閑話

 

 真っ暗でカビ臭い地下牢の中で、セバスは自分のくだらない人生を思い返しながら、壁に頭を打ち付けていた。

 鈍痛と共に蘇るのは、侯爵家に潜入する前──自分が作った傭兵団から抜ける直前の、ジェシカとのやり取り。


『一時的にとは言え、アンタが抜けた後の傭兵団はどうするんだい?』


『私抜きで傭兵仕事をさせて、戦力を減らしたくはないが……』


『働かなきゃ、団員を食わせていけないだろう?』


『そうだな……。では、サーカス団でもやってみるか?』


 セバスの提案を聞いて、ジェシカはきょとんと目を丸くした。


『やれって言われればやるけどね、なんでサーカス団なのさ?』


 舞台の上で滑稽に踊る、道化みたいな己の人生。それを顧みて、セバスは唐突にサーカス団なんて言い出してしまったのだ。

 それを素直に伝えるのが情けなくて、『なんとなく、気紛れだ』と返事をした。


 お前は英雄だと煽てられて、名声のために戦場を駆け回っていた青年期。

 王侯貴族の便利な道具として、いいように扱われていた宮廷魔導士の頃。

 王族に裏切られて、国に復讐するべく活動し、結局は鼻で笑われる程度の結果しか残せなかった傭兵時代。

 そして、侯爵家の忠実な執事を装い、嘗ての力を取り戻そうと躍起になって、呆気なく全てを失った現在。


 何もかもが、余りにも滑稽で、悲劇を通り越して喜劇に思えてくる。これを見た観客の顔に浮かぶのは、時間を無駄にしたと言わんばかりの失笑だろう。


「くだらない人生だった……。皆、付き合わせてしまって、すまなかった……」


 セバスが抱く虚無感の奥底に、唯一残っている感情。それは、仲間たちへの悔恨の情だった。

 誰もが悪人だったが、悪いだけの連中ではなかった。生まれた場所、育った環境が違えば、真っ当な善人にだってなり得た連中だ。

 みんなで色々な悪事を働いてきた。だから、碌な死に方は出来ないと、全員が理解していた。


「それでも、何かを成し遂げたかった……。善悪なんて関係なく、皆で何か、大きなことを……」


 今にして思えば、失った力を取り戻そうとしたのは、仲間たちがいたからだ。

 私の、私たちの、くだらない人生に、大きな意味を持たせたかった。そのために、力が必要だったのだ。


 セバスが何度も壁に頭を打ち付けて、自分の心の内を整理していると──聞き取りやすい足音を立てて、牢屋の前に誰かがやって来た。


「やぁやぁ、セバス先輩。なぁんだか一気にぃ、老け込んじゃったねぇ」


 他人を苛立たせるような、妙に間延びした喋り方。白髪で狐目、長身で猫背の中性的な人物。彼の名前は──


「アムネジア……。貴様、私を嗤いに来たのか……?」


「嗤ったりしないよぉ! 老い先短いとは思えないほどの暴れっぷりでぇ、甚く感服したんだよねぇ。ほぉんとだよぉ?」


 アムネジアはパチパチと態とらしく手を叩いて、にんまりと笑いながらセバスを称賛した。


「相も変わらず、人を苛立たせるのが上手いな……。もう一暴れして、貴様の身体を切り刻んでやろうか……?」


「まぁまぁ、落ち着いてよぉ。僕は良い話を持って来てあげたんだからさぁ」


 こんな胡散臭い人間が持ってくる『良い話』なんて、信用することが出来ない。

 それでも、今のセバスは全てを失った後で、明日には死刑が執行される身だ。

 どう転んでも、現状を下回る状況にはならないので、苛立ちを抑えて耳を傾ける。


「…………話せ。聞くだけ聞いてやる」


「ありがとねぇ。それじゃぁ、単刀直入に言うけどぉ……キミ、僕と一緒に革命を起こさない?」


 アムネジアの軽い口調での誘い。これを聞いて、セバスは堪らないと言った様子で大笑する。


「くっ、クフッ、クハハハハハッ!! 何を言い出すのかと思えば、革命だと!? 馬鹿な、それが成功すると本気で思っているのか!?」


「んー、僕は成否なんてどうでもよくってぇ、この社会に一石を投じたいだけなんだよねぇ。ほらぁ、王侯貴族ってムカつくでしょぉ?」


 アムネジアの子供みたいな言い分に、セバスは笑みを引っ込めて白けた目を向ける。


「珍しく意見が一致したな。私も王侯貴族の存在は、腹立たしく思う。……だが、王侯貴族が統治し、民が労働を担う。これ以外に、どんな社会があると言うのだ? 革命を行っても、別の王政が樹立するだけだ。次の王は貴様か? 的外れのアムネジア」


「実はさぁ、別の案があるんだよねぇ。民が主権を持つ社会なんてぇ、どうかなぁ? その名もずばりぃ、民主主義だよぉ!」


「民主、だと……? 政を知らぬ民が、どうやって国家を運営するというのだ? 耳障りの良い戯言を並べるだけの愚物が、王に取って代わるだけだ」


「僕もそう思うけどぉ、そこには自由があるんだよねぇ!」


 サウスモニカ侯爵家の治世は比較的まともだが、王侯貴族の圧政は珍しいものではない。

 民衆にとって、王侯貴族の支配を取り除ける民主主義とは、さぞや耳障りがいいことだろう。

 そこまで考えて、セバスは頭を振る。


「……足りないな。人は最低限の生活が出来れば、保守的になる生物だ。現状、国民の過半数はそこまで困窮していない。自らの命を犠牲にしてまで、革命を為そうと立ち上がる者は、そう多くはないだろう」


「それならさぁ、一度は地獄に叩き落そうよぉ! 国民に地獄の底を舐めて貰ってぇ、そこから奮起させる! 案外、上手くいくんじゃないかなぁ?」


「民は奮起する前に、心が折れるかもしれん」


「そしたらぁ、パーっと残念会でもすれば、よくなぁい?」


 国民が最低限の生活すら出来なくなった状況で、上手く扇動することが出来れば、同調する者は多いだろう。

 ただし、仮に革命が成功したとしても、万人が横並びの身分になれば、烏合の衆になることは目に見えている。

 そうなれば、アクアヘイム王国は他国に侵略されて、国民全員が奴隷の仲間入りだ。


「…………貴様、国を亡ぼす気か?」


「それが目的って訳じゃぁ、ないんだけどねぇ……。そうなったらそうなったでぇ、仕方ないかなぁ……」


 封建社会がムカつくから壊したい。徹頭徹尾、アムネジアはそんな子供染みた感情論を振り回した。

 セバスはしばし目を瞑り、ゆっくりと口角を吊り上げる。

 くだらない人生を共に歩んでいた仲間たちは、もういない。それでも、今は亡き彼らに、背中を押されている気がした。


「道化の喜劇は、まだ続くのか……」


 この日、侯爵家の地下牢から、セバスは忽然と姿を消した。

 ライトン侯爵はすぐさま捜索隊を出して、アムネジアもこれに参加する。


 ──数日後、這う這うの体で帰還したのは、アムネジアだけだった。

 彼はいつになく真面目な表情で、侯爵に報告を行う。


「セバスの討伐は叶いましたが、激戦の末に他の者たちは命を落としました。セバスの遺体は損壊が激しかったため、回収出来たのは左腕だけです」


 侯爵はこの報告を信じたので、セバスの死刑は恙なく執行されたということで処理された。

 これで此度の事件は解決したが、更なる大事件の幕開けを知る者は、首謀者以外に存在していない。

 

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