ヘルハウンド討伐1
「だってお前あのさかな倒したじゃん。ヘルハウンドなんてあれより全然小さいしヤワいって。もうちょっとうまくやりゃ簡単に勝てるって」
ユーカさんはガハハと笑って言い切るが、ヘルハウンドは一般的にはかなり強いモンスターだ。
虎に近い体躯を持つ巨大な犬のモンスターで、年齢や体調など個体の状態にもよるが、壁貼り依頼しかできないような無名冒険者では何人でかかっても一方的にやられてしまう可能性が高い。
なんといっても単純に素早く、筋力が高く、チェインメイルくらいなら噛み砕く強力な顎で、一瞬にして腕を、足を、あるいは首を持っていく。
そのうえ、追い詰められると火を噴くとも言われている。
正直、正面からやりあったらワイバーンより怖い。
ワイバーンは一般的に地上ではそれほど敏捷には動けないので、空からの急襲を回避できれば仕留めるチャンスはある。いや、それだって本当は簡単そうに言える話ではないんだけど。
だがヘルハウンドはとにかく脚力が高く、そのスピードからは馬でも逃げ切れない。
一撃必殺の噛み付き攻撃を持ちながら、ヒット&アウェイをする狡猾さも持ち合わせている。
その機動性に、常人の動きでは対応できないのだ。
もしも冒険者がこの怪物と戦うのであれば……食いつかれても簡単には死なない前衛を置き、彼が捨て身でヘルハウンドを釣り出して弓手や魔術師が集中攻撃し、食いつかれた前衛は治癒師がフォローする……という完全なチームワークが欲しいところだ。
それも後衛を潰されぬよう、前衛はできるだけ多く。治癒師も万一を考えれば二人以上。
……そこまでやっても一頭ならなんとか、という具合なのに、それがつがい。
元々強くて狡猾な奴が、さらに連携して襲ってくる。シャレになってない。
こうなるともう高度に組織され、武具にも金のかかった騎士団レベルの討伐隊か、あるいはヘルハウンドの身体能力に素でついていけるほどの冒険者……そう、たとえばユーカさんやフルプレさんレベルの逸材か、という案件になる。
つまるところ。
「指定依頼クラスだ……しかも滅多にないくらいの」
壁には絶対貼れない依頼。下手な奴が挑んだら全員帰ってこない。
「でもお前、こないだ必殺技できたじゃん。アレ使えばまぁ勝てるって」
「……でもアレ、メチャクチャ消耗するし」
アレ。すなわち「オーバースプラッシュ」。
即興で考え出した大技。というか、ただの「オーバースラッシュ」ヤケクソ乱射。
僕がブッ倒れたのは緊張の糸が切れたこともあるが、本来はそう消耗するものでもない「オーバースラッシュ」を全力で垂れ流し、魔力を使い果たした結果らしかった。びっくりするくらい体の芯が重くなっていた。
帰りしなにユーカさんが言うには「そもそもロクに溜めないで打ちまくるなんて普通はそよ風も起きないから無意味だし、やっぱお前ソレに関しちゃアタシより、ってか多分世界一すげーって」とのことなのだが、冷静に考えると一撃で真っ二つにできるはずのものを、何十発も使ってやっと切れた、という結果に過ぎない。
スマートさでもコストでも、比べ物にならないくらい悪化している。
しかし。
「毎回あんな乱射しなくたっていいだろ。というかだな、逆に考えろ逆に。お前、その気になれば全然隙を見せずにオーバースラッシュ出せるわけだろ、威力がアレとはいえ。……敵としてそんな奴いたら、どうだ?」
「…………」
想像してみる。
「オーバースラッシュ」は射程数十メートルにも及ぶ。
「僕」の技量では鉄鎧には多分通じないとはいえ、革鎧には傷つけられるし、生身ならそれなりの深さの切り傷になるだろう。
それが鞘に入れる予備動作もなく、ほぼいつでも出せる。しかも弓手や魔術師よりも攻撃密度が高い。
知らなければ中距離でまともに食らうだろうし、混乱するだろう。初手を「僕」に譲ってしまえばもう嬲り殺しになる。
もしも強引に受けたまま近づくとするなら、頑丈な鉄の盾が要る。いや、木の盾でも数発なら受けられるかな。
でも近づけば勝てる、という勝負でもない。そもそもが剣なので接近戦ができないわけでもないし。
何より、「僕」は特別足が遅いわけでもない。
あの
……考えてみると、「僕」って敵としては結構面倒臭いな。増えたのが技ひとつとはいえ。
「意外と厄介だね」
「そうだ。結構厄介だ。それとヘルハウンドの勝負をもうちょっと真面目に想像してみろ。……負けそうに思えるか?」
「…………」
あらためて、ヘルハウンドの側に立って想像する。
ヘルハウンドは防御力自体は獣の域をそんなに逸脱しない。僕の「オーバースラッシュ」でもそこそこ痛いはずだ。
……どれだけ負傷を嫌うかにもよるけど。
「距離さえ取れていれば……一方的に勝つ、というのも有り得なくはない、かな?」
「だろ?」
「いや、でもさすがに楽観し過ぎじゃ……」
「悲観したら大抵の依頼なんて誰もできねーぞ。冒険者なら『冒険』しろ」
「えー……」
「お前なー。絶対勝てる勝負だけしててアタシみたいになれると思うか!?」
ユーカさんは安全主義なのかバクチ主義なのか時々わからなくなるな。
……いや、彼女の中では、基本的に勝ち筋がある勝負はバクチじゃないんだろうな。
勝てる勝負なら容赦なく勝ちに行き、不利を押し付けられたらすぐに切り替える。
それを勝つまでアグレッシヴに続ける。
そういうことなのかもしれない。
結局、有効な反論も見つからず、剣を返して簡単な依頼から地道に行く、みたいな案も「まずはやってみて無理だったらロゼッタにそう言え」と却下されて。
……それこそ、馬にでも追いつくヘルハウンドの目の前まで行ったら逃げられないと思うんだけどなあ。
という思いを胸にしまって、ユーカさんと描いた甚だ都合のいい想定通りにいってくれることを願いながら、ヘルハウンドのつがいが出たという峠に向かう。
現地に近づくにつれ、明らかに空気が不穏になっていた。
虫も鳥も鳴かない。草は青々としていても、どこか陰気な、殺伐とした緊張感が一帯を支配し始めている。
「ユーはこの辺で待ってて」
「お、一人でやるってか」
「今のユー、『メタルマッスル』もできないし突然来たら死んじゃうだろ。それに逃げ隠れる時も僕一人の方がいい」
「あー……まあ、他にもワザがないこたないんだけどな。でも一人でやれるってんならやってみろ」
……死ぬなら僕一人の方がいい、とは言わない。
たかだかヘルハウンドにそこまで悲壮な決意してんじゃねー、と繰り言を言われそうだ。
でも実際のところ、相手はつがい。
こっちの都合のいいように行く前提はあくまで1対1だ。
背中から襲われれば、いくら僕の「オーバースラッシュ」の溜めが不要でも手に負えない。
相手が連携しないことが勝利の第一条件。となるとやっぱり不安要素の方が大きくて……いざという時は無様に岩陰にでも飛び込んで凌ぐか、あるいはそれすらできずに食われるか、という後ろ向きな想像しかできない。
それならユーカさんは後方にいた方がいい。
最悪、僕が追い詰められて逃げ回る隙に、ユーカさんが街まで戻って応援を頼む、という希望も持てる。何時間もかかるだろうが、助かる可能性は残る。
……というわけで、不穏な気配の中心に届く前に僕は荷物の大半をユーカさんと一緒に置き残し、剣一本を手にゆっくりと進むことにする。
なけなしの現金の入ったコイン袋も非常食も飲み水も、ミニナイフや火付け道具などの野営用グッズの数々も、モンスターと対決するだけならただの邪魔だ。
移動中に急襲を食らった時にはときたまそれらがクッション代わりになったりもするが、本気でやるなら持たない方がもちろん身が軽くなり、守るにも攻めるにも集中できる。
必殺技を得て、大物との対決を制したことが確かな経験になったとはいえ。
僕は依然として、能力としてはさほど常人と変わらない、新米冒険者のままだ。
どこから敵が現れるのか、背後の気配を耳でも目でもなく探れるのか……そんなところは、何も成長はしていない。
数日の特訓と、ただ攻撃するだけの一戦を経たくらいで、それが飛躍的に伸びるわけもない。
先に敵を見つけられなければ、死ぬ。
その恐怖が核心に近づくほどに……冷えて、かえって落ち着いてくる。
自分の性分がこういう時にはありがたい。
死が眼前に近づく。至近距離に迫る実感が、僕から焦りを消していく。
しくじったって死ぬだけだ。この体がバラバラにされて、獣の夫婦に仲よく貪り食われるだけだ。
それは、そんなに怯えることじゃない。
表情をなくし、そんな事を考えていた僕の目に、静寂の森にひときわ目立つ黒が見えてくる。
ヘルハウンド……一頭?
まさか……そんなに都合よく、一頭だけでいるのか?
お前たちは二頭いるから怖いんだぞ?
……逆に苛立つほどに、ちょうどよく。
ヘルハウンドが、こちらに注意も向けずにあくびをしている。
僕は真新しい剣をゆっくりと腰だめに構え……小さく。
「オーバー、スラッシュ!」
魔力を刀身に結集させるイメージを描きながら、振り抜く。
……僕の声に反応し、耳をピッと動かしつつ、巨大動物特有の重さで首をこちらに向けて……その顔面に斬撃が刻まれる。
「ガァッ!?」
……おいおい。嘘だろ。
目をいきなり奪っちゃったぞ。
これで奴は僕の位置を正確には把握できなくなった。
耳や鼻での索敵はまだできるのだろうが、ヘルハウンドはあくまで犬や狼などの肉食獣の延長。目より早く正確にそれが働くということはないはずだ。
ここからは……無言。
剣を構え、振る。
構え、振る。
しっかり魔力を込め、放つ。
焦らなくていい。一撃ずつ確実に入れていく。
それなりに消費はしているはずだが、やはり何のメリハリもない垂れ流しの「オーバースプラッシュ」よりは、だいぶ消耗が浅く済んでいる。
そしてヘルハウンドは思った以上に僕の攻撃に混乱し、見当違いに暴れまわりながら傷を全身に受けてのたうち回っている。
斬撃を飛ばしてくるっていう考えがないのだろう。いきなり視界を失ったのだから仕方ないけど。
目の前にいるはずなのに何をしても空を切り、手応えのない襲撃者に翻弄されながら、哀れな魔獣はやがてその鳴き声もか細くなり……息絶える。
僕は注意を絶やさないようにしながらそっと近づき……急に襲って来ないようにトドメを刺す。
首がぐらりと垂れ下がるくらいに深く刃を入れて、ようやく一息。
「……つがいが、片方だけ……つまりもう一頭がどこかにいる……」
呟いて見回す。
ヘルハウンドは耳も鼻も利くはずだ。もしも離れていたとしても、この血の匂いと死に際の悲痛な鳴き声に引かれて、助けに来るのではないか。
……普通なら、だけど。
「……もう一頭は出てこれない……? つがいの相手を放置するようなピンチ……いや、ピンチってことはないのか? あくびしてたもんな、こいつ」
連携して獲物を狩るのが彼らの脅威であり、彼らにとってはメリットだらけの作戦のはず。
それなのに互いの状況を感じ取れないほど離れる、というのも考えにくい。それなら討伐はそんなに難しくないはずだ。
……そこまで見越して初心者の僕に依頼を寄越した……? いやいや、そんなに状況をコントロールできるわけないよな。
なんにせよ、一頭だ。まだもう一頭いて……こいつの死を知れば、間違いなく逆上して殺しにかかってくる。
ここからが本番……の、はずだ。
剣についた血をヘルハウンドの死体の毛皮になすりつけ、僕はその剣の切れ味にふと笑みを浮かべる。
……まるで冗談みたいによく切れるな、と、さきほどのトドメの切り口を見て嬉しくなりながら、気を引き締めて剣を両手で握り、残りの一頭の索敵を始めた。
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