02

 今までもそうだったけど、僕は一人で過ごすことに決めていたから、入学式の後の自己紹介も簡潔に済ませ、他の生徒のことは聞き流していた。

 空き時間は文庫本があればいい。本を読んでいれば、誰も話しかけてこない。盾のようなものだった。

 もちろん部活には入らなかった。スポーツなんててんでダメだし、趣味の読書は一人でもできる。それに、余計な人間関係に巻き込まれるのが嫌だった。

 それよりも、兄はどうしているだろうか。そのことばかり考えていた。五月の連休には帰ってくるらしく、その日を指折り数えて待った。


「ユズ、久しぶり。この髪どう?」

「カッコええやん」


 兄は茶髪に染めていた。そこまで明るくなく、嫌味のない感じだ。リビングのいつもの席についた兄は、あれこれと新生活のことを話してくれた。


「喫茶店のバイト、おもろいよ。タバコ吸える店やから、煙たいけどな。先輩も優しくて苦労してへん」

「そっかぁ。ええなぁ」


 夕飯は、兄が好きなカレーだった。牛スジ肉がゴロゴロ入っているやつだ。兄は二杯もおかわりした。

 二段ベッドの上下にそれぞれ入って話をした。顔は見えないけど近くにいる。そんな距離感が心地よくて、今までもよくそうしていたものだ。


「ハルくん……彼女とか作るの?」


 ずっと気になっていたことを聞いてみた。


「うーん、どうやろ。高校の時もすぐに振られたしなぁ」

「待って、おったん? 聞いてない」

「わざわざ言うことでもないと思って。三ヶ月も続かんかったんちゃうかな」


 今すぐ下の段におりて問い詰めたいくらいだ。そういうことになったら、僕には言ってくれるものと思っていたのに。


「……キスとかしたん?」

「してないよ。手ぇ繋いだだけ」

「ほんまに?」

「ほんまやって」


 深いため息が聞こえた。


「なあ、ユズ。好きって何やろな」

「どないしたん、突然……」

「向こうから告白されて、なんとなく付き合ってしもたんやけど。最後までその子のこと、好きになれへんかった」


 兄はどういう表情をしているのだろうか。とうとう僕はハシゴをおりた。兄は口をとがらせた。


「なんや、ユズ。こっち来んの」

「真剣な話やし」

「まあ、せやな」


 兄は壁側にずれ、僕の入る隙間を作ってくれた。兄の隣に寝転び、じっと顔を見つめた。


「彼女できたこと、言ってほしかったな」

「ごめんって。ユズこそそういう話ないんか」

「女の子には興味ないねん」

「まあ……俺も。そこは兄弟で似たんかな」


 兄はポリポリと頬をかいた。


「大学でけっこう知り合いできたし、一緒におっておもろいなって子もおるけど……恋愛になるってなるとようわからへん。好きになる境界線って何なんやろな」

「ハルくんは……僕のこと好き?」

「好きやで。けど、それは違うやん。家族やから好きなだけ」


 兄はそっと僕の髪に触れた。


「俺、誰とも恋愛できひんのかな」


 僕は兄の手に自分の手を重ねた。


「恋愛、したいん?」

「それもようわからへん。今のご時世、結婚せん男も大勢おるしな。でも、ずっと一人なんは寂しいんとちゃうかなって思う」


 じゃあ、僕が一緒にいる。そんな言葉が喉まで出かかった。でも、兄が欲しいのはきっとそれじゃない。僕は口をつぐんだ。


「ユズもいつか、結婚してしまうんかな」

「僕は……せんと思うよ」

「まだ高一やろ。わからへんって」

「そんなん言うたら、ハルくんやってまだ一回生や」

「うん……これから、そんな機会あるんかなぁ」


 兄は僕から手を離し、大きなあくびをした。


「ユズ、彼女できたら教えてや。恋愛ってどんな感じなんか知りたい」

「だから、そんなんできひんって」

「可愛い顔しとうし、モテると思うんやけどなぁ」

「そういうの身内びいきって言うんやで」


 兄は僕の頬を両手で包んでさすった。触れられたところから広がる温かさで、僕の心臓はとくんと跳ねた。


「もう……やめてや」


 僕は兄の手を掴んで外させた。


「ハルくん、もう寝よか」

「うん。おやすみ」


 僕は上の段に戻った。兄が電気を消した。僕は兄が言っていた意味について考えていた。兄は僕を家族だから好きだと言った。じゃあ、僕の好きは? わからなくなった。

 答えが出ないまま、僕は眠ってしまい、朝になった。兄は昼からバイトなのだとそそくさと行ってしまった。リビングで一人、ぼんやりとコーヒーを飲みながら、同じことをぐるぐると自問自答していた。

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