第53話 最高

 * * *



「……リ、シャル?」



 火猿の頭がようやく回り始めたとき、リシャルの背には無数の矢が突き刺さっていた。


 人間であれば致命傷に違いない。しかし、リシャルはまだ生きていた。



「……主が情けないと、従者が困るのよ。あなた、死ぬなら死ぬ、強くなるなら強くなるで、はっきりしなさいよ。げほ、げぼ、がふっ」



 火猿を抱きしめるリシャルが大量の血を吐く。



「リシャル!」


「私のことはいい。自分で勝手に治す。カエンは、あっちの兵士たちをどうにかしなさい。じゃないと、私もあなたもここで死ぬわ」



 リシャルが火猿を放り出す。リシャルは力尽きたように倒れる。


 すぐさま火猿に向けて無数の矢が飛んできた。


 火猿は大剣を作りだし、その矢を防ぐ。



「……体中が痛い。血も流れてる。ふらふらする。でも、ここで力尽きるつもりはない」



 火猿はふらつきながら、刀を一本作り出す。


 火猿が立っているのは、領主邸の庭。そして、正門の方に数百、あるいは千以上の兵士たちがいて、火猿に向けて武器を構えている。



「……結構残ってるな。リシャルに影人を倒させたのは悪手だったか。相手は何人だ? まぁ、少なくとも無限ってことはねぇ……」



 敵の数が百でも二百でも、今の自分にとっては脅威。火猿はそれを理解している。

 

 だからといって、諦めるつもりはない。



「どちらかというと俺が悪で、兵士たちは正義だよな。ここで殺される理由なんて、きっとないんだよな。けど……悪い、そういうの考えてる余裕ねぇわ。殺しにくる奴ら、全員、殺す」



 火猿は百を越える火球を放りつつ、兵士たちに向かって突っ込む。


 飛んでくる矢と魔法は、致命傷にならない程度に払う。


 鬼術で牽制しつつ、長大な刃を使って、何十もの人間を一刀のもとに斬り伏せる。


 何人殺さなければならないとか、本当に倒しきれるのかとか、考えない。


 ただひたすら、目の前の敵を屠り続ける。


 殺すことだけに集中していると、動作も思考も洗練されていく。



「ぎゃぁ!」

「強すぎる!」

「相手は魔族一匹だぞ!」

「何人殺された!?」

「こんなのおかしいだろ!」



 兵士たちの声も、火猿の耳にはもうあまり届かない。意味のある言葉として聞こえていない。



(流石に血を流しすぎた。きつい。でも、ここで終わるつもりはないっ)



 殺して、殺して、殺して。


 時間の感覚も薄れて、ただひたすら殺す。


 数百だか千だかの兵士たちを、殺しまくる。



(これは、確かに死神の所業だな)



 自分の蛮行に大いに呆れ、それでもなお殺し続ける。


 首が落ちる。


 血しぶきが舞う。


 血の海ができる。


 悲鳴が上がる。


 わけのわからない叫び声も聞こえる。


 火猿は、とにかく殺しまくった。


 そして。



「……終わったか?」



 目の前には大量の死体。


 むせかえる血の匂い。


 体中に、反撃でできた傷。


 気づけば右目は見えていない。


 ただ、もう自分を襲ってくる人間はいなかった。



「あー……疲れた」



 握っていた刀を落とす。


 その場で大の字にになって眠ってしまいたくなった。


 そこで。



「うわぁ、まさか、たった一人で兵士たちを全滅させちゃうなんて思わなかったよ。君、強いねぇ」



 現れたのは、ヴィノ。ティリアたちを連れ去った魔族。


 ろくに疲労も見えないヴィノは、火猿の前でパチパチと拍手をしている。




「……ヴィノ」



 火猿は落とした刀を拾おうとする。しかし、足がもつれて転んでしまった。



「落ち着きなよ。ボクは君と戦いに来たわけじゃない。そもそも、ボクには君を殺すメリットなんて何もない」


「……じゃあ、何をしに来た」



 火猿はよろよろと立ち上がり、尋ねる。



「良いものを見せてもらったお礼を言いに来たんだよ」


「礼、だと?」


「うん。楽しい時間をありがとう。まぁ、もちろん、多少の恨みはあるよ。ここはせっかくボクが掌握した町で、これからもっと色んな惨劇を生み出すはずだったんだ。手懐けた領主君も瓦礫に埋もれて死んじゃった。ボクは君たちに妨害されたんだから、恨みもする」


「……そうか」


「でも、たった一人の魔族に千を越える兵士が敗北する姿を見られた。これはこれで楽しかったよ! こういうの、なかなか見られるものじゃないんだ! 良い終わり方だった! 哀れに死んでいく人間たちの姿、最高だった!」


「……全く共感できねぇ」


「そう? 魔族なのに珍しいね。ま、とにかく、良いものを見せてくれてありがとう! これだけ殺して君はまた強くなっただろうし、今後もまた強くなっていくんだろう。ここ二百年ほど魔族の王はいないけど、君はその王になるのかもしれない」


「そんなもん、なりたかねぇよ」


「望む望まないに関わらず、君の周りは面白いことが起きそうだ。ボクは君の従者になるつもりもないけど、必要なときには力を貸してあげる! これ、ボクと連絡するための魔法具だから持ってて! これに書いた文章は、ボクが持ってる同じ魔法具に転写されるよ!」



 ヴィノが火猿のポケットに四つ折りの紙切れを突っ込む。



「……使わねぇよ」


「まぁまぁ、いつ必要になるかわからないじゃん? それじゃ、ボクはここで失礼するよ。あ、ティリアたちにかけた支配と幻術の効果はもう解除しておいた。正真正銘、あの二人は君に返すね」


「……どうも」


「ついでにもう一個サービス。馬車を用意してあるから、それでこの町を出ればいいよ。速やかに出て行かないと誰かから襲われるかもしれないし、急いでね」


「……ああ」


「今度こそ、本当にバイバイ!」



 ヴィノの姿が空気に溶けて消えていく。


 今度こそ一段落だと思い、火猿は空を見上げて大きく息を吐いた。

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