第50話 側近

 * * *



 領主の執務室の窓から、ヴィノはカエンたちの侵入を眺めていた。



「ごめんねぇ、ディバル君。ボクのお客さんが侵入してきちゃった。まぁ、ボクが何とかするから、ディバル君はのんびり眺めておいてよ」


「ほ、本当に大丈夫なんだろうな!? 強力な魔族二匹だろ!?」



 ルゲニアの領主、ディバル。まだ二十一歳の小太りな青年は、全く貫禄もなくうろたえている。


 執務室内にいるのがヴィノとディバルの二人だけだから、余計に動揺を隠さない。



「まぁまぁ、大丈夫だよ。こっちにはたくさんの兵士がいるし、強力な護衛もついてるんだからさ」



 ディバルはルゲニア伯爵家四男で、ヴィノが来る以前は何の能力も権力もない、落ちこぼれ扱いされた存在だった。


 しかし、貴族としてのプライドだけは高く、専属の従者にも市民にも横柄な態度を取り、大層嫌われていた。


 立場的にも能力的にも全く家督を継ぐ可能性はなかったのだが、そこで人間のフリをしたヴィノが声をかけた。



『君には本当は優れた才能がある。ボクにはわかるよ。君は他の兄弟たちと違う。ボクと一緒にこの町を発展させ、ゆくゆくはもっと偉大な貴族にならないかい?』



 ヴィノの甘い誘惑に、ディバルはすぐに乗ってきた。知性も能力もないが、何か大きなことを成し遂げたい、他人にもっと褒め称えられたい、いっそ世界を我がものにしたい……そんな分不相応な欲望だけは持っていた。


 いざとなればスキルで支配することもヴィノは考えていたが、言葉の誘惑だけで面白いように従順に動いてくれるので、支配はしていない。


 ヴィノの力と知恵を借りて、ディバルは他の兄弟姉妹、さらに父である前代の領主を暗殺。他にも邪魔になりそうな者たちを排除して、ディバルはルゲニアの領主としての地位を得た。


 しかし、ディバルには全く統治者としての資質がない。


 領民にとって幸いだったのは、ディバル自身は統治者としての能力に欠ける上、そもそも領地経営にも興味がなかったこと。仕事は他の者たちにほとんど任せきりだったため、案外すぐには破綻しなかった。


 あえてヴィノが悪い助言をしなければ、町はむしろ良い方向に向かってしまったかもしれない。


 ディバルは、何もしたくないがとにかく他人から評価されたい、という愚か者。


 故に扱いやすく、騙しやすく、ヴィノにとっては愉快な玩具だった。



『陰鬼の森に潜む住民が、魔族を匿っているんだって。魔族も魔族を匿う住民も全部粛清しちゃえば、ディバル君の評価も上がるよ!』



 そんなでたらめな助言にも乗って、ディバルは兵士を動かした。


 カエンたちに邪魔をされてしまったが、とにかくろくに考えずに様々なことをしでかす男だ。



(カエンの狙いは、ティリアとファリスを取り戻すこと。ボクの命も狙うかな? もしくは、王の素質があるのだから、ボクも従者にする?

 あの二人は強そうだから、ボクは負けちゃうかもしれない。まだ死にたくはないなぁ……。いざとなったら逃げよっと。ディバル君とはお別れだ)



 愉快な玩具を手放すのは惜しい。もっとたくさん遊びたかった。



(もしかしたら、これが最後の一暴れ。楽しませてね、皆)



 * * *



 領主邸の庭に侵入した火猿は、急に体が重くなるのを感じた。



(……なんだ? デバフ系の魔法か?)



 戸惑う火猿の前に、二人の人間が立つ。


 一人は兵士とは違った白銀の甲冑を身につけており、顔もわからず、性別も不詳。身長の高さと体格の良さから、おそらくは男性。


 もう一人は、耳の長い銀髪の女性。おそらくはエルフの魔法使いで、手には赤い石のついた杖。



(体が重くなったのは魔法使いの力か。それに……)



 庭にいる兵士たちの目が、まっすぐに火猿を見つめている。気配遮断のローブの力も無効化されている。



「俺がやる。お前たちは手を出すな」



 甲冑の剣士が言った。声からしてやはり男。



(実力はリシャルに近いか? 一対一なら俺の方が強いだろうが、このデバフは厄介だ。同じくらいの力量になっていそうだな)



 剣士が剣を構える。右手に剣身の青いロングソード、左手にバックラーのような丸い盾。


 それに対して、火猿は一本の刀を作り出し、下段に構える。



「……おい。一応訊いておく。俺のツレが二人、ヴィノに連れて行かれた。どこにいる?」


「知らぬ」


「そうか。じゃあ、死ね」



 火猿は剣士に接近しようとするが、やはり身体が重く、イメージ通りの速度が出ない。


 剣士は逆に速力を上げているのか、俊敏な動きで剣を振るう。


 火猿はその剣を破壊しようと刀を振り抜くが、金属同士がぶつかり合う音が響くだけ。


 さらに、青い剣身から冷気が生じて火猿を襲う。刀と両手が薄い氷に覆われた。



「ちっ」



 火猿は即座に距離を取る。氷は火猿の動きを阻害するほどではなかったが、何度も打ち合えばいずれ腕が動かなくなるかもしれない。じわじわ効いてくる攻撃だ。


 距離を詰めてこようとする剣士に、火猿は雷撃を見舞う。並の鎧であれば貫通し、相手を気絶させる雷撃だが、甲冑に阻まれて無効化された。


 剣士のさらなる攻撃を、火猿は後ろに飛びながら受ける。相手の力に流されるまま弾き飛ばされて、剣士から距離を取る。



(今まで戦ってきた連中とは一味違うな。二人合わせればAランクのパーティーってところか? いや、もう一人いるか)



 火猿は背後から迫る何者かの気配を察知。その場を飛び退いて、何者かの刃を回避した。



(隠密系のスキルを持つ誰かだろう。アサシンか? 姿は見えないが、居場所も動きもわかる。気配察知がなければ危うかった。さて、こいつらとどう戦う?)



 火猿が思案していると、魔法使いからも無数の火球が飛んでくる。火猿が逃げた方向には剣士が待機して、剣を振るう。それを刀で受け止めると、また氷の浸食が始まる。数秒足を止めたところで、背後からまたもう一人の刃が迫る。



(怪、力っ)



 火猿は力任せに剣士を押し、退かせる。後方からの刃は火猿の背を薄く切り裂くだけに終わった。



(破壊の一撃)



 その場で回転するように、火猿は横薙ぎの一閃を繰り出す。



 剣士の剣を削りつつ、後方の敵にも一太刀。アサシンは即座に後方に飛び、刃をかわした。



(実力者三人を同時に相手にするのはなかなか厄介だ。だが、すぐに殺せないなら、これでどうだ? 風の鬼術)



 火猿は、半径二十メートル以内にいる人間、全ての呼吸を停止させる。剣士、魔法使い、アサシン、全てがこの範囲内だ。



「かっ、息が……っ」


「妙な、技を……っ」


「く……っ」



(一瞬で倒せなかったとしても、これなら攻撃に耐え続けるだけで俺の勝ちが決まる。さぁ、どう出る?)



 相手の呼吸を止めたとしても、数十秒から数分はまだ動ける。火猿は油断せず、敵の攻撃を避け続ける。


 元々は連携ができていたはずなのだが、勝ちを急いでいるのか、三人の動きが雑になる。



(まずは、剣士)



 剣士の大雑把な一撃に合わせ、火猿は破壊の一撃を発動。剣を破壊すると共に、その大柄な身体も切り裂く。剣士の腹を裂き、左腕を切り落とした。


 重傷を負ってもまだ戦う意志をなくさないのは、流石実力者だった。剣士は残った右腕と折れた剣で火猿を攻撃してくる。


 火猿はそれを辛うじて回避しつつ、無数の火球を剣士に向けて放つ。切り落とされた左腕の断面から火が付き、剣士の身体が即座に燃え上がっていく。


(火の鬼術、参。火力があって、こういうギリギリの戦闘では助かる)


 剣士は炎に飲まれて動きが止まる。


 魔法使いはその火を消そうと水の魔法を使うが、残念ながらただの水魔法で鬼術の火は消えない。



(次、アサシン)



 アサシンの刃を、火猿は刀で切り払う。何度かその刃を破壊しているのだが、いくつか武器を持っているようで、替えの刃を使ってくる。



(二人が相手なら、色々と試してみてもいい)



 火猿は雷撃を放つ。アサシンは剣士ほどに防御力の高い防具を使っていなかったのか、それで動きが鈍った。


 アサシンが距離を取り、刃を投げてくる。それとほぼ同時、別方向から無数の火球。


 火猿は二本の大剣を作りだし、二方向からの攻撃を防いだ。



(ついでに、もう一発)



 火猿は自身の周囲に向けて、ほぼ無差別に雷撃を放つ。


 アサシンと魔法使いはその直撃で崩れ落ちる。二人ともまだ動いているが、呼吸が止められているのもあり、戦える状況ではない。



「カトルたちが倒れた! 我らも戦うぞ! 相手は消耗している! 物量で押せ!」



 三人が倒れて、成り行きを見守っていた兵士たちが動き出す。


 しかし、その中にこの三人ほどの実力者はいない。


 火猿は、飛来する矢を剣士の鎧を盾にして防ぎ、向かってくる兵を雷撃で止めた。


 火猿からすれば数が多いだけの敵だったのだが、魔力は消耗してしまう。



「こいつらの相手はいいから、カエンはさっさとヴィノを倒してきなさい」



 途中、リシャルがやってきて、風魔法で兵士たちを蹴散らした。


 その隙に、火猿は領主の屋敷に潜入した。

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