第59話 ソウルイーター

 

「──ブロ丸っ!! あれを奪って!!」


 マンティスからドラゴンの魔石を奪い取るべく、私は大声でブロ丸に指示を出した。けど、一歩遅かったよ。

 マンティスが布袋ごと、魔石を丸呑みにしてしまったんだ。すると、その身体が爆発的に膨張して、姿形が急速に変化していく。


 まずは二メートルほど大きくなって、外殻が真っ赤に染まり、鎌の表面に揺れる炎のような模様が浮かんだ。誰がどう見ても、これは進化だ。

 一段階進化した程度なら、対処は簡単そうだけど、そこで止まる様子はない。


 今度は三メートルほど大きくなって、外殻が赤黒く染まり、腕の数が四本になった。

 立て続けに、今度は五メートルほど大きくなって、外殻が真っ黒に染まり、腕の数が六本になった。この時点で、そこらの民家よりも大きくなったので、すぐに騎士団の人たちが発見する。


「ヤバい……ッ!! モーブっ、ジミィ!! お前らは若様とお嬢様を避難させろッ!! 他はあの魔物に対処するぞッ!! 急げぇッ!!」


 鬼神の如き強さを持つガルムさんが、緊迫感のある声で騎士団に号令を下した。

 一斉に駆け出す彼らが到着する前に、カマキリの魔物はまだまだ進化を続ける。


 身体が更に大きくなって、外殻に赤い亀裂が走り、腕の数が八本になった。

 身体が更に大きくなって、全ての腕に備わっている鎌の形状が凶悪になり、頭部からは捻じれた真っ赤な角が生えてきた。

 身体が更に大きくなって、大きくなって、大きくなって──最終的に、その大きさは三百メートル、腕の数は十六本という、途轍もない大怪獣のカマキリに至ってしまう。


 外殻は死と絶望を想起させるようにドス黒く、全身に走っている亀裂からは、赫灼の炎が漏れ出していた。

 その身体は心臓みたいに、ドクン、ドクン、と脈打って、外殻の内側に詰まっている膨大なエネルギーが、今にも爆発しそうに見える。


 私は震える手でステホを取り出し、その魔物を撮影してみた。

 判明した名前は『ソウルイーター』で、持っているスキルは九つもある。


 【烈斬】【火炎斬】【飛斬】【堅牢】【鎌鼬】

 【斬鉄剣】【天翔け】【二の太刀】【魂魄刈り】


 スキルの詳細を確認している余裕なんてない。でも、恐ろしく強い魔物だと、誰もが確信したよ。


「な、何よあれ……。街中に現れていい魔物じゃ……ない、わよね……?」


 フィオナちゃんが腰を抜かして、その場にぺたんと座り込んだ。

 こんなときにフォローするはずのシュヴァインくんは、ソウルイーターの威容を見つめながら硬直している。


「……みんな、逃げよう。今のオレたちじゃ、何も出来ない」


「チッ、今に見てろ……!! 俺様は、あンな魔物でもブッ殺せるくらい、強くなってみせるぜ……ッ!!」


 ルークスとトールは自分の無力さを痛感して、悔しそうに拳を握り締めながら、撤退することを選んだ。

 正直、私はホッとしたよ。ルークスはまだしも、トールなんてあんな魔物にですら、戦いを挑みそうな怖さがあるからね。


「おい、貴様らはどうする? ワタシたちと共に避難するか、それとも別々に逃げるか、好きな方を選べ」


「是非ご一緒させて貰うわ! あたしたちに、安全な逃げ場なんてないもの!」


 ニュート様の問い掛けに、フィオナちゃんが一も二もなく即答した。

 ここで、スイミィ様が顔に影を落としながら、暗い声で待ったを掛ける。


「……みんな、ダメ。……スイから、離れて」


「あっ、まさか……スイミィ様は、あの魔物に……?」


 否定して欲しいと願いながら、私はスイミィ様にそう尋ねた。

 彼女はいつも以上に顔から表情を消して、こくりと小さく頷く。


「……そう。スイ、あれに殺される。……そういう夢、見た」


 黒いカマキリだとは聞いていたけど、あの大きさは余りにも予想外だよ。

 ルークスたちはスイミィ様の先天性スキルのことを知らないから、一様に怪訝そうな表情を浮かべている。

 他人のスキルのことだし、私の口から事情を説明する訳にはいかない。どうしようかと考えていると、ニュート様がみんなを急かした。


「とりあえず、ここから離れるのが先だ。移動しながら事情を話してやるから、そのまま同行を続けるか、あるいは別れるか、好きな方を選べ」


 こうして、私たちはソウルイーターに背を向けながら、侯爵家のお屋敷へと向かう。当たり前だけど、ブロ丸は呼び戻した。あの場に残しても、この子に出来ることはないからね。

 モーブさんがスイミィ様を抱きかかえて先頭を走り、ジミィさんが最後尾で後方を警戒してくれている。

 ソウルイーターが追い掛けてくる気配は、今のところ感じられない。


 道中、ニュート様から諸々の事情を聞いたルークスたちは、このままスイミィ様と一緒に行動していると、ソウルイーターに襲われる危険性があることを知った。

 ルークスが仲間たちの顔を見回して、心底困った様子で口を開く。


「──事情は分かったけど、どうしようか?」


「どうって、言われてもね……。あたしたちが同行しても、ソウルイーターに襲われたら、何も出来ないと思うわよ……?」


 フィオナちゃんはスイミィ様に同情的な目を向けたけど、それでも彼女と別れたがっている。

 これを薄情だと責めることは出来ない。ソウルイーターの威容を間近で見たら、戦おうなんて到底思えないんだ。


「俺様は逃げたくねェが、出来ることがあるとも思えねェな……。まァ、殺るってンなら付き合うぜ?」


 トールはみんなに判断を委ねてから、だんまりを決め込んだよ。

 誰よりも負けん気が強いトールですら、前のめりにはなれないみたい。


 さて、シュヴァインくんはどうしたいのかな?

 私が視線を向けて、意志を示すように促すと、彼は誰よりも怯えながら──しかし、誰よりも力強い眼差しで、スイミィ様と目を合わせる。


「ぼ、ボクは……っ、助けたいよ……!! だからっ、キミと一緒に行く!! ボクに出来ることなんて、何もないかもしれないけどっ、未来のことなんて!! 全部『かも』だからっ!! 出来ることだって、あるかもしれないんだ!!」


 シュヴァインくんが過去最大の男気を見せて、揺るぎない決意を表明した。

 彼の実力なんて、騎士団の末端の人間にすら遠く及ばない。その程度の力しかないのに……運命を変えられる人って、こういう人なんじゃないかと思えてくる。


「オレよりもシュヴァインの方が、冒険者らしい冒険者だね……。うんっ、行こう! 先の見えない未来に、冒険だ!!」


「シュヴァインが前に進ンで、俺様が後ろに下がるなンざ……ッ、天地が引っ繰り返ってもあり得ねェ!! 進むンなら俺様が先頭だぜッ!!」


 シュヴァインくんの男気に当てられて、ルークスとトールが覚悟を完了させちゃった。

 スイミィ様は小首を傾げて、おずおずとシュヴァインくんに尋ねる。


「……どうして? どうして、スイのこと、助けてくれる?」


「えっと、助けたいって、思ったから……。ただ、それだけなんだ……」


 彼は純粋な気持ちを吐露して、気恥ずかしそうに頬を掻く。

 その眩しい姿を見て、私はちょっとだけ意地悪な質問をしたくなった。

 もしも、スイミィ様が美少女じゃなくて、小太りなオジサンだったら、そんな風に助けたいって思ったのかな?


 ……いや、しないけどね。こんな質問。


「シュヴァインってば、本当に優しいわね! あたしをこれ以上惚れさせて、どうする気なのよ!?」


「ふぃ、フィオナちゃん……!! ご、ごめん、勝手に決めちゃって……。ボク、フィオナちゃんには、安全な場所に逃げて欲しくて……」


「ばかっ、シュヴァインの後ろ以上に安全な場所なんて、この世のどこにあるって言うのよ!? きちんとあたしも守りなさいよねっ!!」


 フィオナちゃんはシュヴァインくんの背中をバシバシ叩いて、にやにやしながら激励した。これで、みんなが同行することになったね。

 スイミィ様は私に顔を向けて、口元を微かに綻ばせながら、一筋の涙を零す。


「……姉さま。スイ、困った。……みんな、良い人」


「みんな良い人で、何が困ったんですか?」


「……良い人、死んで欲しくない。……スイ、一人で死にたい」


 ああ、困った。そんなこと言われると、私も困っちゃったよ。

 シュヴァインくんもスイミィ様も、自分の命より他人の命を大事にするんだもの。

 こんなに胸が締め付けられること、前世の分も含めて、今までの人生で一度もなかった。

 いつだって自分が一番大切で、薄っぺらな偽善しか持っていない私にとって、この子たちは直視出来ないほど眩しい存在だ。



 ──頭の中で、『このままでいいの?』と自問してしまう。



 私は弱い。けど、ルークスたちとは違って、現時点で明確に出来ることがある。

 ガルムさんを筆頭に、騎士団の人たちに支援スキルを掛けて回れば、間違いなく大きな助けになるよね。

 ずっと隠していた【再生の祈り】を大々的に使えば、スイミィ様の死の運命を覆せるかもしれない。

 ただし、そんなことをすれば、後になって無数の厄介事が私に降り掛かると思う。


「ああ、困った……。本当に、困ったなぁ……」


 人助けなんて、自分を不幸にしてまで、やるようなことじゃない。

 余裕のある人が、自己満足の範疇でやる。それが健全な人助けなんだ。

 私は自分自身にそう言い聞かせて、心に宿った熱を冷まそうとした。けど、


「私っ、行ってきます……!! 騎士団の人たちのところに!!」


 気付いたときには踵を返して、自ずと口が動いていたよ。

 

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