳に入れるべきだよね。
「──失礼、アーシャ殿。この辺りで、スイミィ様を見掛けませんでしたか?」
私が考え事をしていると、不意に後ろから声を掛けられた。
振り返って確認すると、サウスモニカ侯爵家の騎士が二人、焦燥感に駆られながら立っていたよ。どちらも男性で、特筆すべき特徴がない人たちだ。
なんとなく、この二人には見覚えがある。
以前に確か、ニュート様の護衛を務めていたはず……。
あっ、思い出した! モブさんとジミさんだ!
「見掛けていませんよ。もしかして、また迷子ですか?」
「ええ、そうです。図書館の中から出ていないのは、間違いないのですが……」
「なるほど……。そういうことなら、捜すのを手伝いますよ」
モブさんとジミさんは私に感謝を伝えてから、駆け足でスイミィ様の捜索を再開した。
スイミィ=サウスモニカ。彼女はニュート様の妹で、歴とした侯爵令嬢だよ。
外見の特徴は、髪が綺麗な青色で、少しだけクルクルしている癖っ毛。立っている状態でも、毛先が床に届きそうなほど長い。
瞳の色は右が灰色、左が金色のオッドアイで、肌の色は雪のように真っ白。
そして、常にジト目で無表情という、一度見たら忘れられない幼女なんだ。
私がスイミィ様と出会ったときも、彼女はこの図書館で迷子になっていたから、なんだか懐かしいよ。……まぁ、一つ前の季節の出来事だから、あんまり月日は経過していないけどね。
「ティラ、お願い。スイミィ様を探して」
「ワフ……!!」
彼女が事件に巻き込まれていたら嫌だから、こっそりとティラを影から出して、嗅覚と【気配感知】で探して貰う。
すると、すぐに発見した。灯台下暗しというか、私がさっきから座っていたテーブルの下に隠れていたよ。
それと何故か、スイミィ様の隣には、シュヴァインくんの姿もある。
今日、みんなは冒険者ギルドの練習場で、修行中だったはずだけど……。
「……シュヴァイン、好き。……チュー、しよ」
「す、スイミィちゃん……!! ぼ、ボクも好きだけど、ここじゃ駄目だよぅ……」
スイミィ様がシュヴァインくんに、ド直球で迫っている。
ジト目で無表情のままだけど、頬が薄っすらと赤くなっているから、きちんと恋する乙女なんだなって伝わってくるよ。
シュヴァインくんは駄目だと言いながらも、見るからに満更じゃなさそう。
このままだと、二人が接吻するのは時間の問題だと思う。
…………ええっと、逢引? 浮気現場?
私の頭の中で、フィオナちゃんの幻影が『止めなさいッ!!』と怒鳴り付けてきた。
「こほん。シュヴァインくん、スイミィ様。こんなところで、何をしているの?」
私は態とらしく咳払いを挟んでから、努めて冷静に声を掛けた。
その途端、シュヴァインくんは勢い良く振り向いて、この世の終わりみたいな表情を浮かべる。
「──ッ!? し、師匠……!? いつからそこに……!?」
「いや、それは私の台詞でしょ」
盛大に狼狽えている彼を他所に、スイミィ様は動揺することなく口を開いた。
「……姉さま、おひさ。……丸ちゃん、元気?」
「ええ、まぁ、はい。ブロ丸は元気です、はい」
丸ちゃんとは、スイミィ様が勝手につけたブロ丸の愛称だよ。彼女とブロ丸は仲良しなんだ。
「……姉さまからも、言ってほしい。……シュヴァイン、スイとチューしてって」
「そ、それを私が促すのは、ちょっと躊躇われる事情が……」
スイミィ様の恋路を応援したい気持ちはあるけど、私はフィオナちゃんを裏切れないよ。怖いからね。
でも、スイミィ様には大いに同情しているから、邪魔をするのも心苦しい。
今までの彼女は、先天性スキル【予知夢】が原因で、死の運命に囚われていた。
『立つ鳥跡を濁さず』という精神で生活して、私物を殆ど持たず、恋愛とも無縁だったんだよ。
それなのに、ようやく訪れた春を奪うのは、余りにも悲し過ぎる。
ああでもっ、やっぱりフィオナちゃんを裏切る訳には……うっ、不味い。気を揉み過ぎて、胸が痛くなってきた。
恋愛弱者の私が頭を抱えていると、モブさんとジミさんがスイミィ様を回収しにやって来たよ。
「お嬢様っ、ご無事で何よりです!! さぁ、屋敷へ帰りましょう!!」
「……時間切れ、無念。……姉さま、シュヴァイン、またね」
スイミィ様は小さく手を振って、狭い歩幅でトテトテと去っていく。
その途中で何度も振り返るので、私とシュヴァインくんは彼女の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
「──それで、シュヴァインくんはどうして、スイミィ様と逢引していたの? まさか、偶然とか言わないよね? シュヴァインくんが一人で図書館にくるなんて、どう考えても不自然だから」
私の口から、今世において過去一番の冷たい声が出た。
私が苦悩することになったのは、よくよく考えてみると、全部この子ブタくんが原因だ。怒りの一つや二つ、ぶつけてもいいよね。
シュヴァインくんは身震いして、おずおずと懐から手紙を取り出す。
「そ、その……っ、スイミィちゃんに、お手紙を貰って……。今日、ここで会いたいって……」
「ふぅん……。ちょっと待ってね、フィオナちゃんに連絡するから」
「えぇっ!? し、師匠……っ!! それだけは……っ!!」
シュヴァインくんが縋り付いてきたけど、聞く耳なんて持ってあげないよ。
私を止めようとする辺り、彼はフィオナちゃんに対して、罪悪感を抱きながら逢引に臨んだんでしょ?
無垢な心で行動していたならまだしも、悪いと思っていたのに行動したら、それは有罪だと思う。
ステホでフィオナちゃんに連絡を取ると、すぐに繋がった。
『もしもし、アーシャ? どうしたの?』
「フィオナちゃん……。今日さ、シュヴァインくんはどうしているの……?」
『ああ、シュヴァインならお腹が痛いらしくて、宿屋で休んでいるわよ』
その話を聞いて、私の心がより一層冷え込む。
シュヴァインくん、嘘を吐いて浮気したんだね。
「へぇ……。フィオナちゃんは修行中?」
『そうよ、シュヴァイン以外はみんな修行中! あたしも魔法の命中精度を上げなきゃだし、シュヴァインが休んでいる分も、あたしが強くなるの!』
自分の心から溢れそうな冷気。私はそれを身体の内側に押し込めて、なんとか柔らかい口調で返事をする。
「そっか、偉いね。優しいね。後で差し入れ、持っていくね」
『ありがと、みんな喜ぶわ。……言っておくけど、壁師匠は出さなくていいわよ? アーシャは強制依頼のために、しばらく魔力を使うんでしょ?』
「うん、そうなの。気遣ってくれて、ありがとう」
『どう致しまして。それじゃ、あたしは修行に戻るわ!』
フィオナちゃんとの通話を終わらせて、私はステホを懐に仕舞う。
それから、シュヴァインくんの方を向くと、彼は腰を抜かして小さな悲鳴を上げた。
どうしたの? ほら、座って。お話、しようね。
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