いやなやつがきた

 店主は僕がここを拠点にしてからの数か月間、ずっとゴブリンを上限にしてヘボい依頼をやっていたのを知っている。

 たまに臨時募集のパーティに紛れ込んでも、多少戦力に数えられればいい方で、口さがない輩には「あんな雑魚ならカカシが立ってた方がまだしもマシだ。カカシは治癒師の世話がいらねえしな」なんて言われていたのも知っている。

 それが、ベテランでも手を焼くヘルハウンドだ。

 ……それも二頭殺した、なんて言ったらなおさら信じないだろうな。

 多分、先にやったもう一頭の死体は、旅人たちも誰も確認してないだろうけど。

「あー……」

 そして僕は、今この店主にあんまり評価してもらっても意味がない。

 これからゼメカイトの街を離れ、しばらくほとぼりを冷まそうというのに、変に注目されても困るのだ。

 だが、かといってこの旅人の女性の言う事を嘘だと言い張るのも悪いし、持ってきてくれた荷物も受け取るわけにいかなくなるし。

 それに、嘘にするのは僕自身なんだか辛い。

 それなりに危険を潜り抜けたのだし、大金星だ。評価されないまでも事実を毀損したくはない。

 なんとかうまく……やったことはやったこととして、言い逃れられないかな。

 と、曖昧な顔でゴチャゴチャ考えていると。

「弱ったヤツだったんだろう。モンスターもみんな常に健康体ってわけじゃない」

 酒場の一角で取り巻きと一緒にいた男が、自明の理だとばかりに言い放ってくる。

 ……嫌な奴に絡まれた、と心の中だけで舌打ちし、極力なんでもない顔を装ってそちらを見る。

「マキシム……」

「この俺を呼び捨てか。なるほど、自信だけは過剰にもらってきたわけだ」

 ふんぞり返る鎧姿の伊達男。


 マキシム・ラングラフ。


 最近のこの酒場では、最も勢いのいい冒険者パーティのリーダーだ。

 彼らのパーティは、まだ一流とされるほどではないけどバランスもよく、危なげない。

 壁貼りはもう卒業し、ワイバーンやヘルハウンド討伐レベルの依頼もこなしている。

 ……少し前、彼がまだパーティも固定せず、壁貼り依頼をこなしていた頃に僕は幾度か組んだことがあり、その実力差は嫌というほど思い知っていた。

 武器も防具もいいのを揃えているし、身のこなしもスマートで、力もある。ちゃんとした剣術を身につけているようで、とにかくヘマをしない。

 僕のような野良犬とは毛並みが違う。

 歳は一つ下のはずだが僕より体格も良く、しかもどこぞの貴族出身らしく、その実力と実績もあって「舐めた口を利くな」と幾度か凄まれたこともある。

 何より、今のところ依頼達成率100パーセント。

 受けた仕事は必ずやり遂げている、という厳然たる事実は冒険者仲間からも酒場の店主からも評判が良く、自然と「若手筆頭格」といった位置を取るようになっていた。


「そんなことはありません。あのヘルハウンドは……」

 僕が助けた旅人の女性が反論する。

 が、マキシムはその言葉を遮るように手を突き出した。

「あなたがた一般人はヘルハウンドにそうそう遭うことはないでしょう。あれは動物園で飼えるような代物じゃない。他でどれほど見たことがあります?」

「それは……」

「そう、あなたは完調のヘルハウンドを知らない。元を知らなければ、弱っているかどうかもわからないでしょう?」

「っ……」

 旅人の女性がやり込められてしまった。

 そして僕は、それに対して何も言えない。

 僕だってそんなに何度も見ているようなモンスターでもないし、何より僕の実力で勝てると全く思われていないのだ。マキシムと言い合いをしても勝ち目がない。

 ……が。


「おーおー、見てもいねーのに立派な千里眼ぶりだなぁ?」


 それを、ユーカさんが受けて立ってしまった。

 マキシムは怪訝な顔をして彼女を見る。ユーカさんはこの酒場でいつも主役だったのだが、この姿ではわかるわけもない。

「なんだコイツは」

「ヘルハウンド殺しの片割れ様だよバーカ」

 ユーカさんはマキシムの圧を全く気にもしない。

 それも当然か。

 格上の圧というのは、相手が届かない高さだと思うからこそ感じるもの。マキシムのいる場所は、彼女にとっては既に通り過ぎた高さだ。

 せいぜいが二流という手合いにユーカさんが震えあがるわけもない。

「この俺にバカだと? 愚弄には相応の代価というものがあるぞ」

 マキシムは立ち上がり、ユーカさんに向かって数歩、歩み寄る。

 背が高く、さらに剣も提げている。それがぐいっと迫ってくれば、並の女の子はもちろん、普通は男だって怯む。

 まさか斬りはしないだろうが、手ぐらい上げてもおかしくないのが冒険者の世界というものだ。

 冒険者チンピラにわざわざ近づく方が悪いとして、よほどの大怪我でもないかぎりは領主の憲兵も取り合わない。ゼメカイトの自由な空気は、こういう時には困りものだ。

 が、ユーカさんはそのマキシムを睨み上げて、鼻で笑う。

「愚弄に対価があるってんなら、テメェが払えや。ウチのアインの仕事に意味もなくケチつけてくれたのはテメェだろ?」

「このガキ……」

 苛立ちを顔に出すマキシム。

 一触即発の空気。

 くそ。出がけの最後にトラブルなんて嫌だったのにな……と思いつつ、ユーカさんを庇おうと僕が割って入るのと、マキシムの仲間たちが彼を抑えたのがほぼ同時。

「やめろマキシム! 人が見てるぞ!」

「そんな女の子にムキになるなよ! しかも怪我人だぞ!」

 ふたりがかりで後ろに引っ張られ、椅子に座らされるマキシム。

 彼の視線を遮るようにユーカさんを背後に庇った僕を、マキシムは睨みつけて。

「くだらないインチキで箔をつけようなんて、見損なったぞ、アイン。どうしようもなく弱いが、素直さだけは買ってやっていたのに」

「それは意外だな。何故かあまりショックがないよ」

 僕はメガネを押して表情を押し殺す。

 マキシムに対しての苦手意識は強い。感情がどう顔に出てもこじれてしまいそうだった。

 そして、ようやく旅人の女性に向き合い、荷物を受け取る。

「ありがとうございます。助かりました」

 礼を言うと、女性はほっとしたように笑い。

「いえ、こちらこそ……本当にありがとうございました。あんなものが襲い掛かってきたら、皆殺しにされてもおかしくなかった……本当ならお礼をもっと用意しなくてはいけないのですが、旅の途中で持ち合わせがなくて」

「いえ、僕たちも仕事でしたから……偶然助けになったのなら、何よりということで」

 互いに改めて礼を言い合って、彼女を見送る。

 彼女が出ていくのを見計らって、店主が後ろからつついてくる。

「仕事ってどういうことだ? ウチにはそんな話回ってきてねェが」

「ロゼッタ商店で直接頼まれたんです。そういうのも仕事は仕事でしょう」

「ロゼッタ商店って……お前さん、あの店に入れて貰えたのか」

「ちょっとした縁で……」

「……にしてもいきなりヘルハウンドかよ。それをアインに、ってのも不可解だが……なんだってあのエルフはいつもいつも、ウチよりそういう大物のネタに耳が早いんだ?」

 苦い顔で店主は引っ込む。

 大きい仕事は仲介料もそれなりに高い。それを取られた形だと思っているのだろう。

 いつもいつも、ってことは、今回みたいな謎の依頼が今までもそれなりにあったのだろうか。

 ……多分、あの三つ目の感知力の賜物だと思うんだけど……意外とそういう能力に関しては知られていないのかな。

 商人ってのは手札を隠すものだというし、そういうものなのかも。


 荷物を取り戻したことだし、これ以上のトラブルにならないうちに、と僕はユーカさんを抱えるようにして酒場を出る。

「ああいうので喧嘩は困るって。マキシムの奴は意外と凶暴なんだから。まさか殺されはしないと思うけど」

「ヘッ。あの野郎、ああいうヤツだったんだな。格上にはヘラヘラしてたから知らなかったぜ」

「それはまあ……」

 いくら冒険者が我の強い連中とはいっても、格上相手には大人しいものだ。たまに身の程を知らずに誰にでも噛み付く奴もいるが、だいたいすぐにしまう。

 上にはへつらい、下には好戦的、っていうのも、まあ冒険者としては自然な気性としかいえない。決して褒められた話じゃないけど、そういうものだ。

「なんとかして一発凹ましてやりたいな。お前だってそう思うだろ」

「そういうのは五体満足の時にしよう。ただでさえ可愛いワールドの体なのに片腕じゃ余計危ないよ」

 冒険者同士の喧嘩は決して珍しくない。

 僕は喧嘩なんて積極的に関わったこともないし、マキシムにもせいぜい胸倉掴まれる程度だったけど、死なない程度の殴り合いなら酒場でもよく起きているし、それぞれの身内の治癒師が治してしまうので、大した事件にはならない。

 僕たちは治癒師が仲間にいないので、殴られたらまた《あの》治癒師に頼みに行かないといけないし、有料だ。そもそも今から怪我を治してもらいにマード翁を訪ねていくのに、その前に怪我を増やす真似なんて論外だろう。

 ……しかし本当、今回でわかった。

 この人、この体でも一切遠慮なく喧嘩を買う。

 力は貧弱でも体の使い方は一流には違いないので、案外やれるといえばやれるかもしれないが……女の子相手の喧嘩なんてそもそもが恥、誰も正々堂々とやるはずがないのだ。

 多少腕が立ったところで、今度は囲んでやっちまえ、となるに決まっている。

 二人がかり、三人がかりで掴まれてしまえば、いくら技術があっても意味がない。

 それでも前のゴリラパワーなら、並の男の三人や四人、まとめて千切って投げてしまえただろう。

 でも今、それと同じ感覚でやられたら大変なことになる。

「もう、さっさとフィルニアに行っちゃおう。そしてマードさん探して治してもらって、ユーはそのままのんびりと可愛いライフしよう」

「いやいや、まだお前に教えとかないといけないワザがいくつかあるし、そもそもお前戦士としての基本がだな」

「それも道すがらで聞くから。とにかく今は行こう」

 このままゼメカイトにいたら間違いなくマキシム一行とまた絡む。

 僕は彼に「勝てないモンスターを何かのインチキで自分が倒したと吹聴し、格を上げようとした」と思われている。

 普通に考えたらどうでもいい話のはずなのだけど、駆け出しレベルの中では仮にも競争相手。

 目障りで仕方ない、というマキシムの思いは手に取るようにわかる。

 また絡むことがあれば、今度はだいぶ話が早くなるだろう。悪い意味で。

 でも、僕は彼の誤解を解く気はない。

 そもそもああいう奴なので絡みたくないし、穏当にいったとしても「証明」を求めての面倒臭い流れしか思い浮かばない。

 そして誤解を解いたとしても、ユーカさんの「秘密」がバレてしまう可能性が高い。

 だいたいゼメカイトには当分戻ってくる気はないのだ。悪評なんて立てられても放っておけばいい。

 実際に酒場での評価を不当に上げて指名依頼を取るような真似をしたわけでもないのだし、誰も「騙された」という被害者なんていない。

 無名の雑魚が金星を挙げたという噂もすぐに消えるだろうし、執着するだけ損なのは、いくらマキシムの心が歪んでいてもすぐわかるだろう。

 とにかく、この街にもう用はない。

 ロゼッタさんからの依頼料があるから路銀は充分だ。市場で旅の用意をしたら、出発してしまおう。

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