第2話
放課後になり、ぞろぞろとクラスメイトが帰って行った。一ノ瀬も例外ではなく、というよりは一ノ瀬は、一目散に教室から出て行ったのである。その行動で、手紙の送り主が一ノ瀬なのでは? と思ってしまった。それは涼平と瑠奈も同じだったようで、声をかけてきた。
「なあ、翔太。今の見たか?」
「ああ」
「あれ絶対本人よ! 間違いないわ!」
「まだ分かんねえだろ。てか瑠奈テンション高すぎて怖い」
「それはほら、瑠奈は少女漫画好きだからだよ」
「はは! 自分はそんな展開になった事はない癖に浮かれすぎ――」
瑠奈から今日三度目の平手打ちをくらい、頬を擦りながら謝る。
「ふん! そうか翔太はドMだったね。もっと叩いてあげようか?」
「ごめんなさい」
正直なところ瑠奈の平手打ちは躱せるし、そもそも痛くない。ただ躱した場合グーパンチが飛んでくる。俺と涼平はそのグーパンチが嫌だからこそ、平手打ちを甘んじて受けているのである。決してドMではない。大事なことだからもう一度言うドMではない。
「早く行きなさいよ。待っててあげるから」
「そうだな。あんまり遅くなるのもどうかと思うし、俺達は校門前に行っとくか」
「んじゃ、俺も行ってくるわ」
「おう頑張れよ!」
教室から涼平と瑠奈に見送られて歩き出す。
「翔太! 気を付けるのよ!」
瑠奈の言葉に、だからお前は俺の親かと思いつつ、校舎裏に向かった。
校舎裏に着くと一人の女子生徒がいた。後ろ姿しか見えないけど恐らく一ノ瀬だろう。つまり俺に手紙を送ったのは、一ノ瀬本人ということになる。恐る恐る一ノ瀬に近づき、話しかけようと思ったが、枝を踏んでしまい一ノ瀬に存在を気づかれ話しかけられた。
「橘……えっと来てくれてありがとう」
「あ、ああ」
自分の髪の毛を耳元でくるくるいじりながら、一ノ瀬は俺を迎えた。少し頬も赤くて、本当に告白でもされるんじゃないかってぐらいの雰囲気だ。
「えっと、伝えたいことがあって……聞いてくれるか?」
「うん」
うんってなんだよ。もっと言い返し方あるだろ俺! 陰キャすぎる!
「私の目見てくれ」
俺は緊張して地面を見ていたが、今の一言で阻止されてしまう。そんな事を言われたら目を見るしかなくなるのだ。
「入学式の時から橘のことが好きだ! 付き合ってくりぇ!」
「嚙んじゃった」と小さく呟きながら俺の言葉を待ってくれる。本当に俺なんかに告白してくれる人がいるんだと驚きつつも直ぐに答える。
「ごめんなさい」
自分で断っといてなんだが、空気が凍った感じがして居心地が悪い。
「なんでだ。……噛んだからか」
「いや、それは関係ない。俺は一ノ瀬さんの事良く知らないし、一ノ瀬さんが俺を好きになる要素も見当たらないっていうか……」
「分かった、言ってやる。休みの日、一年位前だ。電車で痴漢に遭ったんだ。自分が痴漢に遭うまでは、そいつを縛り上げる自信があった。でも実際遭ってみると怖くて声が出なかった。怖くて怖くて仕方なかった。周りに気付いてくれてる人もいたのに、助けてくれなかった……でも橘が助けてくれたんだ。そこから私はお前を好きになった!」
それを言われて、その時の事を思い出す。
満員電車というわけでもないのに、おじさんが女子高生くらいの子にすり寄っていた。よく見ると尻を触っていた。始めはそういうプレイなのか? と思ったりもしたんだが、女子高生の顔を見てそれは違うと思った。泣きそうになっていたんだ。
「あの時の女子高生、一ノ瀬だったのか。言われてみたらそうだったような気がする」
「あの時はまだ髪の毛を金髪に染めてなかったから、今とは印象違うかもしれないけどな。あの時話しかけてくれなかったら、私は今でも怯えて過ごしてたと思う」
うん。確かに助けたのは助けたんだろう。記憶にある。でもそんな惚れる要素のある止め方を俺はしていないのだ。
俺は痴漢に近づきこう言った。
「あの、おじさん? そういうプレイがしたいなら風俗いきな?」
「っ!」
おじさんはそのまま別車両に行き、次の駅で降りた。男が近くにいるのは嫌だろうと思い、近くにいたOLさんに事情を話して一ノ瀬の傍にいてもらった。一応証拠になる写真を撮っていたから、そのおじさんは捕まった。
うん。どこにも惚れる要素ないな。
「それ、ただの吊り橋効果ってだけじゃないか?」
「うん、確かに初めはそうかもしれないと思ってた。でも、一年経っても好きなままだった。だから私は橘の優しい所に惹かれたんだ」
「俺を好きって言ってくれるのは嬉しいよ。俺も一ノ瀬さんの普段の生活見てても優しい子だなとも思う。でも知ってるのってそれだけで、好きかって聞かれると頷けはしないかな」
少しの沈黙が流れた後、一ノ瀬が切り出した。
「……友達からでどうだ!」
「え?」
「だってそうだろ? 橘は私の事がまだ良く分からないから、好きとも嫌いとも言えないって事だ」
「うん。まあそうだな」
「それに私だって橘のこともっと知りたいし!」
無邪気な笑顔を見せながらそう言ってきた。ここまで好意を寄せられると、正直悪い気はしない。
「じゃあ友達で」
「……やったー!」
「はは! 喜びすぎ」
「いいだろ喜んでも、好きな奴と少しでも近づいたって思うと嬉しいんだよ」
照れながらそう言われると、こっちまで恥ずかしくなってくる。
「よし! じゃあ一緒に帰ろうよ橘!」
「え?」
涼平と瑠奈を待たせたのは失敗だったかもしれない。
「何? なんか用事でもあるの?」
「ええと、友達と帰る約束してるんだ」
「私も一緒に帰るぞ!」
この図太さは、流石一ノ瀬という感じだ。
「分かった。じゃあ行くか」
「うん! 行こ!」
一ノ瀬は俺の手を取り、校門に向かって走り出した。振り返った一ノ瀬の、奇麗な金髪からいい香りがした。少し胸が騒めいた気がしたけど、恐らく走っているせいだろう。
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