キッズアニメ最期の日

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

キッズアニメ最期の日

「本当にこんな地下にスタジオが……?」


 呟いた言葉が暗い階段に反響した。先日、ようやく原画マンに昇格した僕に与えられた最初の仕事は、この地下で作られているアニメを手伝うことだった。


 今や、アニメのほとんどはAIが描いている。導入が決まった当初はAIがアニメーターの仕事を奪ってしまうと問題になったが、結局、雇い主の意向には逆らえなかったし、アニメーターの大半も抵抗する術を知らなかった。


 各アニメスタジオは合法的に優れたAIを構築するために、アニメーターが退職する際、それまでに描いた作品をすべてAIの学習素材として提供する契約を結ばせるようになった。これはさすがに一方的すぎると大反論が巻き起こり、妥協案として、素材を使用する度に当該アニメーターに対し料金を支払うことになった。これにより、腕の良い──つまり指名の多いアニメーターは退職後も勝手に大金が舞い込んでくるようになったが、そうではない大半のアニメーターは仕事も再就職先も奪われることになった。


 とはいえ、アニメーターは昔から賃金が安くともなりたがる人の絶えない「憧れ職業」だ。僕のように自ら進んでAIに勝ち目のない勝負を挑みたがる物好きもいる。


「あれは……」


 階段を下りると、薄暗い廊下の奥に灯りの漏れている部屋があった。


「すみません、今日からここに勤務する新田勇気にったゆうきですが……」


 扉を叩いて挨拶をするも返事がない。中に人の気配があったので、そっと扉を開けると、部屋の奥で机に向かう白髪頭の老人の背中が見えた。


「あの……」


「…………描き終わるまで待ってろ」


 背中を向けたまま低い声で命じられ、言われるままソファに座って待った。固いし、あちこち破れている。


(……狭い部屋だな)


 老人の机と合わせて作業用デスクはふたつだけの小さな部屋。隣は資料室だろうか。灯りは点いていない。スタジオというより個人の作業部屋といった趣だ。と、一枚描き終えた老人が鉛筆を置き、座ったまま面倒くさそうに言った。


「……お前か、今日からの」


 老眼鏡の奥の瞳は鋭かった。


「は、はい。新田勇気と言います! よろしくお願いします!」


「……名前はさっき聞いた。俺は赤川だ。そこのデスクに積んである資料、全部読んどけ。完全に理解するまで筆は握らせん」


「わ、わかりました……」


 とは言いつつ、デスクの上にうず高く積まれた設定資料と脚本の山に気が遠くなりそうだった。途中参加だから覚悟はしていたが、冊数から3クール……いや、4クール分はありそうだった。今時、こんなに長期間に渡って放送するアニメは珍しい。


「目を通すだけじゃ駄目だからな。ちゃんと理解しろ。ちゃんとだ」


「は、はい!」


 まずは第一話の脚本を開き、読み進めていく。タイトルは「たたかうラブリーピュア!」だ。


 …………………………。


 …………………………。


 …………………………。


「あの、これ……」


「なんだ?」


「子供向けのアニメ……ですか?」


「それがどうした」


「いや、そういうの、まだやってたんだなって……」


「やってちゃ悪いか?」


「い、いえ!」


 逃げるように視線を脚本に戻す。


 昨年、この国に生まれた新生児はわずか三万人。失われた労働力を補うため、政府は巨費を投じてあらゆる仕事をオートメーション化した。アニメの作画AIもその一環だ。子どもがいないのだから、当然子供向けの商売は成り立たない。すべてのメーカーが子供向け玩具から撤退したことで、その玩具を売るために放映されていたキッズアニメも地上波から消滅した。資料を確認すると、やはり放送局の記載はない。隅に小さく、マイナーな動画配信サービスの名前だけが書かれていた。


「あの、他の原画は……」


「おらん」


「ひ、一人ですか!?」


「お前が来たから二人だ。……それにしても、よく動く口だな。もう全部理解したんだろうな?」


「すっ、すみません!」


 また脚本に視線を逃がした。


 それから僕が筆を握るまでに一週間を要した。


※ ※ ※


 僕が実作業に入ってから十日が経った頃。


「……おい、こりゃなんだ」


 赤川さんが僕の提出した原画を手にやってきた。主人公のピュアレッドが必殺パンチで敵を吹っ飛ばすシーン──今回、かなり気合を入れて描いた場面だ。


「あっ、それどうですか? 拳に乗った一撃の重さ! 衝撃の大きさが伝わる敵の苦悶の表情! 結構自信あるんですけ……」


「描き直せ。なんもわかっちゃいねえ」


「なっ……!」


 てっきり褒められるものと思っていた。予想外の言葉に一瞬、言葉が出なかった。


「なんでですか!」


「……誰に向けて描いてんのか想像しろ。自己満足でやれるほど甘かねえぞ」


 原画を突き返した赤川さんは、そのまま自分の作業に戻っていった。僕は納得がいかなかった。納得がいかないといえば、そもそもこの仕事自体がそうだ。視聴者のほとんどいない番組を一生懸命作って何になる。売る玩具だってもう無いのに、作る意義がどこにある。


(くそっ)


 心の中で舌打ちをして描き直す。しかし。


「ダメだ」


 一目見るなり、また突き返された。さすがに理不尽だと思った。


「何がダメだって言うんですか。説明してくれなきゃわかりませんよ! だいたい、今どき子供向けアニメなんて、そんなに力を入れて作ったってしょうがないでしょう!」


 と、口に出してハッとした。言い過ぎたと気付いてばつが悪くなったが、赤川さんはまるで意に介さない様子でこう言った。


「理由はもう教えた。誰に向けて描いてんだってな」


「誰って……子供でしょう。子供向けアニメなんだから」


「違うな。……見ろ、お前の描いたピュアレッドの顔を。何故こんなに怒ってるんだ」


「それは、敵を倒すために必死だから……」


「本当にそうか? お前はこのホンからそう読み取ったのか? もう一回、最初から読んでみろ」


 言われて、僕はしぶしぶ脚本を手に取った。読み直したからといって何が変わるのか。そう思ってページを開いた。敵と対峙するピュアレッド。友達だと思っていた相手が、実は敵のスパイだった。だから決着をつける──この場面だ。


"何故こんなに怒ってるんだ"


 ページをめくる手が止まった。頭の中でさっきの赤川さんの言葉がリフレインした。


(…………違う。ピュアレッドは怒ってなんかいない……)


 描く前に読んだ時とは別の感情が動いた。ここで描かれているのは敵を倒すことじゃない。友を失くすことの悲しみだ。……なのに、僕は迫力ある画ばかりを求めて……。


「……っ!」


 僕は鉛筆を握った。そして、ピュアレッドの拳に迷いを、瞳に憂いを込めた。描き上がったものを見せると、赤川さんは「……できるじゃねえか」とポツリと言った。そして続けた。


「こういう番組をやりだしてそろそろ五十年になるが、一度だって子どもに向けて描いたことはねえ。いいか、俺たちの客は『子ども』じゃなくて『将来の大人』なんだよ。それを忘れちゃいけねえ」


 赤川さんの目は真剣だった。


「お前、子どもの頃、親の言うことを聞いたか? 片付けや宿題は言われてすぐにやったか? 家の手伝いは?」


「え? いや、あんまり……」


「だろうな。子どもってのはそういうもんだ。だがな、これが憧れのヒーローの言うことならちゃあんと聞くんだ」


 そう言われてみれば、たしかに僕も子供の頃に好きだったヒーロー『ドラゴンファイター』にはたくさんのことを教えてもらった。困っている人がいれば助けましょう。弱いものいじめはやめましょう。親孝行をしましょう。それらはどれも、大人向け作品が鼻で笑って「現実はそんな綺麗事ばかりじゃないよ」と描かないことばかりだ。けれど、その理想主義こそが子どもには必要なのだ。


「わかりました……僕、がんばります!」


「ああ」


 と、赤川さんは僕の肩を叩いて笑った。「が、それはそれとして直す」と、赤川さんは鉛筆を握り、僕の原画を修正し始めた。信じられない速度で良くなっていく。これがこの道五十年の技なのか。……けれど、中には意図の不明な修正箇所もあって。


「あの、その服の破れはダメージ表現なんですけど……」


「バカ。衣装はスポンサーの商品だぞ。穴ひとつ許されねえ」


「えっ、この番組まだスポンサーがついてるんですか!?」


 驚く僕に、赤川さんは呆れた顔をした。


「当たり前だろ。玩具メーカーは撤退してもアパレルはまだ売ってんだよ。覚えとけ」


「は、はい……」


「あと、血もダメだからな」


「それもスポンサーの?」


「いや、子どもが怖がる」


「………………」


「なんだ?」


「い、いえ。なんでも」


 つい、吹き出しそうになるのを堪えた。なんだかんだ言って、やっぱり赤川さんは子どもが好きなんだ。


 それからは、僕と赤川さんは同じ方向を向いて一生懸命に作品を創り続けた。残り少ない話数だったけれど、それは濃密な時間だった。


※ ※ ※


「……これでしまいだな。おつかれさん」


 最終話の原画を描き上げ、赤川さんが僕の肩を叩いてねぎらった。ただの最終回ではない。唯一残っていたスポンサーが今期限りで子供向けのアパレル展開を終了する。これは子供向けアニメそのものの最終回なのだ。だが、赤川さんは少しも寂しそうな様子を見せなかった。だから僕は尋ねた。


「赤川さんはこれからどうするんですか?」


 赤川さんは歯を見せて笑って答えた。


「紙芝居でも描いてこっちから出向くさ。いいだろう? だってよ、子どもの笑顔が直に見られるんだぜ」


※ ※ ※


 赤川さんと二人でスタジオを出て地上に上がると、外はもうすぐ夕日が沈むところだった。


「それじゃ、お世話になりました」


「おう、元気でな」


「ええ。赤川さんも…………」


 ……なんだか、別れ難かった。 


「あの……僕、この仕事をやったおかげで、子どもの頃に憧れてた『ドラゴンファイター』の言ってたこと、もう一回目指してみようって思いました。……もう大人ですけどね」


 苦笑して言うと、赤川さんは大声で笑った。


「そうか、そりゃよかった。ちゃんと育ってるじゃねえか!」


「えっ?」


「そいつも俺の仕事だよ」


「ええ〜っ!?」


「なんなら、お前の親父も俺の作ったアニメで育ったんじゃねえのか?」


 ……まったく、この人には敵わないなと思った。


-おわり-

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