第15話 スラム街

 

 闇市へ向かうべく正門を出る前に、私はバリィさんに今回の目的を話しておく。


「実は、今回は高価だと思しきマジックアイテムを売りに行くんです。入手方法に疚しいところなんて、一切ないんですけど……疑われたら、無実を証明するのが難しいかもしれないので、闇市へ流すことに……」


「へぇ、そういうことか。そりゃ賢い選択かもな」


 バリィさんは私のことを疑わず、余計な詮索もしない人だった。

 歳が離れているけど孤児仲間で、マリアさんも彼を信用しているみたいだし、これってチャンスかも。そう考えた私は、自分が思い付いた名案を提示してみる。


「あのっ、バリィさんへの依頼内容を今から変更して、私の代わりに街中の商人に売ってきて貰う、というのは……どうでしょう?」


「なしだな。それは商人の仕事で、俺は冒険者だ。……商人とのやり取りって、身体が痒くなるんだよ」


「そ、そうですか……。名案だと思ったんだけどなぁ……」


 残念、素気無く断られちゃったよ。闇市は危なそうだし、行かなくて済むなら、それに越したことはなかったんだけどね。


 私たちが正門から出ると、目の前には雄大な湿地帯が広がっていた。水が澄んでいて、青々とした水草があちこちに生えている。

 私は街から出るのが初めてだから、その光景に解放感を覚えた。なんだか無性にワクワクして、走り出したい気分だよ。


「やれやれ……。街の外へ出ると、心底ゾッとするねぇ……」


「同感だな。大自然を前にすると、自分がちっぽけな存在に思えて、不安になっちまう」


 マリアさんとバリィさんは、私と正反対の感想を抱いていた。二人とも、大自然の中に生息している魔物の脅威を知っているんだと思う。

 呑気に高揚していた自分が、世間知らずな子供に思えて、ちょっとだけ恥ずかしい。……まぁ、実際に世間知らずな子供なんだけど、中身はアラサーだからね。

 冷静になったところで、周囲を見渡してみると、スラム街が見当たらないことに気が付いた。


「バリィさん、肝心のスラム街はどこにあるんですか?」


「正門からは見えない位置の壁際だ。少し歩くぞ」


 バリィさんは真面目な仕事人の顔付きになって、私とマリアさんを先導してくれる。

 歩いている最中は暇だし、少し気になったことを尋ねよう。


「こんなこと、聞いていいのか分からないんですけど……バリィさんって、どれくらい凄い冒険者なんですか?」


「俺は金級だから、自分で言うのもなんだが、結構な上澄みだな。冒険者は銅、銀、金、白金の四つの階級に分かれていて、それぞれが雇うのに必要な、一日当たりの最低報酬を表しているんだ」


 バリィさんは金級冒険者だから、一日でも雇うなら金貨が必要だったらしい。とんでもない高給取りだよ。

 そんな人が、銀貨二十枚で依頼を引き受けてくれたんだから、マリアさんからの依頼だったことが無関係な訳ないよね。


 育ての親への恩返し。その機会を見逃さなかった人だから、バリィさんは私も信用出来る。この縁は大切にしよう。

 この後も冒険者に関することを聞き出しながら、外壁に沿って歩いていると──突然、魔物に襲われた。


「うわっ、な、なに!? 白鳥!? 水!?」


 私たちを襲ったのは、口から水の弾丸を吐き出す白鳥だった。体長は一メートルほどで、数は三羽。

 白鳥が放った水の弾丸は、私に当たる前に見えない壁に阻まれて、何事もなかったかのように霧散する。水飛沫すら、私には掛からなかったよ。


「この程度の魔物なら、百羽集まっても俺の結界は破れない。無視して進むぞ」


「す、凄い……!! これが結界なんですね!」


「鼻たれ小僧だったバリィが、すっかり一端の冒険者たぁねぇ……。あたしも歳を取っちまったよ」


 私とマリアさんに称賛されて、バリィさんは照れ臭そうに笑った。

 そんな和やかな雰囲気の中でも、白鳥はバチバチに攻撃してくる。けど、結界はびくともしていないので、なんだかアトラクション気分だよ。

 歩きながらステホで撮影してみると、『アクアスワン』という名前の魔物だと判明した。

 持っているスキルは【冷水弾】で、さっきから吐き出している水の弾丸がそれだね。


「バリィさん、アクアスワンは倒さなくてもいいんですか?」


「ああ、必要がなければ殺さない。スラム街の連中は、この魔物を狩って食い繋いでいるんだ。街中の人間が狩ると、顰蹙を買っちまう」


「なるほど、外には外のルールがあるんですね」


 私たちを襲っている個体は、魔力が切れそうになったのか、フラフラしながら諦めて飛び去った。

 盾を用意して攻撃を往なし、フラフラしているタイミングで石を投げれば、きっと簡単に倒せるんだと思う。身体が細いから、可食部は少なそうだよ。


「──アーシャ、見えて来たよ。あれがスラム街、市民権を失った人間が行き着く先さね」


 マリアさんが見据える先には、襤褸のテントと雑な石造建築が立ち並んでいた。

 私から見たスラム街の第一印象は、都市の外壁にへばり付く寄生虫……。とても失礼な表現だけど、それ以外に思い浮かばない。


「絶対に俺から離れるなよ。スラム街の連中に隙を見せたら、取って食われちまうぞ」


 バリィさんが怖いことを言うので、私は半歩分だけ彼との距離を詰めて歩く。

 スラム街に足を踏み入れると、あちこちから飢えた獣のような視線を向けられた。

 私の使い古した雑巾みたいな衣服ですら、ここでは上等に見えてしまう。だって、衣服を着ていない人が、多いから……。


 極度の栄養失調が原因で、お腹が風船のように膨らんでいる人ばっかりだ。

 栄養が足りないと、血管の中じゃなくてお腹に水が溜まる。だから、この状態は腹水って呼ばれているよ。

 私は奴隷制度に対して、かなりの忌避感を抱いていたけど、この惨状を目の当たりにして、考えを改めた。

 奴隷制度とは、人間社会から零れ落ちそうな人を助けるための、受け皿という側面があるんだと思う。


「こんな場所で市場なんて、本当に開かれているんですか……?」


「さぁねぇ……。あたしも足を運ぶのは初めてだから、確かなことは言えないよ」


 私とマリアさんは顔を見合わせて、同時に溜息を吐いた。

 もう帰りたい、早く帰りたい。そう思いながら、居心地の悪いスラム街を歩いていると──不意に、マリアさんが声を掛けられる。


「ま、まり、マ、リア、先生……?」


「──ッ!? あ、あんた……まさか、イヴァンかい……?」


 声を掛けてきたのは、虚ろな目をしている一人の浮浪者だった。余りにも痩せ細っているので、年齢は分からないけど、性別は男性だ。

 彼はマリアさんに名前を呼ばれた瞬間、一筋の涙を零し、弾かれたように身を翻して去って行った。

 マリアさんは彼の背中に手を伸ばしたけど、追い掛けはしない。……息が詰まるような数秒を経てから、泣きそうな表情で手を下ろす。


「…………」


 なんて声を掛ければいいのか、分からない。

 長い沈黙の後で、マリアさんが少しだけ事情を話してくれた。


「……イヴァンは、あたしの孤児院で育ったんだよ。生意気だったけど、根は良い子で……負けん気が強くて、冒険者になる道を選んで……」


 バリィさんのように成功した人もいれば、イヴァンさんのように失敗した人もいる。それは当たり前の話だけど、胸が苦しくなる話だった。


 ……物凄く気まずい。特に、成功者のバリィさんなんて、居心地の悪さが最高潮に達しているよ。

 ここは一つ、子供の私が無邪気を装って、何か言うべきかな。


 まずは呼吸を整えて──


「ふぅ……。あのっ、マリアさん!! 私っ、幸せになりますからね!! 必ずっ、絶対の絶対っ!! 約束です!!」


 私はマリアさんの手を握って、一方的にそんな約束をした。

 こんなの、なんの気休めにもならないかも……。そう思ったけど、マリアさんは張り詰めていた表情を柔らかくして、小さく苦笑する。


「そうかい、期待しているよ」


「はいっ、大いにどうぞ!!」


 私は虫一匹殺せないけど、それを補って余りあるスキルを持っている。

 やり方さえ間違えなければ、幸せになることは難しくないよね。

 フンス! と鼻を鳴らして気合を入れると、バリィさんが優しい目をしながら、私の頭を撫でてきた。


「孤児仲間にも良し悪しはあるが、嬢ちゃんは良い奴だな。連絡先、俺と交換しておくか?」


「えっ、いいんですか!? 是非お願いします!!」


 ステホにはフレンド登録した人と、通話出来る機能が備わっている。ただし、フレンド登録の上限人数は、基本的に十人まで。

 税金を通常よりも多く収めると、ステホの機能が拡張されるらしいから、バリィさんは登録出来る人数が多いと思う。

 それでも、数に限りがあるフレンド枠に、私の名前を入れてくれるってことは、結構気に入られたっぽい。


 私のステホには、ルークス、シュヴァインくん、フィオナちゃんの名前が並んでいて、新たにバリィさんの名前が追加された。

 ちなみに、マリアさんは特定の孤児に肩入れしないために、誰ともフレンド登録はしていないよ。

 

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