不可能を殺すもの

「それがどういう理屈なのかは誰も知らない。俺たちも、おそらくユーカ自身も」


 月下。

 巨獣の上の少女が、山のような巨躯を相手にするには哀れなほど小さなナイフを手に、笑う。

 その瞳には薄紫の光。

 蛍のようにか細く、しかしそれを見てしまったものの心にどうしようもない不安を刻み付ける光。


「技なのか、魔術なのか。才能なのか、呪いなのか。……案外、あいつには本当に『神』でも憑いてるのかもしれない。ただ言えるのは、あれが本当の……」


 振り上げたナイフを、水竜アクアドラゴンの背に振り下ろす。

 まるで犬猫に乗った虫のようなスケールの振り下ろしは、痛打になるようには全く見えないけれど……しかし。

 水竜アクアドラゴンは、それを受けた瞬間、四つ足の膝を砕けさせて伏し、地に巨体を墜とす。

 ズゥン、と港が揺れる。


「“邪神殺し”だ」


 その背で再び、赤い髪の小さな少女がナイフを振り上げ、逆手に持ち替えて、大きく殴りつけるように振るう。

 起き上がれてすらいない水竜アクアドラゴンの巨体が、斬撃の重さに軋む。

 そんなバカな、としか言いようがない。

 だが目の前でそれは起きている。

 あの140センチあるかないかの少女の攻撃が、50メートルの巨大モンスターを叩き伏せている。

「何が……何なんですか、あれは……」

 僕の呟きに、アーバインさんは答えともつかない言葉を返す。

「ああなったユーカには誰も勝てない。一発目が効かないなら二発目、二発目で殺せないなら三発目……今のあいつの攻撃は例外なく、際限なく威力を増していく。馬鹿げてる。だけど現実だ」

 僕も。

 近くにいるファーニィも、決死の覚悟を決めて槍を握った騎士たちも、ミリィさんも。

 それぞれ、絶句してこの光景を見ている。

 水竜アクアドラゴンは痛撃を受けながらも果敢に動きユーカさんを振り落とそうとする。

 だがユーカさんはその動きを読み、跳ね飛ばされかけながら、宙返りとともにさらなる一撃を打ち込む。

 その一撃がまたも竜に悲鳴を上げさせ、地が揺れる。

「ユーカに言わせりゃ、今のアレだってワザの延長だ。確かに魔力は攻撃の重さを変える。子供ガキでもうまくやりゃ牛をノビさせることもできる……呼吸を磨いて一瞬に集中する動きを極めれば、大人の何倍もの力を出すこともできる。だけどあんなの無茶だろ、どう考えても」

「……ええ」

「だけどユーカはやるんだよ。できちまうんだよ。あいつができるっつったら神だって殺すんだ。……“邪神殺し”は、邪神を殺したっていう実績の名前じゃねえ。アレのことだ。……技でも魔法でもない、全部の理屈をねじ伏せて現れるアレが、不可能を殺すんだ」

 アーバインさんの目に浮かぶ感情は複雑だ。

 憧れるような、恐れるような、哀れむような、忌むような。

「アイン、何ボケッとしてやがる。続けるぞ」

「えっ……」

「アレが出た以上、この戦いはユーカが勝つ。だけど決まってるのはそれだけだ。ああいうデカブツはしぶといんだ。援護しなきゃ、いつまで長引くかわからねえ。あのタイマンをそのままほっといたら被害もどんどん広がっちまうぞ」

「……わ、わかりました」

 あの小さなユーカさんが、全く理解の外の理屈を駆使して、ドラゴンを狩る。

 その非現実的な光景に圧倒され、完全に手も足も止まっていた。

 しかし僕たちだって……僕だって、あの水竜アクアドラゴンに通じる攻撃はある。

 なのにユーカさんがこのまま勝つのを待つだけでいいわけがない。

 僕たちは「仲間」なんだ。助け合うために集まったんだ。

 言っているアーバインさんでさえ理屈の分かっていない“邪神殺し”というなにかに寄りかかって、ユーカさん一人に全部押し付けるわけにはいくもんか。

「あの塞がってない傷痕ならっ……オーバーピアース!!」

 再び水竜アクアドラゴンに近づき、中距離技で攻撃を加える。

 再生と言ってもそんなに一気に傷が元に戻るわけではない。その速度はゆっくりとしたもので、決してキリのない勝負ではない。

「ゲイルディバイダー」で穴を空けた今なら、通る。

「もう一丁……」

「っ、馬鹿、足を止めんな!」

 アーバインさんが叫ぶ。

 ハッと顔を上げると、いったんはユーカさんに注目していた水竜アクアドラゴンの首は、痛いところをさらにつついた僕に明らかに狙いを変えている。

 そして、ユーカさんに食いつこうと上げていた首を横薙ぎにして、僕を撥ねようと勢いをつける。

 ……やばい、二歩や三歩じゃ攻撃圏から出られない……!


「ふんぬ!!」


 首が振るわれる寸前、ドカン、と空から降ってきた何かがその頭を地面に叩きつける。

 至近距離だったので衝撃で僕も体が浮き、倒れてしまうが……慌てて起きると、降ってきたそれはシュウシュウと湯気を立てる銀色の全身鎧だった。

「フルプレさん!?」

「いかにも!! ……吾輩の渾身の初撃を卑劣にも避けおって!! 許さん!!」

 湖底に沈んだはずのフルプレさんが、なんらかの手段を使って生還したらしい。

 さすがというか……でもそれは八つ当たりだと思う。

 そして弓で僕と同じ傷に追撃を加えながらアーバインさんがヤジを飛ばす。

「いきなり頭狙ってっからだよ馬鹿! あんな体当たりすんなら胴体に当てろや!」

「どこに当てようと吾輩の勝手だ!」

「当てられてねーからあんなコントみてーな無様晒すんだろ!?」

「過ぎたことを、言うな!」

 フルプレさんは鎧全体を光らせながら、巨大な頭を踏み台に空中高く飛び、まっすぐに落下。

 いや、落下中に何か魔導具を使ったようで、一瞬赤い光を放って加速降下パワーダイブ


垂直バーティカル……フルプレキャノン!」


 ズドォン!!


 再び地面が大きく震える。石畳が浮き、近くの小屋が数軒崩れる。

 今度こそ頭に直撃した「フルプレキャノン」は、鎧全部に長時間「パワーストライク」状態を維持できる彼の大魔力を活用した「最強防御による必殺攻撃」。

 これが効かなきゃ嘘だろう。

 さしもの水竜アクアドラゴンもこれはだいぶ効いたようで、顔じゅうの穴から血を噴いて脱力。

「やった……!?」

「目を回してるだけだ! 油断すんな!」

 アーバインさんのアドバイスに素直に従い、僕は身構えつつも再び剣に魔力を込める。

 そして水竜アクアドラゴンの背中では、ユーカさんの攻撃がエスカレートを続けている。

「おりゃっ!!」

 ただのナイフ。小さな肉体。

 しかし、それが振るわれる時、もはや地に伸びた竜の肉体にフルプレキャノンと互角以上の衝撃が響く。

 背骨が折れる。

 血が間欠泉のように吹き上がる。

 その凄惨な光景の中で、相変わらず薄紫に光る双眸だけがいやに目立つ。

「……くそ、まだ足りねえ……誰か、武器よこせ! ナイフじゃラチあかねー!」

「…………っ」

 ユーカさんの声に、しかし今応えられるのは……。

 近くに騎士はいない。さっきまではいたが、幾度かの衝撃ですっかり腰を抜かし、仲間と引きずり合って数十メートルも先に撤退している。

 アーバインさん、そしてファーニィは近くにいるが、持っているのは弓。

 フルプレさんは鎧だけ。現場到着した時には持っていたかもしれないが、湖底脱出してここに降ってきた時には、もう潔くフルプレキャノンだけで戦う腹積もりになっていたようだった。

 ……つまり、渡せるのは僕の剣だけだ。

 いや。

 僕の剣を渡せるということは……今の「溜め」に時間のかかるユーカさんに、フルパワーの剣が渡るということでもある。

 それなら、すぐに片がつくかもしれない。

「……ユー!!」

 僕は剣を投げ上げる。

 これで僕は役立たずだが……ユーカさんなら。

 あの圧倒的な“邪神殺し”なら。


「サンキュ! ……ありがてえ、こいつなら……!!」

 ユーカさんは器用に空中キャッチし、大上段に振り上げる。

 その眼の薄紫が、ひときわ輝く。


 頼もしいはずなのに、意味も解らず恐ろしい。

 どこが不安を掻き立てられる色の光が、僕の剣のオレンジの光にかき消される。

 小さな体ごと縦回転して、剣から僕の込めた魔力が解放される。

「死、っねぇぇぇぇぇ!!!」

 野蛮な叫びが夜明け前の港に響く。

 同じ剣、同じ僕の魔力とは思えないほどの獰猛な一撃が、水竜アクアドラゴンの背から腹まで、巨大な杭のように貫通して、炸裂する。


 爆発。


「ユー!?」

 ユーカさんは反動で空を飛んでいた。

 ……というか、意識もスッ飛んでる感じだ。両手足に力が入ってない。

「ぬうっ、任せろ!!」

 フルプレさんが跳ぶ。

 いや待って。そのゴツい鎧でその勢いでぶつかったら大変なことになる……!

 わかってるよね!? 何か考えてるよね!?

 ……ゴリラユーカさんなら耐えられただろうからって何も考えてないなんてオチじゃないよね!?

 焦る僕の背後から、頼もしい声。

「任せません!!」

 ファーニィの叫び、そして小声での詠唱。

「……ウインドダンス!!」

 ブオオッとユーカさんの落下予想地点付近に竜巻みたいな上昇気流発生。

 ユーカさんはそれに煽られてフワリと舞い上がり……フルプレさんはその下あたりを通過して遠くまで飛んでいく。

「な、何をするかー……」

 水柱。

 ……まあ、戻ってこれるのはわかったから、とりあえずほっとこうか。

「……アイン様、受け止めにいって! 風だけじゃ意識ない人の軟着陸は無理です!」

「りょっ、了解!」

 僕は慌てて上昇気流の根元に駆け込み、人形みたいに弄ばれているユーカさんをキャッチ。

 ほっと一息。

 ……さ、さすがにもう動かないよな?

 と、巨獣を振り返ると……体を貫通する大穴の開いたドラゴンは、それでもこちらにギラリと視線を動かし。


「…………」


 そこまでが限界だったようで、そのまま目を見開いて、動かなくなった。

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