第3話 応援されない出発
家に帰り父さんに収穫祭のことを伝え、その後に放浪の魔術師に出会ったこと、僕も魔術の道に進みたいということを伝えた。やはり案の定、父さんは怒った。
「いつかこんな日が来るとは思った。だがお前がそんなに愚かだとは。たまたま出くわした浮浪者に弟子入りした? 相手をよく知らずにか? そいつは本当に魔術師なのか。お前の将来を預けるような奴なのか! 呆れてものも言えん!」
徐々に熱が入るような、普段あまり見せない怒り方で怒鳴られてしまった。反対されるとは思ってはいたけれど、ここまでの反応だとは予想していなかった。
「その場に司祭はいたんだろう。なんて言っていた」
「魔術師は良いものじゃないって。止められた。怒られたってより、心配された」
父さんは司祭様を信頼している。言われたことを白状したら少しだけ父さんの態度が柔らかくなった。でも今の話で父さんは旅人が魔術師だってこと聞いてそれを疑っていたのに、司祭様は旅人、アリオール師匠が魔術師だと信じたということに僕は気付いた。いくら自分からそう名乗ったとしても、僕の様子がおかしかったとしても、昨日のやり取りの何に信じるに足るものがあったのだろうか。
「落ち着いて考えろ。今しなければならないことか、それは。もっと経験を積めば他にできることだってある。今そうやってよくわからないものに惑わされているのはお前が未熟だということにならんか」
そう言って父さんは僕を言って聞かせようとする。さっきとは違って心配しているのが分かった。僕は母さんの方を向いたけれど、父さんと同じ意見のようで落ち着いた顔で首を横に振った。兄さんはというと我関せずのようで部屋の隅で農具の手入れをしている。でも僕と目が合った時、父さんや母さんとは違う表情をしていた。
「でも……」と僕がそう言って反論しようとすれば「それ以上は聞かん。終わりだ」と父さんが言う。それから誰も何も言えなくなってしまった。その空気に耐えかねて僕は家を飛び出した。
そうして、いつも物思いにふけるといつの間にか来てしまう家の近くの小高い丘に座り込んで、それでも気が晴れずに不貞腐れたように寝転んだ。まあ、この反応は予想した通りだった。僕は農民の息子、それの二番目。家を継げない以上、将来は全く定まらないくせにそれでも将来ほとんど決まっている。だからこそ父さんも母さんもその範囲の中で道を踏み外さないよう心配してくれている。それでも、僕は今この時を諦められなかった。
家にも帰りたくなくてそのままこの後どうするかを考えていると、丘の下から兄さんが僕がいると確信している様子で登ってきた。
「お前、一丁前に落ち込んでいやがる」
そう言ってニヤニヤと笑いながら兄さんは僕の横に座った。
「うるさいやい。僕の憧れだし。今しかないし。こうなるのはわかってたけど。でも諦められないものは諦められないし」
自分でもわかる強がりを言いながら僕は面倒くさそうに起きた。なんとなく兄さんのこの態度が煩わしかったけれど、自分の口から言葉を出して誰かにぶつけられたのはありがたかった。
「俺ぁお前がうらやましいよ。そんなに熱心なんてな。でも父さんが言ったこと、わかってんのか?」
「わかってる。成功するまで諦めない」
「また偉そうなこと言いやがって。そうじゃねぇよ。ただ村から出るならまだしも俺たちの領分を超えたことをしようってんだ、それに駄目んなったら元通り、とはいかねぇかもしれないってのはわかるか?」
「え?」
「お前が戻ってきても俺たちが受け入れないってわけじゃない。でもな、世の中お前を置き去りにして進むぞ。どっかの誰かも家を継いで、いつかは開拓の話が出てるかもな。知り合いは結婚してっかも。そん時お前は何してる? そういう覚悟がいるってこったよ」
「う……しつこいな、諦めないって言っただろ」
「ほんとかぁ? まあいい。なら応援してやるよ。これ持ってけ」
そう言って小さい袋を投げてよこす。中を見ると結構な銀貨といくらかの銅貨だった。お金の計算はできるから大体の金額はわかるけれど、実際に使うことなんてそんなにないものだから金額そのものには実感がない。
「お前のことだからどうせ途中で諦める羽目になるだろう、ひとまずの予算に小遣いくらいはやるよ。ちょっと世の中見て来いよ。あ、あと鍛冶屋のじいちゃんとこに行けよ。旅と言うものを聞いておけ。あと家を出んのは明日の朝早くだ。お前馬鹿だからみんな寝た夜に行こうとするだろうけどやめておけ。夜には普通動かねえ、朝に合流しろ」
「わかった、……でもこれ……こんなのどこから出したのさ?」
話を聞いて応援してくれたことはすごくうれしかったが、兄さんから渡されたお金については聞きたくなった。
「俺の貯金さ、出元は聞くな。このド田舎じゃ使うとこもないし、ひとまずお前にやるよ。それよりも、お前本当に弟子になったの? その魔術師さんとやらはいつまでここにいるんだよ?」
「あ!」
僕はどうしてそんなことに気が付かなかったのか。あの人はいつまでここにいるんだろう。教会の中での様子だと僕を撒くためにさっさとここを離れるかもしれない。確かめに行きたい。僕もついていくと言いたい。でも今また教会へ行ってもきっと司祭様に追い返される。どうしようか。どうしよう……
「ハン、そんなことだと思ったわ。もし明日の朝そいつがいなかったら北西のグラムに行けよ。一日かからないで着くし村の北から道がある。そこから外れなきゃ平気だろう。どうせここを出たら誰も彼もそこに行かざるを得ねぇんだからそこで探せ。宿屋で聞け。見つからなきゃ一泊して帰って来いよ。それだってお前にとっちゃいい経験だろ?」
兄さんはそう言ってニヤリと笑う。父さんの手伝いとかでどこかに行ったりしていたのは知っていたけれど、僕よりこの辺りのことにずっと詳しかったことは知らなかった。5つ歳が違う兄といえども、もっと僕と変わらない生き物だと思っていたのに。それに僕が舞い上がって気づかないようなことにもちゃんと意識が向いていることに何でかよくわからない悔しさを感じた。僕は、父さんが言うように多分、いやどうしようもなく未熟なのかもしれない。よりにもよって今、そう思ってしまった。
「もしまだここにいるようなら約束だけ取り付けてその時まで適当にしておけ……まぁ、きっとそうはならんだろうがね」
その後、兄さんはそう言った後に突然気分を切り替えるように「昼メシにしようぜ。後は任せておけよ」と僕の肩を叩いた。それで空腹に気付き、僕は気を取り直したということにして兄さんと一緒に家に戻った。その時は兄さんの背中に隠れるようにして家に入ったけれど、昼食の時は両親とも何も言わないままでも相変わらず僕に向けて「わかってるだろうな?」と言いたげな気配を出している。
気が重い食事の後、僕が教会で聞いてきたので収穫祭の予定が決まり、いつも通りみんなでその準備を始めることになった。父さんは兄さんと作物を納めるための手配を進めている。僕にも村の何件かを回って予定を伝えるように言った。僕はその隙に鍛冶屋に行ってみることにした。鍛冶屋は教会の反対の村はずれにあるけれど僕の家からなら近い。
「じいちゃん! 今忙しいー?」
鍛冶屋に着いて開けっぱなしの扉越しに声をかけてみるけれど、どうも具合が悪い。何の声も返ってこないし、奥から作業の音がする。中がうるさいときは忙しいとき、大きい声で言わないと聞いてもらえない。そして、おそらく機嫌が悪い。恐る恐る扉をくぐって中に入ってみるけれど、奥に行くほど勇気はなかった。その場で声を張り上げてみる。
「じいちゃん! 僕だよ!」
「あ! 誰だ! 用があるならこっち来い!」
鍛冶屋のじいちゃんの声だ。やはり運悪く忙しくしているらしい。年季の入った普段の姿勢のせいかすこし小柄に見える人だけれど筋肉質でかなり声が大きい。覚悟を決めて、多少身が竦むのを我慢して声の方へ行ってみる。
「村長のとこのチビか。鎌は昨日でかい方が持ってっただろ、今日はどうした」
汗で光る禿げ頭が目立つ。髭がすごくても髪がなくなるのは昔から不思議に思っていた。鍛冶場でふいごを吹きながらじいちゃんはこっちを見ずに言う。忙しいときはいつもこう。
「違うよ、鎌じゃない。僕、村を出るんだ」
「あん? どうした、なんかあったか? 家出かぼんくら」
じいちゃんは作業をやめて僕に向き直る。ちょっと心配してくれているらしい。誤解はされたけど。
「違ぁう! 夢が叶いそうなんだよ! だから行くんだ」
「……。村長はなんて?」
「まあ……行くなって。でも、行く。僕の夢は知ってるでしょう? 多分今しかない」
僕は昔、この人に夢を話した。できるもんならやってみろと言われたのを覚えている。
「バカが。で? 何しに来た」
「僕は行く。だけど旅がわからない。何が要るかも。相談できるの他にいないから」
「たかりに来たわけか。まあいいわ。待ってろ」
そういうとじいちゃんは着けていた革の物々しい手袋を金床のそばに放り投げてから、鍛冶場の奥からナイフと浅い鍋、鉄のフォークを持ってきた。どれもここで作ったものらしい。本当なら僕の自由なお金では買えないものだ。でも何かせびるつもりじゃなかったのだけれど。
「火を大事にしろ。生のままは水でもやめておけ。怪しいところは避けろ。怪我することはするな。夜は極力動くな。野宿もできれば避けろ。そんなところか。それに他にも必要なものはある。後は自分で何とかしろ」
そう言ってじいちゃんは僕に押し付ける。
「ありがとう。でもほかに必要なものって?」
「適当な食器、ちゃんとした外套、もちろん食い物と飲み物。火口。天幕は……まあここで今すぐには無理だな。必要ならこの先で何とかしろ。でも重いし値が張るぞ。……そもそもおめえどうやってどこまで行くんだ。それによる」
「わからない。でも今、村に魔術師がいるんだ。それに付いて行く」
「……そいつ本当に魔術師なのか? おめぇちゃんと本物だとわかったのか?」
「そう名乗っていたし、多分なにかされたみたいだった」
「あぁ? ……ハァー……よくある話だ、やめとけやめとけ。そういうことなら先が見えてねえ。もうちっとマシな話持ってこい」
じいちゃんはそう言った後、僕に渡したものを返せと言うように手を向ける。
「俺も元は流れ者だからよ。おめえの背中を押そうとは思ったさ。でもおんぶにだっこじゃ押すものも押せねえ。何が要るかわからねえ、よく知らねえ奴に付いてく、無理だ」
そう言われると僕は言い返しにくい。自分の無計画さに気づいたばかりなのだから。
「おめえ諦めないってゴネたんだろ。そんで兄貴に何吹き込まれた?」
そこまで見透かされていたか。これでは誤魔化しようもない。兄さんには悪いけれど、白状するべきか。
「兄さんは応援してくれたさ。朝出て合流するか、それが出来なかったら後を追って行けって。まあ見つからなかったら帰って来いとも言ってたけどさ……」
それを聞いてじいちゃんは「ハァ……あの悪ガキが……」と呟いていた。
「応援はしてやらん。それは帰ってくるまで預けといてやる。まったく……。どうせグラムだろ? それと水、適当にパンでもなんでも持ってきゃあいい」
と諦めたような調子で僕にそう言った。じいちゃんは面倒くさそうに僕を追い払うように手を振って、また仕事に戻ろうとする。
「もしおめえがよ、なんもかんもかなぐり捨てて王都まで行くって言えてりゃあ俺もやぶさかじゃあなかったんだがなぁ……」
「え? どうして王都なの? そこに行ったことあるの?」
「いい、いい、バカモン。忘れろ。せいぜい気を付けて行け。仕事の邪魔だ!」
僕は鍛冶屋から追い出された。何か大切なことを聞きそびれた気がする。とりあえず旅に必要なものはわかったし、集まりつつある。刃物と鍋は重要だ。鉄製品は僕だけでは揃えられなかった。兄さんの助言に感謝しつつ他に必要なものを揃えなければならない。とりあえず頼まれた言伝はこなしつつ、旅をするにあたり何に物を入れて運ぶか考えながら家へ戻る。
家に着くと中に入る前に農具を置いている陰にじいちゃんからもらった物を隠した。そうしてから中に入ると母さんが待っていた。僕はまた反対されると思い、「ただいま」とだけ言って奥に行こうとすると、「話は聞いたわ」と母さんに言われる。どういうことか気になって母さんの方へ向くと、「行くんでしょ」と母さんは言う。僕はそれに答えた。
「うん、そのつもり。小さいころからの夢だから、ごめん」
言うこともまとまらずそう言った。母さんは「ベッドの上に置いておいたから」とだけ言って夕飯の準備を始めてしまった。何のことかと思い自分のベッドまで行くとそこには革でできた背嚢が置かれていた。いつも父さんか兄さんが遠出をするときに使っているものだ。中を見てみるといつも水を詰めている革袋もはいっていた。それを見て、思わず母さんの方へ行くと「諦めて帰ってきなさい。応援はしないけれど、でも気を付けてね」と言って台所の片隅の棚を指す。そこにはいつもパンやチーズといった日持ちするものが置かれていて、その上に青い布で包まれたものがあった。僕はそれをありがたくもらいベッドに戻り、背嚢の中に入れた。忘れて行かないように僕の夢の始まりのお守りも今のうちに入れておく。
その夜の食事もいつもと違いあまり会話がなかった。当然原因は僕だろう。兄さんが場を取り繕うようにいつもより口数が多く振舞っていたが、父さんも母さんも、特に父さんがそれに取り合わなかった。そのうち兄さんも諦めたようだった。僕はいたたまれなくなって食事を終え次第すぐに床についた。どうせ明日は早く起きなければならないのでこれはこれで好都合ともいえる。そう思い込むことにした。
僕の願いは、明日アリオール師匠に会えることだ。これが叶わなかったときのことは、あまり考えたくない。余計なことを考えると眠れなくなりそうだからひたすら無心で寝ることだけに集中した。
案の定、僕はあまり眠れなかった。皆より早く起きなくてはという焦りからか眠りは浅く、皆が寝入った真夜中に起きてしまってそれからあまり寝た気がしない。まあ皆が起きる前、日の出より前に行動できると思えば好都合でもあった。誤算は、身支度を済ませて家を出ようとしたその時に父さんが起きていたことだった。
父さんは僕の後ろからやってきて「話は聞いた」と母さんと同じことを言う。止まるわけにはいかない僕を「待て」と呼び止める。僕は絶対に止められると思い、そのまま振り返らずに行こうとすると肩をつかまれた。僕はそれさえも振り払って行こうとしたけれど、「いまさら止めはしない」という声を聞いて抵抗するのをやめた。
「応援はしない、どうせ帰ってくる。今は天気が変わりやすい。これを着て行け」
そう言って何かを渡してくる。それを受け取ってみるとフードのついた革のマントだった。父さんが使っているものだ。古いがよく手入れされていて僕には丈が長く感じる。それを渡すと「もう行け」と言って父さんは引っ込んだ。
僕は背嚢を背負いマントを身に着け家を出た。家を出てから隠しておいた道具も回収して背嚢に括りつける。結局色々助けてもらったけれど、行先が分からない以上は旅の用意ができたと言える状態なのかわからない。それにこうも話が進むとは思っていなかったからか、少しの間呆然としてしまった。でも今大切なのは師匠と合流できるかだ。気持ちを切り替えよう。こればっかりは教会を訪ねるほかはない。ただ、司祭様に見つかった時にうまく説得する言葉が思いつかない。両親に魔術師になる許可を得た、と説得するには今のところ限りなく嘘に近い状況なので、できればそういう切り抜け方はしたくない。
最悪の場合は覚悟を決めて逃げることになる。でもそれでは師匠に断られるかもしれない。僕はかなり見通しの甘い計画で動いていることを後悔し始めてしまった。でも今を逃せば次があるかなんてわからない以上、やめるわけにもいかない。あまりうまい手だてが思いつかないまま教会を目指した。
まだ日の登り切らない中、いつも見ている村の風景が別物のように見える。逃げるように村を飛び出すことになれば、僕はここへ戻りにくい。気が咎める、そんな思いが湧く。その一方でどうしてみんな突然同じ言い方で僕の決断を見逃すような、変な意味で消極的な許可をするようになったのか。「話を聞いた」と言っていたことを思い出すと、兄さんが説得してくれたのかな、なんて気もする。
そう考えているうちに教会へ着いてしまった。どうしても司祭様と出くわすかもしれないことに覚悟が決まらないまま、教会の扉を開ける。鍵はかかっていない。これはいつもそうなので驚くことではないけれど、僕が扉を開けて中に入ったとき扉のすぐ近くの長椅子に、何も言わずに司祭様が座っていたのに気が付いたときは心臓が止まりそうなほど驚いた。
「あの旅人はもういない。もっと早くに出た。お前がつく頃にはグラムにいるかもわからんぞ。できれば留まらずに進んでくれと頼んだからな」
ここにいた訳、旅人がいない訳を司祭様は淡々と言った。それを聞いて僕の見ている風景がにじんだような気がした。自分の夢が夢のまま終わってしまうのだろうか、なんて考えてしまう。背中に背負った荷物がさっきよりも重く感じる。
「お前はどうする。もう諦めないか」
優しい声でそう言われても、僕は反射的に「いきます」と言ってしまった。もう諦めた方がいいのかもしれないとも思った。けれど、今進んでもしも、万が一あの人に会えたなら、それこそ僕はこの機会に賭けて進むことは正しいということにならないか。諦める方がばかげているのではないか、そんな風に思えた。それからはにじんだ風景もおさまり、今度は急いで行かなくてはという思いに背中を押される。
いろいろ司祭様に言いたいこともあっても、僕は改めて「行きます」とだけ伝えて教会を後にした。後ろで司祭様がついた大きなため息の音を僕は聞いた気がした。
結論から言うと、僕は拍子抜けするほど何の苦も無く旅人に会えた。あの後村を出て、旅人の後を追いかけるために街道に出て先を急ぐ。そのまま歩いてしばらくすると村が少し小さく見えるようになる。村の外の道は意外と起伏が激しいんだな、なんて思っていると進行方向の道にある岩に、何かいることに気付いた。兄さんはこの辺りは安全だと言っていたが、村から出たことがほとんどない僕にはそれさえ少し怖かった。
恐る恐る近づく。そして何故かそこにいたのが例の旅人で、岩に腰かけてぼんやりと何かを食べていた。服は僕が初めて見た時の自前の物を着ていた。相変わらずヨレヨレだけれども、洗濯されて清潔な様子にはなっている。身体も前より清潔な様子だった。
「あぁ! いたぁ! ……いやなんでこんなところにいるんですか」
「ぅん? むぉ……ああ、来たね、待ってたよぉ」
そんなことを、もそもそと食べていたものを飲み込んでから僕に言う。眠そうな様子だ。
「君が私についてこようとしてるって。村の司祭さんだっけ? に聞いたのさ。私がさっさと村を出て行って、君に出会わなければ今回のことは終わるって。手切れ金のつもりかこの辺りのことをいろいろ教えてもらって、少しばかり施しももらったよ」
事も無げに旅人は言った。心情的にはあまり聞きたくなかったかもしれない。
「じゃあなんで。もしかして僕を」
「違う違う! 君さ、もし村を出て私が見つからなかったらどうしたよ? 絶対誰かに行先訪ねて追いかけたでしょ。下手したら死ぬから。それじゃ」
僕の考えを言い当てられる。実際、見つからなかったときは兄さんに言われた通りに一泊して帰るなんてことはしないつもりだった。もちろん何のあてもなく探そうとは思っていなかったけれど、何かしら手がかりがあったときはそこまでは行ってみるつもりだった。
「さすがにそんな感じの奴をほっぽりだすのは気が引けるさ。村の司祭にああ言われた手前、君を振り切った方がいい気もしたけど、それも少し薄情な気がしてさ」
「ならやっぱり僕を」
「最後まで聞きなさいって、もう……。私は君の夢に決着をつけるために待ってたんだ」
予想もしていなかったことを言われて僕はたじろいだ。そんな様子を見てか旅人は一旦落ち着けと言いたげに手を振ってから僕の目を見て話してくれる。
「道具があれば『資質』を確認できるって言ったのは覚えているかい? 実はある」
そういって首に下げていた首飾りを服の胸元から引っ張り出して親指で示す。
「こういうのがその道具の一種。呼び方は魔具だの呪具だの祭器だの流派によって色々。込められた魔術が使える。でも危険な物だからこれは貸したくない。だからこっち。……あれ無いぞ」
そう言ってさっきの首飾りは引っ込めて、今度は腰のポーチから何かを取り出そうとして、それが無かったのか荷物をオロオロとあちこち探してズタ袋の中にあるのをようやく見つけたのか、そこから木でできたお守りのようなもの引っ張り出して安心したような顔をして、僕の視線に気が付いたのか今度は少し自慢げにそれを出す。僕はそれを見て、近いものを知っていることに気付いた。
「あの、これ……。」
僕は自分の荷物からお守りを出す。僕の方は古くなってしまっているけれど、見比べてみれば形はよく似ている。違いと言えば僕のは木の板に不思議な模様が直接刻まれているけれども、旅人の方は木の板に鈍色の金属板がはめ込まれていて、そっちに同じような模様があった。何度も何度も穴が開くほど見つめていたものだ、見間違いのはずもない。旅人は僕が取り出したお守りを見て「んん?」と目を見開いて驚いた。
「あっれ、どうしてこれが……どこでこれを?」
慌てた様子で僕に聞く。
「小さいころ魔術師が村に来て、その人が売っていたものです。もう十年位前になるのかな。あんまり売れている感じじゃなかったような気がしますけど」
それを聞いて「うーん……」と旅人が唸る。
「なるほどー、なんかの因果かね。それは私の師匠が作ったものだよ、多分ね。もしくは同じ一門の誰か。でも師匠じゃないかなー……こんなことするのは」
と何か歯切れが悪い様子。もしかしてよくないものを買ったのかな。
「やっぱり師匠はここに来ていた? あの村からか。でもあの司祭は隠しているようには……ああ、無断か。それにしても十年も前だったとは……」
旅人は何かを考えこんでうんうん唸っていた。そして思い出したように僕に向いた。
「まあいい、それは今重要じゃない。じゃ始めるか。君、それを握る! そこに積んである枝を見る! 視線はそのまま、意識もそこに。ものを燃やすぞと意気込みを向ける。そしてほかには余計なことは考えない!」
「ええ⁉」
突然何かが始まる。考え込んでいたさっきまでとは違う、さっぱりした気風のいい掛け声に促されるままとりあえず僕は言われたとおりにする。前もって用意していたのか旅人の座っていた岩の傍には焚火にでもするかのようにそこらの枝が雑に積まれていた。
そして僕の様子を見た後、旅人に「深呼吸」と重ねて言われたのでそうする。僕は言われたとおりにできるよう集中した。意味は全く分からなかったけれど。燃やす意思と言われても難しい。暖炉で薪が燃えるような感じでもいいかな?
「言ったとおりにするよーに、危ないから。そうしたらそのまま私の言ったとおりの言葉を唱える。じゃあいくよ……」
僕の様子を見てから何かが始まる。
『エレク・エヴェル』
旅人がすっと息を吸い、そして魔術の呪文らしき言葉をゆっくりと、正しく聞き取れるように唱えた。何を言われてもいいように構えていたおかげか僕は聞き漏らさずにいられた。そして同じように息を吸い、唱える。
『——エレク・エヴェル……? ‼ うわぁあ‼』
僕が旅人と同じように唱えると同時に体に変な感覚が起きた。今まで感じたことがないような、自分の身体に力が入らないような変な感覚。身体を動かした時の疲れとは違う。体の中に満ちている何かが急速に抜けるような、それでいて頭の方には血が昇るような、風邪の時の頭痛とは似ているようでどこか違う、頭か、あるいは別の僕の大切な部分が締め付けられたような不快な感覚を感じた。耐えられないようなものじゃなかったのはよかった。でも真に驚いた理由は僕の視線の先、視界が少し揺らぐような感じの後、積み上げた木の枝はさっき僕が想像していた薪の火のように、突然発火したからだ。
枝は不自然なほどにメラメラと燃えた。何の火種もなく。そうして僕が驚いて声を上げてしまうと、まるで幻だったように火は消えた。でも辺りには枝に残った炎の熱を感じる。
「い、今のは!」
思わず叫んだのはしょうがない。こんなことができるものなんて思っていなかった。
「あー……、できてしまった。できちゃったよ……。よし、しょうがない。あー……もう! 余計な事をした気がする!」
旅人が頭をバリバリと掻き毟りながら何かを言っているけれど、僕は呆然とすることしかできない。いったい何が起きたのか。旅人に「おい……大丈夫?」と肩をゆすられてようやく正気に戻れた。僕は、たぶん魔術を使ったのかもしれない。使えた、と思う。夢じゃない。夢が叶うかもしれない。喜びで駆け回りたくなる気持ちを抑えて、その前にこの人に向けていち早く言わなきゃいけないことを言う。
「改めて、僕を弟子にしてください!」
「や、無理」
僕が思わず涙目になったのは仕方がないことだと思う。ここまで物事が進んで、そのうえで突然の拒否だったのだから。
「そういうつもりじゃないのさ。弟子なんて取れる身でもないしぃ。でもねぇ、ふむ、この様子なら私の師匠に会わせてやってもいいかもしれない」
僕の予想とは違った展開だけれど、僕に師匠になってくれる人がいるってことだ。
「僕はあなたに付いて行ってもいいんですか?」
「私も師匠のところに戻るつもりだったし。ま旅の連れ合いとしてなら構わん構わん。でも死んでも知らんよ」
と言ってくれた。さらりと死んでも知らない、と言われたことはどう受け止めるべきかわからなかったけれど。それとは別に師匠とは呼ばないように、と釘を刺されてしまった。
「じゃあなんてお呼びすれば?」
そう言うならばと僕は聞く。
「あっ、えっと、アリオールって名乗ったよね。それでいい。後そんなに畏まらなくてもいいよ。仲良くいこうじゃあないか」
「じゃあ、アリオールさん。よろしくお願いします!」
と僕は喜びに舞い上がってしまったまま感謝をした。そしてあっ、と思い出して「僕はエリーと言います」と今更になってしまった自己紹介もした。そして付け加えるべきことも今のうちに聞いておこうと思った。
「でも、どうして僕を連れてく気になったんです?」
と後で聞くよりは今聞いた方がよさそうと思って聞きにくいことを聞いてみた。
「君の持ち物。形だけでも旅の身なりをしている。ものがちゃんとそろっているかわからないけど、応援してもらったことはわかる。そんな君を見てそれなら私もできる限りは力になってやろうかって。私も昔ね、着の身着のまま家を飛び出したのさ」
師匠改めアリオールさんが「君よりもっとひどいね」と最後に苦笑しながら言う。アリオールさんの仕草を見て少し心が痛むけれど、どうせ帰ってくるだろう、と装備を渡してくれた人みんなに言われたことは黙っておこうと思った。そんなだからまだ足りないものがある。それは後で、この先で揃えよう。
僕がそうやっているとアリオールさんは「それに」と言った。
「君は兄弟、いるかね」
「え……います、よ。でもそれが……?」
何か引っ掛かりを感じる。でもそれが何かはわからなかった。僕の返事でアリオールさんはニヤッと笑って何でもないようにする。
「いいや? 何でもない。ま、これで一応は仲間よ。でも師匠がなんて言うかは知らんよ。私ができるのはそこまで。旅慣れてないみたいだけど、落伍しても知らないよ? 気合い入れろよなー」
そう言ってアリオールさんは歩き出す。僕もそれに付いて行く。僕の旅が始まった。さらりとそよぐ風に晴れ渡る空。何か良い予感を感じさせる雰囲気だった。ただ、勘違いでなければアリオールさんは僕に背を向けた時に不穏なことを言った。
「さて、魔術師になりたい、ね。この結末は……ふ、どうなるかね」
意味は解らないけれど変な胸騒ぎがする言葉だった。
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