三章 スライム騒動編

第67話 捨てられた美少年

 

 ──季節は夏。湿地帯に囲まれたサウスモニカの街では、湿度が高くて寝苦しい夜が続いていた。

 そんな街の、冒険者ギルドの近くにある雑貨屋。そこで店長をしているアーシャこと私の朝は早い。


 まだ太陽が顔を覗かせていない早朝に起床して、それなりに自慢の黒髪を櫛で整える。

 腰まで伸びているこの髪は、光が当たる角度次第で綺麗な濃紺色に見えるから、今の私は異世界人なんだと実感してしまう。

 前世の日本での生活が、恋しくなることもあるけど……こっちでの生活も随分と安定してきたから、未練は大分薄れてきたよ。


 まだ寝ている同居人のフィオナちゃんを起こさないように、私はそっと寝室がある二階から下りて、一階の店舗スペースに移動する。

 一緒に寝ていたスラ丸とティラも起床して、のそのそと私に付いて来た。


「むっ、おはようなのじゃ! 今日も一日、張り切って繁盛させるのじゃぞ!」


 一階では、私よりも早く起きていたローズが、商品を棚に並べてくれていた。


「おー! って、気合を入れたいところだけど、のんびりでいいよ」


「アーシャは店長なのじゃから、もっと覇気を漲らせて欲しいのぅ……」


 ローズは両手を使って、ふにゃふにゃしている私の頬をぺちぺちと叩き、店長としての自覚を促してきた。

 私としても、お店を切り盛りすることには意欲的なんだけど、まだソウルイーターと戦ってから、あんまり月日が経過していないんだ。


 肉体的な疲れは残っていないけど、精神的な疲れは残っている……気がする。そんな訳で、のんびりしたい。

 とりあえず、私は開店前に軽く店内を掃除して、ブロ丸とタクミを布で磨いた後、最近の日課になっている運試しをすることにした。


「タクミ、今日もお願い。今日こそは凄いやつ、期待してるからね」


 銅の宝箱に擬態している魔物、ブロンズミミックのタクミは、お宝を作れるスキル【宝物生成】を持っている。

 一つのお宝を作るだけでも、魔力が沢山必要になるけど、私はアラサーメイジ──もとい、レベル30の魔法使い。魔力が沢山あるんだよね。


 従魔と魔力を共有するスキルもあるし、タクミに一日一個のお宝を作らせることくらい、今なら余裕だよ。

 タクミは口をもごもごさせてから、ペッとお宝を吐き出した。

 それは、中身がない革の水筒……。私は懐からステホを取り出して、どんなものか調べるために撮影する。


「どうじゃ、今日こそは当たりを引けたかの?」


「うーん……。残念、マジックアイテムじゃないみたい……」


 革の水筒は特殊な効果が備わっていない、頑丈なだけの道具だった。

 タクミが作れるお宝はランダムで、当たり外れが激しいんだ。

 当たりはマジックアイテムで、外れはそうじゃないものだね。タクミは運が悪いのか、それとも私の運が悪いのか、中々当たりを引き当てることが出来ない。


 ……まぁ、生活に困窮している訳じゃないし、一日一回のワクワク感が得られるだけで、タクミをテイムして良かったって思える。

 私はステホを覗き込んできたローズに水筒を渡して、商品棚の一角にある『タクミの気紛れ商品コーナー』に置いて貰った。

 失礼なお客さんが、ガラクタ置き場という扱いをしている一角だけど、格安だからきちんと売れているよ。


「さて、そろそろ開店──の前に、朝食だね。ちょっと買ってくるよ」 


「妾は葡萄ジュース! 葡萄ジュースがよいのじゃ! 買って来てたも!」


 ローズの注文に頷き、私はスラ丸とティラを引き連れて表通りに出た。

 屋台で色々な料理が売られているし、酒場だって近くに幾つもあるから、自炊をしようとは思えない。別に出来ない訳じゃないんだけど、私は街の一員として経済を回さないといけないから、しっかり散財しないと。


 まだ早朝だけど、営業中のお店は結構多い。みんな働き者だよ。

 もうすっかりと顔馴染みになった店主さんたちに、私は愛嬌を振り撒いて挨拶していく。

 そして、串焼き、野菜スティック、柔らかいパン、葡萄ジュース等を適当に買い集めていると──突然、スラ丸が勝手にコロコロと転がって、広場の方へ移動してしまった。


「ちょっ、待って! スラ丸っ、どこに行くの!?」


 スラ丸は色々なものを異空間に仕舞えるスキル【収納】を持っているから、私のお財布兼荷物持ちだよ。そんなスラ丸がいなくなったら、お買い物が出来なくなっちゃう。

 慌てて追い掛けると、広場の中央にある噴水の前で、スラ丸は一人の少年の頭によじ登っていた。


 その少年の髪色はアイスブルーで、怜悧な瞳は灰色。縁が細いお洒落な眼鏡を掛けていて、とっても見覚えがある。

 ……けど、私が知っている彼の髪は背中まで伸びていたのに、今は毛先が肩に掛かる程度の長さになっている。服も高価なものを着ていたはずだけど、今は一般市民と遜色ない格好をしているよ。


「あ、あの……ニュート様、ですよね……?」


「ああ……。アーシャか、久しいな……」


 彼の名前は、ニュート=サウスモニカ。

 この街を中心に、アクアヘイム王国の南部を支配しているのが、サウスモニカ侯爵家。ニュート様はその家の嫡男だから、歴としたお貴族様だよ。

 そんな人が護衛も付けないまま、一人でこんな場所にいるのは不自然だ。


「もしかして、お忍びで庶民の暮らしぶりを視察しに来た、とか……?」


「いや、そういう訳ではないが……」


 以前のニュート様は良くも悪くも貴族らしくて、相応の覇気があったんだけど……今は雨の日に捨てられた子猫みたいに見える。雨、降ってないのにね。


「あっ、また何かの事件に巻き込まれて……!?」


「いや、そういう訳でもないが……」


 歯切れの悪いニュート様は、なんの事情も説明してくれないまま、しゅんと項垂れてしまった。一先ず、事件ではないみたい。

 私ね、お腹が空いたし、もう帰りたいんだけど……このまま立ち去るのは、心象が悪いよね……。


 さて、どうしたものかと悩んでいると、ぐぅっとお腹の虫が鳴った。私じゃないよ、ニュート様のお腹だ。

 彼はますます力なく項垂れて、なんかもう見ていられない。


「ニュート様っ、事情は分かりませんが、とりあえず朝食をとりましょう! お腹を満たせば、元気が出ますよ!」


「それは……無理だ……。ワタシは、金銭を持っていない……」


「じゃ、じゃあ、ご馳走します! 全然豪華なものじゃないし、お口に合うかも分かりませんが……」


 私はニュート様の頭の上に乗っているスラ丸を回収して、プニプニしている身体の中に腕を突っ込む。こうすることで、【収納】を使って仕舞ったものを取り出せるんだ。

 串焼きと葡萄ジュースを取り出して、ニュート様に差し出したけど……何故か、受け取ってくれない。


「ワタシには、返せるものがない……。故に、受け取る訳には……」


「えっと、見返りなんて、気にしなくてもいいですけど……」


 私が食べ物を差し出したまま、十秒、二十秒、三十秒と経過したところで、再びニュート様のお腹が鳴った。

 これ以上の空腹には耐えられないのか、彼はおずおずと食べ物を受け取る。


「すまない、恩に着る……。ところで、ナイフとフォークはどこだ?」


「串焼きを食べるのに、そんなものは使いません。気にせずガツガツ食べてください」


「くっ、なんという辱め……ッ!!」


「日常的な庶民の食事風景です」


 ニュート様は渋々と、串焼きをそのまま口に運び始めた。

 こんな食べ方には慣れていないらしく、串焼きのタレで口の周りをベタベタにしている。

 完食後にハンカチで拭いてあげると、彼は気恥ずかしそうに頬を赤らめて、そっぽを向いてしまった。


「ニュート様、お屋敷までお送りしますよ。一人では危ないと思うので」


 私がそう申し出ると、彼は小さく頭を振って、お屋敷に帰れない事情を話し始める。


「ワタシはもう、侯爵家の人間ではない……。先の大事件の責任を取らされて、勘当されたのだ……」


「えっ、勘当!? さ、先の大事件って、ソウルイーターの……?」


「ああ、そうだ……。ドラゴンの魔石を宝物庫から持ち出したのは、ワタシだからな……」


 体長が三百メートルもあった大怪獣みたいな魔物、ソウルイーター。

 奴はマンティスというカマキリの魔物が、ドラゴンの魔石を食べたことで爆誕した。だから、ニュート様が魔石を持ち出さなければ、確かにあんな大事にはならなかったよ。

 でも、私はニュート様を擁護したい。


「あれって、悪いのはセバスですよね? ニュート様はスイミィ様を助けるために、仕方なく……」


 事の発端は全て、セバスの悪事が原因だ。それなのに、ニュート様が勘当されるなんて、ちょっと酷な話だと思う。


「結果論だが、ワタシが悪手を打ったことは明白だ。あれが原因で、ガルムたちが死んだ……。幾ら嫡男だったとは言え、お咎めなしとはいかない……」


「そんな……。そ、それなら、これからどうするつもりですか……? 生活とか……」


「冒険者として活動し、日銭を稼ぎながら暮らそうと思っていたが……」


 ニュート様は遠い目をしながら、自分の腰に手を持っていく。

 以前まで、そこには強力なマジックアイテムの細剣を佩いていたのに、今はなんにもない。


「武器、取り上げられちゃったんですね……」


 あの細剣──『一刺しの凍土』は、ニュート様の母親であるリリア様の形見だよ。それを取り上げられたのは、嘸かし無念だろうね。

 今のニュート様には、マジックアイテムもなければ武具もない。頼りになる護衛もいないし、仲間だっていない。

 こんな状況で冒険者になるのは自殺行為だから、途方に暮れていたのかな。


「支度金を手に入れる当ては、あったのだが……。ワタシとしたことが、騙されてしまった……」


「だ、騙されたって、穏やかじゃないですね……。何があったんですか?」


「売れるはずだった髪を騙し取られた」


 ニュート様の髪が短くなっている理由が判明した。

 この世界にもウィッグというお洒落アイテムが存在するから、素材になる綺麗な髪は高く売れるんだ。

 ニュート様は良い生活をしていただけあって、髪の状態がとても良かったから、順当に行けば相当高く売れたはず……。


「その、取り返すのに、協力しましょうか……?」


「いや、必要ない。盗人は子供で、随分と困窮している様子だった。髪を取り返せば、あの者は飢え死にするかもしれん」


「あれっ? ニュート様って、そんなに庶民のことを気に掛ける質でしたっけ?」


 孤児が道を譲らなかったら、平気で斬り捨てようとする人だったのに、盗人に情けを掛けるなんて意外すぎる。


「自分が貧しくなって、初めて同情した。空腹の苦しみなど、ワタシは今まで知らなかったのだ……」


 後悔の念を滲ませながら、ニュート様は脱力して空を見上げた。


 うーん……。もっと踏み込んで手助けしようか、どうしようか、悩ましいところだよね。

 彼に対して、私の中では蟠りがある。職業選択の儀式のときに、トールを斬り殺そうとしたからだ。

 あのときはトールがニュート様の道を塞いで、挑発するように睨み付けたから、罰を与えられても仕方のないことだった。けど、殺すのはやり過ぎだって、今でも思う。トールが無礼で生意気だって言っても、まだまだ子供だし。


 でもなぁ……。そんな蟠りがあっても尚、今のニュート様は助けたい、かも。

 自分が困窮しているのに、他人に価値のあるものを譲ったんだ。これって、尊いことだよ。それに、ニュート様は妹思いという、憎めない一面も持っている。

 小動物とか善人を見捨てるのは、やっぱり寝覚めが悪いし、今の私には余裕がある。


 諸々の事情を加味して──よしっ、決めた!

 一から十まで面倒を見るつもりはないけど、一から三くらいまでは面倒を見てあげよう。

 

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