12
アンナが戻ってきたとカエデから電話で知らされ、任務はもう少しで開始というところだった。あと数週間で『古い雨』が終わり、『新しい雨』が始まる。奇しくも雨転祭が始まる頃合いに、任務が開始されることになる。いや、初めからそのつもりだったのか。
雨が降っている。だが音はしない。都には時々、こういう音がしない雨が降る。
私はとある骨董品屋の前で立ち止まり、ショーウィンドウの曇りを眺めているようないないような眼で見つめていて、考え事をしていた。
アンナは今頃、手順をシミュレートしている筈だ。舞踏会場に資産家の娘として潜入、標的に近づき、誘惑する。男のスキャンダルが詰まったデータを男の携帯から入手した後、自殺を装って暗殺する。だが、最近になって追加された事項があった。
暗殺は私達に任せる、というオプションだ。
私達というのは勿論、アンナ以外の隊員のことだが、任務内容の途中の変更は、異例のことだった。アンナに任せられない事情が生じたということだろうか。
いや、単純に、アンナに暗殺を期待できなくなった、というだけのことかもしれない。いずれにせよ、私を含めた隊員たちは、命じられた通りのことをやるだけだ。いつものように、粛々とつつがなく。
青色の新しい傘をさし、軒下から出て歩き始める。古びた腕時計の反射する光の奥に、眼に蔑視の色を浮かべた店主の姿が見えた。目が合ってしまう前に、私は店の前から消えた。
雨転祭を前にして、都は興奮の色に染まりつつある。先程から色とりどりの洒落た傘が通り過ぎてゆき、街の中央部に近づくにつれて、催しのための建物を造る小気味の良い金槌の音が響いてくる。私には縁のない催しの筈なのに、金槌の音を聞くだけで、自然と自分の心が湧き立ってしまっているのが分かる。それを不自然なことだと感じながら。
傘を雨が打つ音を聞きながら、当日アンナが潜入する舞踏会場の前まで来る。舞踏場は閑静な雰囲気を纏いながら、音一つ発することはなく、静かに降り注ぐ雨の中、孤独に佇み続けていた。私はその姿を見ながら、何故か深い悲しみのような感情を覚えるのを感じた。それをどう言い表したらいいのか、その時の私には分からなかった。
私は舞踏場から踵を返し、歩き始めた。足はアジトへと向かっていた。
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