第14話 道中と、令嬢の昔話

「さ、もういいかしら。では荷物を纏めますわよー。待ちくたびれている頃でしょうし急ぎますわよ」

 代官との関係を語ったせいで僕たちに垂れこめてしまった思い雰囲気を打ち払うように努めて明るく振る舞うラズヴィーンさんだった。この人の優しい強がりはわかりやすい。

「……」

 アリオールさんは何も言わず床から杖を離し、床をカンカンと二度ほど打つとその音の響きと共に部屋の中が元に戻った。今はすっかり外の喧騒が聞こえてくる。アリオールさんは壁に付けた羊皮紙をすべて回収して、ふっと一息吹きかけただけで手に持つそれらを燃やした。強い火の勢いには見えなかったが、羊皮紙は灰も匂いも残さないまま世界から消え失せるかのように燃え落ちた。派手さはないがそれでも普通じゃないことなのにアリオールさんはさも当然のようにそんなことをする。僕とラズヴィーンさんは思わず顔を見合わせてしまった。そんな不自然さを前にして何か気の利いたことを言える僕ではなかったが、幸いアリオールさんが先を促して話を進めるようだった。

「買い出しはどうする、アテは?」

「勿論。途中で充分事足ります」

 ラズヴィーンさんは先ほどのことには触れないことにしたのかアリオールさんの疑問に泰然と答えた。いつも通りに戻った雰囲気に安心したからか、僕は今度はさっきの言葉が気になりだした。

「待ちくたびれてる? 誰がですか」

「行けばわかります」

 そう言うや否やズヴィーンさんが僕たちを急かし、アリオールさんもそれに合わせる。さっきまでとは違って今度は少し騒がしい。これもいつも通りとも言える。ころころと状況が変わる理由について考えるのは僕には荷が重そうなので止めておいた。あらかじめおおよそ荷物は纏めてあったからそれを持てばほぼ準備は終わる。後はそれぞれ外套を纏えば出発はできる。唯一の気がかりは食料品と飲み水だけ。代官が準備してくれた旅の準備は何故か突き返してしまったし、肝心のアリオールさんもそれには文句を言わなかった。そうなれば多分これもふたりにとっては折り込み済みの事なのだとは思う。

 出発前に水は教会の井戸からそれぞれの入れ物に汲む。グラムで買った革袋がここでも役に立った。ラズヴィーンさんはアリオールさんが持つようなズタ袋でもなく僕のような背嚢でもなく革製の硬く大きな鞄をベルトで括ったものを背負っていた。そこから瓶を出して水を入れた。もちろん荷物にはあの物騒な大槍もあって、今は先に革鞘が被せてある。

 そうして教会を出て、北へ大通りを進む。その途中にあったいくつかの店で保存の利く食料と消耗品を買う。大体は容量に余裕のある僕たちの荷物に入れたけれど、アリオールさんのズタ袋が不衛生そうだとラズヴィーンさんが嫌そうにしたので食料は僕の背嚢に収まっている。その時のアリオールさんはひどく傷ついた様子だった。この人は結構清潔さとかには構わない癖にそれを指摘されると怒るのでもなく落ち込むという不思議なことをする。そしてこう、どう言うべきか、身なりと言うか、身づくろいに関してだけはそれなりに意識している気がしないではない。思い返してみて普段の様子も特段見苦しいとかそんな風ではなかった。僕はアリオールさんの荷物に手鏡があるのを知っている。

 その後準備の確認をして、とりあえず完了と言うことで北門まで向かう。そこから出てしばらく歩くとベイガー伯領の北端、ローン砦がありそれさえ越えられれば晴れてケンディス子爵の領地となる。

 僕たちが北門に着くとそこには代官の館にかかっていた紋章と同じものが描かれた幌の着いた荷馬車が一台、馬に繫がれた状態でいた。まだ何かを積み込むのか後部に踏み台が添えられたままだった。あれがきっと、ベイオルから砦へ向かう馬車なのだろう。そのせいで僕たちはあれを使えない訳だけれど腹を立てても仕方ない。

「ああ、ちゃんとおりましたね。それでは乗りましょうか」

「え、ええ! 乗るんですか! あれに⁉ 平気なんですか?」

「静かになさいな……まあ、建前というやつですわよ。あなたもこういうのに慣れなさいな。……いえ、慣れない方がよろしいのかしらね。さ、あまり騒ぐと人目を引いてしまいますから」

 僕とラズヴィーンさんがそんな会話をしているうちにアリオールさんがさも当然のように軽い身のこなしで乗り込む。そしてラズヴィーンさんの鞄を受け取ってから今度は手を取るようにと差し出す。そうされたラズヴィーンさんは少しムッとした様子でいたけれど、代わりにアリオールさんに向けて片手で握った大槍を渡そうとする。今は適当に調達した布でぐるぐる巻きにしてあった。アリオールさんが両手を前にして受け取れないと言う風に降参するとふん、といつもの調子でツンと鼻を突きあげてのしのしと馬車へ乗った。

「ほら、エリー」

 そんな様子を見ていた僕にアリオールさんは同じようにする。ちょっと恥ずかしいし、むしろこうするべきは僕の方だったような気がするけれど、ここで変な態度をとるとそれこそ子供っぽい気がして諦めてアリオールさんの手を取った。

 僕たちが乗り込んだのを見図ったかのように、馬車の御者席に誰かが乗り込んできた。

 僕はわかっていても何か言われるんじゃないかと内心ハラハラしていたけれど、特にそんなこともなく御者は振り向いてニヤリと笑いラズヴィーンさんに一礼をした。

「あら、あなたは」

「ええ、私ですよ。砦までお供いたします。皆もよろしく」

 知り合いのようだった。兵士の格好をしたこの気やすい感じのおじさんはラズヴィーンさんの様子から安心して良い人なのかもしれない。ただいつぞやの騎士ほどではないけれど背が高く、横幅はもっとあるように見える。強そうなのがむしろ少し心配だった。

「あー、知り合い?」

 アリオールさんはラズヴィーンさんにそう聞く。

「ええ。以前会った騎士がいるでしょう。あの方の部下です」

「念のため御者を代わっておけと命令を受けております。ですが問題なく交代できておりますので無駄な心配だったかもしれませんな。いやいや、あの方らしい」

「そう、よかった。ずいぶん気を遣わせてしまいましたわね、後で代わりにお礼を言っておいてくださいな。それにあなたも、ありがとう」

「いえいえ、しかし、あの方はそれでまた泣くかもしれませんなぁ」

 ハッハッと笑いながらラズヴィーンさんに親しげな様子でそう言う兵士のおじさんだった。それを聞いたラズヴィーンさんは少し寂しそうに「そうですか」と言ったきり黙る。

「……忘れ物はございませんな、さぁて、それでは出発でござい!」

 しんみりした空気を感じ取ってか、おじさんが努めて明るい調子で出発を告げた。


「それでー? ずいぶん親しげだけど、あの騎士とどういう関係?」

 僕たちがベイオルの北門から荷馬車で出てから、だいぶ経ったくらいにアリオールさんがそんなことを言った。出発の時に明るく場を取りなしてくれた兵士のおじさんもそれ以来、なんだかラズヴィーンさんの様子を伺うように黙ってしまったし、僕たちもかける言葉が見つからなかった。肝心のラズヴィーンさんもさっきから物思いに耽るようで、普段の様子とあまりに違うせいで僕たちまで心が沈むようだった。そんな雰囲気をどうにかするような、努めて普段通りの様子でアリオールさんが動いてくれた。

「あなたが期待しているようなものではありません」

 相変わらず声に張りこそないけれど、いつも通りに呆れ調子でアリオールさんをたしなめるラズヴィーンさんに僕は少し安心する。やはりこの人は強気な方がらしく見える。

「ハッハッ、お嬢様の槍の師匠ですよ。いや戦の師匠と言うべきですかな」

 ラズヴィーンさんの言葉を補足するように言うおじさんだった。このおじさんはもちろん、あの騎士とも長い付き合いのようで、その言葉は昔を懐かしむような穏やかなものだった。ラズヴィーンさんは何故か恥ずかしいような微妙な様子だった。

「あの方はお父様の腹心。それでわたくしは幼いころからついて回って困らせていたというわけです」

「あっはっは。目に浮かぶようだ」

 意を決したように重い口を開いたラズヴィーンさんの先回りしたような子供っぽい強がりと言うか、さも「わかっておりました」と言う風な口調にアリオールさんがたまらず笑っている。ラズヴィーンさんが不機嫌そうに口を噤んでいる様子が可愛らしい。どうにも不意の行動が幼いのはこの人の素の部分なのかもしれない。

「違いありませんな。昔も今と変わらぬお転婆ですから。そうですな、お嬢様」

「黙って戦に付いて行ったのは謝ったではありませんか。まだそれおっしゃいますの!」

「あの時は肝が冷えましたわ。ほとんどの連中はお嬢様の身の安全を心配なさっておいででしたが、私はお嬢様の代わりに収まっていたはずの食料がごっそり無かった方が心配で心配で。いえいえ、これは失敬、クックッ」

 兵士のおじさんも今はラズヴィーンさんをからかうことにしたようで、あのラズヴィーンさんがやられ放題になっている。碌な反撃もできずに言われっぱなしなのも珍しい。

「あーもう、この人は……わたくしも最終的にはちゃんと従軍したじゃないの」

 うんざりしたようなラズヴィーンさんだったけれど、いつもより楽しげな様子だったのは多分この人には昔からこんなふうにかわいがってもらっていたからかもしれない。まるで子供が親戚のおじさんにからかわれているようで見ていてほほえましい。そんな風に僕と、たぶんアリオールさんもこの人の様子を見ていたけれど、それに気づいたのかラズヴィーンさんは僕たちに取り繕うように少し威張って見せた。

「ええ! すごいじゃないか。でもよく行けたな」

「あなたはご存じかしらね、二年ほど前に北西で異民族の攻撃があったことを。その時ベイガーは南方と問題があってお父様は領地を空けられず、お兄様は既に『学院』におりましたから。参戦を命じられて断れないそのどうしようもない隙をついて二人の名代として軍を率いたってわけ。着いた頃にはほとんど終わったような物でしたけれど」

「あーあ、あの時……あ、ううん、それで? ちゃんと将軍やれたって? 本当?」

 何か心当たりでもある様子のアリオールさんだったけれど、それはすぐに引っ込めてまたラズヴィーンさんの事情をからかい半分に探ることにしたらしい。

「実際の指揮はあの方の采配じゃないですか。お嬢様はまだまだでしたな」

 兵士のおじさんはラズヴィーンさんが何か言う前に事実を暴露してしまう。相変わらず可愛がっているような物言いではあったけれど、それでアリオールさんがケラケラと笑い出したものだからラズヴィーンさんは一層不機嫌な調子で名誉を回復しようと言葉を絞り出そうとする。その様子もまたいじらしい。

「ぐうう……それでも、手柄だってきちんと挙げましてよ。この手で敵を討ち取って、それに、それに軍規の乱れだって正しておりますわ」

 自分の言葉で自信を取り戻したのか、そのまま得意げな様子で言葉を続けるラズヴィーンさんだったけれど、それを受けておじさんが何とも言えない表情になった。一応は言葉を選ぶような素振りではあったけれど軽口はすっかり引っ込めて、神妙な様子で言葉を発した。さっきとは違う、今度はたしなめるような様子だった。

「はぁ……まったく、覚えておりますとも、お嬢様の腕っぷしもね。ですがあんなの二度と御免ですよ。少しは反省したものと思っておりましたが」

「あ……その、違うの、ごめんなさい」

 兵士のおじさんは相変わらずの気軽な言葉で、そして少しだけ過去を懐かしむ様子だったけれど、それではすまない何かがあったのか最後には心配してなお釘を刺すような、咎めるような感情が見える物言いでラズヴィーンさんに答えた。ラズヴィーンさんもそれを受けて、相手の気持ちに気付いたようにしおらしい態度で素直に謝っている。

「何があったのさ、話してごらんよ」

 この人はこういう時に黙っていられないのだろうか。また、アリオールさんの悪い癖とでもいうべきものが出てきてニヤニヤと聞きにくいことを聞いてのける。少し気まずくなった雰囲気だというのに、僕は不安で胸がおかしくなりそうになる。

「しまった、聞かんでよろしい。こんなことは言いたかないが、弁えなされ」

 おじさんの言葉は親しげだけどこれ以上は止めろという気配は隠す気がないようだ。相変わらずそういう感情をアリオールさんは気にも留めずに受け流すけれど、代わりにラズヴィーンさんは都合が悪そうにおじさんを制しながら言った。

「あーはいはい、この方の詮索好きはいつものことです。いいわ、教えてあげます。……恥ずかしながら、事は戦ではないのよ。従軍中、不潔なのがどうしても我慢できなくて、それで水浴びしていたら襲われましたの、味方にね。」

「あいや、違うんだその、ごめん」

 今までの態度だけでは誤解を受けそうで、実際おじさんは少し誤解していたかもしれないけれどアリオールさんは別に人の心が解らないわけではない。さすがに事情も知らずに軽はずみだったと思ったのか素直に謝っていた。

「勘違いなさらないで、そこらの兵士崩れに後れを取るわたくしではなくってよ。……その、きちんと返り討ちにしましたわ。これ、この顔の傷はその時のものですわね」

「何を誇らしげに言ってんです、我々が駆け付けなけりゃあ結末はどうなってたかわからねぇってのに。あん時のあの方の激怒っぷりを忘れた訳じゃあございませんよね?」

「……まあまあ、愚かでしたわね。あの頃は自分の意思こそが世の全てでしたから」

「今はもう分かっておいででしょうけど、誰も彼もしたい事して万事円満、とはいかねぇんです、周りをもっと知らねぇと。それに、いくら腕がたっても無敵になんてなれねぇんですからね」

 壮絶、というべきか。僕が経験したのならずっと引きずりそうな話を事も無げにする。そしてそうやっておじさんにたしなめられても、どこか重要な部分がズレているような、表情ひとつ変えないで泰然としているラズヴィーンさんの態度にこの人の気質の厄介なところが透けて見える気がする。たぶんこの人は反省はしていても後悔はしていない。

「あっ、まさか、キズモノって」

「待てあんた、それはいけねぇ」

 アリオールさんの何かに気付いて出した言葉を遮るようにおじさんは僕たちの方に振り返って言った。わかりやすく怒っているわけではないけれど、その目には確かにそんな色があった。それ以上続けることを諦めさせるのに十分な迫力が向いた。

 アリオールさんもさすがにそれ以上言葉を続けようとはしなかった。変な沈黙が馬車の中に垂れこめると、それにうんざりしたようにため息をついてから、おじさんを宥めつつラズヴィーンさんが事情を話し始めた。

「それもわたくしが前に話しました。……はぁ、どうしたって噂は広まります。そして顔の傷、わたくしがいくら否定してもどうにもなりませんでしたわね。戦に勝って、ついでに手勢の悪漢も討って、武功を挙げたつもりでも代償は高くつきました」

「……」

 さすがに誰も何も言えなかった。僕だって、こんな話を聞いてどんな言葉をかけたら良いかわからない。あのアリオールさんでさえふざけて茶化す気にはならなかったようだ。おじさんはもう正面を向いて黙り込んでいる。

「しんみりするような話ではない、と言うとまた怒られそうですわね……アリオール、あなたもそうやって流れ者みたいな風だとそのうち何を言われるかわかりませんわよ」

「私は関係ない。私は、いいのさ」

 アリオールさんにも何か事情があるのか、矛先が向いて珍しく不機嫌な様子でそうぶっきらぼうに答えた。いつもと違う雰囲気なせいで何か普通じゃないものでも感じたのかラズヴィーンさんもこれ以上続けるべきか、それとも止めるべきか測りかねているようだった。僕もたまに感じるアリオールさんの不穏な気配を感じて何も言えなかった。

 それでか、おじさんが場を取り繕うように重い空気を払ってくれた。

「……あぁー、まったく、ガラでもないことはするもんじゃあないですな。申し訳ございません、終わったことをクドクドと、お嬢様」

「いいのです、あなたのせいではありませんわ。アリオールが悪い」

「ちょっとちょっと……最後に私のせいにすんなよ……」

「ハッハッ、これは仕方がないですな。さすがお嬢様」

「むぅぅ……」

 旗色が悪いと見てか、さしものアリオールさんも観念した様子だった。相変わらず見ているだけの僕だったけれど、おじさんの心遣いでひとまずこれが終わったことにほっとした。けれど今の話だとラズヴィーンさんも明るく勝気に振る舞っているものの、この人が抱える事情は大変なものだ。僕はアリオールさんに付いて行くし、この人もこれからしばらくはそうなる。その道のりで何か幸運につながるようなことがあって、この人の展望が開けたなら僕もうれしい。僕の今の状態では誰かにそんなことを言えた義理ではないのかもしれないけれど。

 そんな思いはあったけれど、馬車の中はいつもの柔らかい調子に戻ってくれた。会話を続けているうちに馬車も結構進んだようで、いつの間にかベイオルがすっかり見えない。少し道が悪くなったのか、馬車がよく揺れるようになった。すっかり畑がなくなって、木々が多くなりはじめていて、道の脇にはすっかり森が近くなっている。先に見える道も木々に埋もれるようになって見通しが悪い。

「砦まで、まだ遠いんですか?」

「いいや? そうだな……半分ってところか。夕暮れ前までには着くだろうよ。ああ小便か、停めてやるから行っといで」

 僕はそういうつもりではなかったのだけれど、多分僕の不安な様子を勘違いしたおじさんが変な気を回して馬車を停めたのでそれはそれとしていい機会と言うことで用を足しておくことにした。でもアリオールさんまで馬車を下りるとは思わなかった。

「じゃ私も」

「お前さんもか、よし行ってきな……っておいおい、どこまで行くんだよ」

 僕は仕方がないので偶然あった近くの木のそばで済ますことにしたけれどアリオールさんはいつものズタ袋と杖を持ってどんどん先に行き、森の中まで入って行く。

「仕方ねえな。この辺は危ないから早く済ませろよお!」

「じゃあわたくしも」

「お嬢様……あーえ、え、ちょっとどこ行くんです? そっちは……」

「心配無用、アリオールがいます」

「だからだよ……さっきの話の後でこれかよ、俺ぁどうすればいいんだよ……」

 相変わらず男か女かわかりにくいアリオールさんを男と思い込んでいるおじさんはラズヴィーンさんが追いかけるように森の中へ消えたことで気を揉んでいる。たしかに身の安全とか色々見過ごして良い状況ではないのは察しがつくけれど、あのふたりの仲が悪そうには見えないのが厄介なのかもしれない。僕が用を足して戻ってきてもなんだか頭を抱えるように悩んでいるようだった。「さすがに放置は……」とふたりが消えた方へ行こうとして馬をこのままにしておくわけにもいかずといった感じで戻ってくる。安全のためとはいえそもそも自分が行って良いのかと悩むようでもあった。そしてラズヴィーンさんの槍が馬車の中にあったのを見て、それをじっと睨み始めた。

「な、なあおい、ちょっと馬頼めるか」

 そうしているうちにふたりがよりにもよって一緒に戻ってきた。ついには僕に馬を任せようとするほどに追い詰められたおじさんがそれを見て更に混乱を深めていた。

「ああ、どういうことだよ……あ、いえ! 私は何も知りませんです!」

 おじさんの、考えるのは放棄して知らぬ存ぜぬで行くと決めた苦渋の叫びだった。たしかにここだけ見ればふたりの関係は信頼と言うより、変に親密に見えないでもない。なんだか二人の関係を誤解しているようだった

「あーあ、やはりね。この人は女ですわよ」

「うぁ! ……あぁーこれはこれは……とんだ失礼を……しておりまして」

 驚いたおじさんは気まずそうな返事をしていたけれど、それとは別に確かめるようにアリオールさんの頭のてっぺんから足の先までをジロジロと視線を行ったり来たりさせている。ラズヴィーンさんがそんな様子をニヤリと笑いながら見て、アリオールさんに日頃の仕返しと言いたげな顔をした。対するアリオールさんは余計なことを言うなとでも言いたげに額に手をやっていたけれど、特におじさんの探るような視線もラズヴィーンさんのしたり顔にも腹を立てた気配ではなかった。

「しかしお嬢様……人が悪いっつうか、あー」

「何よ」

「いやその……最初からですね、お嬢様、ともあろうお方がみだりに男と親しくしてるってのは違和感があったもんで、つい。それでまさか連れだって小便だなんて、そういうのっつうか、いつものお嬢様なら無用だって嫌がるでしょう」

「普段だって身の安全のためなら仕方ないわよ、ふん。それに今回はこうでもしないとあなたはさんざん悩んだ挙句に付いて来ようとしたでしょうが。それよりも、わたくしはどう見られているのよ」

「いや本当に見てはいかん物を見たのかと……」

「そういう意味ではないでしょうが」

「今回の一件、結局は駆け落ちか何かなのかと思いました」

「あり得ない。ただ用を足しに行っただけでよくもまあ……下品!」

「やややや、失礼をいたしましたぁ!」

「それで、私は何に巻き込まれたのさ?」

 アリオールさんは何とも面倒くさそうに二人のやり取りをじっとりとした目で見てから嫌々ながら仕方なく聞いてやると言わんばかりの投げやりさでそう言った。それなのにラズヴィーンさんはそれこそが面白くてたまらないといった風に弾む声でそれに答える。

「えぇ? だって、誰も彼も、殿方は何故かあなたを男と勘違いなさるじゃないの。わたくしからすればよくもまあコレを男と思えたものですわって、不思議でなりませんわよ。だから試しにこの人がどんな風にあなたを見ているのか知りたかったの」

 ニコニコと朗らかな笑顔でそう言ってから兵士のおじさんを見るラズヴィーンさんだった。それでおじさんも何とも居心地の悪そうな様子で白状する。

「いや、まったく男かと。そりゃ整ったツラはしておりますが」

「何でよ……意味が分かりませんわね。あそうだ、エリー、あなたはさすがに気付きましたわよね? だって傍で一緒にいればどうしたってわかるものでしょう?」

「ああああ」

 僕がアリオールさんの性別に気付いた時のことを思い出して顔が熱くなる。あの時のことは人には言えない。僕の、そしてアリオールさんの名誉のためにも。頭から振り払おうとするほどアリオールさんの肌が頭から離れなくなる。

「なんで急に真っ赤になるのよ……。それにしても男とは、斯くも見る目のない生き物だとわかりました。あなた、損ね」

「何で私を憐れむのさ。私はこれでいいんだよ」

「はーっ、つまらない、もったいない」

 わざとらしく呆れたような素振りでアリオールさんを茶化すラズヴィーンさんだったけれど、これにはアリオールさんもへそを曲げたようでじろりと睨んで言い返した。

「お前よ、同じこと言われたら激怒するくせに」

「いいえ? わたくしは別に女を捨てたわけではありませんもの。褒めそやされるのは性に合わないというのは確かですけれど、そうしたければ好きにするといいですわ」

「あぁー、まったく、煮ても焼いても食えやしない」

「わたくしの勝ちですわね」

 うんざり顔のアリオールさんとは対照的にとびきりの勝ち誇るような笑顔のラズヴィーンさんだった。ただ短い付き合いでわかったこのひとつが、ふたりとも言葉が短いときの方が怖いということだった。好戦的と言うほどではないけれど、衝突を回避するような人でもない。まあこのふたりに関してはじゃれ合うような気軽な感じでもあるけれど。

「あー……っとっと、おふたりとも仲がよろしいことでぇ。狭い馬車で喧嘩は止めてもらえますかね。ほら、えっとそうだ、エリーが縮こまってるじゃあございやせんか」

「えぇえ、僕! この状況で僕⁉」

「冗談は置いておくとして、ローン砦まではもうちっとばかり時間がかかりますんで。日暮れまでには何とかなるでしょうけど。……そんで、本題なんですが」

「今後ですわね」

「ええ勿論。お嬢様は砦に長居できんでしょう? 近場の町まで馬車を走らせろとは言われてねぇですが……なんならそうしますぜ」

「どんな言い訳で他所の領地をうろつくんですのよ。ベイオルの紋章入りですわよ? それにあなた兵士の格好じゃありませんの。余計に面倒な事になるでしょう」

「いやそうはいっても夕暮れにほっぽり出すのはあまりに危険じゃねぇですか。なんかアテでもあるんで?」

「無い、こともない。多分と言うか、きっと」

「何ですかそれは。そんな歯切れの悪い有様じゃあ……」

「無用。というよりわたくしはもう誰かに守ってもらえる立場じゃなくってよ」

「そうは言ってもなぁ……それでも本当に行くんですかい?」

 なんだか妙に迂遠な話だった。最近こういうことが多い。僕のあずかり知らないところで何かがどんどん進んでいるような感じ。それは悪いことではないのだけれど、急に命の危機みたいなことに遭うようになった手前とても気がかりになる。多分アリオールさんはそれでも何かを察してくれているだろうという変な期待感も僕の中には同時にあって、それについてはあまり感心できない感情な気もしている。

「重ねて言いますけれど、あなた付いてこないでよ。わかりますわね? むしろ今回の件は領地の中の問題で完結している方が平和ですのよ」

「……まぁ、どうしたもんか。今回ただの家出ならまだよかったんですが」

「どうせ修道院入りは御免ですから、いい機会です」

「あんまり賢明ではねぇ気がしてならないんですがね。まぁ人生ってやつは平穏がすべてではないってのはわかりますが」

 僕には少し不安な会話は最後別の方向に流れたけれど、僕たちの旅は実際見通しの立たないものだ。ぼくとアリオールさんだけの時でも時々そんな感じだったけれど、今やラズヴィーンさんが加わっている。行き当たりばったりさに拍車がかかっている気がする。別にそれに文句があるわけじゃない。けれど今後の道のりにはもっと気を払う必要があるのかもしれない。なんとなく賑やかな調子で馬車は砦へ進んでいるけれど、僕の心には急に湧いた心配と自分でも空回りしそうに思う意気込みがグルグルと渦巻いていた。

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