トロール

 僕を見つけて立ち上がるトロール。

 灰色の巨体にやけに長い腕が目に付く。

 頭は四角く小さい。表情はない、というか、おそらく顔に人間と同じだけの表情を作る筋肉がないんじゃないかと思う。

 そして、頭を掻いていた時には巨体相応の動きの重さを感じたのに、立ち上がる動きにはそこまでの遅さを感じなかったのが少し気になる。

 ……これは、遅いから楽勝、とか思っていたらいけないかもしれないな。

 ちなみにトロールは知識としては知っているが戦ったことはない。

 ゼメカイトの頃の僕には戦う手段すらない。

 あのナマクラではきっと斬りかかったとしても、骨のない部分を斬り抜くことすら難しかったろうし、この巨人に蹴られるのも踏まれるのも、叩かれるのも全部致命傷だろう。

 まあ、攻撃されたらヤバいという点に関しては今もそんなに変わらないけど。いくら鎧が良くなったって、あまりスケールの大きい攻撃に耐えるのは難しい。

 一方、攻撃手段は今はある。もちろん「オーバースラッシュ」だ。

 あの大きさの的に当てるのは決して難しい話ではないだろうし、いくらこの巨人が大きく重いといっても、あの温泉地の岩より硬いとは思えない。

 当てることができれば勝てる。……だが。

「……ちょっと楽観し過ぎたかな」

 ズシン、ズシン、とこちらに近づき始めたトロールの動きを見て、呟く。

 思ったより動きが軽い。

 あんな大きさなのだからさぞかし動きが悪いのだろうと思っていたが、どうもそうでもない感じがする。

 こちらに向かう歩行速度は見た目決して早くないのだが、それは人間と同じスケールならば、の話であって、実際に距離数十メートルまで迫ってみると、あれって普通に人間が走る速度より速く動いているな、とわかる。

 そして、推測するに、別にそれは全速ではない。

 ……この距離で感じる「あと数歩でこちらに攻撃ができる」という圧力、そして「動きにまだ余力がある」という事実。

 そして今さら思い出す「オーバースラッシュ」の射程は数十メートルしかない、という制限。

 奴は数歩で射程から逃れることができる。

 つまり、相手がこちらの一撃を見切ることが出来たら……回避する判断ができるなら、決して「簡単な的」ではない。

「参ったな……」

 焦って「見せる」のは厳禁だ。

 しかし、ウダウダしていては相手に攻撃させてしまう。それに耐えて戦い続けるのは現実的ではない。

 意外と厳しい判断だぞ。

 ……幸い昼間だ。斬撃の魔力光は、無属性なら見づらいはずだ。

 僕は魔導石をいじって属性を合わせる。雷から無属性へ。

 今回の場合、炎の出番はないだろう。敵に突き刺して爆破するという戦い方なら頼れる属性だが、無属性の視認性の低さ、雷属性の感電効果の方が今は有効だ。

 三属性切り替えにしてくれたリリエイラさんの技術に、今は感謝だな。

「……さて、勝負しようか」

 ルオオオオ……!! と、名状しがたい響きの声を上げながら、トロールが僕に対する突進速度を上げる。

 やっぱり、速い。あの巨体で跳ねるように駆けている。

 8メートル、ということは人間の四倍の大きさ。

 いや、確かこういうのって掛け算なんだよな。縦横奥行き、三回掛けると実際の体積の差、というか重量の差になると聞いたことがある。

 算術は苦手だけど、その程度なら一応計算できる。

 4×4×4、というと、64。

 ざっと人間に対して64倍の重量が推定値。腕が長い変な体型だからもうちょっと上がるかもしれないけど。

 2メートルくらいの巨体の人はさほど太ってなくとも100キロは超えるから……ざっと7000キロくらいかな?

 まあ、それにぶつかられたらどういう当たりでも死ぬな。

「アインさん! 何してるんですか、攻撃を!」

 僕が間合いを見計らいつつ剣を脇構えにして、かわされず、攻撃がギリギリ飛んでこない距離に近づく瞬間を待っているのを、後ろで見ていたクロードは理解できなかったらしい。

 そのあとすぐ「むぐっ」という声がしたのでおそらくユーカさんが黙らせたのだろう。だが「敵が他にもいる」とトロールの注意が逸れた。

 難しい判断だったが、この瞬間しかない。まだ少し距離が足りないが、それは踏み込みで補う。

「オーバースプラッシュ!!」

 突進をわずかに緩め、視線を僕の背後にやったトロールに、あえて突撃しながら剣を振り回し、斬撃を飛ばす。

 だいぶ「六割」も慣れてきた。今なら、完全に腕の限界速度での振り回しに魔力コントロールを合わせられる。

 スカされたら一気に攻め手が減るが、出し惜しみをするより回避難度を上げることを選ぶ。

 縦、横、斜め、高く低く、右に左に。

 およそ簡単な体捌きではどう動いても当たるように、密度の高い斬撃を数十も飛ばす。

 これで駄目ならあとは格闘戦だ。まだ雷属性という奥の手はある。相手の虚をつくという意味では「ゲイルディバイダー」の突進もいける。

 それで駄目なら……ちょっとあれだけど、アーバインさん待ちかな。飛び道具で粘れば捕まらずに時間稼ぎはできるはずだし。

 と、少し先の展開を考えつつも放った大技は……。


「ルオ……グャエ!!!」


 無事、着弾。

 水竜アクアドラゴンには少々効き目が悪かったので、どれだけ効くかと少し心配もあったが、岩を断つ威力はトロールの体構造では減衰できなかったようで、見事に五体が細切れになって飛び散り、ズドドドンッとそこらに落ちて重い音を立てる。

 いや、斬撃の余波でそこらの木や岩もだいぶ斬れちゃったんだけど……まあ、まともにトロールとやりあったらこんなものじゃ済まないし、別に誰も怒りはしないだろう。

 ……まさかパーツ単位になってまで何かしてくることはないだろうけど、一応警戒してしばらく様子見をしつつ。

「終わったよ」

「おー。今回は簡単だったな」

「ちょっとだけ相手の動きの良さが想定外だったけど。ま、うまくいったね」

 ユーカさんは上機嫌で出てきて惨状を眺める。

 そしてクロードも少し遅れて近づき……縮こまった体で僕を見上げて。

「斬空……こ、こんなに乱射ができるんですか……どうやって……!?」

「いや、ただ撃てるだけ」

「こいつ武器への魔力注入に関してはアタシが知ってる冒険者の中でも最速だぞ。最速というか他と競争の次元じゃねーぐらい早いぞ。さっきのやつでも魔力充填速度は全然余裕のはずだし。な?」

「……まあ、威力出すために抑えてはいるね」

 クロードは完全に怪物を見る目になった。

「だからあんまり調子こいてナメたこと言うんじゃねーぞ? 人間相手にチャンチャンバラバラならお前は上手いかもしれねーけど、こいつは間違いなくアタシ以上になる奴だからな?」

「……それはどうかなあ?」

 ユーカさん以上になる。あの“邪神殺し”を超える。

 本当にできるのかなあ、と苦笑しつつ剣を納める。

 ……と、空に異物が飛んでいるのに気づく。

「あれは……」

「……アーバイン、やっぱしくじったか?」

「僕たちが順調過ぎただけってとこもあると思う」

 グリフォン。

 どういう理由か、このトロールと仲良く縄張りを分け合っていたらしいモンスター。

 ……それが、どうやら僕たちに狙いを定めたようだ。

「二人とも、隠れ場所探して……いや、間に合わないか。僕の後ろに」

「おう」

「は、はい」


 空の殺意は、舞い降りてきた。

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