第59話 メリアージュ
* * *
火猿たちがルゲニアの町を出て、一ヶ月。
季節は夏で、毎日暑い日が続いている。
そんな中、火猿たちは、ルナミリス大陸の北西部にあるギーシェルト王国を出て、いくつかの国を経由し、大陸の北部にあるメリアージュ王国という小さな国にやってきた。
大国の千分の一程度の領土しか持たず、大国では名前を知っている者も少ない。
あまり知られていないからこそ、火猿たちが一旦身を隠すには丁度良い。
なお、メリアージュ王国は、呪詛使いファリスがいくつか提案した逃亡先の一つ。最近、国が崩壊しそうになっているという噂もあり、また魔族が関わっているかもしれないので、様子を見る意図もあった。
「メリアージュ……。ここに来るのは何十年ぶりかしら」
馬車での移動中、リシャルがぼそりと呟いた。
リシャルは荷台の前方から身を乗り出し、軽く周囲を見回す。
国境になっているベートリス川を越え、辺りは特に変わり映えしない草原なのだが、リシャルは何かを思い出しているような表情。
「ここ、リシャルの故郷とかなのか?」
「違うわ。何十年か前に、ちょっと通りすがっただけよ」
「何か思い入れでも?」
「昔、この国で聖女の心臓を食べたわ」
「ああ、そういう話もしていたな。それから回復魔法を得たんだっけ?」
「そうよ。魔族だけを癒す特殊な回復魔法を得た」
「どういう経緯かは知らないが、こっちとしてはありがたいことだ。お前の回復魔法は役に立つ」
「そうね。セシーラも喜んでると思うわ。あの子は人間が嫌いで、魔族がもっと人間を殺してしまえばいいと思っていたから」
「……人間嫌いの聖女か。闇の深そうな話だ」
「そうね。確か、そんな話をしていた気がする……」
腰に届く紫の髪を、夏の風にたなびかせるリシャル。
珍しくと言うべきか、リシャルの声にはどこか懐かしむ響きがある。
リシャルは人間嫌いで、人間の話を好まない。人間の話題で盛り上がるのは、殺しが関わるときばかりだ。
「その聖女とは、どういう関係だったんだ?」
「さぁ? 少なくとも、仲間とかお友達とかではないわ。お互いに利用し合っていただけ」
「そうか……」
火猿は二人の関係が少し気になったが、あえて尋ねることまではしなかった。
「ねぇ、カエン。わたしがリシャルの心臓を食べたら、カエンを治す回復魔法を覚えるのかな?」
ティリアがひそひそ声で不穏なことを言い出した。妙に火猿と距離が近いのはいつものことだし、隙あらばリシャルを殺そうとしている雰囲気なのも変わらない。
この二人は、一ヶ月以上一緒にいても仲が悪い。
「回復魔法を覚えるかどうかは知らんが、やめておけ。あんな性根の腐った魔族を食ったら腹を壊すぞ」
「大丈夫。わたしは呪いにだって打ち勝ったんだもん。魔族だって食べられる」
「お前、さては冗談で言ってないだろ?」
「魔族を食べて強くなれるなら、わたしは食べる」
「……お前は本当にそれで強くなっちまいそうだな」
「試してみていい? とりあえず腕一本からでも。リシャルなら、腕を切り落としてもどうせ生やせるだろうし」
「呪いを発動させてないのに発想が危険過ぎる。リシャルだって貴重な戦力なんだから、おかしなことはするな」
「わたしだって戦力だよ。もっと強くなれるなら、なんだってするよ」
「はいはい。まぁ、試すのは別の魔族を見つけたときだ」
ティリアは呪いの力を使って、戦闘力を大幅に上げることができる。道中、魔物との戦闘も多数経験して、力の使い方も上手くなった。戦闘力で言えば二万五千くらい。
ファリスがティリアに呪いを刻んだのだが、普段はそれがわからない。呪いの効果が発動しているときだけ浮かび上がる、特殊なインクを使用している。
「……もっと強くなりたいなぁ。悪魔の種子、何のデメリットもなく扱えればいいのに」
「あれはもう使うなよ。寿命が縮むらしいし、十日は体の不調が続いて大変だったろ」
「なるべく、使わないようにするね」
「なるべく、じゃねぇよ」
やれやれ、と火猿は肩をすくめる。
ヴィノとの戦いの後、ファリスが悪魔の種子を回収していた。残しておくと誰かが悪用して危険かもしれないため、後で破壊しようと思っていたらしい。しかし、それを知ったティリアは、ファリスから悪魔の種子を譲り受けた。
どうしても力が必要になったときに、自分で使うためだ。
火猿は種子を破壊しようとしたが、ティリアが断固として拒否したため、もう放置している。
ついでに、気配遮断のローブはあの戦いで紛失してしまった。便利な道具だったので惜しいことなのだが、金があればまた手に入るだろうとも、火猿は思っている。
「魔物が出たよ! 対処宜しく!」
御者をしているファリスが叫ぶ。
「行ってくるね!」
真っ先にティリアが立ち上がる。呪いの力を発動して、その肌に黒い模様が浮かび上がる。
馬車を出て行きながら、腰に帯びた剣を抜く。道中改めて購入した炎の魔剣で、高い攻撃力を誇る。
火猿も念のため外に出て、武器創造スキルで弓と矢を作り出す。
馬車での移動中はだいたい暇なので、火猿は弓の訓練をしていた。おかげで、かなりの腕前になっている。
「ふあぁあぁ」
リシャルは欠伸をしながらのほほんと構えている。今はリシャルの力も必要ないので、放置。
出現した魔物は五頭で、大型の黒猫のような姿。動きが素早いが、今のティリアの敵ではない。
ティリアは剣を振るって一頭ずつ確実にしとめていく。
「……俺が戦う必要はないか。ああ、俺は上のをやろう」
鷹のような魔物が三羽、馬車に近づいている。
火猿は狙いを定めて矢を放つ。動いている的に当てるのもだいぶ慣れてはきたが、やはり簡単ではない。
火猿は十本ほど射て、ようやく魔物を狩った。
(弓術みたいなスキルがあればいいんだが、俺は獲得しないんだよな……。少し不便だ)
弓術スキルがあれば、一度放った矢を遠隔操作したり、一本の矢を三本に増やしたりもできる。
火猿にはそういうスキルがないので、あくまで普通の弓として使うしかない。
武器創造と鬼術という強力なスキルがある分、他のスキルを覚えにくくなっている可能性もあると、リシャルは言っていた。
「カエン! 終ワったよォ!」
ティリアが嬉しそうに手を振る。返り血も浴びて、実に猟奇的だ。
「よくやったな」
「アははははハはハは!」
ひとまずは、平穏な旅路。
ただ、平穏も少し飽きてきているため、もう少し刺激的な事件が起きても良いと、火猿は思う。
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