第6話 山、雨、そして魔術

 グラムを発ってすぐではあるけれど、僕らの出発は順調だった。少し天気が悪いことを除けば。なんとなく先行きの不安を感じるのは僕の気のせいだということにしておく。とはいえグラムを出てからの道はちゃんとしていて足取りは軽い。なるべくこのままなら楽ができる、なんて思う。途中僕たちが通る道から東側へ伸びる道があって、何人かが纏まってグラムへ向かうのも見た。その人達についてアリオールさんに聞いてみた。

「ああ、多分山の方、そのどっかからだろうね。ほら、私が例の森に入った場所にも村があってさ、その辺だろう。あそこは端っこだけど。さてどこが目的か……。」

 アリオールさんが教えてくれた。でもこの辺りでもあんまり人には出会わない。僕の村の周りは田舎だから人なんてほとんどいないけれど、この辺でもこんなものなのか。僕にはよくわからない。そんな僕の様子を察してまたアリオールさんは言った。

「あのくらいの町ならこんなもんだけど……うーん、あんまりよろしくないのかもしれないな、たぶん。旅人はそういうのに敏感だから。もしかすると野山の中か、どこかの街道沿いか、まあ逃げてくる様子でもなし、大丈夫かね」

 そう教えてくれる。旅に必要な考え方かもしれない。疎い僕にはありがたい。

「この辺りって危険な場所はありますか?」

 さっきの言い方だとどこかしらは危ないと言っているようだった。この辺りのことも僕はよく知らないので、それを聞いてみる。

「ない、はず。でも私もそんなに詳しくはないんだよなー……私が来たのはここからじゃないから。さっき言ったもっと北東の方ね」

 アリオールさんはそんな風に不安なことを言う。「この辺のことは君んとこの教会で聞いた」だそうだ。僕の中に心配が湧く。

「ま、道は市場のおっちゃんにも聞いたからわかってる。このまま山道に入って進む、そうすると丘に出る。その後は森。しばらく歩けば道に出るって。よし、前進!」

「はぁい……」

 心配だ。いまさらながら大丈夫かわからない気がしてきた。旅ってこういうものなのかな?早速行き当たりばったりなような。でも僕はこれから自分でも調べながら進む必要があるとは気づけた。これからは僕も旅の役に立てるよう頑張ろう。

 

 そんな風に気負ってはみたものの、まったく代わり映えのない道行が続いている。いっそ退屈なくらいと言うべきか、グラムの町を出て、畑の中の道を進み、経由する山にも難なく入れた。木々の多い地帯が続くけれど北へ向かう道として使われているらしく、ある程度は拓かれているのもありがたい。しかし昨日父さんが言っていたように今朝から続く曇り空からついに雨が降ってきた。激しい雨ではないので無理をしないでも進める。父さんから渡された革のマントがここで役に立つとは。フードをかぶり前を引き合わせているとそれ程苦じゃない。アリオールさんの方を見てみると、僕と同じようにしていた。

「今のところ大丈夫だけど、低くても山は山だ、これからどうかわからない。日が落ちる前に雨宿りできるところを見つけたら今日はそこで休もう」

「わかりました。見つかるといいんですが、あたりを見てきましょうか?」

 僕はそう提案する。早く見つかった方がいいだろうし。

「ううん、そばにいて。はぐれてもよくない。何があるかわからないからね」

 そう言われてようやく気付く。もうここは僕の知らない世界。そう思ってしまってからどうにも周りのことが気になる。

 山に入って、そこからしばらく進むと幸いにもふたりが雨を凌げる程度の岩陰があった。陽はもう落ちかけているのかもしれない。悪天候と合わさって、山に入ってからは木々のせいで実際以上に暗く感じる。本当ならもうちょっとちゃんとした場所が良かったとアリオールさんがぼやく。しかしこれ以上進んでも今より状況がよくなるかわからないのでここで諦めることにしたようだ。

 まだ暖かいとはいえ雨に濡れた身では少し肌寒く感じる。アリオールさんも僕と同じなようで火を焚こうと言った。それでいくらかアリオールさんと一緒に枝を集めた。山なので当然、落ちたもの、木から手折ったものと手ごろな枝を集めるのには苦労しなかった。

 雨のせいで辺りの枝葉が湿っているため火をつけるのに難儀するかと思ったけれど、そこは僕のお守りが役に立った。もう僕の『魔術』と言ってしまいたくなる。僕はアリオールさんの指示でまず石を組み、その上に手ごろな太さの枝を窮屈気味に積む。濡れた地面と生木の時はこうするのだと言っていた。残りの枝と木から落ちたちくちくした葉のついたままのものの水気を振り落として積んだ枝の近くに置いた。この木はなんて言ったか。家でもよくかまどの火入れに使う火が付きやすいものだ。

 ふたりして手ごろな大きさの石に座り込んでから、僕は枝の山へ向けて呪文を唱える。たしか、こうだ。

『ええと……。エレク・エヴェル』

 あの時と同じように枝が燃える。湿り気も何もかも関係なく。

「お、よしよしそのまま。いいって言うまで集中してて」

 しばらくすると枝から変な音がしてきた。煙い。もう少し経つと爆ぜるような音にまた変わる。

「よし、もういいかな。止めていい……あそうか止め方。そのまま集中を切るように、意思を、って言っても駄目か……ん、横の岩を見てー」

「ふぅうう……!」

 僕は魔術の止め方を知らないことを思い出して慌てた。でももしこのまま別の方を向いてそこからも火が上がったらと思うと身動きがとれない。間違ってもアリオールさんの方は向けない。そうして身を強張らせていたら横から手が伸びてそっと顔に触れた。そのまま頬を押され、焚火の横に向けられる。岩ってあれか、とそれを見つけて視線を向ける。燃えない。これで収まったのかと肩の力がようやく抜ける。少し不安だけれど。

「意識を向ける、結果を想起する、言葉を発する。これで魔具は発動する。この手の物はね。だから、そうさね、止めるときは燃えろ! と思うのをやめればいい。慣れないうちはそこから視線も外す。不慣れだとうまく意識が切れなくて危ないこともあるから、不安なときはそうすればいい」

 岩の方へと僕の顔を押していた手を放して、そのままその手の人差し指で僕の頬をツンツンと突きながら言うアリオールさんだった。弄ぶようなことをしていても、心配するような視点で僕のことをじっと見ている。

「はっ……はい、わかりました」

 これでもう大丈夫らしい。でも先に教えてほしかった。初めて火を起こした時はほんの一瞬だったけれど、今回は自分がそうしている実感があるくらいには長く燃やした。そのせいか前よりもずっと重い脱力感と、よりひどい頭痛が纏わりつく。僕の頬をつつくのを止めて、そのままアリオールさんは僕の背中をさすりつつ、燃えた枝の山を見ながら何が起きたかの説明をする。

「ふんふん、青い顔だ、力みすぎたね。でも聞いておいてよ、意識を制御するのは魔術師にとって大事なこと。ひとつの呪文で起きることはその時に願った通り。……あっ、しまった。願うは魔術師にとって良い表現じゃないな。うん、普通は勝手にそれ以上にはならないけれど、勝手に終わりもしない。意識が、世界に投げかける意思が大切なのさ、覚えておくように」


 一度気持ちを落ち着けてから、枝の方はどうなったのか確認した。あれだけ燃えていた火がやはり消えている。この前もそうだったけれど派手な火の手が上がって、実際に熱まで残るのに炎そのものは初めから無かったかのように消えてしまう。

 僕がそんなことを考えているうちにアリオールさんが「私の番だね」と言うと、枝の山を杖で突いて少しの量を除けてから、燃えやすい葉を枝の山の上に被せて下の隙間にも押し込んで、それから自慢げに杖を持ち直しはしたけれど、座ったままでは長い杖に弄ばれるようにモタモタと杖を構えようとして、なんだか嫌気がさしたのか突然杖をほっぽり出して手ごろな短い枝を引っ掴んで先端を向ける。そして僕のとは別の呪文を唱えた。

 今回は教えるつもりがなかったのか、一度で聞き取るのは難しい唱え方だった。つぶやきのようにもさえずりのようにも聞こえるそれをアリオールさんが唱えると杖代わりの枝の先へと握った手元からにじむように赤い光が伝わり、そこから火の息吹とでも言うかのような現象が起こる。焚火に火をつけるにしては大げさなそれが枝の山を炙り、それでもいまいち火の付きが悪かったからか終いにはそのままの状態の杖代わりの枝を薪の下に突っ込めば、やがて引火したのか焚火として燃え始める。手を離した枝がすっかり他と区別がつかなくなっても焚火は消えなかった。生木を燻したわけだからか煙がすごい。僕たちはむせた。そしてアリオールさんは周りの枝をササっと上にくべる。

「ゲッホ、ケホ……まあこんなもんよ、グフっ」

 煙に巻かれてせき込みながらアリオールさんは言った。

「今のは僕のと何が違うんですか? 火がちゃんとつきました」

 煙が目に沁みながら疑問に思ったことを僕は聞く。

「魔術はいわば幻のようなもの。その幻をときに幻のまま、ときに現実として操るのはちゃーんとした魔術師じゃないとできないのさ。そういう意味では火はわかりやすくていいよね、君にしてもらったのは云わば結果だけの先取り、私のはもう少し因果に近い」

 そういって得意げに胸を張る。今更ながら、今日はあんまり胸がない。

「こういうのは師匠を見つけて教わった方がいい。何をするにしても聞きかじりでは結果は同じでも過程が疎かになるから、半端な覚え方はよくない。つまり、教えてあげない」

 そう言っていじわるな顔をする。僕が教えてほしいと言うのを見越してこう言う振る舞いをする。この人は僕をからかうのをやめないらしい。

「僕必要でした……?」

 からかわれたついでに絶対茶化されると知りつつ聞く。

「あの方が枝の水分を飛ばすには都合がいい。なんせ水気があろうと関係なく火が現れるもの。だからすねるな、ありがとうと言ってやろう。ありがたく思えよー?」

 と、妙にねじれたような言い方でも答えてくれた。

「今のうちに教えておくけど、さっきみたいな時、どうしようもなくなったらお守りを体から完全に離すんだ。放り投げるのさ。それは人の傍に会って初めて魔術の起点になる。これも覚えておきたまえよ」

 そう補足するアリオールさん。この時は真剣な顔をしていた。

「そういえば今更ですけれど、あー……アリオールさんの師匠はよくこんなの売りましたね。どう考えても危険な物でしょうに……だって火付けのものですらないんでしょう?」

 今更ながら自分がとんでもないものを持っている気がして不安になる。これは僕みたいな人が持っていてもいいものなのか聞いておかなければならない気がした。

「そもそもエリーはずっとお守りか何かだと思っていたんじゃないかね?」

「はい、ずっとそうだとばかり」

「そんな平和なモンじゃないよ、こういうのはみだりに売ると捕まるし、使い方と一緒だったら厳刑かもしれない」

 さらっととんでもないことを言うアリオールさん。……僕は犯罪者になりかけている?

「えぇっ⁉ そ、そんなの持ってて僕平気なんですか?」

「あー、んー、どこそこの領主のさじ加減なところはある。だけど普通は持っているだけなら平気。エリーにこれが何なのかわからなかったように見ただけじゃそこらの人にもわからんよ。ただ見せびらかすのは止めた方がいい」

「僕の師匠になってくれるかもしれない人ですけど……、なんだかその人、大丈夫なのか不安になってきました……」

「マトモじゃないから安心していいよ。それ見た時正気を疑った」

「僕これからどうなるんですか?」

「さぁね。楽しみだね、へへ」

「……」

 僕はもう何も言いたくないほど今後が不安になってしまった。


 それから僕たちはそのまま岩陰に釘付けになった。岩陰に避難した後すぐに強く雨が降って、それが間もなく弱くなってもしばらく続き、その後雨が上がったのは日がとっぷりと落ちてからだった。これにはさすがにアリオールさんも参ったようで僕に「こんなはずでは……」だの「幸先悪すぎないか……」とぼやいていた。

 追加の枝を火のそばで乾かしつつ、消えないように何とかつないでいた焚火を前に食事を摂る。少し濡れてしまったけれどグラムで買っておいたひき肉のパイをアリオールさんと半分こして食べる。今日はそれで終わり。明日の行程に備えてもう休むことにした。でも雨を警戒して十分な場所が取れないので身を寄せるような形になってしまった。

 この期に及んでアリオールさんは「用を足すんでも遠くに行くなよ。何ならついてってあげようか?」なんて軽口を言う。いろんな疲れがたまって「冗談止めてくださいよ」としか僕は返せなかった。

 そうしているうちに眠気が襲ってきてしまった。乾いたところの関係で碌に横にも慣れないこんな状態ではなかなか眠れないだろうと思っていた。それに初めて屋根のないところで夜を明かそうとしているのに、この山を怖いとさえ思ったのに今はそうでもない。どうしてかな……なんて考えているうちに僕は遂に眠気に耐えられなくなった。

 朝。残念ながら今日も天気が悪い。雨は降っていないがこの先はどうかわからない。とりあえずミィルの実をかじり朝食を終える。天気がまた崩れる前に進めるだけ進もうということですぐに歩くことになった。昨日の疲れで今日もへとへとかとも思ったけれど意外なほど眠れたようで、不思議なくらい元気だ。初めて屋外で野営して熟睡とは僕も意外と図々しい性格だったのかもしれない。

 今更ながら僕は山に入ったことなんてなかった。でも山に入ってみればここは低山なこともあってそれほど険しくはない。中ごろに達しても相変わらず道と呼ぶには最低限の体裁しか成していないけれど、人が使っている形跡がしっかり残っているようで、このままいけば迷う心配もないだろうとアリオールさんは言っていた。少し休憩を挟んだ時のアリオールさん曰く、曲がりなりにも道があるにもかかわらず、山に入ってから最近人が通った気配がないのは気になるらしい。向こう側に出た時が一番油断できないかもしれない。

 グラムを発つ少し前、道のりの確認の時にアリオールさんが言っていたけれど、実は一日余分にかかる代わりに山を迂回できる街道があるらしい。ただし途中に昔は宿場町だった廃墟があって、人手不足のせいでいまだにほったらかしとかで、少人数では近づかないほうがいいと市場で助言されたんだとか。街道を通る途中で西に逸れれば領主のいる都市エティンに寄れたけれど、金なし伝手なしの旅人がおいそれと行ってもあんまりいいことにはならないだろうということもあって街道は止めて今通っている道のりになった。

 そうやって進み、ようやく山を抜ける。不思議なことにこっち側は木が少ない。山を挟んだだけでこんなことがあるのか。アリオールさんなら理由がわかるかもしれない。

「あっちに行くと私が森に入った集落があるよ」

 そう言ってアリオールさんは東の方を指さした。はるか先の険しい山以外に何かが見えるわけではなかったけれど僕にとっては初めて知ること、ありがたく聞いておく。でもアリオールさんが向こうの方からあの森に入ったとするなら、下手すると何日も森の中を彷徨っていたことになる。それならあの弱りっぷりも仕方ない。むしろ良く生きてたなとさえ思えてくる。こういう場合は悪運が強い、とか言うのかもしれない。

 とはいえ今に限っては僕たちは何事もなく進むことができている。旅として順調なのかはわからないけれど、何事もなく行程を消化できているならそれでいいのかもしれない。

 そうこうして進むうちに日が暮れつつある。見渡せる限りでは限り変な様子もない。ベイオルはこの先、丘を越えて少し行ったところの森を抜けた更に先にある。アリオールさんに見せてもらった地図によるとそうなっていた。アリオールさんは古地図の安物だからどこまであてになるかはわからないと言っていたけれど。

 丘まで来て、その頂の手前に差し掛かるとだいぶ前に誰かが野営したような跡があったのでそれを使うことにして今日の旅はそこで終わりとなった。日が沈み切る前に腰を落ち着けられたのはいいけれど、雨風を凌げるようなものがないので野晒しの野営となってしまった。

「今日は燃やせるものがないですけどどうしましょうか。」

 丘には木らしい木が一本もない。だから枝も落ちていない。いくらか細い低木が生えてはいるけれど、枝にとげが多くてあまり触りたくない。雨が降りさえしなければ火を焚かなくても寒さにやられることはないにしても、何となく火がないと不安になる。この焚火跡はどこから燃料を調達したのだろうか。

「今日は無理だね。薪を持ち運ぶのは面倒だし、仕方ない」

 そんな会話をしつつ今日はアリオールさんが持っているランプの明かりだけで済ますことにした。燃料は持ち合わせが余分にないから贅沢には使えない。食事はパンにチーズと干し肉。疲れると塩気が嬉しい。だいたい四日分と少しを目安に食料を買ったので明日ベイオルに付けば余ることになる。低いとはいえ山道には変わりなかったので大雨で立ち往生したり何かの理由で迂回しなきゃいけない時の備えだと言っていた。アリオールさんはゆとりのない計画はよくないと教えてくれる。実際僕らは雨で思うようには進めなかった。無理をすれば行けたかもしれないけれど、準備のおかげで無理をしないで済んだ、とも言える。もし僕一人で旅をする時でも同じようにするべきだろう。

 しかしそれでも水の方はそんなに余裕があるわけじゃない。ただ空や地中の水を引っ張り出して使う魔術があるから水源がなくとも水の確保は環境によってはどうにかなるらしい。つまりダメな場所ではどうにもならないと言うことでもある。そういうわけで魔術といえども万能ではないと知ることは大切なんだとアリオールさんは言う。

「明日はベイオルですねえ。着いたらお仕事ですか?」

 僕は気になっていたことを聞く。

「そうだよ。そこで多少路銀を確保しておきたい。その後のことを考えるにもまず予算を組まないとね」

「どんな仕事をするんですか? 僕にできることだといいんですが」

「ああ、危険なことは避けるから安心していい。ちょっとした頼まれごとだよ。アレが欲しいとか、コレしてくれとか。魔術の実力が直接絡まないものまであるはずだ」

 こういう時はアリオールさんが得意げに見える。説明を嫌がる質じゃないみたいだ。

「市井の魔術師には組合があってね。内外の色んなお願いを取りまとめてくれるのさ。ちょっと大きい街にはある。よほど田舎か秘密主義のはぐれでもなきゃ所在を共有する慣例があって、ベイオルにあるのは把握済み」

 そういうことらしい。アリオールさん曰く、なにかと後ろ指をさされやすい魔術師が大っぴらに活動するには団結して身を守る必要があるとかで、在野の魔術師が迫害を逃れるために集まった集団や、魔術の業を継承するための結社が元になっていて、それらが後に結びついて生まれたものが組合の始まりだそうだ。

 そんな理由からそれぞれの出発点が違うせいで、場所によっては身元に厳しかったり、逆に来るもの拒まずで途方もなく緩かったりで、その辺りを突いた旅人とか冒険者が小銭稼ぎで使うことがあるために実際は傭兵や人足の斡旋所のような役割もあるのだとか。管理が緩い組合なら魔術師と名乗りさえすれば使えるらしい。ただし、そこに腰を据えようとするとどこも煩くなる、とアリオールさんは教えてくれた。ちょっと特殊なだけで他の職業組合とそう変わらないと言っていたけれど、僕にはそれがよくわからない。

 ただ、事実上ゴロツキのたまり場になっている場所とか古い体質のまま閉鎖的な場所もあって、そういう所には近づかないのが賢明とも言っていた。

 魔術師として生きていくことも、もしかしたら一筋縄ではいかないのかもしれない。そう思うと僕は魔術師になったとして、何がしたいんだろうか? と、そんなことを考えてしまった。今まではそこに至ることが目的で、今もそれは変わっていないのだけれど、その先というものを僕はあまり想像してなかった。それを知って父さんも母さんも僕の夢に反対だったのかもしれない。考えなければならないことが増えた気がする。

「とりあえずお金になる依頼であんまり危険じゃないやつ、それが狙い目。私はまあまあ器用な方だからそういう仕事が意外とあるんだな、これが。エリーは助手ね」

「僕だけでできる仕事もあればそっちをやってみます。その方がお金も稼げますし」

「えー……だって君、まだ魔術師じゃないじゃんよ。だから私がこき使ってあげるさ。そばでキリキリ働かせるほうがいい。ふっふ。私は厳しいぞ?」

 僕の意気込みを茶化す。これさえなければ素敵な人だと言い切れるのに。

「いや……そんなお金のことまで世話になれませんって……自分の食い扶持くらいは何とかできるようにしてみます」

 ――そうは言ったけれど僕に何ができるかは疑問だ。農作業みたいな仕事もあるかな? それなら少しは知っているつもりだけど。実力が問われない仕事があるのは本当だろうか。それなら多少気が楽だ。

「心意気だけは買うけどね。魔術師だって言い張っても実力を見抜かれれば終わりだし、それでもいいって奴は雑用が目的じゃなければ、たぶん怖い人だぞ。二人でやった方がいい仕事もあるから、あんまりそうやって気負うなよ?」

 そう言ってアリオールさんは笑った。でも僕はこの人のお世話になりっぱなしであることに思うところがないわけではない。どうしても自分で何とかしたくなる。むしろお世話になっていることがわかるから、この人のために何かできることはないかと最近は考えだすと止まらない。自分がしょうがない人になってしまっているようで落ち着かなくなる。

 それに、僕にはこの人の優しさの源が分からない。何で僕にこんなにもよくしてくれるのか。ある日、ある時に急に手を離されそうな怖さまで感じる。それこそ自分勝手な考えなのはわかっているけれど、たまに不安になる。

 僕のそんな様子を察したのか困ったような顔をするアリオールさん。それを見てしまった僕はどうしようもなくみじめな気分になって「もう寝ますね」と言ってそっぽを向いた。どうして僕はこう子供っぽいことをしてしまうのか。ちゃんとしようとすればするほど最近は空回りしている気がする。

 そんなだからか、空があまりに高く見える心細い環境のせいか、この日の夜、僕はどうにも寝付けなかった。だから僕は、アリオールさんが肩にそっと触れて労わってくれても寝たふりをするしかなかった。それがどうしてもつらかった。


「起きてー、雨が降ってきた。このままだとまずい。今日はもう行こう」

 昨夜はあんまり眠れないだろうと思っていたけれど、少しは眠れたらしい。雨に気付かなかった。アリオールさんの声で飛び起きる。

「おはようございます……ああ、降ってきましたね。行きましょう」

 僕は荷物を背負う。あんまり食欲がわかない。少しパンでも齧りながら行こうかと渡されたものを眺めてしまう。あっ……このままだと心配される。そう思って受け取りささっと口に入れる。雨でちょっと湿ってしまったのも今はありがたい。どうにか飲み込む。

 そんな僕をじっと見るアリオールさん。大丈夫です、違うんです。ほんとはそう言いたかった。でも、もうここでやめた方がいいんじゃないか、なんて言われないかとどうしても思ってしまって何を言うのも怖くなってしまった。だからか、僕は何も言えずアリオールさんの様子が整うのを待つように見返すことしかできなかった。

「よっし、じゃあ行こう」

 そう言われて「はい」とその場の雰囲気を振り払うように進むしかなかった。

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