第12話 陰謀の気配

 その夜も、東宮は月見台で待っていた。いつもにまして優しい笑顔で、美緒を出迎えた。

「行光から、何かわかったことがあるらしいと聞いているよ。聞かせてもらえるか」

 美緒は頷いて、まずはその日の朝の北の御所での騒動の顛末を話した。

「獣の匂い——か。嵯峨野殿達女房が犬や猫の匂いをそのように恐れるのは、一体どういうことなのだろう。

 おや、その顔では、美緒殿はもう見当がついている様子かな」

「東宮様は犬を連れて狩に行かれたことはございますか?

 犬は、野の獣を追うことに大変優れております。それを獣の方を知っておりますから、犬を恐れて逃げ惑います。そこを上手く人と犬で追い込んで、狐や鹿を仕留めるのでございますよ。

 また、鶏を飼う者の中には、鶏をや狼に食われぬように、犬や猫に見張らせる者もおります。野の獣というのは、犬や猫を恐れるので、鶏小屋に近づけぬというわけです」

 東宮は驚いて美緒を見た。

「では、美緒殿はまさか嵯峨野殿ら北の御所の女房達は——」

「はい。野の獣が化けた妖と考えております」

 東宮と行光は、まさかという顔で目配せしあった。

 行光は戸惑いながら問うた。

「では、まさか東宮御所でたびたび目撃されていた獣は、女房達だとでもいうのですか」

「はい、おそらくは」

 美緒の言葉を、東宮と行光はまだ飲み込みきれないでいるようだ。美緒は続ける。

「また、陰陽寮に文を出して、下男が噛み殺された事件について調べた陰陽師に、その時のことを尋ねましたところ……」

 美緒が懐から取り出した文には、角ばった神経質な筆跡で、びっしりと文字が書いてある。

「やはり、わたしの思ったとおりでした」

「と、いうと?」

 東宮が聞き返すと、美緒は文の中ほどを指差した。

「この陰陽師も、北の御所の中から香の匂いがした、というのです。ここに書かれているその香りの様子も、わたしが嗅いだのと同じです。しかし、行光殿や東宮様はこの匂いを嗅いだことがない……

 つまり、わたしやこの陰陽師のように、妖の気配を感じることができるものだけが、この匂いを感じるようなのです」

 なんと、と東宮はため息をついた。

「では、その香りは……」

「おそらく、強すぎる妖気をごまかすために、何か術を用いて香の匂いに錯覚させているのでしょう。この陰陽師が北の御所の周りを調べたときは、北の御所に中に入ったわけではないので、香りがそこまで強くはなく、気づかなかったのでしょうね」

 行光は感心しつつ、文に目を落とし、

「しかし、その文を書いた方は、随分と詳しくその時のことを覚えていらっしゃるのですね」

と言った。

 美緒はそれを聞いてため息をついた。

「ええ、この陰陽師はときどき一緒にいてうんざりするほど生真面目で几帳面な男なのです。この度はこのように詳しく書き留めていてくれたことが役に立ちましたが、我が兄ながら本当に厄介で……」

 東宮はそれを聞いて破顔した。

「なんと、これは美緒殿の兄上の文であったか。聞いていると兄妹あにいもうとでありながら、美緒殿とは随分と人となりが違っているようだ」

 美緒はそれを聞いて痛いところを突かれた、というように苦笑いした。

「ええ、まあ。わたしはこう、細かいことや、周りくどいことが苦手なたちですので…… よく、兄とわたしでお互いのさがを半分ずつ分け合えば良いのに、と言われます」

 東宮は目を細めて、

「いやいや、側にいて助け合う者たちは、まったく別の徳がある方が良いと、わたしは思うよ。兄上のように微に入り細に入りさまざまなことに目を配る者がいるならば、美緒殿のように勇ましく肝の据わった者も必要なのだ」

と言った。

 美緒は、

「勇ましく、肝が据わっておりますか、わたしは。」

と、困ったように笑ったが、すぐに真面目な顔になって、

「いや、それがわたしの徳として、東宮様の役に立つのなら、立派なものですね」

と、言った。

「しかし、北の御所の女房たちの正体が獣の妖であるのならば、お妃様やその父の右大臣様は、一体——」

 行光が深刻な顔で言うと、東宮と美緒は黙り込んでしまった。

「……おそらくではあるが、やはり右大臣が何かよからぬことを考えて、この東宮御所に妃と女房たちを送り込んだ、と言うことになろうな」

 東宮は膝に頬杖を付き、考え込んだ。行光も頷く。

「実は、東宮様とお妃様の婚礼の夜に、気になったことがあるのです。

 婚礼の儀式の時には、お妃様の父として右大臣様が東宮御所にいらっしゃったのですが、その側にいつもぴったりと、年老いた僧形の男が付き従っていたのです。その上、儀式の最中にもかかわらず、その僧形の男がしばしば右大臣様に何やら耳打ちをしていました」

 美緒ははっとした。

「それはきっと陰陽の道や呪詛を生業とする法師でございましょう。おそらく、この度のことはその法師が右大臣様に入れ知恵をしたのではないでしょうか」

 東宮は目を閉じて、うんうんと頷き、少し考えてから目を開けた。

「……やはり、このこと、右大臣を探るほかあるまいな。しかし、いきなり右大臣の屋敷を探らせろと言っても、聞くはずがあるまい。どうしたものか……」

 その時、行光が両手をぱんと合わせて言った。

「それでは、方違かたたがえを使われてはいかがでしょう」

 東宮と美緒は驚いて、二人同時に

「方違え!?」

と叫んだ。

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