夜明けの遺跡で
いくらマード翁の腕がいいと言っても、もちろん死んだら終わりだ。治癒術は死者を蘇らせることはない。
だから、敵に致死の攻撃力があるかもしれない、と思える限りは、きっちり倒すまで気を抜いてはいけないはずだった。
ゴーレムはまともな生き物ではない、というのも知識としてだけは知っていた。
普通の生き物なら、例え急所でなかったとしても、胴体を真っ二つにされたら出血多量で死ぬ。だが、ゴーレムに血なんか通ってない。
どんな深い損傷を負っても、中核部品を破壊しなければ動くことはある。
そう、今この場合のように、だ。
……せめて腰を落として身構えていれば、無防備に釘付けにされることなく逃れられていたかもしれない。
剣を鞘に納めていなければ、「パワーストライク」状態のままで抵抗ができたはずだ。
なのに、とんだ油断をした。
マード翁が味方にいることを過信し、敵を侮った。褒められて浮かれた。
元をただせば僕なんかが「遺跡」に足を踏み入れること自体、無謀なことなのだ。なのに、常に持ち続けるべきだった緊張感を手放してしまった。
……だから、死ぬ。
「ぐ……う……」
なんだ。当然の報いだ。
僕は呻きながらも納得して、肋骨にめり込み続けるゴーレムの胸甲の痛みと、死の恐怖を受け入れる。
痛くて苦しくて、理不尽な出来事。
それを当然のことだと納得することで、僕は死と向き合う精神に立ち戻る。
死までに残された猶予はほんのわずか。その間に少しでも、あの冷たい状態に戻り、渡り合うんだ。
「……なるほどのう」
マード翁の妙にのんびりした声が、ライトゴーレムの向こうから響く。
そして、圧力がスッと軽くなり……僕はずるりと滑って壁際に尻もちをつき、何が起きたかを理解する。
マード翁がヒゲを片手でいじりながら、もう片方の手で無造作にライトゴーレムを掴み、力任せに剥がしてくれたのだ。
「な……何、て……」
何にマード翁は「なるほど」と言ったのか。
油断したとはいえ、成人男子を壁まで叩きつけて拘束したライトゴーレムの推進力を片手で剥がせるものなのか。
自分でもどちらに対する疑問を口にしたのかよくわからないまま、筋骨隆々に変身した老人の雄姿を見上げる。
「若いの。……そういうのはいかんぞい」
「え……」
「ほりゃっ」
半分になったとはいえまだ巨大なライトゴーレムの上半身を、マード翁は軽い調子で地面に叩きつけ、叩きつけ、投げつける。
耳障りな破壊音を幾度も奏でながら、ライトゴーレムは人型を失って転がる。
……そしてマード翁は僕の体にそっと手を当てて、治癒の力を注ぎ込み、静かに見下ろす。
憐れむような視線。
「褒められた面構えじゃあない。……お前さん、追い詰められることに頼っとるな?」
「……!」
マード翁の指摘に、胸の奥が変な音を立てる。
……そして、この変な老人が本当にただの変な老人ではない、ということを今さら理解する。
「どういうことだよ、マード」
「なに、若い奴にはよくあることじゃよ。大したことではない」
マード翁はそう言って微笑み、僕に手を貸して立ち上がらせる。
「とりあえず、じっくり喋るのは酒の席までお預けじゃな。……なに、ミスはよくある。今は気にするな。そのために
「……はい」
マード翁のやたらごつい手に背中を叩かれて、僕はよろけながら頷く。
遺跡は大小いくつもの建造物を集合させた小都市といった風情だった。
材質も規模も、今の人間の作る建造物とは比較にならない。
モンスターがいることを差し引いても、とてもじゃないが一日や二日で調べ尽くせる大きさではなかった。
「どこまで入り込んでるんじゃろうな。他人の踏みあとを追うのは久々じゃから変な気分じゃ」
「最近はアタシら自身が初調査って遺跡ばっかだったもんなー」
マード翁とユーカさんは散歩みたいな調子で進む。その後ろからついていく僕とファーニィは、先ほどのライトゴーレムの件もあってそこまで気楽にはなれない。
「テンタクラーとかサーペントが多いって言ってましたよね……アイン様、戦ったことあります?」
「テンタクラーは一応……サーペントはないな。噂しか聞いたことない」
ダンジョン以外では自然洞窟などのジメッとしたところに生息し、待ち伏せで獲物を狙うモンスターだ。
本体の移動能力は低いので飛び道具使いがいれば戦うのは難しくないのだけど、思わぬところに潜んでいるので近づかずに発見するのがまた結構難しい。
そして初撃をうっかり生身に受けると麻痺させられる危険が高く、治癒師がそれに対処できなければ全滅も有り得る、嫌なモンスターだ。
そしてサーペントは蛇型モンスターの総称。ちょっと大きいだけの蛇から、体長数十メートルの怪獣まで全部サーペントと呼ばれている。学者は細かく種類を分けているらしいけど冒険者はそんなに気にしていない。
テンタクラーとサーペント、両者に共通するのは、狭いところが得意だということ。
もちろん小さい個体なら当たり前なのだけど、それなりに大きい個体でも狭いところで攻撃に支障が少なく、自在に戦えるという意味では、ダンジョンや遺跡向きのモンスターといえる。
そして、マード翁はそれらに全く脅威を感じていないらしい。
「む?」
しゅるん、と通路の角から伸びた触手がマード翁を捉える。
普通の冒険者ならこの時点で大騒ぎだ。大げさでなく、騒がないと周りも危ない。
が、マード翁はその触手を無造作に掴むと、縄を手繰るようにぐいぐい引っ張って本体を辿ってしまう。
普通は素手で触れば麻痺毒でアウトだ。が、マード翁は毒も麻痺も自己治癒で常に浄化しているので無視。
で、ちょっとした麻袋みたいなサイズの本体を見つけると、伸びている触手をブチブチと全部千切ってから足を振り上げて、全力キック。
変な汁を撒き散らしながらテンタクラーは遥か彼方まで飛んでいく。
「お手々が汚れちゃうからテンタクラーは好かんのう」
「お前が千切った触手めっちゃ動いてるけど、なんとかなんねーか」
「小僧の剣で細かくすりゃええじゃろ」
僕に丸投げされたので、仕方なく「オーバースラッシュ」でさくさくと分割し、のたうってもあまり支障のない大きさにする。
火属性の「オーバースラッシュ」はやたらと明るく光るので見た目にわかりやすい。読まれる危険も段違いだから、なんとか使い方を考えないとな、と思いつつ剣を収める。
「……めちゃくちゃお手軽に必殺技みたいなの出したぞあいつ。なんじゃあれ」
「だから言っただろ。あいつあれだけは世界一だぞ絶対」
ここまで超人そのものの所業を繰り返しているくせに、今更変なところに驚くマード翁に愛想笑いしておく。
空がうっすらと明るくなるころに、ようやく冒険者たちの痕跡を見つける。
というか、一人死んでいた。
「黒焦げだな」
ユーカさんが口をへの字にしながら眺め、周りを見る。
マード翁はその死体に念のため治癒を施すが、全く変化がない。
間違いなく死んでいた。
「やるせないのう。……とはいえ、他の死体がないということは……」
「少なくともこの場で全滅はしなかった、ってことだな」
ユーカさんはマード翁と頷き合い、死体にはそれ以上触らずに奥に向かい始める。
「目星はあるんですか」
「そんなに遠くではないじゃろ。普通に手前に逃げたのならワシらと行き会うはずじゃ。奥に逃げたのならもっとやべーモンスターが出る可能性がある。そこらの建物に逃げ込むのが最善策じゃろうな」
「建物の中にもモンスターが巣食ってる場合があるから、まあ敗走中に入るのも賭けだけど。どっちにしても際限なく遠くには行かねーよ」
ファーニィと僕は顔を見合わせる。
……で、この黒焦げの原因となった「何か」は、おそらくこのあたりにまだいる可能性が高いわけで……。
「撤退……は、ナシですか」
「怖いかの?」
「僕はともかく、ユーは下がらせたいです」
「あの私は? 私は下がらせてくれないんです? アイン様」
「君はほっといてもヤバそうなら逃げると思う」
「一応『ユーとファーニィは』って言いましょうよ!?」
騒ぐファーニィは押しのけて、ユーカさんに「下がってくれないかなあ」という顔をすると、肩をすくめて。
「マードがいるんだから心配するこたねーっつーの」
「何がいるかわからないんだよ!? それこそ死んじゃったらマードさんでも……」
「死なねーくらいの小技はあるっての。お前は自分の心配してろ」
完全に身体性能は常人以下だっていうのに、どうしてその余裕が出るんだユーカさん。
マード翁を見ると、彼も微笑み。
「ユーカは死なんよ。……これで死ぬならとっくに二百回は死んどる女じゃし」
「どういう……」
「いいか若いの。ユーカなら教えとると思うが……どんな時でも、生き残るのが本物の英雄じゃ」
少しだけ真面目な顔で、マード翁は僕を見つめて。
「ユーカはどんな戦いでも生き残る。じゃからワシらは信じた。じゃから、ワシらはユーカがやめた時に他で補おうとは思わんかった」
「…………」
「お前はそれを受け継がねばならん。それだけは受け継がねば、ユーカの後継者とは言えんぞ」
「それって……」
「ちょっ……静かに!」
ファーニィが耳に手を添えて僕たちの話を遮る。
「……何か、います……あっち……いえ、こっち……?」
「ファーニィちゃん。壁際に下がっとれ」
マード翁がそう言い、ユーカさんはナイフを抜く。
僕も剣を抜いて腰を落とし、油断なく周りを警戒する。
……そして。
「っ……え、嘘っ!?」
ファーニィが指差した先。
人間を一飲みにできそうな、巨大な蛇の顔が、ヌッと通路を曲がってこちらに現れた。
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