第16話 闇市

 

 スラム街の中心部に足を踏み入れると、明確に空気感が変わった。

 飢えた獣のような視線は感じなくなったけど、誰も彼もがお互いを警戒している。子供の私にまで、油断とは無縁の鋭い眼差しを向けてくる人が多い。


 それと、ここにいる人たちは、栄養失調に陥っている様子がなかった。

 フード付きのローブを纏っている人ばっかりで、肉付きは分かり難いけど……露出している手や口元を見る限り、大半の人が健康そうだよ。


「──ここがスラム街の市場、通称『闇市』だな」


 バリィさんにそう教えられて、私はぐるりと周囲を見渡した。

 市場というだけあって、あちこちに露店が立ち並んでいる。売り物は何かのお肉だったり、危ない葉っぱだったり、不気味な液体だったり、本当に色々だね。

 葉っぱを売っているお店が盛況で、冒険者の護衛を付けた人たちが、数多く買い求めていた。多分、あの人たちは街中の市民だと思う。


 ……あっ、買ったその場で葉っぱに火をつけた人が、煙を吸い込んでビクビクしている。気持ち良さそうな表情を浮かべているけど、目が完全に虚ろだよ。

 私は何も見なかったことにして、バリィさんに一つ気になったことを尋ねる。


「バリィさんって、闇市に来たことがあるんですか?」


「ああ、あるぞ。意外な掘り出し物が、見つかったりするからな。盗品やら非合法の奴隷やら、面白くない商品も少なくないが……表の商人と揉めた冒険者が、仕方なく闇市にお宝を流すってことも、多々あるんだ」


「なるほど、そういうパターンもあるんですね……」


 ちなみに、非合法の奴隷とは、攫われた市民のことらしい。

 市民権があっても、身を守る力がなければ、理不尽を押し付けられる。そんなことが珍しくない世界なんだって、私は改めて理解した。


「嬢ちゃんが売るものって、マジックアイテムなんだろ? 金貨以上で売れるものなら、闇市のド真ん中にある店へ持って行くべきだが、どうする?」


「うーん……。金貨以上で売れれば良いな、とは思っていますけど……実際にそれだけの価値があるのか、分かりません」


 隠すつもりもないので、バリィさんには見せておこう。

 私はスラ丸に指輪を出して貰って、バリィさんがそれを自分のステホで撮影した。


「ほぉー……。これは十中八九、相当な値打ちものだな。【破壊光線】ってスキルは見たことないが、恐らく魔導士のスキルだ。下手すると金貨どころか、白金貨数枚で売れるぞ」


「えぇっ!? そ、そんなに……!?」


 白金貨なんて、私には生涯無縁だと思っていたのに、もう手に入るの?

 ……いやでも、落ち着け私。白金貨数枚なら、一生安泰という訳じゃない。

 それなりの家を買ったら、一瞬でなくなっちゃうんじゃないかな。

 今の私が一番欲しいものは、やっぱり安全な家だ。孤児院を卒業してからも、暴漢とか人攫いに怯えることなく、安全に暮らせる家が欲しい。


 街中の大通りに面した家なら、人目が多いから安全だと思うけど……白金貨数枚で買える?

 大通りに面している場所は、当然のように一等地だから、白金貨数枚じゃ無理な気がしてきた。

 安全性さえ確保出来れば、家は小さくてもいいんだけど……。なんなら土地だけ買って、家は【土壁】を組み合わせた豆腐ハウスでもいいよ。


 私が捕らぬ狸の皮算用に勤しんでいると、マリアさんが魔導士という職業の説明をしてくれた。


「魔導士って言うと、魔法使いの上位職さね。魔法使いじゃ取得出来ない、強力な魔法を取得出来るらしいよ」


「へぇー、上位職なんてあったんですね。やっぱり、魔法使いのレベルが幾つ以上とか、そういう転職条件があるんですか?」


「ああ、そうさ。うろ覚えだけど、魔法使いのレベルが40以上だったかねぇ……」


 大人の平均レベルが30という話なので、レベル40は中々に厳しい条件だと思う。

 そのレベルに至るための経験って、普通に生きているだけだと無縁な、物凄く危ないものだろうからね。

 レベルとかスキルとか、ゲームみたいだなって思うことがあるけど、私たちが生きているのは現実世界。みんな命が一つしかない以上、そう簡単に危険には飛び込めないよ。


「この指輪が魔導士の装備だとしたら、需要って相当少なそうですね……」


「実際に少ないな。転職したらレベル1からやり直しで、信じられないほど弱体化する。しかも、上位職はレベルが上がり難いんだ。転職なんて、世の中の九割九分の人間には、無縁だと思っていい」


「それなのに、白金貨数枚……?」


「供給だって少ないから、まぁそんなもんだ──っと、到着したぞ。ここが、闇市最大の取引所だ」


 バリィさんの話を聞いている内に、私たちは目的地へと到着した。

 目の前にあるのは、なんの変哲もない石造りの建物だよ。

 スラム街にあるにしては、立派な建物だと思うけど……うちの孤児院と同程度の外観かな。


 闇市最大の取引所!! という肩書のインパクトに、相応しいとは思えない。

 建物の入り口には、武装している大柄なゴロツキが佇んでいて、私たちに用件を聞いてくる。


「なんの取引を希望してんだ? ここは金貨以上の取引しか、受け付けてねーぞ」


 私たちはお互いに顔を見合わせて、誰が今回の取引の矢面に立つのか窺った。

 私は子供だから、侮られそう……。バリィさんは商人が苦手みたいだし、マリアさんになるのかな?


「……アーシャ、やってみな」


 どうしてか、マリアさんは私を矢面に立たせることを選んだ。

 これも社会勉強の一環だと、考えたのかもしれない。……まぁ、私の指輪を売りに来た訳だし、文句は言えないよね。

 ゴロツキは私を子供だと侮ることなく、希望する取引の内容次第で、ここを通すと伝えてきた。


「えっと、マジックアイテムの売却を希望しています。白金貨数枚の価値があるって、金級冒険者の方が太鼓判を押してくれました」


「ふむ……。通って良し。武器はこちらで預かる。問題を起こすなよ」


 ゴロツキは品定めするように、私の頭の天辺から爪先までを眺めてから、通行する許可を出した。

 バリィさんの剣を預けることになったけど、彼がそのことを気にしている様子はない。

 多分、バリィさんは剣も盾も防具も、重要視していないんだと思う。彼が全幅の信頼を寄せているのは、結界師のスキルなんじゃないかな。


 私たちが建物の中に入ると、そこは殺風景な空間だった。床には穴が空いていて、地下へと続く階段が伸びている。


「こりゃぁ不気味だねぇ……。ここから地下に入るのかい?」


「ああ、その通り。この建物はハリボテで、闇商人は地下で商談をしているんだ」


 マリアさんの問い掛けに答えたバリィさんが、先頭に立って階段を下りていく。


「うぅっ、緊張してきました……」


「あたしゃ老い先が短いってのに、寿命が縮まっちまうよ……」


 私とマリアさんは肩を寄せ合いながら、バリィさんの後に続いた。

 地下はランプの灯りで照らされていて、足元には赤黒い絨毯が敷いてある。

 土足で大丈夫なのか、不安になったけど……バリィさんは平然と踏み付けているから、問題なさそう。


 空気は淀んでいるかと思いきや、それなりに清涼だった。

 真っ直ぐ続く通路の横には、幾つもの鉄の扉が並んでいて、『商談中』か『不在』のプレートが掛けられているよ。

 時折、商談中の扉の向こう側から、耳を劈く悲鳴や泣き声……あるいは、心底愉快だと言わんばかりの高笑いが聞こえてくる。


 ……私たち、生きて帰れるんだよね? バリィさん、信じていいんですよね!?

 私とマリアさんが、萎れたアサガオみたいな表情を浮かべている最中、バリィさんはプレートを確認しながら、淀みなく歩き続けた。

 そして、ようやく見つけた『受付中』のプレート。それが掛けられている扉をノックすると、


「──どうぞ、お入りください」


 女性の声に入室を促された。

 バリィさんが扉を開けると、そこは小さめの部屋だったよ。ちょっと高そうなテーブルと、それを挟む形でソファが置いてある。

 対面のソファには、黒いマントを纏った二十代くらいの女性が座っており、その後ろには、身長が三メートルを超えている巨漢が佇んでいた。


 女性はスキンヘッドで、瞳が白く、肌は真っ黒だ。それと、両耳がない。

 誰かに切り落とされたのか、それとも自分で切り落としたのか、その辺は定かじゃないけど……元々あったものを切った古傷がある。

 彼女はこの国の人間じゃないと思うけど、詳しいことは分からない。


 巨漢はバケツみたいな鉄の兜で、首から上を覆い隠しているのに、胴体は裸という突っ込み所しかない格好をしている。

 頭を守る意識がそれだけ高いのに、胴体を守る意識が皆無って、それはどうなの……?

 更に付け加えるなら、その巨漢は全身が死体みたいに青白かった。それと、皮膚が継ぎ接ぎだらけで、呼吸をしている様子もない。……本当に死体かも。


「ほら、アーシャ。アンタが商談をするんだろう?」


「あっ、はい。えっと、アーシャです。本日はお日柄も良く──」


 マリアさんに促されて、私は緊張しながら挨拶を行った。


「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。当方の名はノワール、どんなものでも売買する闇商人です。アーシャさん、それに他のお二人も、どうぞソファにお掛け下さい」


 ノワールさんに促されて、私とマリアさんはソファに座った。けど、バリィさんは私たちの背後に立ったままだ。……ノワールさんの後ろに佇んでいる巨漢。あの人を警戒しているのが、ピリピリと肌で感じられるよ。


 怖いなぁ……と思いながらも、私は商談を始めるべく、スラ丸に指輪を出して貰って、テーブルの上に置いた。


「な──ッ!? 失礼、取り乱しました。随分と面白いスライムですね? そのスキル……【収納】持ちのスライムなんて、初めて見ましたよ」


 ノワールさんは指輪よりも、スラ丸に熱い眼差しを向けている。……この子、売りものじゃないですよ?


「ええっと、スラ丸はコレクタースライムなんです。進化条件なら、そんなに難しくないです」


 だから、欲しいなら自分でスライムをテイムして、進化させてください。

 私が言外にそう匂わせると、ノワールさんは僅かに身を乗り出してくる。


「進化条件の情報を買い取らせてください。白金貨五枚で、どうでしょうか?」


「売りましゅ──ッ、す、すみません、噛みました……。はいっ、売ります……!!」


 私は大慌てで返事をしたので、思いっきり舌を噛んでしまった。すぐに再生効果で治ったけど、痛いものは痛い。

 ただ、そんな痛みがどうでもよくなるほどの喜びと驚きが、心の奥底から湧き上がってきた。

 私の隣に座っているマリアさんも、驚き過ぎて絶句しているよ。


 指輪を売りに来たのに、コレクタースライムの進化条件に関する情報が、白金貨五枚に化けるんだから、途轍もない話だ。日本円で五千万円だよ、五千万円。

 ここで黙っていられなかったのが、警戒心を剥き出しにしているバリィさん。


「おいおいおい、情報一つで白金貨五枚だと? 流石に胡散臭いが、何を考えているんだ……?」


「スライムは魔物使いであれば、子供でも簡単にテイム出来ます。そんな魔物の進化先に、商人の当たりスキル【収納】を取得するスライムがいる。この価値が、貴方には理解出来ませんか?」


 興奮を抑えるような口調で、ノワールさんは捲し立てた。そう指摘されると、確かに凄いことかもしれない。

 商人が【収納】を引き当てられる確率は低いけど、魔物使いなら誰だって、実質【収納】の使い手になれるからね。

 バリィさんも納得して、私に商談を続行するようアイコンタクトを送ってきた。


「それじゃあ、進化条件をお伝えします。それは──」

 

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