第42話 人間
火猿たちが森を抜ける頃には、既に日が暮れかけていた。ライカンまで歩いていると夜になり、その頃には出入り口の門も閉ざされてしまう。
火猿たちは無理に町へ向かわず、森の浅いところで野宿することにした。
ティリアの用意した夕食を摂りながら、火猿はリシャルに尋ねる。
「あの兵士がどこから来たのかは知らんが、ライカンからだとすると、魔族がライカンにいるってことか?」
「その可能性はあるわね」
「誰なのか、思い当たるのは何人くらいいる?」
「私が知っている範囲でも、幻術系や錯乱系の魔法を使う奴は五人いる。でも、私が知っている魔族だって多くはないから、それ以外の誰かかもしれない」
「まぁ、それもそうか。そもそも、魔族が兵士たちを操っていたとは限らない」
「そうね。でも、ああいう遊びをするのは、大抵魔族よ」
「遊びか……」
「私にはそう見えたわ。
人間は悪を前にして、自分たちが正義だと確信したとき、とてもとても残酷になる。そういう性質を上手く使うと、人間を魔族と勘違いさせるだけで、人間は平気で人間を殺す。それが素晴らしい行いだと信じ込み歓喜する。
あの兵士たちも、村人を襲いながら楽しそうにしていたでしょ?」
リシャルの微笑みはいつも通り歪んでいて、実に楽しそうだ。
「……あいつら、単に暴力に酔っていたとかではないってことか」
「暴力にも酔いやすいわね。でも、暴力に酔う前段階として、人間を正義に酔わせると、より暴力にも酔いやすくなる」
「そうなのかもしれん」
「あなたは自分が強すぎるからよくわかってないでしょうけど、魔族だって人間より圧倒的に強いわけじゃない。たった一人で数十人の兵士を相手にするのも、本来なら難しい。私は例外としてね。
人間みたいに軍隊を作る魔族も存在する。真正面から人間と戦争している者もいる。でも、そういう集団行動を嫌う魔族も多い。
一人、あるいは少数での行動を好む魔族は、知恵を使って人間を操ることを覚える。人間の心を理解し、弱さや脆さを利用し、破滅に導く。
人間は魔族を敵視するけれど、人間の心がもっと強ければ、魔族なんてきっと恐ろしくないわ。ちょっと強いだけの人間と変わらない」
「その心の強さを身につけるのが、至極難しいってことなんだろう」
「そうね。百年経っても、人間の心に大きな変化はない。欲にまみれる者も、嫉妬に駆られる者も、決していなくならない。おかげで楽しく遊ばせてもらえているわ」
「……本当に性格悪いな、お前」
「魔族としては普通よ。妙な倫理観めいたものを持っている、あなたの方が異常」
「そうみたいだ」
話しているうちに食事も終わる。ティリアは終始複雑そうだった。
夜には、念のため交代で見張りをしながら眠った。火猿の力で魔物は遠ざけられるし、不審者の接近には気づけるが、もしかしたら強力な冒険者に襲われるかもしれない。そのときには、見張りがいた方が良い。
そして、最初にリシャルが見張りをしているとき。
「ねぇ……邪魔な人間はもう寝てるわ。今のうちにシましょうよ。まだ体が疼くの」
リシャルが火猿にひそひそと話しかけてきた。
すると、即座にティリアが目を覚まし、リシャルを火猿から遠ざけた。
「ダメって言ってるでしょ! カエンから離れて!」
寝たフリをしていただけだったのか、何か特殊な察知能力で目を覚ましたのかは、火猿にはわからない。
「うっとうしい人間ね! 二度と目覚めない眠りにつかせるわよ!?」
「カエンの命令には逆らえないんでしょ!? 無意味な脅しばっかりして、虚しくならないの!?」
「……お前ら、喧嘩すんな。ティリアは早く休め。リシャルはもう俺を誘うな。自分で何とかしろ」
「ちっ。もういいわ。頼まれたってシてあげないから!」
リシャルは火猿に背を向け、もう振り返らずに見張りを続ける。
一方、ティリアが火猿の背にひっついてきた。
「カエンはわたしのだもん……。誰にも渡さないもん……」
「ティリアのものでもねぇよ」
「……バカ」
「俺に何を期待してるんだか」
「もういいっ」
ご機嫌斜めだが、ティリアは火猿から離れない。
(複雑な乙女心は、俺には理解できん。こういう面では、リシャルの方がわかりやすいかもな。だからといって、リシャルと爛れた生活を送るつもりもないが)
程なくして、火猿も眠りにつく。
ティリアとの接し方について考えるのは、明日の自分に任せることにした。
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