ver.8 あるお嬢様と執事、相手を天秤にかける。

夕暮れの空。


流れ、陽に染まる白い雲。


吹き渡る春の風。


それに運ばれるように響くカラスの声。



そして、









「ふわぁぁぁぁぁぁぁ〜っ♡」


目をハートにするお嬢様と、


「・・・・」


あきれた目をしてから


「・・・猫の方が可愛い」


と誰にも聞こえぬほど小さな声で呟く執事。




——少し時を戻そう。



————————————————————————————————————



「お嬢様,遅いなぁ」


いつもの時間に迎えにやってきた執事は,一度出た運転席に再び戻りながらつぶやいた。


「かれこれ20分は待ってるんだよなぁ」


腕時計をチラリと見たのち,執事はさっき近くの自動販売機で買ってきたレモンティーに手を伸ばす。


そしてキャップを開け,口元でボトルを傾k————






「あーまば!」





「ゴフッ」





外からお嬢様の声。高級車のドアを挟んでもはっきりと聞こえるというお嬢様の声量が恐ろしかったが,執事はそれどころではなかった。



「お,おかえりなさいませお嬢様ゲホゴホ」

「大丈夫?ていうかそれはあんたが勝手に素敵なドリンクを飲もうとしてたせいだから自爆ね」


「・・・・(辛辣だな)」


「じゃ,これは頂いておくわね」

「え、あ、う、それは」


お嬢様の手が執事のレモンティーに伸びる。






と、






執事はその手を掴み,お嬢様の顔を覗き込んだ。










そして、






















「お嬢様。これをお飲みになられる気でございますか」


「まぁ、もったいないからそうするわ」


「お嬢様,」


執事は笑みを堪えながら言う。



















「そうされますと、わたくしとをなさることになるかと思いますがよろしいのですか」




その言葉で,ピタッと動きを止めるお嬢様。


執事はそんなお嬢様の眼前に例のペットボトルを差し出す。


「じ、じじじじゃあいいいいらないわよよよっ」


お嬢様はペットボトルにビンタペットボトルを押し返したかったをし、その衝撃で妙な回転がかかったそれが執事の手から離れ,彼の片眼鏡が傾いた。


「イタイ・・・」


眼鏡の傾きを直しながらその痛さに悶絶する執事。恐るべきお嬢様パワーである。



「あの、天羽」


「はい何でございますか」


「さっきからそこで、佐都紀と志磨さんが私たちの問答を見てるんだけど,今日,歩きで帰らない?」


「・・・・(マジか詰んだ。いや何も詰んでない気がするけど)」


「天羽ぁーだいじょーぶー?」


「ええ,少々驚いただけでございます。歩かれるのでしたら緑埜みどのを呼んで車に乗って帰ってもらいますから少々お待ちください」



————————————————————————————————————


※屋敷


————プルルルル


「はい、こちら緑埜ですが」

『ぼくだ。ちょっと来てくれないか』

「またかい。お嬢様,生チョコ化現象?またお前なんか変なこと言ったんだろー」

『いや違う。今日は急にお嬢様が歩きで帰りたいと言い出したんだ。だから,ぼくの乗ってきた車をお持ち帰りしてもらおうとおもって』

「お持ち帰り言うな。————オッケ、りょーかいです」


————ぷつ



「ヤァ,どうやら今日もこき使われるみたいだな,俺!」



昔から全く同じ型かなりボリュームのあるいわゆるキノコヘアをキープしている髪を軽く揺らしながら、屋敷のもう一人の使用人・緑埜は意気揚々と外出の準備を始めるのであった。




————————————————————————————————————



「佐都紀ー,おまたせー」

「時間的には全然待ってないからだいじょーぶ」


緑埜が参上し車に乗って去って行くと、お嬢様と執事は佐都紀と志磨のところへ急いだ。


「———ねぇ,さっきレモンティーと正面衝突してたけど大丈夫?」


お嬢様たちが話を始めたところで、ちょうど燕尾服と同じ色のマスクをつけた志磨が執事に近づいてきて言う。


「多分大丈夫だと思うけど。そういうお前はメガネが曇りまくりだぞ」


天羽は水蒸気で白く曇った志磨の黒縁メガネを指差す。


「しょうがないでしょ。花粉がやばいんだよ」

「あー,そういう季節か。じゃあメガネ外せば———と思ったけどそうすると目がやられるのか」

「そうだね。というか

「そういう派———というか

「あ,



運良く,そんな禁断の会話はお嬢様達の耳には届いていなかったようだった。



——————————————————————————————————————



そしてようやく,時は始めに戻る。




横断歩道で信号待ちをしていた4人。


後ろから来る一人と一匹の気配に最初に気がついたのは、佐都紀だった。



「あっ…、一番来ちゃいけないのと出会ってしまったわね…」


そばに立つ志磨にそっと囁いて後ろを示す彼女の視線を辿るようにして彼の視界に入ってきたのは。



「あー」














お察しの通り。








例のわんこフラットコーテッド・レトリーバーである。






「ねえ志磨。これは絢音に教えてあげるべきだと思う?」

「いえ,おやめになるのがよろしいかと」

「即答ね」



苦笑いをお互いに浮かべる二人であった。————が。



「2人ともー,信号,青になったわy —————」




お嬢様犬派女子が後ろを振り向いてしまったのである。





そしてもうお分かりだろう。








「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ〜っ♡」






「「(あーあ,気づいちゃった心の声)」」





お嬢様は,信号が青であることさえ忘れて飼い主さまに許可をとり,いつものごとく目をハートにした状態でわしゃわしゃを始めた。




しかし,その傍で呟く男一名。












「——————猫の方が可愛い」






もちろん、天羽という名の男である。






「「!?!?!?!?それ言っちゃっていいのか…?」」




お嬢様は,そんな呟きも聞こえていない。

呟いている本人も、佐都紀と志磨に聞かれていることに気がついていなかったかもしれない。




信号が赤になり,また青になった。それくらいの長時間,お嬢様はわしゃわしゃに夢中だった





「お嬢様,そろそろお帰りになりましょう」


執事は呆れ顔で,お嬢様を可愛いわんこから引き離した。


「えー天羽ヒドい。せっかくわしゃわしゃしてたのに」

「ひどくありません。ほら,信号がまた赤になってしまったではありませんか。—————申し訳ございません,長時間お引き止めいたしまして…」



信号を示し,飼い主に詫びる執事。



そうして,また青になるのを待ったのち、やっとの事で信号を渡ったのだった。


——————————————————————————————————————



しかし,信号を渡った後にも,

まだお嬢様は引き剥がされたことを根に持っているようで。





「あーあ,せっかく可愛かったのになぁー」






そしてまた呟く男一名。





「猫の方が可愛い」






「・・・・(この2人,よくやっていけるわね)」

「・・・・(可愛いのはどっちかについて2人ともよく懲りないなぁー)」



傍で目をぱちくりしながら見つめるもう一人のお嬢様と執事。



「あーでも,やっぱりあの子はかわいーなぁー」



まだつぶやくお嬢様と、



「————猫の方が可愛い」



人知れず懲りない執事。





「ねぇ、絢音ー」





同じことの繰り返しにあきれた佐都紀が,口を開く。


















「さっきからずっと、天羽さんが『猫の方が可愛い』とか言ってるよー」













告発である。











「ま、そーでしょーね」





急にキレ気味なお嬢様。






「あー、天羽とあの子,どっちが可愛いかなぁー」






「(あ,可愛さなんだ・・・)」




何で比べるかはともかくとして,両掌を上に向け,天秤のような格好をするお嬢様を,三人は後ろから見つめる。





こっち左手が天羽でこっち右手があの子だとすると—————」





若干の緊張が走る。





「こっちかなぁー」



左手が上がった。



「あ、そーなんだ・・・・」




ボソリと呟くもう1人のお嬢様。



すると、スカートを翻し,お嬢様絢音が振り向いた。







そして言った。


























「ま、♡」









※お嬢様は,にっこりと微笑んでいます。

















「「「(こっっっっっっっっっわ・・・・・恐怖の表情)」」」












恐ろしきお嬢様のセリフに,空気が凍り付いたのであった。

















その後,執事が



『あー,世界中の犬がいなくなったら,お嬢様はどうなっちゃうんだろうなぁ』


とか、


『ふっふっふ今夜はお嬢様をホットチョコレートにする液体になるまで堕とす方法を考えるとするかなぁ』


とか思っていたかどうかは,誰にも知り得ないことである。


☞ The end.

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