04

 夏休みが終わり、授業が再開したが、僕の日々はそれまでと何も変わらなかった。文庫本だけが相手で、誰とも関わらない。本はいい。一方通行だし、僕の都合で止めることもできるから。

 季節はどんどん移っていった。僕はカーディガンを羽織るようになり、体育祭も文化祭もろくに参加せずやり過ごした。

 ふとした時に考えるのは、兄は……美咲ちゃんと最後までしたのだろうか、ということ。大学生だもの、いつそうなってもおかしくないのだ。

 そして、クリスマスの足音が聞こえてくるようになった頃、兄から部屋に来てほしいと連絡がきた。


「ハルくん、来たで」


 その日はいくぶん寒さがやわらいでいて、急いできたので少し暑いくらいだった。


「ありがとう。まあ座りや」


 ソファで兄がコーヒーをいれてくれるのを待った。


「あのさぁ……美咲ちゃんと別れた」

「そぅかぁ……」


 いきなりの連絡だったので、そういうことじゃないだろうかとは思っていた。


「やっぱり好きになれへんかったん?」

「うん。やらしい話さ、勃たんくてさ。気分悪くなってしもて。それからギスギスして」


 兄はコーヒーをちびりと飲んだ。


「気まずいからバイトも辞めた。新しいとこは……まあぼちぼち探すわ。そんなに金にも困ってへんし」

「まあ、ハルくんには他にええ人おるんかもしれへんよ」


 兄はちらりと僕の顔を見た。


「ユズは……ほんまにそう思うん?」

「えっと……」

「俺さ、頑張ったつもりやねん。好きになろうって。でも無理やった。やっぱり俺には恋愛できひんよ」


 何と声をかけたらいいのかわからなくなった。兄は別れたこと自体に落ち込んでいるのではないからだ。兄は続けた。


「美咲ちゃんにな、嘘つきって言われてしもた。口では好きって言ってたからな。身体が反応せんくて完全にバレたな……」


 僕もコーヒーを飲んだ。まだ熱かった。


「もう、ほんまに好きになるまでは付き合わんとこうって思った。傷つけるだけや。俺、他人の心わからん奴やから」


 僕は言った。


「そら……他人の心なんてわからんよ。兄弟でも言わんと通じひんやろ」

「せやけどさぁ……」

「ハルくんきっと考えすぎやねんて」

「そうかなぁ……」


 沈黙がおりた。コーヒーは徐々にぬるくなり、兄も僕も飲み干した。僕は努めて明るい声を出した。


「夕飯何する?」

「ああ……考えてへんかったわ」

「どっか食いに行こうな。旨い店教えて」


 僕たちは駅前まで行った。木々は電飾で彩られていて、ジングルベルも聞こえてきた。兄が選んだのはラーメン屋だった。


「ここ、並ぶけど旨いで」


 二十分ほどで店内に入れた。昔ながらの中華そばを推している店で、ギョーザもチャーシュー丼もつけて二人で分けた。


「ほんまや。美味しい」

「やろ? よく来るねん」


 腹が膨れた僕たちは、何となく寄り道をした。缶コーヒーを買って、遊具も何もないベンチだけの公園に行ってそこに座った。


「クリスマスの予定も美咲ちゃんと話してたんやけどな……」


 兄は夜空を見上げて言った。


「何する予定やったん?」

「俺の部屋でパーティー。チキン買ってケーキ買って。そんでお泊まり」

「ふぅん……」


 僕は思いきって提案した。


「代わりに僕とする?」

「まあ、ええけど。ユズは一緒に過ごしたい人とかおらへんの?」

「ハルくんと過ごしたいんやで」

「ん……そっか」


 ごくり、と兄が缶コーヒーを飲み込む音がした。そんなに冷えていない日でよかった。もう少しここで話せそうだ。


「僕がケーキ買って持っていくわ。ほら、いつも実家で買う店あるやろ」

「ああ……あそこ旨いなぁ」

「そんで、他の食いもんはハルくんが用意しといて。それならええやろ?」

「ええよ」


 それから、盛り上げるために音楽流そうだの、ツリー置こうだの、そんなことを話し合った。すると、少しずつ兄も笑顔を見せはじめ、僕はホッとした。


「帰ろか。今日はユズ泊まるやろ?」

「うん」


 交互にシャワーを浴びて、僕はソファに寝そべった。そのままだと冷えるからと、電気毛布を兄はかけてくれた。部屋を暗くした後、兄はぽつりと言った。


「なんか……ユズとおると気ぃ楽やわ。美咲ちゃんとは正直しんどかった」

「まあ、僕、弟やしな」

「なあ、ユズ」

「何?」

「えっと……何でもない。おやすみ」


 身を起こしてベッドの方を見てみると、兄は向こう側を向いてしまっていた。


「おやすみ……」


 そう呟いて、僕は目を閉じた。

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