第12話 旅の続きは準備から

 その後僕たちはたわいもない話をしながら、たまにちょっとだけピリピリしつつ長くなった話で冷めつつあった食事を終えて司祭の部屋に戻った。三人でこれから何が必要か、どのくらいの日数でどこまで行くつもりかを話し合う。実際は僕を除いた二人というべきものだけれど。十分な光が窓から射し込む中、アリオールさんの古地図を司祭の机に広げ、ベイオルから北西にある山岳地帯を避けるために一度北へ向かい、ベイガー伯領を出てケンディス子爵の領地に入る道のりを指でなぞりつつその辺りのことを話し合った。

「この辺で知っていることは?」

 アリオールさんがラズヴィーンさんに聞く。この辺の事なら領主の娘に聞くのが一番確実な情報源である。さっきまでアリオールさんを真ん中に横並びで地図を見ていたけれど、それでラズヴィーンさんはそこから意気揚々と机の反対に回って当然とばかりに椅子にすとんと座り、地図上のいくつかを指さしながら答えた。

「領内に問題はありません。ここを出るのは簡単ですわ。ケンディス子爵領でもあの辺りに問題は無いはず。たまに人も通ります。ただし境は深い森でね、唯一切り拓かれた道の終端には古くに作られた小さな砦があります。そして今は関所として使われてもいますわね」

「砦があるのか、砦……それで関所ね」

「そういう訳で道沿いに進むことになるでしょう。砦を迂回するのはお勧めしませんわ。ただねぇ……それより前言っていた北のゴタゴタ、収まっているとは思えないのですのよねぇ。あれは根深いですから、ケンディス様が揉め事の相手、さらに北のラムズ男爵家と仲直りできているかわかりませんわね。悪くすれば何かがあって足止め、ないし迂回は視野に入れるべきですわね」

「出るのは簡単って言ったけれど、関所だよ? 自分の事は計算に入れている?」

「あ」

 言い終わってからラズヴィーンさんは頬杖をつきながら地図のラムズ男爵の領地とか言う場所を指でトントンと叩いていたけれど、アリオールさんにそう言われて地図から顔を上げ、僕たちの方を向いて声を出した口のまま固まった。

「もう」

 そうだった。絶縁寸前とはいえ領主の娘、まして王都行きが予定されている身なのにふらふらしているのが見つかったら厄介だし、熱心な兵士がいればきっと引き留められるか、そうでなくとも伯爵家に報告されて今後に差し支えるかもしれない。まずはここを何事もなく越える準備がいる。

「こういうのは策を弄すれば弄するほど悪い方向に進みますから、正攻法で行きますわよ」

 気を取り直すような、取り繕うような、そんなすまし顔をしてラズヴィーンさんは今後どうするかの方針を決めたようだった。それが僕とアリオールさんの視線を集めた。

「こほん、えー、整理しますわね、道を行くのに変更はありません。ただその終端、もはや形骸とはいえ砦には当然、兵もおります」

「それに見つかるとまずいよね」

「砦にはわざわざ領主直属の者が詰めております。統制のためですわね。故に今のわたくしの手が及びませんの。だから小細工抜きで堂々と道を行きます。ただし馬車で」

「そんなので大丈夫なのかー? 君はその、目立つぞ」

「旅人で誤魔化しますわ。公式にはわたくし、もうここにはいませんもの。いないものは探せません。でも槍は……気づかれたときはもう言い逃れできませんわね、お互い知らんぷりができるようにやれるだけのことはやりましょう」

「不安だ、穴だらけじゃないかそれ」

「ただの馬車では不安がありますわね。そこで代官の荷馬車を使います。補給で使われておりますし、馬車の中身も不問でしょう。たとえそれが人でも。むしろそこから出て来た人間なんてよほど熱心な人じゃなければ触れませんわ、きっと。ただ、あなた方の旅の用意を引き継ぐように代官に言ったとはいえ、あの方はわたくしの出発の片棒まで担ぐかはわかりません。もう我が家からの心証は悪いでしょうからこれ以上は、というのもありえますし、わたくしを追い出したい理由もあります」

 朝、僕と一緒に詰め所まで行った時に代官と話していたのはそういうことだったと、今になって何を話していたのかわかった。そこまで言ってまた頬杖の姿勢に戻り、物思いにふけるような目をするラズヴィーンさんだった。ここまでの計画を聞いたアリオールさんと言うと、しくじった場合は僕たちの今後にも関わるからか、少し渋い顔をしている。

「へっ、結局賭けか……いや、追い出したい理由って何だよ?」

「それは追々、それに、充分以上に分があるのなら、それを賭けとは言いませんわ。きっと大丈夫、代官は頼めば馬車を出します」

 アリオールさんのちょっとの嫌味を正面からラズヴィーンさんは受け流した。

「なんにしても今は用意すべき旅の荷物ですわね。次の町も距離が分かっていることですし持ち運べる分と言うことで、二、三日分でよろしいのではなくって?」

「あー……はいはい、わかったよ。そうさね、ケンディス子爵領の近くの町……ああ、ここか。今も名前はイーデルムだっけ? そこまでならそんなもんでいいかも。ああ服とかは要らないよ。今あるのでいい。とと、そうだった、もし平気ならランプかその辺の物をひとつ見繕ってほしい。エリーに持たせたい。……色々たかろうかとも思ったけれど、代官の心証を損ねても良くないし厄介ごとに巻き込むのなら厚かましくするべきじゃない。ラズヴィーンが相手なら容赦なくたかったけれどね」

「ふん、おあいにく様。わたくしだって旅を知らない訳ではありませんもの、過度な要求なら突っぱねましたわ」

「そうはいってもお金の方は何とかしたかった。予定ではここの組合でいくらか稼ぐつもりだったけれど、この状況か。いやむしろ今だから稼ぎ口があるか、でも君のことを踏まえればあんまり悠長なのもねぇ」

 ここで遂にお金の話になった。僕たちのもともとの計画では組合に行くつもりだったけれど、この状況ではどういうことになるのだろうか。

「何をするんですか?」

「復興と言うほどでもないけれど、町の修繕とか、薬とかアレコレ作る準備や手伝いとかかな。後は外の片づけと畑の立て直しとかそんな感じ。たぶんそのくらいしかできないから人足以上の成果を出して、それを見せびらかして吹っ掛けようと思う」

 アリオールさんの様子だとあまり心配はいらないかもしれない。話を聞くとそれはそれで僕が頑張れる余地がありそうなのもいい。ただ、ちょっとだけ気持ちが軽くなったと思えば今度はラズヴィーンさんが今の話を聞いて何か考えている様子だった。

「お金ですか、そう」

「いや大丈夫だから。最後の最後に代官からかっ剥ぐのもよさそうだけど、さすがに後が面倒くさいし君と私たちの約束の内で終わらせたい。まあなんとかなる」

「……」

 ラズヴィーンさんの漏らした呟きを聞いたアリオールさんは少し冗談めかして言った。ラズヴィーンさんを気遣うような気配もある言い方ではあったけれど、それを聞いて思う所でもあるのか急に黙り込むラズヴィーンさんだった。確かにアリオールさんが言う通り今回の事を大っぴらに振りかざすのは大変なことになりそうな気がする。もう手遅れな気もするけれど。

「僕は組合に行くのは楽しみですねぇ」

 なんだか変な空気になってしまったので話を切り替えるのと、それと好奇心のために僕はそう言った。ニヤリと笑うアリオールさんが僕をからかうようにじっと変な視線を向けてくる。相変わらずラズヴィーンさんは沈黙を続けているけれど、これで状況はまた進み始めると思う。

「そうそう、今はそのくらいでいい。あとで行ってみよう」

 そうアリオールさんに言われて、僕はここに着く前に無駄に息巻いてこの人を困らせるようなことを言ってしまっていたことを思い出して申し訳なくなった。今のはそう言うつもりじゃないと言うべきだった。それを悟られたのかもしれないけれど、アリオールさんに両手で僕の頬をにゅっと挟んでムニムニと押されたのはちょっと僕を子ども扱いしすぎな気がしてどうにもならなかった。「やめて」と言ったけれどうまいこと言葉にならなかったのも恥ずかしくて顔が熱くなる。

「わたくし準備の件を代官に伝えてまいりますわ。お昼はわたくし戻らないでしょうけれど、夕食までには戻ります。お二人は楽になさっていてくださいな」

 僕たちを横目にラズヴィーンさんは突然そう言った。今までの話で具体的に今後のことが纏まったということでラズヴィーンはその計画で進めるために手筈を整えるようだ。

 ラズヴィーンさんが部屋を出て、僕たちはこれ以上話すこともなく宙ぶらりんになってしまった。特にやることもないので荷物の中の残った食料を昼食として始末した後、他のこまごまとした荷物の整理を終えてもまだまだ時間があったので様子見を兼ねて例の組合と呼ばれるところに行ってみることとなった。

 まだ乾かない洗濯物のために、アリオールさんはいまだに修道服のまま、その格好で外をうろつくことになった。ちなみにアリオールさんは食事の時以来、フードを被らないままでいるけれど町に出るときは被るつもりみたいで、それで身元を隠すと言っていた。杖も置いていくようだった。それでも寸足らずの修道服の今までベイオルに居なかった長身の修道女が突然現れたらどれほど人目を惹くかはアリオールさんもわかっているはずだけれど一体どこから誤魔化せるという自信が湧くのか。


 僕たちはそれでベイオルにある魔術師の組合に行った。そこは全く普通の建物で周りに比べて大きいわけでもなく、むしろ小ぢんまりとして見えた。入口の傍に申し訳程度の朽ちかけの看板が鎖で吊るしてあって、そこに『銀竜の巣』と言う見た目にそぐわない大げさな名前が辛うじて読める程度にこびりつくように残っていた。僕が見たこともない字のそれはアリオールさん曰く古語で書かれていて、それを読んでもらった時に「気取った看板」と評価していた。そして今に限って言えばそんな看板が掛かっていながら人が入ることも、また出ていくこともないような有様だった。

 入ってみれば、建物の中も別段変わった様子ではなかった。この前行ったベイオルの宿屋を幾分か手狭にしたような作り、一階広間の入り口正面に受付らしきところと、右手側に謎の品物が壁の棚から床にまでわっとあふれるように置いてある場所があって、それ以外の空いた場所に申し訳程度のテーブルと椅子があった。受付らしき場所の中には椅子に座った二人、くすんだ赤茶色のローブを着て、それにくっついているフードを被った不機嫌そうに腕を組むおじいさんと、その横に年季の入った革表紙の大きな本をぼんやりと読んでいる男の子、こっちは僕より若くておじいさんと似たような服装、色だけは違って深緑色の物をフードは被らずに着ていた。

「仕事はない」

「なんでさ!」

 その二人のうち、おじいさんの方に仕事があるか尋ねたところでそう言われた。即座に不機嫌そうに言われたものだから、珍しくアリオールさんも声を荒げて訳を聞いている。

「この前がバカみたいな魔術を使ったせいだ。隠れてやがった半端者が稼ぎ時とばかりに売り込んできやがった。何ができるわけでもない癖に」

 言われてみれば魔物の襲撃があった時、魔術師はあの場にいたようには見えなかった。僕には魔術師の見極めができないけれどアリオールさんの魔術以外があった感じではなかったのはわかる。それはそれとしておじいさんがこれまた心底うんざりした様子で理由を教えてくれた時、どっかの誰か、と言う部分でアリオールさんの方を向いて言葉を強くしていた。しっかり正体がバレている。それでぴくんと怯み、苦い顔でアリオールさんは食って掛かるような態度を引っ込めた。

「魔術師くずれたちかぁ……なるほど、それなら駄目かもしれんね……」

「魔術師くずれ?」

「んんー、優しい言い方をするなら……実力の伴わない人、魔術師になれなかったけれどそう生きざるを得ない人のこと、かねぇ」

 珍しくアリオールさんが困ったように歯切れが悪くそう言った。それを聞いたおじいさんもなぜか不機嫌そうな顔を一層険しくしている。

「落ちぶれ者の山師連中にも都合のいい肩書よ。なんせこれ以上落ちぶれようがないからな。馬鹿どもが、魔術師を名乗る重さも知らないで」

 どういうわけかおじいさんが面倒くさそうながら心底嫌そうに補足した。

「アレだね……詐欺まがいが出始めて身内にだけ仕事を頼むようになるいつものやつか」

 なんとなく僕に説明するような口調でアリオールさんは言った。

「例外はない。それにお前みたいなのもお呼びじゃない。目立ちやがって、こんな場末で何をさせればいい、持て余すわ……悪く思うな、失せろ失せろ、しっしっ」

「はぁ……そうかい。わかったよ、それじゃ」

 その場にいても仕方なさそうなので僕たちは変に食い下がるのは止めておいて教会に戻ることにした。その時、今の今まで無反応だった男の子が本から顔を上げて、そこだけは変わらぬぼんやりとした表情のまま僕たちに向かって控えめに手を振った。僕は考え事をしているようでそれに気が付かなかいでいるアリオールさんの修道服の腰のあたりをつまんでちょっと引っ張ってから、僕たち二人でそれに答えるよう手を振り返すと、男の子は初めてにっこりと表情を作ってくれた。それに気づいたおじいさんは何が気に入らないのか頬杖をついてそっぽを向いて、もう片手でどこからか取り出した幾分か薄い本を使って男の子の頭のてっぺんをぺたんと叩いた。

 夕食までそれでも多少時間があるくらいの日の高さだったので、観光と言うわけではないけれどアリオールさんは僕の見聞を広めるため、と言ってベイオルの中を少し見て回ってから教会に戻ることとなった。改めて、落ち着いてベイオルを見てみると僕の村なんて比べるまでもなく、初めて見た時さんざん感動したグラムの町さえ小さく見えるほどに栄えていた。町を貫くように伸びた石畳の道や、きれいに並んだ建物。通りの店は夕暮れでもまだ活気づいていて、宿屋の方では今日も賑やかな声がした。裏路地、と言うような場所にも何か看板があって人がいる気配だった。けれどアリオールさんが言うには、ここいら辺は健全な様子だけど他では近づかない方がいい、とのことだった。

 そうこうしていると大通りの途中に何やら露店ができており、人を呼び込む声がしていた。僕たちも何の気なしにそっちへ行ってみることにした。


「さぁさ、ここにあるは万病に効く霊薬で、あらゆる怪我もたちまちよくなるって品さ。さる高貴な霊獣の角と学院秘伝の錬金術の妙、早い者勝ち、現品限り。次は無いと思って今買っておくれ!」

「そら、魔物の気配はどうしたってしばらく残るってもんさね。それがお宅に悪さをするもんだから、こいつを家の周りにふりまけば、さあて不思議な良い香気! それが強い魔力を帯びて瘴気も悪運もさっぱりおさらば! 買いだよ、買い!」

 いくつかの露店からはそんな売り文句が景気のよさそうな声で叫ばれている。そこにいる商人たちはローブだとか妙につばの広い帽子を身に着け、全身真っ黒だったり逆に色とりどりの派手な格好をして「私は魔術師」と主張しているか、あるいは高そうな服で学者のように気取った風だった。僕には見た目も売り文句もなにか胡散臭いものに感じられたけれど、こういう栄えた場所でならもしかしたら本物が売られることもあるのかもしれないし、あるいはほとんど芸を見ているようなつもりなのかもしれない。けれどそれなりに人が集まって賑わいを見せていた。

「馬鹿なことを、どっちもそこらの魔術師の領分じゃないだろうに」

「そうなんですか?」

「そうだよ。病を治すのも、瘴気、瘴気ね……あー、魔を祓うのも専門外だね。傷の治療はできないこともないけれど、どっちも教会の奇跡とか言われるものが本流だ」

「へぇー、そうなんですね」

「どっちも魔術の内に無いわけでもないけどね。でも難しいことなんだよ」

 いつもの得意げな顔を見てああ、これも講義なんだなと思っていると突然冷めたような、もしくは憐れんだような、それでいてどこか羨ましそうにも見える不思議な顔になって「それに」と付け加えた。

「魔術を、叡智を、神秘を……己の運命の内に持たないからこそ、ああなのさ、彼らは」


 魔術師もどきの活動について話をしながら大通りをさらに歩いていると、今度は道の端で建物の壁に背をつけて魔物騒ぎの中で出たような粗末な木の板切れに『護衛、荒事、お引き受け』とだけ書いたものを片手に持った人がいた。この人はさっきまでの露天商たちとは違って鎖帷子に傷の多い革の鎧、ボロ布のような黒い外套に顔の上半分の目深にかぶった錆びた鉄の兜と下半分の手入れのされていない無精髭が合わさって近づきがたい雰囲気を放っていた。首には格好と不釣り合いな金色の首飾りが下がっていて、それは小さな円盤がいくつも繋がったようなものだった。そして背丈くらいの槍らしきものをもう片方の手に持っている。

「今度は物騒な奴か」

「しっ、聞こえますよ……ここにいるってことは、あの人も魔術師ですか?」

「さぁね」

 妙に陰気な気配の人なものだから気になる。でも気になるからといってじっと見るのは憚られる。単純にこの人が怖い。

「平気さエリー、ああいうのは何とかなる。ここは近いうちに散った魔物を狩るんで人足を集めるだろうから。いつだって荒事は流れ者の飯のタネ、それに戦える魔術師ってのは貴重なんだ、もしそうなら食いっぱぐれはしない」

 僕の何か変な同情を察したのかそんな風に言うアリオールさんだった。

「僕らもそれに?」

「それまでここいられないだろうねぇ。それに私戦いは苦手だもん、やだ、絶対嫌だ」

 もしもそうならどうしよう、という若干の心配がこもってしまった僕の質問に対して心底御免だ、と言うかのように手を振って嫌がる。まあ確かに嫌なのだろうけれど僕のことを考えてそう言っていることに気付かないほど僕は鈍感じゃない。だからまた、いつもの如く僕の心は少しザワザワする。それに、この人が戦いが苦手と言うのはある意味正しいけれど別の意味では正しくない。

「あ、あれボウズと兄……ちゃん? だよな。なんでそんな」

 歩きながら僕が心を乱しているうちに、今度は戦いの後に宿屋でアリオールさんにしきりに絡んでいたおじさんと鉢合わせた。もちろん変装とは言えない恰好なために正面から出くわせばしっかりと気づかれる。僕は気持ちの整理がつかなかったこともほっぽり出してこれをどうやって収めるかで今度は頭がいっぱいになる。それでもワタワタと自分でも情けない様子で手をウロウロさせるしかできなかった。

「いいえ、どなたかと間違えられておいでですわ」

 そうしているうちにアリオールさんがまるでラズヴィーンさんのような言い回しでシラを切った。いつもとは違う全く女性なその様子は無理があるとは決して言えないほどの見事な変身ぶりでおじさんだけではなく僕まで止まってしまった。

「っ……いやだっておめぇそのナリはともかく」

 一瞬たじろいだり一瞬見とれたりおじさんも忙しい反応をしていたけれど、目の前の事態は見過ごせないようで追及を続けようとした。それでアリオールさんは突然おじさんの肩を引っ掴んでから、わざわざ耳元まで顔を近づけてこれまた普段しないような悪ぶった声の強い口調で威圧した。

「チッ、察してくれるとありがたいんだが? うん?」

「う、あ、ああすまんそうだな、うん」

 さすがのおじさんもアリオールさんの実力というか、あの力を知っている手前、そんな言われ方をしてたまらず降参したようだった。その後アリオールさんが肩を離すと怯えたように僕たちを振り返りつつ足早に来た道を引き返してどこかへ行ってしまった。それを見送るでもなく興味がなさそうに背を向けるアリオールさんだった。

「アリオールさん……さっきの何ですか」

「えへ」

 思わず呆れてそう言った僕にアリオールさんは向き直って、今度はいつも通りの気軽な笑顔でおどけた。

「そんな仕草したって、あれ大丈夫ですか後で大変なことに」

「いーや、詮索好きにはあれでいい。何かあったら見られたくない女物の修道服を着ていたからって言い訳する。ふっふ……こほん、あれでいいのですわ」

 ふざけた調子を残しながらそう弁明した後に咳払いを挟んで、またラズヴィーンさんの真似のような言い回しをする。ただ言葉も仕草も、いつもと違う大人っぽい、惹き込まれる雰囲気だった。

「なんだよー、エリーはこっちの方がいいのかー?」

「いやいつも通りでいてくださいよ……その方がいいです」

 僕が黙り込むとそれが気に入らなかったのか急に不貞腐れたような態度をとるアリオールさんだったけれど、僕としてはもうこれ以上振り回さないでいてほしいという心からの呻きが思わず口から洩れる以外には何も出てこなかった。色々な意味で疲れるやり取りのせいでその後のアリオールさんの様子は気にしたくない。

「あっ、まずいな。もう戻ろうか、エリー」

 そうこうしているうちにさっきのやり取りで人目を惹いてしまっていることに僕たちは気づいて、ここに長居しても良いことはないと来た道を引き返して教会まで戻ることにした。相変わらずアリオールさんは弾むような足取りだけれど、僕の方は今日、いろいろあって無駄に疲れた気がして足取りが重い。この人は何でこんなに元気なんだろうか。

 どうにか教会まで着く頃にはもう日が沈みかけて結構な時間になってしまった。ラズヴィーンさんは用事があると言っていたけれど、もう戻ってきているだろうか。教会に入ると講堂に何人か人がいた。ベイオルの人と、おそらく旅人。もしかしたら魔物騒ぎが落ち着いてから人が来たのだろうか。

 なんとなくきょろきょろと講堂を見渡していたらその中にラズヴィーンさんがいることに気が付いた。向こうもこちらに気付いているようで僕たちの方にやってくる。

「遅かった、と言ってもいいのかしら。約束していたわけではありませんけれどね」

「ううん、まあまあ道草は食ったかな。それで?」

「約束の旅支度ですが、物の調達はおそらく今日中に終わります。なので明日の朝には引き渡せるでしょう。それでよろしいですわよね」

「もちろん、ありがとう。ああー……まあ、こっちからは特に何も」

「……そうですか。もうしばらくで夕食ですわ。食堂で待っていても良いのですが、いったん部屋に戻りましょうか」

 それで会話を終えて僕たちは一度司祭の部屋に戻った。

「で、収穫はありまして?」

「なんも」

「組合はどうでした?」

「どうって……その分だとわかっているんじゃないのかね」

「はぁ……そんなことだろうと思っておりました。ちょっと待ちなさいな」

 こめかみを押さえるようにしながら、面倒そうにそう言ってラズヴィーンさんは部屋を出て、僕たちが何だろうかと顔を見合わせているうちにすぐ戻ってきた。その手にこぶし大の袋を持って。

「はい、これ」

 ラズヴィーンさんはアリオールさんにその袋を突き出す。

「受け取らない」

 アリオールさんは何故か手すら出さない。声が厳しい。

「ではエリー、あなたの取り分でもあります。取りなさい」

「ええっ、困りますよ」

 さすがにハイいただきますと受け取れるものではない。取り分、と言うことは昨日の事の報酬のつもりだろうか。でも何より僕は大したことはしていないし、アリオールさんが受け取らないならそれに触れてはならない。

「用意してから言うのは卑怯ですけれど、今更です。引っ込めませんわ」

「あ、ちょっと!」

 ラズヴィーンさんは司祭の机の上に袋を置いて、アリオールさんの呼び止めでも止まらずに「先に食堂へ行きます」と言い残していってしまった。それで僕とアリオールさんは別の理由でまた顔を見合わせて、今度はふたりして机の上の袋を睨むようになってしまった。なんだか妙なことになってしまったけれど僕は最終的にアリオールさんは受け取るものだと思っていた。旅にはお金が必要だし、旅人はこういう機会は逃さないものだと。たまに見せるアリオールさんのこういう所は変に高潔と言うべきか、旅慣れているからこそ世話になることを嫌がっているのか、それとも何か期待されることを嫌がっているのか、僕にはわからない複雑なものに見える。

「困る」

「そうですね……」

 腕を組んで唸るように言うアリオールさんとそれに同意するしかない僕だった。そのまままた袋を眺めるようになってしまう。

「開ける」

「あ、開けるんですか? 手を付けない方が……」

「中身によって文句のつけ方が変わる。ささやかなら仕方ない、そういうものとして受け取ろう。でもラズヴィーンのことだ、そんなことは絶対ない」

 アリオールさんがそう言って不機嫌そうに袋を開けてみれば、案の定その中身は銅貨なんかではなく、ほとんどが煌めく金貨だった。さすがに何十枚とは入っていないようだけれど、この量だとかなりの額になるはずだ。僕はもう眩暈がする。

「あのバカ、どうやってコレ出した?」

「あわわわ、これは僕触りたくありません」

 アリオールさんの眉間にしわが寄る。僕は少しめまいがする。これを捨て置くことはできないということで袋を取ってアリオールさんは足早に食堂へと行ってしまう。僕はそれを慌てて追いかけるしかなかった。それで食堂へ着けば早速アリオールさんが険しい顔でラズヴィーンさんにつかつかと近寄る。不穏な様子なのに悠然と席についたままラズヴィーンさんがそれを迎えるのも不安になる。

「あら、どうしましたかしら」

「どういうつもりだ」

 ほんのひと時のにらみ合いの後、何もかも受け流すつもりでいるラズヴィーンさんと、かなり強い口調で問い詰めるような言い方をしてから食堂のテーブルの上に金貨入りの袋を放り投げるアリオールさんだった。テーブルに落ちた袋がじゃりんと重い音を立てる。たまたま食事の用意で修道女がミトンをはめて鍋をテーブルに置こうとしていて、二人の様子に慄いてから袋の音にすくみあがって怯えた顔で僕を見た。僕だってふたりが怖い。僕にはどうしようもない。僕の顔もきっと引きつっている。

「もうあなた方のものです。好きになさい」

「そういう問題ではない。私は自分を売った覚えはない」

「うん? ああ、あなたの矜持がそうさせるなら、それはわたくしの矜持ですわ。それでわかってもらえますわね」

「これが元からあったなら先の交渉の時点でちらつかせたはずだ。ならこれは何処から出した、何を売った」

「持ち合わせの指輪を売っただけですわ。それが何か」

 さらりと受け流すラズヴィーンさん態度に我慢の限界が来たのか、それとも僕にはわからない理由で怒るアリオールさんは遂にラズヴィーンさんの襟首に掴みかかった。それでもラズヴィーンさんは怯まず、片手でテーブルの端を掴んでからもう片手で襟首に伸びたアリオールさんの手を掴み返して持ち上げられまいと下に引っ張った。その結果ラズヴィーンさんは多少前のめりになっても椅子に座ったまま、対するアリオールさんの方が力負けしてテーブルに向けてガタンと音を立てて押さえつけられたような姿勢になる。ほんの少し驚いたようなアリオールさんだったけれど、すぐに持ち直したようでいつもとは違う険しい口調で問い詰めるのを止めなかった。

「そんなことをしてどうする、これからお前はただでは済まない。それはわかっているだろう、私はお前のお守を引き受けたわけではない」

 力負けしてもなお静かに詰め寄るアリオールさんに一瞬目を見開いたラズヴィーンさんだった。それでもすぐに落ち着いた風になる。殴り合いこそ始まらなかったけれど、僕と同じでラズヴィーンさんも何でこんなことになったのか理解できていない様子だった。

「いったい何を……いえ、随分と失礼な言い草ですわね。いいかしら、わたくしにとって宝飾品は有形の軍資金に過ぎませんの。たまたま今が使い時だっただけ。それであなたの取り分を賄って何が悪い」

「気に入らない」

「秀でた武勇には称賛と褒賞を、それがわたくしのお気に入りです。それにあなた、突然何のつもり?」

「……」

「……」

 どうしよう。よくわからないけれど何かが嚙み合ってないような変な気配がする。

「あの……」

 つい耐えきれずに声を出してしまってから僕に解決する手立てなんてないことを思い出す。最近こういう行き当たりばったりばかりだ。

「なんだよ」

「なんです」

 どうしよう。二人の視線が怖い。

「エリーも言いたいことがあるなら言うといい」

「エリーはわたくしの気持ち、わかってくださいますわね」

 どうしようか。何か妥協案は無いか。

「あ、あ、その……それの管理はラズヴィーンさんにお願いするのはどうです、か?」

「は?」

「は?」

「いやその、それがア……ぼ、僕たちのために出してくれたこの前の報酬、ってことなら……この前の報酬です、よね? う、それは僕たちの旅の資金にもなるのであって、それなら一緒に行くラズヴィーンさんの旅費でもあるわけで、じゃあラズヴィーンさんに持っていてもらってもいい、ともいえるわけですし……じゃあそれでって」

「……」

「……」

 ふたりとも僕の情けない言葉で黙り込む。自分でも無理があるような理屈な気はするけれど、それ以上にふたりの威圧感のせいで言葉がつっかえる。何かいけないことを言ったみたいな雰囲気が怖い。でも僕の感情を置きっぱなしにしてアリオールさんが襟首から手を離し、それで同じようにラズヴィーンさんも掴んでいた手首を放した。

「ご、ごめんなさい……」

 僕の言葉でふたりの様子をおかしくしてしまった。お互い手を放してもまだ顔を見合わせていて、それでも何も言わない。そんな風にされれば僕の臆病な心臓を守るために謝る他ない。精いっぱい絞り出した提案も冴えてはいなかったらしい。

「ああ、私は……そうだね、そうしよう」

 先に言葉を発したのはアリオールさんだった。僕の意見を汲んでくれたのはうれしい。僕の中に引っ掛かっていたねじれのようなものをうまく説明できなかっただけに。けれど本音を言えば無理な理屈をつけた気がするので同意されてもそれはそれで困る。

「そうはいきません」

 当然、これで引き下がるラズヴィーンさんではなかった。僕のお腹もだんだんと痛くなる。わかってはいたけれど、やはりどうにもならない。同じくらいどうしてこうなったかも僕にはわからなくなってきているのだけれど。

「なら連れて行かない」

「なっ、く、卑怯ですわよ!」

 ガタンと勢いよくラズヴィーンさんは立ち上がった。

「お互い様だよ、君もそういう紛らわしいやり方をするな。エリーのおかげでようやく私も気づけた、頭が冷えた」

「くぅぅ……相手のためにと出したものが……受け取られずに……突き返されて、あまつさえそれで矛を収めろと……何たる屈辱、何たる恥辱」

 ゆらりとラズヴィーンさんがこっちを向く。何故か疲れたような様子だったけれど、その目は僕を睨んでいるように見えた。

「ひぅっ!」

「エリーじゃない。馬鹿なことをしたのは私だろうが……」

「……はぁぁぁぁぁぁー……もういいですわ。なんなんですのよ、これではわたくしが悪者じゃありませんの。ふん、とっても不服です。それだけは覚えておきなさい、それで終わりにしてあげます。このわたくしが折れてあげますわ……ふぅっ」

 そう言ってラズヴィーンさんはすとんと椅子に戻る。何ともやりきれない様子で首を振っているけれど。ふと様子が気になって見たアリオールさんも片手で髪をかき上げたまま苦い顔で上を向いていた。ふたりともさっきから変な様子になっていく。

「あ、あの……?」

「ごはんにしようか……」

「ええ、……あの、先ほどは申し訳ありませんでしたわね。もう済みましたから」

 アリオールさんの提案と、それにうなずいた後、今度は鍋の取っ手を両手で持った姿勢のまま縮こまって今にも泣きそうな顔で固まっていた修道女の方を向いて謝るラズヴィーンさんだった。何が起きているのだろうかと恐る恐る僕はアリオールさんを見ると、気まずそうな表情で答えてくれた。

「……ああ、うん、違うんだ」

 ちょっとだけ居心地が悪そうにしてそっぽを向くアリオールさんだった。

「終わりっていったじゃありませんの……冷めきる前に食事にしませんこと?」

 ラズヴィーンさんまでいつもの調子ではない。修道女は僕たちの食事の用意を終えてすぐ「怪我人のお世話がありますので……」そそくさといなくなった。僕たちはそんな変な空気のまま食事を終えてそれぞれの部屋に戻った。


「さっきはすまない」

「いえ、僕は何も」

 まだ何か引きずっている様子のアリオールさんが普段見せないような気まずい様子でそう言った。部屋に戻ってすぐの事だった。そんな風だったからか、僕とアリオールさんはお互いにしなくてよい様子伺いのようなことをしてしまう。そうしているうちにアリオールさんは僕の視線を避けるように机に広げっぱなしだった古地図に向き合ってしまった。僕も、よせばよかったのにアリオールさんの横で同じように地図をのぞき込んだ。少しの間どちらも何も言えないでいるうちにアリオールさんが地図に目を落とした姿勢まま僕に歯切れの悪い言葉を投げかけた。

「あー、その……今のうちに言っておくか。夢を壊すようだけれど、魔術師って奴は何かにつけて縛られるものなんだよ、特に目立つと」

「そうなんですか」

 僕は地図から目を離してアリオールさんの方を向いた。言葉だけはいつも通りの説明口調、でも今日の横顔からはいまいち感情が読めない。僕は要領の悪い相槌もどきを口から漏らすことしかできなかった。

「そ、自由に見えて自由じゃないというか、何と言ったものかな……まあ、大抵は好き勝手には生きられない身の上になるというべきか……望まぬ値段が付くと言うべきか、自分が自分のものじゃなくなるというか」

 天井を見上げるような風に遠い目になってそんなことを呟くアリオールさんだった。まるで、というよりは完全に自分のことを語っているようにしか思えない。

「私はー……それでも自由でいたい、せっかく自由に――っとと、ああ、何でもない。その、別に傭兵の真似事をしないってわけじゃあない、でも、それは自分が決めてすることであって別の誰かが決めて良いことじゃない、と思う」

「はぁ、それであんならしくないことを……買われたと、そう思ったわけですか」

「そのつもりならアレじゃお粗末だよねぇ。本当に、なんの裏もなくこの前の報酬のつもりだったのだろうさ。余計なことを言ったもんだよ、私も」

 首を振って、珍しく反省しているような様子だった。何かに落ち込んでいるように見えて、この人も何か事情があるという予想は正しい気がした。

「ま、それはいい。さっきの話を聞いてエリーはそれでも魔術師になりたい?」

 不意にアリオールさんは僕の方を向いた。言葉は明るさを取り戻していてもそこにある僕を試すようないつもと違う暗い笑顔が気になる。

「別にそうなりたいわけじゃありません。でもそれとは別に魔術師になりたい。僕は、僕は魔術に出会いました、憧れました。そしてアリオールさんにも。だから憧れで終わらせないために、夢をかなえたい。」

 アリオールさんの突然の問いかけに、僕なりに真面目に答えているのにアリオールさんはほんの少しだけせせら笑うような、でもどこか深刻な顔をしたと思ったら、そのままプイっと顔を地図に戻して僕の頭に手を置いた。

「なにか変なこと言いました?」

「いいや、ならまだまだ旅は続くね。ま、先がどうなるかわからんが、それがよいものになればさ、これも意味があったってことだぁね」

 そう言いながらアリオールさんは僕の頭をわしわしといじる。相変わらず地図に目を落としたまま僕の方なんて見ないまま。何故か言葉そのものは僕に向けられているようでいながら、それでいて自分自身に言い聞かせているような気配があった。そのせいもあって僕はまた、たまにこの人に感じている、触れて良いのかわからない妙な不安に触れてしまった気がした。

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