死者の声
上級悪霊レイスは人語を解する。
だが、それが生者にとって益になったことはただの一度もない。
それは冒険者をやっていれば必ず聞く話だ。
もしもそんな例があれば「無害なレイス」は魔術研究者たちにとって最高の研究対象となるであろうし、人を利する非実体存在なんて役立つ場面はいくらでも思いつく。
だがそんなものは誰も知らない。人はおろか、もっと記憶も記録もよく残るエルフたちの長い歴史上ですら、誰も。
それが答えだ。
……だが。
それでも。
『……そっか……ここにいたんだぁ……♥』
若い娘であること以外はわからないレイスの声が。
あまりにも不明瞭なその声が。瘴気の中でディテールのわからないその顔が。
……愛しい
違う、ここはハルドアじゃない。僕の故郷なんかじゃないんだ。こんなところに妹がさまよっているものか。
……僕がここにいるのに?
僕が歩いて旅した年月と同じだけさまよい続けていたなら、同じだけ遠い場所に彼女の魂が来れない理由があるか?
いや、気をしっかり持て。
そんなに珍しい死に方じゃないはずだ。他にも妹の友達も、何人も同じ死に方をしていただろう。
あのゼメカイトから離れる時に出会った、冒険者カイのパーティ……彼らの中で逃げ遅れて死んだ治癒師の青年だって、同じようにはらわたを食われて死んでいたじゃないか。
人の、そしてほとんどあらゆる動物が一番無防備な肉がはらわただ。肉食獣はそこから喰う。
そんな死に方、珍しくなんかないんだ。
こんなものに動揺するな。
僕の迷いと奮起に反応して、まるで痙攣するように剣先が跳ねる。
幾度も幾度も強引に全身に緊張を呼び戻そうとして、それでも僕の人生のほとんどすべての理由だった妹との再会かもしれない、という有り得ない可能性に力が抜けかかり、僕は動けずにいる。
まやかしだ。向こうは僕のことなんか知らない。
ユーカさんの言葉を聞いて、狡猾にも利用しようとしているだけだ。
僕の動揺を……。
『うふふふ』
『いたぁ……♥』
『みつけた……』
『また会えた……♥』
濃密な瘴気の中から、不意にレイスがさらに姿を現す。
はらわたのない娘が何人も。
僕を取り囲み、迫る。
「君たちは……っ」
違う。違う!
こんなの真似しているだけだ。「はらわたのない女」が僕の弱点だと知って擬態しているだけだ。
いや、待て。
レイスはそんな能力……あるか?
相手に合わせて姿を変えるのか?
レイスはそんなことできないなら……もしかしたら本当に……?
「う……ううっ……!!」
迫る。
亡者たちが。
僕に手を伸ばして、思慕と憎悪と怨恨を僕に向けて……それも当たり前か、だって僕は彼女たちをもしかしたら救えたのに……。
冒険者になったらこんなに強くなったのに。
強くなる決意がたった一年かそこら早ければ、彼女たちは死なずに済んだかもしれないのに……それは叶わなかったんだから。
恨まれて、仲間にしようと思われても、当然……。
「馬っっ鹿野郎!!!!」
瞬間、ユーカさんの怒声が響き渡り、僕は誘引されかけていた精神をハッと持ち直す。
そして、ユーカさんはナイフにわずかに魔力を宿してレイスたちに振り回し、追い払おうとするが……。
『邪魔をするな』
『うるさい』
『あなたはいらないの』
効かない。
今のユーカさんの力では、多少魔力を込めるだけでも時間がかかる。
非実体に充分な攻撃力を持つほど溜めていたら、僕は手遅れになっていただろうが……僅かな時間しかかけていないそれでは、レイスの像をわずかにかき乱すのが精いっぱいだ。
しかし、それでも。
レイスへの恐怖感か、あるいは戦えていない悔しさからか、涙目になりながらユーカさんはナイフを振り回す。
「しっかりしろアイン! こいつらはモンスターだ! お前もアタシもこいつらの食い物だぞ!」
「……っ……ゆ、ユー」
「お前は! そんなもんでいいのかよ!! そんなのに負けるような冒険者が! お前がここまで来た結果かよ!!」
歯を食いしばりながら。
レイスたちの腕に薙ぎ払われながら。
ユーカさんはそれでも立ち上がり……叫び。
「アタシを守るんだろう!!?」
涙目に、薄紫の光が宿り始める。
「っ……!!」
僕は目をつぶって頭を振り、思い切ってメガネを外してユーカさんの方に投げた。
「ユー、持ってて!」
「アイン!」
「……僕の大切な人は、お前らじゃない……!!」
もう、まやかしは見ない。
ユーカさんの“邪神殺し”が発動しかけている。
あれの条件は「何十回も殴れる相手との戦いである種の境地に達すること」のはずだ。
どうやら、それは攻撃が効かないせい、というのでもいいらしい。
……そして、それが発動するとユーカさんは人間のポテンシャルを超えた戦いを始めてしまう。
ここからレイス相手にどんな戦いになるのか、想像はつかないけれど……それはユーカさん自身を傷つけることに他ならない。
僕の弱さのせいでそんなものを使わせるわけにはいかない。
だから。
もし君が、僕の妹でも。
妹の友人たちの、なれの果てでも。
「終わらせよう。僕はそのために来た!」
剣に魔力を改めて込める。
すぐに満杯になり、うっすらと魔力光が瘴気の霧を照らし、闇を追い払う。
そして、その剣を思い切り振るい、レイスたちをまとめて薙ぎ払う。
『いやああああっ』
『なんで……なんで、またあえたのに』
『やめてよぉ! やめてよぉ!』
良心を刺激するレイスたちの悲鳴に、僕は耳を貸さない。
あえて心を冷やす。
もうぼんやりとしか見えないレイスが、どんな姿をしているかなんて関係ない。
いつもと同じ。モンスターを殺す。それだけだ。
気づけば瘴気はだいぶ薄くなっていた。
「アイン! アイン、そろそろ落ち着け!」
そして気づくとアーバインさんが短剣で僕の剣を受け止めていた。
「あ、あれ……アーバインさん、もしかして斬りかかっちゃってました?」
「メガネないお前に戦わすとマジで危ないのがよくわかったよ……ほら、ユーカ」
「アイン、しゃがめ。メガネかけてやるから」
ユーカさんに引っ張られてしゃがまされ、顔にメガネをかけられる。視界が戻った。
ユーカさんはもう薄紫の目をしていない。
無茶はさせないで済んだようだ。
「……これで全部ですかね」
「ああ……一応一周してきたから、もういないと思うぜ。瘴気はまだしばらく残るだろうけど」
「こういうのってどれくらい残るんでしょう」
「まあ経験上、一日経てば気にならなくなると思うが。……ま、とにかく片付いた。すぐ帰ればまだ昼前だ。クロードたちの見物は間に合いそうだぜ」
「……アーバイン、もうこういうの受けるなよな。アインはまだガキなんだから、ああいうタチ悪いのはダメだ。お前みたいに物事割り切れねーんだ」
「割り切るとかじゃないと思うけどなぁ……まあ、悪かったよ。次はもっとわかりやすいのにする」
ガキって言われるほどじゃないと思うけど、まあ惑わされかけたのは事実なので黙っている。
僕の心が大人になったら、もうああいうのにも迷わないんだろうか。
……わからない。
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