第5話 旅の用意、僕の空回り

 僕は予想以上に疲れていたらしい。あの後すぐに寝入ってしまったのか、いつ寝たのか記憶にない。同じ部屋の中で誰かがごそごそと動いている音で目を覚ました。そうだった、僕は村を離れたんだった。なんて今更なことを思い出す。

「起きたね? おはよう。まだ眠そうだけどそろそろ用意しないとね。身支度を終えたら、取り敢えずご飯食べよう。下行くぞー」

 昨日のことなどなかったように落ち着いている。元に戻ったというべきかもしれない。これは昨日の馬鹿な真似をなかったことにしたいのか、変に引きずらないで済むようにそうしてくれているのか、なんて判断に困っているとそれが無駄だったとわからせるような笑顔を向けるアリオールさんだった。

「ふん? 私の着替えが見られなくて残念だった?」

 僕の考えをあざ笑うようにとぼけたことを言う赤毛。もうこの人は放っておこう。というかお互い着の身着のままじゃないか。僕の方は荷物の中に着替えが入っているので着替える気になればできる。でもなんとなくこの人の前でそうするとまたからかわれる気がして気が進まない。昨日もこのままベッドに入ってしまった。本当は着替えたいところだけれど今日はやめよう。

「着替え、持ってんですか?」

「下着はある。替えようか?」

「いつまで昨日の引きずってんですか、もう。言いすぎましたよ。臭くなんかないですよ。だからご飯食べましょう」

 僕がそう言うと一瞬呆気にとられたようだったけれど、すぐニッコリと笑顔になった。こういうところが本当によくわからない人だ。その後ささっと身だしなみを整えてから僕が先に部屋を出ると後ろについてくる。何ともご機嫌な足音だった。

 日は出ているとはいえ、結構早く起きたつもりだけれど、宿屋もすでに動き出しているようだった。旅人相手だとそういう営業姿勢になるのだろうか。昨日は眠ってしまうまで賑やかだったことを考えると宿屋の主人の睡眠時間がとても気になる。

「おはようございやす」

 宿屋の主人に声をかけられた。せわしなく動き回っている主人が僕たちに気付いたようだ。食事ならそこで、と席を指す。そして

「ゆうべはおたのしみでしたね」

 とんでもないことを言われた。僕は声が出ず口をパクパクさせるしかできなかったが、アリオールさんがへらへらと「そりゃあもう。素晴らしい夜でした」と笑えない冗談を言う。また僕は顔から火が出る思いをする羽目になって思わず睨んだ。

「ああ、はっはっは。その辺にしておかないと恨まれても知りませんぜ」

 僕はそんな様子を主人に見られてしまったのだろう。笑いながらアリオールさんに向けて言う。さっきから主人は僕じゃなくてアリオールさんに向けて言っていたのか。と気づく。傍から見ればアリオールさんの方が僕をたぶらかして夜にいかがわしいことをしているように見えるのか。そうじゃないと知っていながら主人は冗談めかしてそんなことを言ったのだろう。それに気づくと同時に子ども扱いされたことには異を唱えたい。

 ――あれ? この人はアリオールさんが女だって気付いている? 昨夜はずいぶん騒いだからそれが聞こえていたのか。何故だろう。

「あの主人、私、いや君を見ていたようだね。多分気にかけてくれたんだろう」

 アリオールさんは僕の耳元で僕にそっとささやいた。


 そんなこんなで席に座り食事を摂る。麦と野菜のただのスープが妙においしく感じられた。その後一旦部屋に戻り荷物の確認をする。それで食料と水の調達が必要だということになった。それとは別に僕のことについて話が及ぶ。

「エリーは戦えないよね」

 突然そんなことを言われてしまった。

「戦うって……これから何かあるみたいで不吉じゃないですか」

「何事もなければそれでいいんだけどさ、この先、山に入れば山賊やら獣やらに出くわすこともあり得るから、一応確認しておこうと思って」

「僕はそういうの苦手です、多分。……あ、でもナイフならあります。本当にどうしようもないときはこれでなんとか」

 そう言って僕は背嚢から出す。

「んー……、良いものだけど、無いよりはマシってところか。まあ武器を買う金があるでもなし、いいか、別に」

「いや、そんなのあっても振れませんって」

「だよねえ。じゃあこれからもあんまり危ないことはしない方針で行こう。いや、それでいいんだよ? それでいいのさ。なるべく安全を心がけよう」

 そう言ってくれる。これから僕は旅のお荷物になってしまうのだろうか。それは嫌だ。何かないかと考えて、僕は自分のお守りを使って火を出したことを思い出した。

「これを使えばちょっとは戦えませんか?」

 そう聞いてみるとアリオールさんはあまりいい顔をしない。

「それは最終手段だと思っておいた方がいいねぇ。獣除けに火を焚くときには使えるけれど、それ以上はちょっとおすすめしない」

 乗り気じゃない。言葉以上にやめておけと言いたげな様子だ。でも武器になりそうなものは他にはこれしかない。使わないで済むに越したことはないとしても。

「なら使えるように慣れておいた方が」

 もしものことを考えて僕はそう言った。それでもアリオールさんの考えは変わらないようで、さっきよりも強い否定を感じさせるように首を振る。

「それ使ったら相手は死んじゃうよ」

 静かな表情のまま恐ろしいことを言いだすアリオールさんだった。

「それはただの種火の魔術じゃない。燃やす呪詛をかけるものだから、ちゃんと考えてやらないと全身に火がかかるし、そうなれば当然、途中でやめても助からない。今の君はそんなことしたくないだろうし、できなくていい。しないで済むに越したことはないしね」

 我ながら甘いことを言ってる気もするけどね、とアリオールさんは続けて言った。

「でも僕だって何かがあれば戦えないとだめです。そんなことでアリオールさんのお世話になってはいけないし、アリオールさんを助けなきゃいけない時に逃げないで済むようにはしておかないと」

 僕は男だ。そのくらいはできるようになりたい。そういうつもりで言ったのに、アリオールさんはそれを聞いてせせら笑う。今度は今までとは違って僕を突き放すような笑いに感じる。僕の世話になることなんて無い、そんな雰囲気だった。

「気持ちだけ受け取っておくよ。でも気負うことじゃないし、ダメなときはさっぱり死ぬだけ。それより戦うのは嫌いだとか、そうさね、そんなのできませんよ、くらいの泣き言を言っておくれよ。これじゃあ女だと明かしたのは失敗だったかね?」

 僕の言葉はそんな言われ方で返されてしまった。ちょっとだけ僕に向けた気遣いの気持ちも感じるけれど、実態としてはできないことをすると言うな、という雰囲気がある。僕はそういうつもりじゃなかったのだけれど、あの人にとってはしてほしくない態度を僕は取ってしまったのかもしれない。

「あの……ごめんなさい」

 つい謝ってしまった。

「いや、こっちこそ責めたかったわけじゃなくて、ちょっと確認したかっただけで……ああー、私もなんでそんなこと言っちゃったかなあ……」

 なんだか変な空気になってしまった。多分この人も僕も相手を気遣ったつもりがこんなことになってしまった。でも僕だって旅に出るならしっかりしなきゃいけない。ただ、なんでこんな会話の後にアリオールさんが僕に不安げな、様子を伺うような顔を向けてくるかはわからなかった。

「あの」

「大丈夫。何もないよ。何かあっても私だって少しはやれるんだぞ? 任せなさい」

 ニッコリといつもの人懐こい笑みでそう言ってこの話は終わり、と無理やり終わらされてしまう。アリオールさんのこの態度は僕に対する気遣いからきている。でも、それに甘えることを受け入れるのはなんだか嫌だ。僕だってやれる、根拠はないけれど。でもそれをここで言っても困らせるだけなのはわかる。だから僕は「はい」とだけ返事をした。

「じゃあ、買い出しに行こっか」

 アリオールさんの言葉で少し気まずくなった会話を打ち切り、僕たちは宿を出た。


 宿を出て、大通りに面した広い市場まで行けば、そこはもう人で活気づいていた。僕の村ではこういう光景はない。自給自足、こまごまとしたものは融通し合う、それ以外は行商をあてにするか、たまにはるばるここまで来る。そんな感じの生活だった。確かにこの光景を見て兄さんが言っていた村じゃあお金の使い道がないというのもわかる気がした。村にとって行商人は無くてはならない存在だったな、とそんな風に思い出す。

 領主に税を納めた後、大体そのくらいに行商は来る。僕たちは余った作物や毛皮、いくらかの加工品を物々交換に使ったり買い取ってもらったりしていた。行商人はそうやって村を外とつないでくれていた。でも火吹き兎の油脂とか咳止め石の粉薬とかそもそもこの世に本当にあるものか怪しいものもよく持ってきていたことまで思い出した。やっぱり行商人と売り買いをするにはコツがいるのかもしれない。でもそんな記憶のせいか、僕は年甲斐もなくここにもそういう怪しいものがないか探してみたくなってきた。

「……僕、実はここに来るのも初めてなんです。こんなに活気づいているなんて。いろいろ売ってるんですねぇ。何でも揃いそうですね、ね。なんだかすごい」

 さっきまでの気まずさを忘れて思わず僕は感心してしまった。僕の村ではこんな風に店が並ぶことはない。食べ物、道具、なんでもありそうに見える。むしろ何がないのか、村しか知らない僕にはそっちがわからなかった。

「おぉ? ふんふん、初々しい反応だ。君本当に村から出たことなかったのか。この先……いや、まあいい。でも君、大きな町はこんなものではないよ?」

 物珍しさでキョロキョロしてしまった僕を引き留めるよう肩に腕を回しながら得意げな風に僕に言うアリオールさんだった。ちょっとだけ呆れているような気もする。でも僕にとっては新鮮なものは新鮮なのだから、しょうがない。一瞬何か言いたげだったことにも気づかなかったわけじゃないけれど、触れない方がいい気がする。

 さんざんこの様子に感心しきりの僕だったけれど、宿で話した通り、僕たちは二人合わせてもそんなにお金の持ち合わせがないらしい。僕に関してはそれこそ高価なものは買えない。まずは食べ物、保存のきく硬いパンと干し肉にチーズと言ったものを揃える。

 探してみると結構、こういう旅に使えるようなものも市場のどこかには売っている。ここから旅に出たり、もしくはここへ来る旅人が意外といるのかもしれない。

 そう、ここまでは来る、僕の村には来ないけれど。だからきっと必要だから売っているのだろうし、売れるのだろう。

 あとは今日か明日の食事としてひき肉のパイとミィルの実をいくつか買った。どっちもそんなに日持ちはしないけれど、すぐの食事としては良い方なんだと思う。特にこの季節のミィルの実は疲れた時にいいと聞いたことがある。

 買い物の時のアリオールさんの様子では、ここからベイオルまでの道のりで調理をするつもりはないみたいだった。全部そのまま食べられるようなものを選んでいた。その時、僕はアリオールさんに「試しに食べてみたまえ」と買った干し肉を店のおばさんに少し切ってもらったものを渡された。旅に使うものらしく普段の僕が知っているものより硬くてしょっぱい。何かの香草が強く効いていて味そのものは意外と良い。塩気にさえうんざりしなければ毎日でも多少は耐えられる味だった。

「嫌いじゃないです。おいしいんじゃないかな?」

 素直に感想を言ったところ、おばさんは気をよくしたのかおまけと言って同じものを少し余計にくれた。

 その他に僕は食器がなかったので、今のうちに一番安かった木の皿とスプーンをそれぞれふたつずつ買った。アリオールさんはどうも今は持っていないらしく、なんとなく自分の分以外に余計にあった方がいい気がした。そしてレードル。鍋はあってもそれはなかった。一人なら鍋から直接でもいいかもしれないけれど、今は二人だ。取り分けるにもそういうものがあった方がいいだろう。まあ今回は調理はしないで済ますけれど。一応今後に備えておく。

 村で鍛冶屋のじいちゃんが言っていた天幕は結局、買わなかった。高かったのもあるけれど実物を見て嵩張ることを知って、そしてアリオールさんも持っていなかったから今回は止めておいた。他には僕は是非とも欲しかったけれど、意外と値が張ったのがランプだった。これも諦めた。アリオールさんが持っているようで「今はこれを使おうね」と言ってくれた。油はほとんど空っぽだったらしいランプに入る分だけ買うことにしたらしく、せせこましい値段交渉の末に店のおじさんに勝利していた。

 そしてもう一つ、忘れてはならない水は町の井戸から自前の物と旅用にひとつ買い足した革袋に詰めた。町の人に聞いたところ、ここの井戸水なら生でも大丈夫だとか。アリオールさん曰く旅先では井戸水でも注意がいるらしい。

 それ以外にもこまごまとしたものを全部済ませてみると昨日の宿賃もあって、それでかなりお金が無くなってしまった。僕は不安になってアリオールさんに聞いた。よく知らないので確証はないけれど、僕たちは旅をするにしては貧乏な方だと思う。

「お金けっこう使いましたけど、大丈夫なんですか? 買い込みすぎなんじゃ……」

「この先のベイオルまでの道のりに考えがあってね、それがちょっと遠いんだよ。だからなんかあった時のために少し多めに用意したのさ。そのせいでこの後は前に言ったお仕事の時間になるけど、それも大丈夫、アテがある」

 僕はそれを聞いて安心した。これからの計画がわかったことともう一つ、さっきの気まずさを引きずらないで僕の質問に答えてくれたことに安心した。僕たちはまだグラムにいる。もしも僕たちの仲が旅をするのにふさわしいものでなくなれば、僕はここで村に帰ることになったかもしれない。それにこの人がこの短い間でだって何故かは知らないけれど僕にうんと親身になってくれていることくらいは僕も気づいている。だからこの人の気持ちを無碍にすることはしたくなかった。

「じゃあ荷物をこっちにください。僕には背嚢があるのでちょっとは多く持てますから。そのくらいはできます」

 しまった、変な言い方になった。僕の悪い癖だ、意気込むと空回りするのはどうにかならないものか。

「そっか、でも旅慣れてない君には言葉通り荷が重くないかね。……まぁ、そうねぇ、じゃあお言葉に甘えて……それ、これもよろしくー」

 僕に買ったパンを渡してくる。確かに嵩張るけれど重いわけじゃない。だから他にもよこせと手で催促してみる。

「……しょうがないね、はいはい」

 チーズの塊がくる。大きくはないけれど。でもこれでいい。これで少しは役に立てる。そう思っているとアリオールさんに「気負ってはいかんよ」と言われてしまった。でも僕はそんなつもりじゃない。それでもなぜか僕のことをじっと見ていたアリオールさんは不安げに小さく頭を振った。そしてなんだか気を取り直すように僕にこれからの道のりを教えてくれた。

「じゃあ出発だ。忘れ物はないか、あっても戻ってこれないぞ」

 僕に向けての言葉だ。帰るなら今のうち、という風にも聞こえる。大丈夫、僕は行く。

「行きましょう」

 そう言うとアリオールさんも「うん、行こうか」と言ってくれた。そして僕たちはグラムを後にした。

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