第2話 職業選択
水資源がとても豊富で、清涼な川や湖が国中に存在する王国、アクアヘイム。その南部に位置する水の都、サウスモニカ。
街の周辺が美しい湿地帯に囲まれており、街中にも水路が張り巡らされているこの場所で、私は貧しい孤児として暮らしている。
両親の顔は知らない。物心がついた頃には、もう孤児院で生活していたからね。
この孤児院は六十代の女性、マリアさんが運営しており、現在の孤児の数は三十人ほど。
八歳になると孤児院から卒業して、働きに出ないといけないルールなので、マリアさん以外は八歳までの子供しか暮らしていない。
八歳で社会に放り出すなんて、前世が日本人だった私からすれば信じられない話だけど、孤児院には金銭的な余裕がないから、仕方のないことだよ。
それに、八歳でも多少は社会で通用する特別な力が、この世界の人間には備わるんだ。それがみんなの希望になっている。
「──さて、今年で六つになった子供は集まりな。今日は職業選択の儀式があるから、教会に行くさね」
食堂で極めて質素な朝食をとった後、マリアさんが私たちに声を掛けた。
『職業』──それは戦士とか魔法使いとか、そういうRPGっぽい職業のことだ。それこそが、この世界の人間に備わる特別な力の正体。
選んだ職業によって、魔法が使えたり身体能力が上がったり、超人染みた恩恵を得られるらしい。
「っしゃああああああッ!! やっとこの日が来やがったぜッ!! ずっと楽しみにしてたンだよなァ!!」
トールが興奮しながらテーブルの上に乗って、拳を天井へ向かって突き上げた。
職業選択の儀式は人生の一大イベントなので、感情が爆発してしまったんだと思う。
「このクソガキィ!! テーブルの上に登るんじゃないよッ!!」
「うるせェぞクソババア!! 説教なンざいらねェから、さっさと俺様を教会に連れて行きやがれッ!!」
「誰がババアだってェ!? あたしゃまだまだピチピチだよォ!!」
マリアさんがトールの両足を掴んで、ジャイアントスイングで壁に叩き付けた。六十代とは思えないほどパワフルだよ。
トールは頭にたんこぶを作ったけど、顔を顰めながらもしっかりと自分の足で立ち上がる。
前世の記憶を取り戻した今だから分かるけど、この世界の人間は頑丈すぎる。大気中にプロテインが含まれていても、私は驚かない。
「アーシャっ、楽しみだね! オレたち、どんな職業を選べるのかな?」
「うーん……。私は無職かもしれないから、不安と恐怖の方が大きいよ……」
ルークスが瞳をキラキラさせながら話し掛けてきたけど、私は瞳をどんよりさせることしか出来ない。
職業選択の儀式で選べる職業は、人によってバラバラだ。無数の選択肢がある人もいれば、一つしか選べる職業がない人もいる。
一応、選択肢が一つもないという前例は確認されていないそうだけど、私が最初の一人になってもおかしくはない。何故なら、前世の私は無職だったので。
「──よし、全員集まったねぇ。それじゃ、出発するよ」
マリアさんに先導されて、私、ルークス、トールを含めた数人の孤児が、徒歩で教会へと向かう。
水路が張り巡らされている石造りの街並みは、観光名所になっても不思議じゃないほど綺麗だ。
しかし、この世界は都市間の移動に危険が付き纏うので、実際に観光客が訪れることは少ない。街の外には魔物がいるからね。
私が前世の記憶を取り戻してから、早いもので一週間が経過している。
その間に色々と試して分かったことは、私自身が呪われているということ。誰かに診断された訳じゃないけど、他者に危害を加えようとすると身体が動かなくなるんだから、呪いだとしか思えないよ。
私はこれを『攻撃不可の呪い』と命名。生物全般に攻撃出来ないので、蚊に血を吸われてもそれを見ていることしか出来ない。
つまり、私は蚊よりもヒエラルキーが低いということになる。
これは生きていく上で、かなり致命的だ。この世界では、人類の敵である魔物が幅を利かせているし、犯罪者だって多い。
そんな世の中で、誰に何をされても反撃出来ないというのは、恐怖でしかない。
「到着したよ、アーシャ」
「え、あ、うん……。ありがと」
考え事をしていた私の手をルークスが引っ張ってくれていた。
正面を向くと、節制とは無縁の煌びやかな大聖堂が視界に映る。染み一つない白を基調にして、金細工があちこちにあしらわれている建物だよ。
宗教を上手いこと利用して、お金稼ぎしているんだね……と、捻くれたことを考えているのは、きっと私だけ。他の子供たちは大なり小なり、緊張した面持ちで大聖堂を見つめている。
「子供たちの職業選択の儀式さね。通しておくれ」
「少し来るのが早かったな。今は市民の子供たちが儀式に臨んでいるんだ。今しばらく待っていろ」
マリアさんが教会の入り口を守っている聖騎士に声を掛けると、この場で待機を命じられた。
聖騎士とは、白い全身鎧を身に着けている教会お抱えの騎士様のことだよ。
彼らからすると、孤児は市民の子供ではないらしい。税金を払っている親がいないから、社会的地位が一段下がるのは分かるけど……ちょっとムカつく。
「チッ、なンで俺様たちと他のガキを分けンだよ……。ムカつくぜ……」
「トールッ!! 口が過ぎるさねッ!!」
私よりも苛立った様子のトールが不満を漏らして、すぐにマリアさんが窘めた。
兜の隙間から見える聖騎士の目が、ジロリと私たちに向けられる。その目には、汚い溝鼠でも見ているかのような嫌悪感が宿っていた。
ルークスとトール以外の孤児たちが、肩身を狭くして俯く。みんな、職業選択の儀式を楽しみにしていたのに、心が一気に冷え込んでしまった。
私たちは小汚いから、仕方ないと言えば仕方ないのかな……。前世の私だって、浮浪者みたいな人は避けていたし……。
遣る瀬無い気持ちを抱きながら待機していると、教会の扉が開け放たれて、何組もの親子が外へ出てきた。
彼らは晴れの日に相応しいお洒落をしているので、私たちの見窄らしい恰好が際立って見える。これで益々、みんなの肩身が狭くなっちゃった……。
私たちはマリアさんの誘導に従って、道を開け──いや、トールだけが仁王立ちで、道を譲らない。
マリアさんが慌ててトールを引っ張ろうとしたけど、その前に偉そうな少年が一人、トールの前で足を止めて視線をぶつけた。
「爺、この汚いのはなんだ? どうしてワタシの行く手を遮っている?」
「ニュート坊ちゃま、その者は孤児でしょう。学がない野良犬ですので、この爺の慧眼を以ってしても、何を考えているのか分かりませぬ」
執事然としたお爺さんに、ニュートと呼ばれた少年は、私たちと同い年だと思う。第一印象は、歳不相応に冷静沈着な眼鏡男子。
彼の背中まで伸びている髪はアイスブルーで、生活環境に恵まれていることが窺えるほど艶々だ。怜悧な瞳は灰色で、虫けらでも見るような眼差しをトールに向けている。
色白な肌を包む衣服は、市民の子供たちと比べても数段上で、上質なシルク生地が使われていた。
「まさか、貴族……?」
私がぽつりと漏らした言葉を誰も否定してくれない。マリアさんはこの世の終わりに直面したかのように、絶望しながら頭を抱えている。
貴族が喋っているときは、口を挟んではいけない。そんな常識でもあるのか、この場の誰もが恐々と静観中だ。
「野良犬。人間の言葉が理解出来るのなら、今すぐに失せろ」
ニュート様が温度を感じさせない声色で、淡々とトールに命令した。
「…………」
トールはだんまりを決め込んで、その場から動かない。それどころか、好戦的な目でニュート様を睨み付けている。
眩暈がするほど信じ難いことに、反骨精神剥き出しだね……。
「ふむ、では試すか」
ニュート様は腰に佩いている細剣の柄に、そっと手を掛けた。殺意も悪意も感じられない。ただ、私の頭の中で警鐘が鳴っている。このままだと、トールが死んじゃうよ。
しかし──
「それはやめて欲しい」
「……貴様は誰だ? いつの間に、ワタシの横に立った?」
本当にいつの間にか、ルークスがニュート様の手を押さえて、剣が抜けないようにしていた。
影が薄いから、誰も気付いていなかったみたい。直前まで手を握られていた私ですら、全く気付けなかったよ。
「オレはルークス。いつの間にって言われても、普通に駆け寄ったんだ」
「駆け寄った、だと……? 忍び寄ったのではなく……?」
「うん、駆け寄った。嘘じゃないよ」
ニュート様が訝しげにルークスを睨んでいるけど、ルークスの真っ直ぐな眼差しに虚偽は感じられなかったのか、フンと鼻を鳴らして目を逸らした。
ルークスが地味なのか凄いのか良く分からない技術を披露して、場の雰囲気に空白が生まれたところで、マリアさんがルークスとトールを無理やり下がらせる。
「……行くぞ、爺」
「畏まりました、坊ちゃま」
ニュート様は去り際に、ちらりとルークスを一瞥した。その怜悧な瞳の奥に、僅かな闘志を覗かせて……。
戦々恐々と事の成り行きを見守っていた市民の親子たちが、足早に立ち去っていく。
「──ったく、この馬鹿ガキどもッ!! こっちはただでさえ老い先短いってのに、寿命が縮まったさね!!」
マリアさんはルークスとトールを怒鳴り付けながらも、皺くちゃな手で二人の頭を乱暴に撫で回している。
トールには拳骨を落とした方がいいと思うんだけど……。はぁ、私の寿命も縮まっちゃった。
「……ルークス。テメェ、二度と余計な真似すンじゃねェぞ」
「余計な真似はお互い様だから、約束は出来ないよ」
トールが殺人鬼を彷彿とさせる目付きをしながら、底冷えする声でルークスに文句を言った。けど、ルークスは芯のある声で言い返したよ。
私はトールの物言いにカチンときて、ルークスの背中に隠れながら説教をする。
「トールはルークスに感謝しないと駄目っ! そもそも、どうしてあんな真似したの? 権力者って怖いんだよ? 長いものには巻かれて生きなきゃ、長生き出来ないんだから!」
「うるせェ!! こそこそ隠れながら説教すンなッ!!」
トールは肩を怒らせながら、ズンズン歩いて教会の中に入っていく。
引率のマリアさんは慌てて他の子供たちを引き連れ、彼の後を追った。
「あのね、アーシャ。トールは我慢出来なかったんだよ。路傍の石ころみたいに、隅っこで縮こまる自分が──自分たちが」
私の隣を歩いているルークスが、綺麗な眼差しをトールの背中に向けながら、彼の気持ちを代弁した。
「トールの気持ちが分かるってことは、ルークスもそう思ったの?」
「うん、思ったよ。でも、オレは退いちゃった……。トールは本当に凄いや」
ルークスは純粋に、トールを称賛している。正直、私には意味が分からない。
「全然凄くないよ、危ないでしょ。あそこは退くのが絶対に正しい。だって、道を塞いでも意味なんてないし、あんなのただの馬鹿だよ」
「アーシャ、それは違う。意味ならあるんだ」
私が言い募ると、ルークスは私の目を真っ直ぐ見つめて、力強い口調で断言した。……聞き返すのが、少し怖くなる。
「い、意味って、どんな……?」
「惨めにならない。それが、トールの行動の意味だよ」
つまり、誇りを大事にしたってこと? 何それ、馬鹿げてる。
それは、アラサーになっても親の脛を齧っていた私には、到底理解出来ない気持ちだった。
……理解、出来ないけど、なんだか眩しい。
私は目を細めながら、漠然と予感する。ルークスとトールは、きっと早死にしちゃうって。
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