第51話 一騒動

 

 スラ丸の視界越しに、パニックマイマイのぐるぐる模様を見てしまったことで、風景がぐにゃっと歪んだ。

 私の視界に映っている舞台上のサーカス団員たちが、複数人に分裂して見える。


 これは十中八九、【混乱光】というスキルの影響だね。

 混乱状態って、頭の中が支離滅裂になるのかと思ったけど、その点は大丈夫そう。意識もハッキリしているから、この分ならそこまで凶悪な状態異常じゃない。


「し、師匠……? ふらふらしてるけど、大丈夫……?」 


 シュヴァインくんが私を心配して、声を掛けてくれた。

 全然大丈夫だよ。呂律が回りそうにないから、そっと微笑んで安心させる。


 シュヴァインくんは自分の胸を押さえて、『はぅ……っ』と言葉にならない声を漏らした。フィオナちゃんがいるのに、私の微笑に胸をトキめかせるのは、本当にどうかと思う。


「アーシャ、あんたお酒でも飲んだの? 顔が蕩けているわよ?」


 フィオナちゃんにそう指摘されて、私は自分の頬をぺちぺちと叩いた。混乱状態は酩酊と似ているのかな。


「人混みに酔ったンだろ。そろそろ帰ろうぜ」


「うん、そうしよう。サーカス、楽しかったね!」


 演目はまだ少しだけ残っているのに、トールとルークスが私を気遣って立ち上がった。

 私も後に続いたけど、足取りがふらふらして危なっかしい。そんな様子を見兼ねて、トールが私を背負ってくれたよ。


 このタイミングで、混乱したまま舞台裏を彷徨っていたスラ丸が、ジェシカさん──いや、ピエロの仲間なら敬称はいらないか。ジェシカとピエロを発見した。


 周囲には大きい樽や木箱が沢山積み上げられていて、二人はそれらを眺めながら会話をしている。


「生まれたてのマンティスなんざ、この数でも簡単に始末されちまうよ。座長は本当に、この作戦で良いって言ったのかい?」


 やや荒っぽい喋り方をするジェシカの問い掛けに、ピエロがニタァっと意地悪そうな笑みを浮かべて頷く。


「言ったッスよ。確かに弱い魔物なんスけど、全てを始末するとなると、相応の時間が掛かるッス」


「だとしても、騎士団が出張るかねぇ……? 冒険者に任せても、問題ないだろう?」


「とある事情で、マンティスは街中に一匹も残しておけないらしいッス。だから、騎士団が血眼になって、駆除するはずッスよ」


 マンティスとはカマキリの魔物のことで、街の外にそこそこ生息している。

 そんなに強い魔物じゃないけど、進化する可能性があるから、スイミィ様の死の運命を回避するために、街中に入れることは禁止されているんだ。


 スラ丸が樽と木箱の中を覗くと、そこには白い繭がぎっしりと詰められていた。

 一つ一つの繭の大きさが、五十センチほどもあるけど……まさか、これってマンティスの卵?

 樽と木箱は数え切れないくらいある。これら全てがマンティスの卵だとしたら、とんでもない話だよ。


 卵なら街中に入れてもいいなんて、そんな訳ないはずだから、ほぼ間違いなく密輸だ。今すぐガルムさんに知らせないと!

 私はトールの肩を揺さぶって、行き先を変えて貰おうとした。でも、ジェシカとピエロは待ってくれない。


「それじゃ、アタイのスキルを使って孵化させちまうよ」


「頼むッスよ。ジブンは虫除けのお香を焚いておくッス」


 ジェシカは自分の手に暖色の淡い光を宿して、その手を樽と木箱に翳していく。

 すると、次々に卵が孵化して、五十センチくらいの大きさの魔物、マンティスが生まれた。

 色も形もカマキリそのもので、鎌の鋭さにゾッとする。ただ、スイミィ様の運命に絡む『黒いカマキリ』じゃなかったので、そこだけは安心したよ。


 ジェシカが使ったのは、私が持っていない魔物使いのスキル【孵化促進】だと思う。魔物の卵をすぐに孵化させるスキルだね。

 生まれたばかりのマンティスたちは、ピエロが焚いたお香のにおいを嫌って、早々に天幕から飛び去った。

 その光景を目撃した市民たちが騒ぎ出して、帰路に就いていた私たちの耳にも届く。


「ま、魔物だあああああああああああああッ!!」


「戦えない奴は避難しろッ!! 戦える奴は応戦だッ!!」


「マンティスばっかで大したことないぞ!! 冒険者は逃げるなよ!!」


 とんでもないことになっちゃった……と思ったけど、マンティスの強さはペンギン以上、セイウチ未満。この街には対処出来る冒険者の数が多いから、マンティスはどんどん屠られ、算を乱して逃げ惑う。


「大変だ! オレたちも戦おう!! ここは街中だから、周りに被害を出さないように!!」


「上等じゃねェか!! サーカスなンざ見るより、こういう祭りの方が好みだぜッ!!」


 ルークスとトールが殺る気満々になって、スラ丸三号の中から装備を引っ張り出した。シュヴァインくんもあわあわしながら、二人の後に続いたよ。

 私はトールの背中から降ろされたけど、未だに混乱状態が続いていて足取りが覚束ない。ここで透かさず、フィオナちゃんが肩を貸してくれた。


「あたしのスキル、街中で使うのは危ないのよね……。今回は出番がなさそうだわ」


「ふぃ、フィオナちゃんと師匠は、ボクの後ろに……!!」


 シュヴァインくんが盾を持って、私たちを守るべくキリッと表情を引き締める。

 ダンジョンでの冒険を経て、すっかり頼もしくなったね。

 ルークスとトールは空を見上げて、二匹のマンティスが近くの路地裏に下り立ったことを確認。すぐに駆け付けて、戦闘を開始する。


「っしゃァ!! ブッ殺してやらァ──ッ!!」


 トールが民家の壁を蹴って跳躍し、セイウチソードを上段から振り下ろした。

 マンティスは鎌で受け止めようとしたけど、呆気なく拉げて頭を叩き割られる。


「こっちも終わったよ。全然大したことないけど、戦えない人にとっては危険なのかな……?」


 ルークスはいつの間にか、マンティスの首を掻き切っていた。

 トールの派手な活躍が、ルークスの存在感をより一層薄くしているから、暗殺があっさりと成功するね。


「チッ、もっと歯応えがなくちゃ盛り上がらねェ!! 次を探すぞ!!」


「ちょっと待ちなさいよ! 一応、あの魔物を撮影しておいたから、使えるスキルだけ確認して」


 フィオナちゃんがトールを引き留めて、自分のステホをみんなに見せる。

 こうして、マンティスが使えるスキルは【烈斬】だと判明した。これは、通常攻撃の二倍くらいの威力がある斬撃らしい。


「攻撃されると怪我をするかもしれないから、出来るだけ一気に仕留めよう」


「あァ、わーったよ。あの魔物、防御力はカスだから楽勝だろ」


 ルークスが注意を促して、トールは素直に頷く。

 この後、私たちは次なるマンティスを探したんだけど──幸か不幸か、二度目の遭遇はなかったよ。

 騎士団が大動員されて、私たちが見つける前に、迅速に始末されていったんだ。


「……あれ? これだと、ピエロの計画通り?」


 街中で騒ぎを起こして、侯爵家のお屋敷を手薄にする。そんなピエロの目的が達成されたから、嫌な予感がした。

 お屋敷の様子、延いてはスイミィ様の無事が気になったので、私は【感覚共有】を使ってブロ丸の視点から覗き見る。


 すると──


「おのれぇ……ッ!! セバス!! 貴様ッ、スイミィを放せッ!!」


「ドラゴンのスキルオーブを持って来ていただければ、すぐにでも解放しますとも。坊ちゃま、賢い貴方様であれば、お分かりかと存じ上げますが……誰にも言わず、一人で持ってくるのですよ?」


 お屋敷の一室にて、ニュート様が親の仇でも見るような目付きをしながら、セバスを怒鳴り付けていた。

 セバスはスイミィ様を人質に取って、冷たい目でニュート様を見下ろしている。


 ちなみに、ブロ丸は天井付近の死角から、その様子を俯瞰しているよ。セバスに奇襲する機会を窺っているみたいだけど、彼の立ち姿には並みの強者を超える英雄の風格があって、全く隙が見当たらない。


「スキルオーブの在り処など……ッ」


「知らないのなら、侯爵閣下に我儘を言って、教えて貰えばいい。貴方の母親の形見なのですから、その在り処を知りたいと願うのは、そう不自然なことでもないでしょう?」


「どうしてスキルオーブを欲しているんだ!? 金が目的か!?」


 ニュート様は声を張り上げているけど、助けがくる様子はない。マンティス退治に騎士団の人員が数多く駆り出されたから、お屋敷の警備に穴があるんだと思う。

 セバスは瞳を濁らせながら、狂気に彩られた邪悪な笑みを浮かべた。


「わたくしめが欲しているのは、過去の己ですよ。魔導士としての自分を取り戻し、この国をぐちゃぐちゃにしたいのです……ッ!!」


 彼の言葉を聞いて、私は思わず頭を抱えてしまった。

 アムネジアさんの推測が当たっちゃったよ。あの人には二つ名の通り、的外れでいて欲しかったのに。


「スキルオーブがなかったら、スイミィはどうなる……?」


「無論、殺しますとも」


 一切の慈悲も容赦もなく、セバスは何食わぬ顔でそう断言した。

 内心では怒り狂っているはずのニュート様が、少しだけ恐怖に呑まれて後退る。

 ブロ丸の感覚越しにでも伝わってくる濃密な殺気が、セバスの背後に死神の姿を幻視させた。

 

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