ver.3 あるお嬢様と執事、雪の中を行く。

 あたりは、白く白く染められていた。


天上から舞い落ちるそれは、まるでやわらかな綿菓子を思わせ、


見えないやいばのように鋭く冷え冷えとした風が、歩みを進める二人の頬をかすめる。


しかしながらその舞い落ちた白いものは、地に着くなり消えていき、道路上にはいささか茶色じりの氷が溜まっていた。



「——さむ。帰りたい」

「お嬢様、あと少しですから。今日のパーティーは欠席なさりたくないのでございましょう?」

「——そうは言ったけど、こんな大雪だなんて聞いてないわ。車とか出せなかったわけ?」

「この雪によって事故やそれによる渋滞が相次いでおりますから、お車を使うにしても遅刻は間違いございません」

「——そう」



今、雪の中を歩く二人の目的地はとあるパーティー会場。


車で渋滞や事故にあうと大変と徒歩という決断を下したものの、この天候の中普通に歩いたら到着時間はどちらもどっこいどっこい。


二人は足元の悪い中せかせかと足を動かしていた。




不運な事故が起こったのは次の瞬間だった。


「きゃっ!」

「お嬢様⁉」


お嬢様が、わずかに残った氷と水たまりに足を滑らせたのだ。


執事はとっさにお嬢様のもとへ駆け寄り、お嬢様を支え、すんでのところで転倒を免れることができた。——のだが。



「わっ!」


「え⁉――きゃぁっ!」



——バシャン!


——バシャン!



今度は執事が足を滑らせ、その時上げた彼の声に驚いたお嬢様もまた足を滑らせ、二人はそろって、それぞれ水たまりにダイブした。



二人は蒼白になりながら慌てて立ち上がり、自分のびしょぬれになった衣服を呆然と眺めるばかり。


と、


「はっ⁉」


突然執事が声を上げ、蒼白だった顔が今度は真っ蒼になった。



彼の視線の先にあったのは、全身びしょぬれになったお嬢様の姿———ではなく。



自らの燕尾服の内ポケットにいつでも常備していた、一冊の文庫本だった。



「あぁっ……!わ、わたくしの大事なっ…、大事な文庫本がっ…サ、サイン入りだったと言うのにっ…、びしょぬれになってしまったではありませんか…!」


薄茶色雑じりの雪解け水にぬれたその本を上にかざし、ガクッとくずおれる執事。



「ねぇ…、あなた…」



膝をついて泣きそうな顔をする執事を数十センチほど先で見ていたお嬢様が、口を開く。



「さっきから、本の心配ばっかりして…」



そのときお嬢様の目がうるうるしているのに、執事は気づいていただろうか。














「私より本のほうが大事なのねっ⁉」




「え⁉」


「え⁉じゃないわよ!私だって今、ここで転んでびしょぬれになったのに!あんた一ミリも心配してないじゃない!うぅっ、わたしのことなんてどーでもいいのね。あなたってそんな奴だったのねウッウッ見損なったわっ……」



そう言い放って、お嬢様は泣きだし、そして執事に背を向けて走り出した。

















そして、転んだ。



執事は慌ててお嬢様のそばに駆け寄って、彼女を助け起こした。


「大丈夫でございますか」

「知らない。ていうか心配するの遅い。本のほうが大事なんでしょ」




すねている。




「そんなことはございません。先ほどはわたくしもあわてていたのです。どうかお許しくださいませ。——わたくしはあくまでお嬢様の執事。最も大切な方はお嬢様に違いありませんから」

「・・・・」




照れている。




どうやらお嬢様のご機嫌も直ったようで。


二人はその後、屋敷にいたもう一人の使用人が運転する車に乗って、無事会場に着いたそうである。























その車の中で執事が、


『あー、ぬれちゃった本どうしよう。サインはあきらめてブック〇フで買おうかな』


とか、


『お嬢様、実はあの展開ぜんぶ企んでやってたりしてたらウケる』



とかなんとか思っていたかどうかは、誰にも知り得ないことである。


☞ The end.

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