第52話 畜生
* * *
「あら、あら、あら。カエン、もしかして死んじゃったかしら?」
三体の
カエンが死んだところで、従者にとってデメリットはない。従者としての束縛がなくなって自由になれるので、むしろ好都合でもある。
ただ、従者は主を生かすためにできる限りのことをしなければならない。それは本人の意思とは無関係の衝動で、リシャルはその不快感に苛まれている。
「死ぬならさっさと死ねばいいのに!」
心臓を失ったとしても、生物がすぐに死ぬわけではない。血流が止まり少ししてから死ぬ。それまでに心臓を修復すれば、死ぬことはない。
「……自分の回復魔法、今日ばかりは恨むわ」
自分の傷を治すのには便利。それで何度も生き残ってきた。不死身のリシャルと言われることさえある。
自分を癒すなら良いが、死んでほしい主を救うのは面倒だった。
「あいつが死ねば、また自由に殺せるのに!」
リシャルは影人の相手を止めて、カエンのところへ急ぐ。
ティリアは、地面に横たわるカエンを蹴り飛ばしたり踏んづけたり。おそらく幻術の効果で、相手が誰なのかわからなくなっている。傷つけているのが最愛の相手だと知れば、ティリアはどんな反応をするだろうか。
リシャルはその光景を見たくなる。
(人間が絶望する姿って、最高よね)
だが、今はカエンの治癒が先決。リシャルは風の魔法でティリアを遠くに弾き飛ばし、カエンの側でしゃがむ。
「あらあら。男前になったじゃないの」
カエンは全身血塗れで、筋肉や内蔵も露出している。心臓まで貫かれて、ほぼ死が確定している。
「このまま見捨ててしまいたいところよ。あーやだやだ」
リシャルはカエンに回復魔法をかける。表面の傷は後回しで良い。一番に治すべきは心臓。
「私の回復魔法は、魔族しか治せない。その代わり、魔族を癒す力はずば抜けてる。私を連れてきておいて良かったわね」
カエンの心臓が少しずつ回復していくのを、リシャルは感じ取る。
「心臓を引き抜かれてたら、回復できなかったかもね。握り潰されるだけで済んで
良かったじゃない。……それで、ティリアはまだ動くのね」
地面には悪魔の種子が落ちている。魔力の暴走は止まっているはず。しかし、ティリアはまだ戦闘の意志を見せて立ち上がる。
「死ネ……皆、死ンじゃエ……っ」
種子で暴走していたときの名残りか、体が弱っているせいで呪いを制御できないのか。とにかく、ティリアはまだ暴走しているようだ。
「呪いの制御なんてなかなかできることじゃないわ。魔族でも難しいこと。人の身でそこまでできたのだから、大したものよ。ただね、あなたがカエンを殺そうとするのなら、私があなたを殺すわ」
ティリアには手を出すな、と命令されている。しかし、カエンを助けるためであれば、無視することができる。
「あなたのことも嫌いだったの。丁度いいわ。死になさい。……と言いたいところだけど、まだ手が放せないわね」
心臓の回復には少し時間がかかる。そして、回復魔法と他の魔法は同時に使えない。
「忌々しい。本当、カエンと一緒に旅をするなんてうんざりだわ」
ティリアが影人の一体を操り、リシャルたちの方へ向かわせる。ティリアの力が弱まっているからか、影人は少しずつ小さくなっている。それはありがたいことなのだが、戦えない状態ではやはり脅威に違いない。
リシャルはカエンの体を抱き抱え、影人から逃げる。
リシャルを襲う影人の拳。紙一重でかわしていくが、そう長くはもちそうにない。
「さっさと回復しなさいよ! 今のティリアなら、鬼術でどうにでもできるでしょ!」
リシャルは逃げて、逃げて、逃げて。
「う……あ?」
カエンが意識を取り戻す。外見はまだボロボロだが、心臓が回復すれば死にはしない。
「カエン! ティリアを止めなさい!」
「……あ、ああ」
火猿の右手から生じた雷撃が、ティリアを貫く。
種子によって強化されていないティリアは、その一撃で気絶した。
「自分をそこまで痛めつけた人間を殺さないなんて。わけがわからないわ」
「……本人の意志じゃない」
「あ、そ」
リシャルは、心臓の次に、カエンの切断された左腕も軽く治癒。出血は止めた。
そこでひとまず回復を中断し、小さくなっていく影人を風魔法で攻撃。強烈な突風を浴びせると、空気に霧散して消えていった。
影人たちも消滅し、庭に静けさが戻る。
「……全く、こいつらといると面倒ばっかり!」
直近の脅威は去った。リシャルが一瞬気を抜いたとき。
「あ?」
リシャルの心臓を矢が射抜いた。
続けて、全身に矢の雨が降った。
辛うじて、頭部への矢は回避した。
影人の攻撃を逃れ、まだ残っていた兵士たちは、追撃の準備をしている。
敵の攻撃に備えなければならない。
しかし、まずは自身の心臓を回復しなければならない。
リシャルは心臓に突き刺さった矢を引き抜き、回復を優先させる。
無数の矢が、再び迫る。
「……畜生」
リシャルはカエンを庇いつつ、矢の雨に背を向けた。
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