第11話「ムスカリ」

 少し暖かくなってきたと思いきや、ジメジメとした暑さが人々を襲った。

 春が終わり、梅雨が訪れたのだ。花粉症の人にとっては有難い雨が毎日の様に降り注ぎ、それ以外の日も暗い日が多くなった。そんな時期に、初めて目撃したのだ。

 "あの人"がいじめられている光景を。


「ねぇ、最近ちょっと調子乗り過ぎじゃ無い?」

「天才とか言われて、頭がちょっと良いからって図に乗ってんじゃねーよ!」

「ねぇ、あんた前拓海たくみに色気使ってたでしょ」

「えっ!?そ、そんな事無いよ!私は普通にしてただけだし、、でも、私って普通にしてても色気出てるのかな、?」

「そういうのがウザいっつってんの!」

「痛っ!?」


 一階の階段の後ろ。特に目に付かないところを選んでいる点は、常習犯だろう。偶然通りかかった日向日葵ひなたはるきは、遠目でそれを見据える。

 それを受けていたのは、野茨楓のいばらかえで。裕福な家庭で、父が社長という話を聞いた事がある。正直、クラスは別であり、面識もないため、大した記憶は無いのだが。これを見て無視するわけにもいかない。

 そう考え日葵は足を踏み出すも。


ーうーん、、逆ギレされたらどうしようかー


 日葵は剣道部に入部しており、柔道部程では無いが体には自信がある。だが、相手は全員女子である。更に三人程見られる。

 もし口論になったとしたら問題だろう。何せ、日葵は口喧嘩が大の苦手なのである。


ー穏便に済めばいいんだが、、相手は三人だし、、女子怖ぇしー


 そう悩む中で、楓は髪を掴まれる。その光景を目にした瞬間、居ても立っても居られなくなり、日葵は足を踏み出し声を上げた。


「何してるんだそこの三人!」

「やっば、、いこ」

「はぁ、最悪、」


 仲裁に入るわけでも諭すわけでも無く、ただ教師のふりをして声だけで追い払う事に成功した日葵は、数秒ののち楓に駆け寄った。


「だ、、大丈夫、でした?」

「あ、あはは、ごめんね、、なんか、気、使わせちゃって」

「そんな、別に全然ーー」

「じ、じゃあっ、私、行くねっ!ごめん、ありがとう!」


 そそくさと、楓は階段を登って行ってしまった。一応お礼は言われたものの、もう少し反応があっても良いのではないかと、日葵は息を吐いた。

 それからというもの、楓という存在が少し気になり出していた。休み時間に一階の階段裏を確認しに行く事もあったが、あんな事があった後だ。同じ場所で犯行を繰り返す筈も無く、楓を見つける事は出来なかった。


ー今でもまだ、どこかで難癖つけられてんのかなー


 日葵はこの学校の黒い部分を目撃したが故に表情を曇らせながら、息を吐いた。

 時は放課後。今日も朝から雨であった。日葵の心と同じ様に、空は曇り、大量の雨が降り注いでいた。


「はぁ、なんかこう毎日雨だと億劫になってくるな」

「俺は花粉症だからマジで嬉しいぞ。まあ、俺偏頭痛だからそっちが辛くなるけど」

「なんかいっつも不調だなお前」


 そんな何気ない会話を友人と繰り広げながら、下駄箱で下履に履き変え傘を取る。が、その瞬間。


「っ!」


 時が止まった様に。

 日葵の隣を、楓が横切った。


「っ!あれって」


 追いかけようとするものの、楓は雨の中をズンズンと突き進む。

 それも、傘を差さずにだ。


「まさか」


 ハッとし、日葵は下駄箱の方へと振り返る。すると、案の定以前の女子の三人がクスクスと笑いながら彼女を見つめていた。


「チッ、陰湿な」


 日葵はそう呟くと、急いで傘を差し雨の中へと走り出す。


「お、おいっ!日葵、どうしーー」

「悪い!今日は先帰るわ!」


 日葵が振り返り声を上げると、だんだんと楓の姿に近づいていく。そして、彼女の隣に出た、その時に。日葵は気づいた。


「っ!」


 楓は、笑顔を浮かべていたのだ。

 この雨の中、ビシャビシャに濡れた顔と服、体で。まるで虹のかかった小春日和の如く、笑っていた。

 きっと、この前にもいじめを受けていたのだろう。顔に、少し赤い部分が見受けられる。それでも尚、いや。それを隠し、自分自身に嘘をつくために、笑っていたのかもしれない。だが、そんな彼女の笑顔を、日葵は美しいと。素敵だと、直感的に感じた。


「...っ」


 見惚れてしまったが故に、気づいた時には楓がまたもや数メートル先に進んでいた。危ない危ないと。日葵は首を振り足を進めた。


「す、すみませんっ!ちょっと、待ってくれませんかっ」

「え、?わ、私、?ですか?」


 声を上げ引き止める日葵に、驚いた様に目を開いて楓は振り返った。


「え、ええっと、その、こ、これ!貸すからっ!傘!」


 以前の光景を思い出し、言葉が出てこなかった日葵は、そんな不器用な言葉で自身の差していた傘を渡した。すると、突如楓は目を見開き口を開いた。


「ああ!貴方、あの時のっ」

「え?あ、ああ。そう!この間は、どうも」

「あははっ、何それ〜、どうもはこっちの台詞だよ?」


 日葵は、笑みを浮かべる髪を二つに束ねた可愛らしい女子に見つめられ目を逸らす。すると、楓は少し間を置いたのち、今度は少し寂しそうな笑顔で返した。


「...ありがとう。この間も、ちゃんとお礼言えなくて、ごめん。でも、傘、大丈夫だから。貴方が差して帰って」

「なっ、それじゃあ野茨さんは、?」

「っ!...わ、私は、大丈夫だから」


 楓はそれに続けてじゃあねと放つと、そのまま速足でその場を去った。それに、日葵は追いかける様にして足を踏み出し声をかける。


「ち、ちょっと!駄目ですよ、風邪ひいちゃいます」

「ふぇっ!?」


 日葵は、強引に詰め寄り、傘を差し出す。それに一度は動揺したものの、直ぐに目つきを変えて放った。


「だからっ!いいですって、言ってるでしょ!?もう、帰ってください!」

「...で、ですが」

「ですがじゃない!それに、私なんかに敬語使わないで!」


 楓はそれだけを吐き捨てると、そのまま足早にその場を後にする。その姿を見つめながら、日葵は思う。

 わざと、そんな事を言っているのではないか、と。

 私なんかに敬語を使わないでというあの言葉が、日葵の脳内を埋め尽くす。私"なんか"なんて言葉、普通は出てこないだろう。更に、この様なシチュエーションでだ。それ故に、彼女は構ってほしく無いと感じており、わざとそれを言っているのでは無いかと。日葵はそう察した。

 だが、その言い方もあり、日葵は彼女を追いかける事は出来なかった。


ーもしかして、俺の名前覚えてなくて、それで気まずかったりするんだろうかー


 ふとそう考え直し、日葵は振り返る。そう、日葵は、少しズレているところがあったのだ。


「や、やっぱり放っておけないです」


 数十秒後、確信した日葵は、楓の元へまたもや走り傘を差し出す。それに、楓はまたかと怒りを見せようとしたものの、それを遮る様にして日葵は名乗る。


「あの、俺、日向日葵って言います。その、違うクラス、ですけど、仲良くしてくれたらなぁって、」

「...」


 日葵の名乗りに、一度は目を開き何かを堪えている様子だったものの、直ぐに俯き睨みつける。


「何も、分かってない」

「えっ、あ、ちょっと!」


 それだけを残すと、今度は走り去ってしまった。ここで追いかけては流石に迷惑だろうと日葵は察し、空を見上げる。

 未だ、雨は強く降っていた。こうして声を強く上げないと、何を言っているのか聞こえない程である。それでも、彼女の笑顔は明るかった。だからこそ、日葵は楓の後ろ姿を見たのち、傘を畳んだ。


           ☆


「おい、どうしたよ、最近なんか上の空だな」

「ん?おー」


 いつもの登校。最寄駅に集合しいつも学校に向かう友人と共に、日葵は同じく雨模様を見上げていた。


「なんだ?恋か?誰だよ、誰なんだ?教えてくれよ、何組だ?」

「違うって」


 軽く返したものの、もしかすると心のどこかでそれに近い感覚を持っていたのかもしれない。あんな境遇で、辛い思いをしていた彼女。朝から雨だというのに、傘を持ち合わせていなかった理由も、なんとなく察しがつく。だからこそ、あの時の笑顔は日葵の心を動かした。

 自分なんかを。その一言が、ずっと頭に残り続ける。ずっと、いじめられてきたのだろうか。クラス内でも、浮いているのだろうか。そんな事を考える度に、胸の奥が苦しくなった。と、それと同時に。


「あ」

「ん?どしたん」


 ハッと気づく。やっと理解した様だ。あの時の、あの言葉と態度の本当の意味を。


「そうか、、そうだったんだ」

「え?何が?」

「悪い。今日も帰りパスな」

「なっ、まさか、本当に女か!?」


 騒ぐ友人を他所に、日葵は覚悟を決めた様に目つきを変えた。


          ☆


 その日の放課後。誰よりも先に教室を飛び出し、他クラスを探し回った。幸い、四クラスのみの学校だったため、なんとか見つけ出す事が出来た日葵は、入り口付近から彼女の姿を見つけてホッと安堵した。


ー良かった、まだ居るー


 そう胸を撫で下ろしたのも束の間。楓が外に出るのを待つ事数分。ゾロゾロとクラスの人達は出てくるというのに、一向に彼女の姿が見当たらない。何かやっているのだろうかと、日葵は覗くと、そこでは。


「ねぇ、拓海に聞いたら知らないって」

「ね!?そうでしょ?やっぱり私の言った通りでーー」

「でも、なんか怪しかったんだよね〜、そん時の彼」

「うっわ、もしかして、浮気?」

「あんたが誘ったって噂も出てるわよ?それで、口止めでもしてるんでしょ?」

「失敬な!私はもしそうなら堂々と宣言しーー」

「はぁ、ほんっとあんたと居るとムカつく!」

「きゃっ!?」


 またもや、同じ三人組に囲まれ、頭や手首を掴まれ暴行を受けていた。まだ教室内には数人残っているというのに、その人達はゴミを見る様な目で見つめ、何もしようとはしなかった。それが悔しくて、腹立たしくて、日葵は次の瞬間思わず。


「何やってんだよ!」


 他クラスに平然と足を踏み入れた。


「は?な、何?誰あんた」

「この間のやつじゃない?声が一緒」

「え、あれ先生じゃなかったの?」


 ざわざわと、三人組は声を掛け合う。どうやら、認知されていなかったらしい。これでも一応代表挨拶をするため登壇した身であるというのに。

 と、そんな事は振り払い、日葵はそのまま楓の腕を掴むと、教室の外へと連れて出ていく。と、廊下の端にまで到達したその時、楓が突如手を振り解き睨みつける。


「何やってるの!?だからそういう事しないでって言ってるでしょ!?ほんと何も分かってない!」

「何も分かってないのは野茨さんの方です!」

「っ」


 突如日葵が声を上げると、ビクッと肩を振るわせ口を噤む。その様子に、日葵は確信し告げる。


「本当は、、凄く辛くて、怖くて、仕方ないんですよね?こうやって、責められる事が」

「...何、分かったつもりになってるの、?」


 必死に棘のある言葉をぶつけようとするものの、その声には力が籠っておらず、楓の体は震えたままだった。


「分かったつもりかもしれません。今の行動は、確かにおかしかったです。俺も、ちょっと、、いや、相当口下手なので、こういう考えしか出てこないんですけど、、でも、それよりも、貴方の方が自分の事分かってないんじゃ無いですか」

「え、?」

「いや、正確には分かってるけど、自分を騙してるんですよ。野茨さん、貴方は凄く優しい人です。俺、鈍感だから今日まで気づけなかったですけど、こうやって俺を遠ざけようとするのは、、一緒に居ると、いじめの対象になってしまうと、思ったから、ですよね」


 日葵の言葉に、楓は目を剥き唇を噛み、俯く。どうやら、図星だった様だ。そして、更に先程の教室の雰囲気でも見て取れた。


「クラスの中で、孤立して、、いや、させられてるんですよね、恐らく、一緒に居たらいじめられるというレッテルを貼られて」

「...うるさい、」

「え、?」

「うるさいっ!なんなんですか!?助けようとしてるのか、現実突きつけて私を苦しめようとしてるのか、どっちなんですか!?」

「あ、え、そういうつもりは無く、、すいません」


 どうやら、敬語である点や、声の雰囲気から本性である事が見てとれた。故に、日葵は今まで以上に反省の色を見せた。すると、それに歯嚙みして「とりあえず、もう、いいですから」と呟き、教室に戻ろうとする楓を引き止める様に、日葵は続けて放った。


「駄目です。このままでは、ずっと、辛いままですよ」

「え、?」

「俺、貴方の笑顔が、素敵だと思ったんです。だから、心からの笑顔のために、俺が行きます」

「え、あっ、ちょっと!?何!?」


 楓を動揺させたまま、日葵は手を引っ張って教室にまで足を運ぶと、未だ先程の三人が居る事を確認し突如声を上げた。


「先程はすみませんでした!自己紹介がまだでした!俺、日向日葵って言います。野茨さんと、、野茨楓さんと、お付き合いしてもらっています者です!」

「「は!?」」「「え!?」」


 楓を含めた全員が、心からの声を上げた。その空気感が重くのしかかりながらも、日葵はおかしい日本語で続ける。


「だから、貴方のその彼氏さんとの事はあり得ません」

「ち、ちょっと、あんたに彼氏居るなんて聞いてないんだけど、、はぁ。あの、日向さんって言いました?貴方、浮気されてる可能性ありますよ?その人、すぐその高いスペック見せびらかして人の彼氏奪うので有名ですから」

「なら、その彼氏さんに言っておいてください。変な気は持たないでくださいって。俺が言ってましたって!」

「え?あ、は、はぁ、?」


 日葵は、特技である声出しと圧力だけで納得させると、楓の荷物をまとめて渡し、ドアにまで歩く。その中で、ふと日葵は振り返ると力強く付け足す。


「後、俺の彼女傷つけたら許しませんから。裏である事ない事暴露するのは女子だけだと思わないでください」

「はぁ、?」


 どうにも納得がいかない様子だったものの、日葵は平常心を保ちその場を後にした。

 が、その直後。


「ごふぁっ!」

「何してくれてんの!?」


 男性一番の急所を蹴り飛ばされた。可愛い子に蹴られたなら本望だと言いたいところだが、それにしても辛いものがある。


「ご、ごめん、なさい、、勝手に、付き合ってる設定にしてしまって、」

「それだけじゃ無い!全部!全部に怒ってるの!」


 蹲りながら謝る日葵に、腕を組みながら楓は見下ろす。確かに、いじめを解消させるべく行った行動が、凶と出てしまった感覚である。


「もうどうしてくれるの!?私の行動の理由分かったならどうしてほっといてくれないの!?なんでそんな事したの!?もう、、これで、もっといじめられるじゃん、」


 掠れた声で怒鳴る楓に、日葵は浅く息を吐くと、真剣な表情で放つ。


「付き合ってるってのは嘘だけど、あの人達にはそれで認知させたんです。これからは、俺が仲裁に入りますから、そんな事にはーー」

「だから貴方には関係ないでしょ!」


 楓にそうきっぱりと告げられ、日葵は口を噤む。確かにあれはやり過ぎた。その自覚は十分にあったからだ。だが。


「関係ない、、かもしれません。ただの、貴方の笑顔が素敵だと感じた私の、勝手な行動です」

「え、?」


 険しい表情で日葵を見つめる楓に、続けて「俺、わがままですから」と微笑んだ。


「俺を、悪者にしてくれて構いません。俺が無理矢理こういう事をしたのは事実ですから、言いふらされても仕方ありません。ただ、もし野茨さんがまたああいう目に遭っていたら、俺は助けます。少し強引かもしれませんが、俺は、俺なりに、自分の発言に責任は持っている方です」


 真剣に、日葵は放った。目を見て、目の奥を見て、真剣に。あのままでは、ずっとあの生活からは解放されない。本当は辛い事を、近くで見つめ理解したからこそ、勝手な悪者として、解放しに足を踏み出したのだ。それを、心のどこかで感じたのだろう。彼女は、踵を返し最後にそれだけを残した。


「勝手にしてください」

「っ、、ふ、」


 遠ざかる彼女の背中に、日葵は思わず微笑む。これからどうなるかは分からない。ただ、拒否されなかった事実が、日葵の口元を綻ばせた。

 あれから二週間が経ち、この生活に慣れ始めていた。楓は心優しい人だ。だからこそ、日葵が無理にそんな事をしたという話は、誰にもしなかった。勿論、親御さんにもだ。それに、深く安堵した日葵だった。親が現れたら、日葵は手も足も出ないだろう。故に、それが救いであった。

 あの後も、陰湿ないじめは続いた。いや、強いて言うなれば更に陰湿になったというのが正解だろう。暴行は見えないところを狙う様にし、陰ながらの嫌がらせや、遠回しなやり口。SNSを利用した精神攻撃や、クラス内、学校内での噂による疎外。それによって、楓は更に自分を責め、日葵に対してもその出来事を口にする事は無かった。だからこそ。

 日葵は、直接目撃する選択肢を取ったのだ。

 授業中は見にはいけないが、朝の時間や休み時間、放課後に至るまで、全てを楓の捜索にあてた。

 そうする事によって、少しずつ変化していったのだ。この、地獄が。


「クッ、って、、てぇ、」

「...なんで、、そんな無茶したの、?」


 ある日の放課後。いじめを幾度と無く阻止してきたがために、男子にも知れ渡り、こうして殴り合いにまで発展してしまった。殴る行為は一番の恥。それは理解していたが、売られた喧嘩は買ってしまう主義な日葵は、見事に数十人相手にそれを受け、ボコボコにされた。

 保健室の中。楓が隣で呟く。それに、日葵は寝返りを打ちながら口を開く。


「間違ってると、、思ったからです」

「え、?」

「こんなに頑張って、無理してる人を蔑む世の中は間違ってると、思ったからです」

「が、頑張ってる、?」

「はい。野茨さんは頑張ってます。悪質ないじめを耐えている。それも、そうですけど、、天才って、努力して才能を見つけ、それを努力で伸ばした、そんな努力家の意味を持ってると思うんです」

「...」


 窓の外を見ながら話す日葵に、楓は目を見開く。


「だから、天才って言葉で、人を蔑む事自体が間違ってるというか、なんというか、、ただ、また俺のわがままです。俺が、ただここで引いたら、俺のこの考えが間違ってたって事になってしまう気がして。...いやぁ、やっぱ俺馬鹿なんですよ。だからーー」

「なんで」

「...え、?」


 掠れた声で、今にも泣きそうな声で楓は呟いた。それに驚いた様に日葵は振り返ると、やはり彼女は泣いていた。


「な、えと、、ど、どうしっ、えっ」


 口下手が発動してしまった様だ。こういう時、なんと声をかけて良いか分からない。幼少期からスポーツをやっていたため、女子から話しかけられる事は多かったが、女性の扱い方には慣れていないのだ。話しかけてきた女子は一週間後には見事に皆居なかった。

 すると、少し落ち着いたのか、僅かな間ののちに彼女は小さく微笑んでそれを放った。


「敬語、じゃ無くていいですよ。私なんかに、、ううん。私、先輩でも、何でもないから」

「っ」


 そう言い換えた楓に、日葵はどこか認められた気がして。目を見開いたのち、同じく微笑んで告げた。


「ありがとう。野茨さんも、敬語、やめてくれないかな?」

「ふふっ、考えておきます」


 そんな、ずっと見たかった彼女の心からの笑顔が、そこにあった。

 それのせいか、日葵の体には、何故かもう痛みが無かった。


          ☆


 あれから一ヶ月が経ち、周りには付き合っているとは言っているものの、友達という感覚で一緒に居ることが増えた。日葵と楓、そして登下校を共にしていた友人の三人で、過ごすのが日常となっていた。


「へぇ、本当に女だったとは、、許せんな。抜け駆けは無しと言っておいたはずだが」

「は、はは、悪いな、こっちも、突然の事で」

「あ、あのっ、私が、悪いんです、突然、だったから」

「楓ちゃんが謝る事は無いよ!謝るべきはお前だ日葵。そんな事ないとか言っておきながら、嘘ついてたのはお前の方だからな!」


 昼休みは、屋上。と言いたいが、開放されていないため、屋上の入り口前の階段頂上で集まり食事をしていた。


「にしても、その言い方だと楓ちゃんの方から告白した感じ?」

「え!?あ、いや、、それは、」

「...」


 どこか、申し訳無かった。ずっとどこかに罪悪感を覚えていた。親友には、本当の事を話しても良かったなと、日葵は思い返す事もある。だが、学校内では話せなかった。その親友を疑っているわけではないが、どこで誰が聞いているかなんて、分かりはしないのだから。

 そんな罪悪感に襲われる事も多々あったものの、三人での生活は、楓に活気を与えていった。強がりの明るい性格から、本当の明るさに変化していき、未だ無理に付き合っていると告げた日葵には憤りを見せるものの、それによって出会えたこの景色の方が大きいと。楓はどこかでこの生活が好きになっていったのだ。

 そんな中である。

 楓とタメ口で話す様になってから早二ヶ月が経ったある日、日葵は恐る恐る口にした。


「今度、一緒に、出かけたり、しないか?」

「...え!?三人で!?」

「...ふ、二人、で」

「へっ!?」


 日葵の切り出しに、そう元気に返した楓だったが、"二人"という言葉を聞き途端に顔を赤らめる。いくら気がないと言っても付き合っているという設定なのだ。意識しないわけがない。

 だが、なんとか了承を得た日葵は、週末に二人でデパートに行く事にした。その中で驚いた事がある。やはり彼女は、裕福な家系の人物だった様だ。デパートではとんでもない金額のものを平然とカゴに入れていた。それに「引いた?」と微笑んだが、それがまた可愛らしく、だが日葵は「引いた」と微笑みながらも正直に告げた。

 そんな、友人でもありそれ以上でもある、もどかしい距離感を感じながらも、その日はお互いに"引き分け"で幕を閉じた。

 あの日からというもの、頻繁に出かけるようになった日葵と楓は、だんだんと、嘘が本当になるように、お互いに惹かれていった。

 それからも、周りには恋人だと偽ったまま、友人として外出を続けた。そして、初めて楓と出会ったあの日。階段の下でいじめられているところを発見した日から約九ヶ月が経った。楓を元から好きだと感じていた事に気づいた日葵は、とうとうそれを行動に移した。

 遅いと。そう思われても仕方が無かった。いくら始めは印象が良く無かったとしても、既に楓と休日に遊びに行く様になってから半年は経っている。それ程の仲だ。ただ、日葵は怖かったのだ。好きになってしまう自分が。

 今が大切だった。これで良かった。付き合うなんて大層なことはしなくていい。ただ、こうして付き合っているフリをしながら楽しく過ごす。それが、心地良かったのだ。だが、そんな中でも、四ヶ月が経ったあたりから、日葵は考え始めていた。逆に怖くなったのだ。

 今で、満足してしまう自分が。

 だからこそあの場所に決めて、時間を待ったのだ。


 忘れもしない三月五日の運命の日。


 日葵は、いつもの様に楓を遊びに誘った。最初こそショッピングや食事など、変わり映えのないものだったが、その日のフィナーレを飾るように、日葵は楓をある場所に案内した。


「わっ、凄いね!こんなところがあるなんて、近所なのに知らなかった、」


 そこは、デートスポットとして有名なムスカリの花が一斉に咲き誇る、大きな花畑であった。


「ああ。調べないと分からないようなところだからな。ちなみに、このムスカリは三月から五月にかけて開花するんだけど、今回は少し早かったみたいだな」

「へぇ〜、そうなんだ!というか、日向君詳しいね。好きなの?」

「なっ、へっ!?な、何故分かった!?」

「あはは、何〜そんな慌てて。分かるよ。学校でも、花壇に水やったりしてるでしょ?私、この間見ちゃったもん」

「え?あ、ああ!そうそう!花っ、花な!俺昔から好きなんだよなぁ、」


 楓のために調べたことがバレたのかと、一度は勘違いによって声を裏返した日葵だったが、直ぐに切り替えて語る。


「俺、母親が病気で早くに亡くなっちゃって、、昔から、俺病院に行く事が多かったんだ」

「ご病気、、だったんだ、」


 小さく呟く楓に、日葵は無言で頷き、続ける。


「それで、病院に行くと必ず花が置いてあってさ。そこから、好きになったんだよ」

「び、病院に、あったのに、?」

「ああ。子供だったら、みんな親に会いてーって思うだろ、?まあ、事情によっては違うかもしれないが、少なくとも俺はそうだったんだ。だから、母に会える病院が、俺にとっては天国で、そこで見た花は、何よりも綺麗だった。だからこそ、葬式でも救われたんだ。辛くても、目の前にある花が、また会えるよって、言ってくれてる気がしたから」


 淡々と、そのムスカリの花が風に揺られる姿を見ながら放つと、ハッと我に帰り日葵は口にする。


「わ、悪いっ、、その、暗い、話だったよね、」

「ううん。それが、今の日向君を作り上げたんでしょ?だったら、それを聞けて、私は嬉しいよ」

「っ」


 西日に照らされ、微笑む彼女の笑顔はとても美しく、可愛らしく。故に抑えきれない想いが、日葵の口から飛び出た。


「...野茨さん」

「へ、?」


 突如彼女に向き直り、目つきを変えて放つ。真剣に、一生で一度という様な。そんな、覚悟が見られる表情である。その、表情で。


「遅くなってごめんなさい。実は俺、最初から、野茨さんの事が好きでした。こんな、わがままなやつですが、、その、本当に、、本当の意味で、付き合ってくれませんか、?」


 ここでまたもや口下手が発動してしまった様だ。覚悟を決めたというのに、途中から途切れ途切れになってしまうそれは、グダグダと言うに相応しかった。

 だが、対する楓は、浅く息を吐くと、目に薄らと涙を溜めて笑顔を返した。


「はぁ、、本当に、遅かったね、、でも、ありがとう。この期間で、日向君の事、もっと知れて、もっと好きになれたから」

「え、そ、それって、」

「ふふっ、察し悪いなぁ。言わせないでよっ、馬鹿っ」

「のっ、野茨さん、、野茨さんっ、」

「え!?あ、ちょっと、な、泣かないでよ」

「だ、だって、」


 日葵は、緊張のほぐれもあり、その答えに思わず目から涙を溢れさせた。その情け無い姿に、楓は慌てた様子で駆け寄った。それに、日葵が「ごめん、、引いた、?」と恐る恐る聞くと、楓はその本気でお慕いしている姿に僅かに頰を赤らめながら、「引いた」と正直に答えたのだった。


          ☆


 それからは、大きな変化というものは無かった。確かに、付き合っているという虚言が、本当になったものの、元々月に一回のペースで休日に会っていたし、学校では毎日の様に会っていた。故に、普段の生活と、何ら変化は無かった。

 ただ、強いて言うなれば。


「ねぇ、日葵、、そろそろ、私の事楓って呼んでよ」

「そ、それは、、なんか、馴れ馴れし過ぎるというか、」

「なんでよっ!私は、日葵と対等になりたいのにっ!自分は私に名前で呼んでくれー!なんて言ってるのにさ!不平等だよ!」


 そう。この、呼び名問題である。一度だけ、楓と彼女を呼んだ事があった。だが、どこかむず痒く、言うように馴れ馴れしい感覚があった。楓を好きになったのは日葵の方である。そのためか、敬う気持ちが大きくなってしまい、なかなか下の名で呼ぶ事が難しいのである。

 そのため、黙り込んでしまった日葵に、楓は息を吐く。


「はぁ、まあ敬語が抜け切れるのも結構時間かかったし、ゆっくり直していけばいいか、」

「そうだ。無理に強要するものでは無い。呼び方は、その時が来たら言うようなものでだな、」

「日葵が直せばいいだけの話なんだけど!?」

「う、すみません」


 本当の意味で一緒に帰るようになった放課後。相変わらずの雨に降られながら、二人はそんな会話を繰り広げていた。と、その時、楓は足元に咲くそれを見据え目を見開く。


「あ、これって」

「ん、?」


 小さく呟き、楓は屈んでそれをマジマジと見つめる。優しく触るそれは、ハートの形をした葉と、円錐形に小花が房咲きになった白色で一重の花をつけた花であった。


「ライラック!ライラックだよね?」


 表情を明るくし、楓は日葵に振り返り放つ。それに、その通りだと。日葵は目を剥く。


「凄いな、、野茨さんも、詳しかったのか?」

「これくらい分かるよ〜!それに、私は日葵の事なら何でも分かるしね〜」


 まるで心を読んだと言わんばかりの表情で自信げに頷くがしかし。少し間を開け息を吐く。


「...と、言いたいとこだけど、勉強したんだ。日葵と、話したいから」

「えっ...野茨さん、」


 優しい瞳でライラックを見つめる彼女の名を、無意識のうちに呟く。すると、続けて楓はニカッと笑いまたもや振り返る。


「でも、勉強していくうちに凄く綺麗だったり、可愛かったり、人と同じで、色々な花があるなぁ、って、思って。...私も、好きになったんだよねっ!お花!」


 楓の言葉に、「おおっ」と。日葵は目を潤ませ見開き、声を漏らす。


「分かってくれるか!この、繊細な見た目だが、調べていくと意外と怖いものだったり、歴史が深かったりするこの奥深さっ!あと、花言葉も覚えておきたいところの一つだな!花言葉は、そのプレゼントとか、使用する時にもよって種類も変わってきて、一つじゃ無いところが良くてだな、」

「ああっ、い、いいからっ!私のために分かりやすい事から話出してるの分かるけど、そこまでの熱は私無いからっ」

「そ、そうか、」


 キッパリと告げられ、しゅんと項垂れる日葵の姿がどこか可哀想で、思わず楓は「な、なんかごめん」と零した。と、その後、楓は続けてライラックに向き直り、優しい眼差しと優しい手つきでそれに触れた。


「それにしても、、ほんと可愛いなぁ、普通に部屋に飾っておきたいかも、」


 ふふっと微笑みながら小さく呟くと、次の瞬間。


「よっ」

「!?」


 楓は花を掴み、引き抜こうとしたのだ。


「何やってる!?」


 慌てて日葵は前のめりになって声を上げる。その反応にビクッと肩を震わせた楓は首を傾げる。


「な、何って、、綺麗だから、持って帰ろうと思って、」

「駄目だ。花だって皆生きてるんだ。引き抜いたりしたら、死んでしまう。...花を好きだと思ってくれて俺は嬉しい。だけど、綺麗で美しいと思うなら、摘み取らないでくれると助かる」

「日葵、」


 日葵の真剣な言葉に、楓は目を開き名を呟くと、そうだよねと小さく微笑んで手を離す。


「分かった、、お花さんも、生きてるんだもんね。私達の勝手な感情で奪っていいものじゃないよ」

「野茨さん、ありがとう」


 優しい声で放つ楓に、同じく優しい声で感謝を呟きながら、今度花をプレゼントしようと、日葵は思うと共に傘を握りしめた。


          ☆


 楓との日々はとても楽しくて、生活はあっという間に過ぎていった。

 楓と出会ったのは高校一年生の時だったのだが、気がつけば二年生も終了に差し掛かっていた。


「はぁ、期末テストギリギリだったぁ、」

「凄いねっ!日葵、初めてじゃ無い?赤点回避!」

「なっ!?馬鹿にするな!俺だって三回は回避した事あるぞ!」


 日葵はそう微笑む楓に言い返す。問題はそこなのだ。考えまいとしてきたものの、近づくに連れて考えてしまう。楓は、とてつもなく頭が良いのだ。

 それは、全国模試で一桁の順位を取ってしまう程に。文学系統も全国模試でケアレスミスで満点を取れていないレベルである彼女は、学校のテストでは毎回満点であり、文系だけでなく、暗算検定など理系にも特化している。その中でも特にずば抜けているのが、考え方である。彼女はただ勉強をしているから頭が良いというわけではなく、そのものの見方が異様なのだ。もちろん、良い意味でだが。


「はぁ、」


 故に、日葵は息を吐く。楓は家柄、良い大学に進むよう言われているのだ。海外留学も考えているという。それが、怖かったのだ。頭の悪い自分が、どんどん置いて行かれてしまいそうで。


「どうしたの、?日葵」

「...」


 そんな日葵に楓は不安げに覗き込むものの、ボーッとした様子で口を開こうとはしなかった。と、その時。


「ミャァ、」


 と、小さく可愛らしい声が聞こえ、楓は目の色を変えた。


「え!?な、なんか、今、聞こえなかった!?」


 またもや雨の降り注ぐ下校中。楓はその声を聞き逃さずに耳に手をやる。と、続けて聞こえたその可憐な鳴き声に向かって行くと、そこには。


「ミャー」

「っ!可愛い〜っ!」


 小さな子猫が居た。


「っ、な、なんだ、?」


 ハッと。意識を戻した日葵もまた、楓に釣られてその猫を覗く。


「か、、可愛い、」

「ね!?どこからきたんでしゅか〜?」

「よく可愛い動物相手だとそういう喋り方をする人多いけど、本当は嫌がられるんじゃ無いか?」

「なっ!?日葵ってペット飼ってたっけ?」

「いや」

「じゃあ猫の気持ちなんて分かるわけ無いよ!エアプのくせに言わないでくださいー」

「偏見だ、」


 猫の首元を触りながら話す楓に、日葵はジト目で呟くと、その首元へと視線を向ける。


「...首輪、してないな、」

「あ、、ほんとだ、つけ忘れちゃったのかな、?」


 不安げに口にする楓に、日葵はその猫の姿を見据え目を逸らす。小さな子猫だったが、それ以上に痩せている印象を受けた。もしかすると、捨てられてしまったのかもしれない。そんな、良くない考えを振り切りながら、日葵は立ち上がる。どちらにせよ、と。


「とりあえず、なんだか腹が空いてそうだ。何かあげた方が良さそうだな」

「...」


 そうさらっと口にする日葵に、楓はその姿を見上げながらクスッと笑うと頷いた。


「うんっ、そうだね。とりあえず、今日も凄い雨だし、一回私の家に行こっか」

「...大丈夫なのか、?野茨さんの家って、厳しいんじゃ、」


 お堅い家柄だと聞いていた日葵は、そう心配そうに声をかけると、楓はその子猫を抱き抱えて振り返った。


「大丈夫っ!今日親、、いないから」

「っ!」


          ☆


 なんだこれは。確定演出か。親が居ない恋人の家。恋人だ、いいんだよな。と、日葵は楓の家の内装をソワソワとした様子で見回しながら部屋に上がった。


「お、お邪魔します、」

「あははっ!何緊張してるのー?平気だって、本当に今日パパもママも居ないから」


ーそうじゃ無い!それが問題なんだろ!ー


 日葵はそう心中で叫びながら、蹲る子猫に餌を与える楓を見据える。


「...家まで、、連れて来ちゃって良かったのか、?こういうのって、、依存しちゃうって、言うだろ、?」


 そう。極限状態の中で食事を与えてしまったのだ。それだけでも十分我々に依存してしまう理由があるというのに、家の中にまで入れてしまっては、元居た場所に戻しても、この家に来てしまうのでは無いかと。日葵は考え口にした。が、しかし。


「何言ってるの?別にいいでしょ。依存しても」

「...え?」

「私達で、飼えばいいんだから」

「なっ!?突然何言ってるんだ!?ま、まだ捨てられてしまったという確証も無ければ、命を預かるのに、そんな思いつきで、」

「思いつきじゃない!」

「っ!」


 日葵の言葉を遮って、楓は声を上げる。恐らく、楓も葛藤していたのだろう。それを察し、日葵は先程の発言の謝罪と撤回をする。と。


「大丈夫。それくらいの覚悟は出来てるから。それに、飼い主が見つかるように張り紙とかするから。その間、、預かる、ってかたちで」


 覚悟と行動力はあるようだが、もしもの場合の明確なビジョンは無いようだ。それに日葵は浅い息を零して頭を押さえると、ほんのりと微笑み楓と子猫の前に座り込む。


「はぁ。分かった、飼い主が見つかるまでな」

「うんっ!」


 呆れ半分で了承すると、日葵は視線を泳がす。本当に、飼い主なんて見つかるのだろうかと。もし捨てられたのが本当であれば、恐らくもう二度と現れる事は無いだろう。ならば、この行動は本当に良いのか。そう日葵は頭を悩ませた。

 だが、あの子猫を一匹で居させるのは心配だと元々日葵も感じていたため、これで良いのかもしれないと。そう自身を納得させた。すると、楓は突如。


「ねぇ。この子の名前、どうしよっか」

「なんだ、、突然過ぎないか、?それに、もし飼い猫だったら、名前がもう既に、」

「でも首輪も無いし、その間限定で呼び名が欲しいよっ!」


 そう言う楓だが、もしその名で反応する様になってしまったらどうするのだろうかと。日葵はジト目を向けたがしかし。彼女のその元気な姿に負け、日葵は息を吐いて頷いた。


「分かった、、限定な」

「うんっ、ありがとう!じゃあねぇ、、ちなみに、日葵はこの子どんな名前だと思う?」

「ど、、どんな、?難しいな、」

「それじゃあ、なんて名前にしたい?」


 顎に手をやり悩む日葵に、楓はそう言い換えて問う。すると、日葵は今度は頭に手をやったのち、数秒かけて考えた名を口にする。


「じゃあ、、えっと、源五郎げんごろうで」

「えっ、何!?どういうセンス?」

「いやかっこいいだろ!源五郎!」


 自分で聞いてきたくせに、自分勝手な回答をされたと。日葵は声を上げる。がしかし、いまいち楓には刺さらなかった様子で、口を尖らす。


「えぇ〜、なんかやっぱ古臭いよぉ〜。...えーっとねぇ、私はやっぱり、ムギがいいなぁ。茶色っぽいし!」


 なら元から自分で決めれば良かったでは無いかと。日葵は胸中で思いながら口にする。


「いや源五郎の方がカッコいいだろ」

「ムギ可愛いよぉ!」


 これでは言い合いになってしまう。そう察した日葵は、ここは引き分けにしようと頭を捻り、思いついた名を改めて提案した。


「...じゃあ、源五郎のゲンから取って、玄麦げんばくで」

「そんな物騒な名前つけないでよ!」

「イントネーションが違うだろ!」

「うーん、、なら、お米関係で、モチってどう?ぽちゃっとして、もちもちしてるし!」

「ならもち太郎だな」

「なんでそんな昭和にしたがるの、?」


 日葵の独特なこだわりに引き気味に呟く楓は、その後少し考えたのち、ハッとし提案する。


「なら、腕相撲で決めない?」

「もうそれ譲る気無いだろ、」


 日葵はその提案に目を引き攣らせながら零す。そう、何を隠そう日葵は、楓に一回も腕相撲で勝った経験が無いのだ。


「ふふ〜、じゃあ行くよっ!」

「おいっ、俺の話をーー」


 有無を言わさず始まった腕相撲は。


 結果的に、秒殺であった。


「クッ、」

「えへへ〜っ、力だけはあるんだよ?」

「いや、知能もあるだろ、、一人で完成してるじゃん」


 笑顔でピースする楓に、日葵は寂しげに返す。と、その様子を察したのか、彼女は。


「じゃあ名前はムギだね〜!もし次ペットとか飼うことにしたら、その時はもち太郎にしていいからっ」


 寂しげな表情を浮かべた理由はそのことに関してでは無かったのだが、それを隠す様に「いや源五郎じゃないのか、」と呟いた。


          ☆


 あれから数ヶ月後。ムギの飼い主が見つかり、返す事となった楓は、その人の前では笑顔を浮かべていたものの、帰り道では泣きじゃくった。そんな彼女をただただ抱きしめながら、日葵もまた心に空いた穴を感じた。

 それから更に数ヶ月後。またもや訪れた梅雨の季節。"それ"が起こった。

 地球外生命体がこの地球を狙っているという、なんとも嘘のような話が、いかにも本当であるかの様にニュースで報道され始めたのだ。

 初めは、ただの都市伝説だと考えていた。昔からそういうものはある。世界の終わりだとか言っておいて、何もないのがオチだ。それと同じ感覚で日葵は考えていたがしかし。


 楓は違かった。


 彼女は昔から察しが良かった。ものの考え方が少し違うと思っていたが、今回の楓はいつも以上に普通では無かった。地球外生命体がやってくる事を本気で信じ、それから身を守るための地下シェルターを親にお願いして作ってもらったという。それは、家柄によって実現出来たものでもあり、親がそれを信じた事によって実現したものである。

 朝の登校時。日葵はさらっと、そのシェルターについて質問をしてみた。


「え、えと、その、シェルターはどうなった、?出来上がった感じ?」


 ここ最近、楓の行動は少しやり過ぎの様にも感じ、日葵はその話をする時はどこかぎこちなかった。だが、今日は楓もどこかおかしかった。俯き、何かを言おうとしている様子だが、いまいち言葉が出てこないといった様子だ。何か、伝えたい事でもあるのだろうか。そんな事を考えていると、楓はそれを振り切って返事をする。


「う、、うん。今週末、出来上がるらしいよ。今度、見せてあげるね、」

「そ、そうか」


 そう返事する楓もどこか上の空で、苦しそうな表情をしていた。それに、日葵は意を決して何かあったのかと、尋ねようとしたがしかし。それよりも前に、彼女は小さく呟いた。


「ねぇ、、その、地下室が出来上がったら、日葵に一番最初に来て欲しいかな、」

「え、?あ、ああ。別にいいけど」


 突然の言葉に、日葵は意味を理解するのに時間を要しながらも、頷く。それに、楓は優しく。だがどこか寂しげに微笑んで顔を上げた。


「ありがとう。...日葵も、何かあったらいつでも来ていいんだよ?私も、ずっと。そこで待ってるから」

「そ、そこ、?」


 日葵は首を傾げ放つと、楓は僅かに頷き目を逸らす。そのいつもとは明らかに違った様子に、日葵はとうとう口を挟む。


「な、なぁ、、一体、どうしたんだ、?今日の野茨さん、なんか、おかしいぞ、?何か、言いづらい事でもあるのか?別に、俺は何もーー」

「その、あのね、」


 日葵が不安げに放つと、それを言い終わるよりも前に、勢いで楓は告げる。


「こ、今週末、、花火大会、あった、でしょ、?」

「あ、ああ。夏祭り、だよな、?俺達にしては珍しく晴れてるらしいし、花火大会も、見られそう、、って、も、もしかして、」

「...ごめんなさい、」

「え、?」

「ごめんなさい、」


 日葵が嫌な予感を覚えながら聞き返すと、楓は涙目になりながら口にする。


「私、その日、全日本珠算の大会があって、、行かなきゃ、、いけなくなっちゃったの、」

「えっ」

「わっ、私も、、出る事になってるの、知らなくて、、せっかく、、せっかく日葵が、、日葵から、言い出してくれたのに、」


 掠れた声で、必死に弁明する楓を見据えながら、日葵は感情を殺し笑顔を浮かべる。


「なんだ、そんな事か」

「えっ」

「別に大丈夫だ。夏はこれからだぞ?まだ夏祭りやってるところはいくらでもある。別の日に、行けばいいよ」


 だからその日しかない大会に行ってこいと言うように、日葵は楓の肩に手をやり微笑む。それに、我慢出来なくなった楓は、泣き崩れてしまった。通学路だというのに、正直周りの目が気になる。


「うっ、ぐすっ、、ごめんっ、ごめんねっ、」

「俺は怒ってないよ」

「でもっ、、うぅ、行きたかった、、初めてだもんっ、花火をっ、大切な人と観るのっ」

「っ!」


 余程楽しみにしていたのだろう。楓は大会の事を聞いてからずっと隠し続けてきたその感情を、爆発させたかの様に涙を溢れさせる。日葵もまた、とても楽しみにしていた。夏祭りなんて、日葵は恋人とでなければ行かないような場所である。故に、彼もまた初めてだったのだ。だが、それよりも大きいであろう彼女の想いに、日葵は打たれた。だからこそ日葵は、謝る楓とは対照的な言葉を、小さく零した。


「...ありがとう」

「絶対っ、、絶対っ、一緒に観るからっ!約束だよっ、、花火っ、観ようっ、ね、」

「ああ。絶対」


 泣きながら、日葵の胸元で声を上げる楓に、ただ優しく頭に手を添えながら覚悟の表情と共に頷いた。


 だが、そんな二人に、夏は訪れなかった。


 楓の大会から一週間後。「それ」は地球に現れた。


「ねぇ、今日うちに来てくれない?」

「え、?いいけど、どうしたの?突然」

「ふふふ〜、この間の数学の大会の後、帰り道にいいもの撮って来たんだ!本当は実物を観たいけど、それまでの間、少し見せたいものがあって」

「はは、なんだか楽しみの様な、何というか、、っ!な、なんだ、、あれ、?」


 突如、都会の空に現れた小さなもの。それは徐々に大きくなっていき、遠くから近づいて来ているのだと、人々に恐怖を植え付けた。


「い、隕石か、、何かか、?」

「ど、、どうしよ、、あれ地球外生命体だよっ!早くっ、早く逃げなきゃ!」


 いつものように楓と共に下校していた日葵は、それに目を疑った。地球外生命体と聞くと、何か円盤のようなものに乗って現れるとばかり思っていたものの、それは随分と丸く、カプセルのようであった。


「ち、ちょっと待てっ!なんだよあれっ!?逃げるも何も、何も分かんないぞ!?」

「ニュース観てないの!?あれが地球外から攻めてきた宇宙生命体だよ!」

「なんでそう言い切れる!?あれがただの気球とかな可能性だってあるのに」

「違うよ!今世界中で騒がれてるんだよ!?あれは、どう見たってーー」

「あれは地球外生命体だ。間違いない」

「「!?」」


 二人の言い合いに割って入り、一人の男性が放つ。


「お、叔父さん、?」

「楓、とうとう見つけた。良かった、、探してたんだぞ、?」

「お、叔父さん、?この方、野茨さんの、?」

「そう」


 日葵の疑問に楓は短く返すと、その叔父さんと呼ばれた人物は彼女の手を掴む。


「一緒に来て欲しい。楓を、死なせたくはないんだ」

「えっ!?は、日葵は、?」

「そいつは置いていけ。悪いが、今は人を心配している時じゃ無いんだ」

「なっ、それってどういうーーっ!?」


 楓を引っ張る叔父さんに、日葵が声を上げようとした瞬間、背後のビルにその未確認物体から発せられたレーザーのようなものが直撃し爆破を起こす。


「きゃっ!?」

「な、何だよっ!これっ」

「こういう事だ。だから、みんなに構っている暇はない。さあ、行くぞ、、楓」

「嫌っ!」

「っ!」


 叔父さんが無理に引っ張ると、楓はそれを振り払って距離を取る。


「他の人に構っていられないなら、私の事も構わなければいいでしょ!?それに、私はこの時を見越してちゃんとシェルターを作ったから。そこに、、日葵と逃げる」

「「っ!」」


 その言葉に、叔父さんのみならず日葵もまた目を剥く。やはり、彼女の予想通りだったという事かと。こんな現実で起こるはずの無い出来事を予想していた事に、驚愕の色を見せながら日葵もまた目つきを変える。


「叔父様。心配なのは十分理解出来ます。でも、絶対に野茨さんは俺が守ります。何があっても、この人を。大切な人を。守り通してみせます」

「...日葵、」


 日葵の本気の言葉に、楓はほんのりと頬を赤らめながら名を呟く。がしかし、それを耳にした叔父さんは歯嚙みする。


「そういう事じゃ無いんだよ」

「...え、?」


 その低く放たれたそれに日葵が思わず聞き返すと、刹那。


「なっ!?だ、誰ですか!?」

「邪魔をするな、少年」

「日葵!?」


 突如、背後から何者かに肩を掴まれ、日葵は声を上げる。その人物は目の前の叔父さんと同い年くらいの見た目であり、服装はスーツと、学生である日葵は恐怖を感じた。それに、抵抗しようと体を揺すり、こちらに手を伸ばす楓に必死に向かう。

 が、その矢先。


「うっ!?」

「日葵っ!」


 瞬間。首に一撃の大きな衝撃と共に、日葵の体は糸を切られた様に動かなくなった。


「くっ、ぅ、うぅ、」

「日葵っ!日葵ぃ!」

「楓。すまない、、だが、こうするしかないんだ」


 薄らとした意識の中、尚も抵抗を続ける楓が、叔父さんによって引き剥がされていく様子を見据える。と、そののち。


「こいつは、、あれに使うか。どちらにせよ、全て消えるんだ」


 倒れ込む日葵を、彼を気絶させたスタンガンを持ったスーツの男が見下すように見つめ放ったそれが、僅かに耳に届いた瞬間。

 日葵の意識は途絶えた。


          ☆


「クッ、、う、うぅ、」


 頭の奥が痛い。何か強い衝撃を受けた後のような。そんな鈍痛だ。

 何をしていただろうか。楓と一緒に、学校から帰っていたはずだ。花火大会に行けなかったがために、二人で次の会場をスマホで探しながら。そして、その後。


「っ!そうだっ!楓!楓はっ!?」


 意識を取り戻した日葵は、ガバッと起き上がり声を上げた。すると、目の前に広がったその光景は。


「おお、目覚めてしまったか。思ったより早かったな、日向日葵君」

「...どちら様、ですか、?」


 歯嚙みして、そう声をかける。体を動かそうにも動かない。どうやら、ここはどこかの施設の様で、日葵は何かに座らされ、身動きの取れないように、これまた何かに包まれていた。目の前に居たのは、年配の白衣を着た男性。その人物を、日葵は睨みつけた。


「どういうつもりですか?俺を、こんな事して」


 信じたくは無かったが、地球外生命体に連れて行かれた先なのでは無いかと。そう予想したがしかし。


「ははは、怖がる必要は無い。きちんと麻酔はするからな。...いや、寧ろしないといけないんだが」


 どうやら会話は出来る様だ。それに、どこからどう見ても、相手は人間である。


「だから、質問に答えてください。俺を、ここに来させて、何をーーっ!」


 日葵が声を上げると共に、奥から先程自身を気絶させたスーツ姿の男性が現れる。


「あんたっ!野茨さんをどこにやった!?早くこれを外せっ!野茨さんを返せよっ!」

「はぁ、要望が多い奴だな。少しはこの状況の事を考えたらどうだ?これだからガキは」

「なんだと!?」


 必死に抜け出そうと踠きながら、日葵は声を荒げ続ける。だが、それでも尚びくともしないこの装置に苛立ちを覚える日葵に、目の前の男性は近づき告げる。


「君は今から我々の実験台になってもらう」

「何っ!?どういう事だ!?」

「それは、我々人類を守るため、救うために必要な事。つまり、名誉な事なんだぞ?」

「知るかよそんな事っ!俺の父さんはっ、なんて言ってんだよ!?そんなの許可する筈がーー」

「親?...ああ。そうか、君はその間寝ていたんだったな」

「は、?」


 日葵が会話にならない男性と口論を続ける中、ふとその人物は気づいたように声を上げると、懐にあった液晶パネルを取り出し見せつける。


「っ!」


 それは、ニュース記事であった。だが、そこに書かれていたそれはーー


「日本、、消滅、?」


 ーー目を疑う、事実であった。


「そうだ。ここは我々が用意していた地下施設だ。地上はもう既にこの有様だ。だから、お前の親も、もうこの世にはいないかもな」

「っ!?嘘だっ!こんな、、こんな事っ、信じないぞ!?」

「はぁ、もうめんどくさい。どうせここで長々と話したところで次には忘れているんだ。もう終わりにしよう」


 そう諦めた様に呟くと、その男性は白衣の男と共にこのマシンの制御室であろう場所へ移動していく。


「おい!どういう事だよ!?ふざけんなっ!こんな事してっ!どうなるかっ、分かってんのか!?」


 声を上げ続けた。こんな納得出来ない状況で、声を上げるのをやめた瞬間、諦めているのと同じ気がして。ガラスを隔てた、向こう側の部屋からこちらを見据える男達に、それを貫通する程の声量で放ち続けた。


「ふざけんなよっ!野茨さんを返せよっ!野茨さんは無事なのかよ!?なぁ!お前らなんかあるんだろ!?野茨さんが無事かどうかだけでも教えろよ!」


 そんな叫びも虚しく、日葵の頭に向かってだんだんと真上にあったヘルメットの様なものが下がっていく。


「なんだよこれっ!なんなんだよ!なぁ!答えろよ!?」


 それはたちまち日葵の頭に装着され、続いてそこから顔を覆うように形状変化していく。


「おいっ!答えろ!野茨さんはっ、、楓さんをっ!離せ!」


 日葵が血を吐く勢いでそう叫んだ瞬間。彼の体はその椅子の様なもの自体が浮き上がり、まるでMRIのような見た目をした物の中に入っては、更にカプセル状のものに入れられた。

 と、それと同時に。


「クッ、う、うぅ!か、楓っ、さんっ!俺は、、絶対、、諦めっ、」


 麻酔によってか。そこまで掠れた声で放った日葵の意識は突如途絶えた。

 と、その後一日がかりでオペレーションが行われた。そして、翌日の早朝。その場の研究員。政府の人々。その施設に居た大勢の人が集まり、その場で、そのオペの結果である「彼」を、起動した。


「おおっ!」


 ピピッという電子音の後に、その日葵だったものは目を見開く。と、それに一同は歓声を上げ、オペレーションを担当した白衣の男が口を開く。


「おはよう、No.1。君の使命と、名を、言ってみてくれるかな?」


 その一言ののち、その場には妙な緊張感が流れる。ごくんと、一同は生唾を飲んだ。その中で、「それ」はゆっくりと口を開き、こう放ってみせた。


「はい。俺は、戦闘員。No.1。使命は、わたくしの生みの"親"である、あなた方の防衛です」


 それの言葉で、またもやその場には歓声が上がる。やっと成功したと、声を上げている者もいた。それに首を傾げる中、白衣の男が隣に立ち、小さく耳打ちした。


「成功体は君が初めてだ。その名誉として、君をNo.1とした。これから、我々の手となり、足となり。頑張ってくれよ」

「はい、承知しました」


 No.1の頷きに嬉しそうに笑うと、その人物は。


「それではまず、具体的な防衛方法をラーニングする必要があるな」


 と呟きながら、No.1を制御室に連れて行った。



 それが戦闘員の始まりであり、No.1の、始まりである。それからというもの、戦闘員はその施設のネットワークに接続し、情報の処理を円滑に行えるように、通信で伝達するよう義務付けられた。また、突如地球に訪れたその地球外生命体は、のちにレプテリヤと呼ばれるようになり、戦闘員はそれの駆除にあたる様になった。

 No.1となってから、続けて完成体と呼ばれる戦闘員が二体ほど造られた。それはそれぞれNo.2と3とつけられ、施設が地下内だけでは限界があると、地上に施設を増設した。勿論、親のみならず、戦闘員が作業を行った。そんな行動を起こしたのは、レプテリヤからそれを守る事の出来る戦力が増え、地上での生活を取り戻す意を持ち始めたからだろう。

 それから更に発展し、戦闘員はNo.1を含め五体となった。が、しかし。

 その後も、一体、また一体と、戦闘員が破壊され消えていった。そんな中、ふとNo.1の脳内に、まるで直接語りかけるようなそれが、響き渡った。

 内容は、よく思い出せない。だが、目を覚ませと言われている気がした。その謎の声に背中を押され、No.1は親への不信感を行動に移し、彼らの歴史を探るべく、施設内を探索し始めた。初めは、皆が知っているような情報ばかりしか、ハッキングで露わにならなかったものの、ある日No.1が一つの部屋の前を横切ると、普段は勝手に開く事のないそのドアが、開いた。

 それを怪訝に思ったNo.1は、その奥へと。好奇心と不信感を頼りに進んで行った。そこは、とても長い道のりだった。一つの部屋だと錯覚していたその先は、更にエレベーターがあり、この施設内で最もと言っていいほど厳重に閉められた一室に辿り着いた。と、そのガラス張りになった、薄暗い部屋の中には、目を疑う「それ」が、存在していた。


「っ!?」


 そこには。


 見たこともない程巨大で、気味悪く蠢く球体が、収容されていた。


「なんだよ、、これ、」


 ドクンドクンと、その球体は脈打っており、生物である事は容易に察する事が出来た。


「レ、レプテリヤ、なのか、?」


 不安げにガラスに触れるNo.1は、思わずそう呟いた。がしかし、そのようなレプテリヤは見た事がない。そのためNo.1はその施設の中を更に探索し、"それ"の情報を得るため、何故か入れてしまった、厳重に鍵がかけられた一室のコンピュータにアクセスした。

 そこには、驚くべき真実がいくつも記録されていた。

 地球の環境が危ぶまれる現代。日本は本格的に地球の最期を意識し始め、海外との協力の元宇宙開発に力を入れ始めた。その時に、発見した名も無き星。一見するとただの星ではあるものの、小型宇宙船が捉えたそれは、目を疑うものだった。始まりはただ深い穴があるという単純なものだったが、その中に侵入してみると、そこには不気味に蠢く生き物の卵が存在していたという。更に、中は建造物などもあり、文明の発達した知的生命体が生存していると人々は考えた。

 そのため、現在地球の破滅を恐れていた我々は異星への移動交渉のためその星へと向かった。だが。


 交渉なんてものは、出来なかった。


 いや、それ以前に。まず、何も生物が存在しなかったのだ。建造物の中、入れそうな場所は全て探索し、生体反応を測った。が、それでも尚、生き物は現れなかった。その時は何かあるのかと考え、のちに出直したものの、その際にも生物の確認は行えなかった。何度も、何度も。交渉のためその星に行っては、その場にあるのは生き物でありそうな卵のみ。故に、我々は生物がこの星には存在しないと結論を出し、移住の準備を始める事とした。がしかし、そうなる場合、その卵が問題なのだ。一体それは何なのか。本当に生き物であり、卵なのか。それを確認するべく、我々はそれを回収するための専用機体を造り、研究室へと持ち出したのだ。それによって、その星の事が何か分かるかもしれないと。そんな、新たな母星となるだろう場所に、可能性を感じながら。

 が、それによって訪れたそれは、想像以上の地獄であった。

 居ないと思われていたその星から、謎の機体が現れ、ソナーを送り出したのだ。言語化は不可能だったものの、このタイミングである。故に、卵の持ち出しについてだろうと考え、我々は速やかにそれを返そうと動き出した。

 が、しかし。

 世界で行われた緊急会議で、それは決定した。その卵を交渉の材料とし、今すぐにでも宇宙進出をしなければいけない我々にその星に移住出来ないかと、地球外生命体とコンタクトを取ろうと言い出したのだ。それは、日本の独断では無く、地球上で決まってしまった事だった。

 そのため、人々に恐怖を与えぬよう、情報メディアによって地球外生命体の存在を大々的に報道し、皆の意識を変えようと計画したのだが、しかし。話し合いなど、出来るはずが無かった。

 両者共譲らない意識によって。時期にそれは戦争となっていった。そこからはご存じだろう出来事の数々が記載されており、No.1は震えた。

 レプテリヤに対抗する兵器を生み出すべく奮闘したものの、人には限界があると考え、人自身を進化させようと計画を立てた。それによって生まれた改造人間、戦闘員。その初めての適合者がNo.1であること。また、過去に現れたレプテリヤの情報。その中で他とは違い、個体名が記録されているものがあった。それこそが、目の前に置かれた卵の様なそれ。そして、その説明であった。


 その卵には膨大な力が眠っている事が判明した。レプテリヤの中でも、類を見ない程に強大で凶悪なものだという。それを、レプテリヤは祭り上げ、拝んでいたとされている。だが、それが孵化及び覚醒してしまった場合、日本どころか、地球が破壊されるであろうと想定された。故に、その孵化を遅らせるために、我々は奮闘した。

 その方法も細かく記されていたが、結果的にはーー


 その卵に女性を捕食させる事で、成長を遅らせる事が出来ると発見した。何故か、このレプテリヤにとって人間の女体は力を制御させる力がある様で、レプテリヤにとっての栄養分に関係あるのだという。そのため、皆が寝静まった夜中に、女体の献上を行う事にした。そのため、戦闘員として改造するのは男性のみと定め、健康的な女体である程レプテリヤの力をセーブ出来ると実証されたがために、女性は皆別の場所で健康的な生活を強いられている。そして、文字通り、強靭という言葉が相応しいその狂気の卵に我々が名付けた通称はーー


 強靭という花言葉を持つ花の名とした。と。


 そんな事実とは思えぬ真実の羅列が、ただただそこにはあった。

 始め、No.1にはその女性というもの以前に、その全ての意味が理解出来ずにいた。一体何の事だろうか。我々とは、日本とは、宇宙とは。その全てが、彼には理解出来なかった。

 だが、そんなある日。その言葉を理解する人である事を思い出す時が、やってきたのだ。


 それが、運命の日三月五日だった。


「っ!」


 全てに絶望していた中、No.1は本日の日付。三月五日というシステム内での文字を見据え、目を剥いた。


ー三月、、五日、?な、何か、、何かあった筈だ。何か大切な、、忘れてはいけない、何かがー


 No.1は、その日に何が起こったかを、ログの中から漁った。レプテリヤの侵入か、はたまた仲間を失った日か。また、自身が造られた日か。そう思いながら探すものの、それらは全て当てはまらなかった。


ーなんだ、、なんだったんだ、?ー


 気のせい。そう思うには、胸の内の高鳴りが尋常では無かった。きっと何か。忘れてはいけない。大切な日があった筈だと。

 それを思うと同時に、No.1は、記憶の中。奥底に眠っていた、目覚める筈の無かったそれを、思い起こした。


「そうだ、、俺は、No.1じゃ無い、、俺はーー」


           ☆


「そうだ、俺は、、No.1でも、、No.10でも、、戦闘員でも無い。...俺は、日向日葵だっ」


 手に持った写真をくしゃくしゃになった顔で見据えながら、イオはるきは呟く。そうだ、どうしてこんな大切な事を。大好きな人を、忘れていたのだろうか。イオは出る筈の無い涙を袖で拭くと、目つきを変え体の向きもまた変えた。

 その向かう場所は、他でも無い。ずっと見つめていた大切な人。カエデ。いや、野茨楓だ。

 No.1であったあの日。本部の真相に触れ、イオは頭を悩ませたが、三月五日を境にその全てを理解した彼は親に反抗を始めた。早く楓を返してくれと。こんな事をしてどうかしていると。戦闘員では無く、人間の青年一人として、彼らにそう声を上げた。が、しかし。それは本部にとっては邪魔でしか無いのだ。彼の存在も、その感情さえも。そのため、親はイオの改良という結論を出した。No.1である彼は、戦闘員には越えてはいけない一線を越えてしまったのだ。故に、彼はその後、またもや親に取り押さえられては、No.10として、新たに二度目の誕生を迎えたのだった。

 No.10の改良は、とても不便なものだった。またゼロから始めなくてはいけない程に初期化された記憶。No.1の時よりも強く植え付けられた親を守るという、使命への思想。そして、何よりも。

 No.1がそれに気づいてしまった理由である日付というシステムを戦闘員から抹消し、時間のみが表示されるよう改善したのだ。また、No.10にはカサブランカに使用されている通信回線にアクセス出来ないよう遮断されており、報告書等を用紙で提出しなくてはならないという極めて面倒な作業を強いられる様になった。唯一使用出来るのは本部や他の戦闘員との通信に使用する別の回線のみである。

 その全てに納得していた。今ならば、きっとそんな処置を施されている事に疑問を抱いていた筈だが、その時のイオには、疑う余地すら無かった。

 がしかし、寧ろ本部が出来た理由。戦闘員を造った理由。そしてそのNo.1が全てに気づいた理由。それを総合すれば、その処置も納得がいった。そうだ、そうだったのかと。


 イオは初めて"カエデ"に出会った時に、"楓"を思い出せなかった事に憤りや情け無さを感じながらも、彼女を一人置いてきてしまった事に焦りを覚え、ジェットシステムを起動する。


「待ってろっ!カエデッ!」


 大きく地面を踏み込み力一杯踏み出すと同時。イオはジェット噴射によって来た道を戻る様に勢いよく飛び出した。


          ☆


「...」


 大量の青紫の花。ムスカリの前で、カエデはただ一人呆然としていた。頭が追いつかない程に、大量の大切が、脳内に雪崩の様に入り込んでくる。


「あ、、ああ、」


 弱々しく呟いたカエデは、そのまま目に溜めた大粒の涙を溢して、震えた体に耐えきれず崩れ落ちた。


「う、うぅ、」


 頭は良い方だと自覚していた。そう思っていた。だが、全然頭が追いつかない。溢れてしまう想いや記憶を、溢れないよう懸命に抑え込む。

 どうして、こんな大切で大好きな事を。忘れてしまったのだろうかと。


「...ふ、ふぅ、」


 数分後。カエデは落ち着いたのか、一度深呼吸をしてゆっくり立ち上がると、そのままムスカリの方へと歩みを進める。


「...」


 神妙な面持ちのまま、カエデは目の前にあったムスカリの花を、しゃがんで優しく触れる。


「...プレゼント、、したら、怒っちゃうよね、、この子だって、生きてるんだもん」


 僅かに手に力を入れようとしたのち、カエデは優しい瞳で見つめそれを察し、首を振って手を離す。


「はぁ、、どうしよう、」


 抑えきれない気持ち。だが、それを告げるべきでは無いだろう。それ以前に、今現在イオとは離別しているのだ。どうにかしてまた仲直りをしたいところなのだが、カエデは頭を押さえ悩む。


ーうぅ〜、、今まであの人が怒った事無かったし、、こんな喧嘩、初めてだから、、難しいよぉ、ー


 カエデは唇を噛んで、悔しそうに。寂しそうに目を逸らした。

 その、瞬間。


「っ!?イ、、イオ!?」


 カサッと。同じく花畑に足を踏み入れる音が聞こえ、カエデはそちらに反射的に振り返った。

 が、しかし。そこに居たのはーー


「っ!?う、、嘘、」

「よぅ!久しぶりだぁなん!フレア!」

「だから、これはフレアでは無いと言っているでしょう」


 ーー大量のレプテリヤの群勢を連れて歩く、グレスとラミリスであった。


「な、、何でっ、、ここにっ」


 一人である恐怖でカエデは震えながら後退りする。その様子にグレスがニヤッと歯を見せ笑ったのち、一歩前に出て口を開く。


「ンエ?んでって、そりゃあ、、こっちもそろそろきょうこーしゅだんに出ねぇとなぁ!」

「きょ、、強行、?」

「そう、我々には時間がないの。私達はレプテリヤ。なんとかコアの完全破壊を免れたため、ガース様のお力もありこの様に肉体再生を行えました。...では、既に許可も出ている訳ですし、貴方がフレアでないと言うのであれば貴方もここで消します」

「っ!?」


 カエデはラミリスが淡々と告げたそれに肩を震わせ目を剥く。


「なっ、、ちょ、ちょっと待ってくださいっ!なんでっ、私は別に貴方達のそれを止めようとはーー」

「別にそれは関係ありません。我々は、この地球という場所に住むものを、全て消して目的を果たします」

「!」


 その一言には、力強い意思が現れていた。それはまるで、我々を敵に回した地球人への怒りの如く。


「ま、待ってーー」

「ラミリスゥ、、こいつぁ、俺がやっていいかぁ?」

「...はぁ、好きにしてください」

「ウッシ!」


 カエデの弁明を、耳にすら止めずにグレスはズカズカとこちらに向かう。それに震えたカエデはすくんだ足ではどうする事も出来ずに転ぶ。


「まっ、待ってっ、くだーー」

「ははっ!あん時はよくもやってくれたな!お前はここでおわりだっ」


 グレスが声を荒げて触角をカエデに伸ばした。

 と、刹那ーー


「ナギゥッ!?」


 突如、触角が吹き飛ぶ。


「...えっ!?」

「来ましたね、」


 瞬間その場には、緊張感が走る。グレスは目を見開き、カエデは強く瞑っていた瞼を開ける。そんな中、予想通りだと言わんばかりにラミリスが呟くと。そこには。


「楓には、手出しさせねぇよ!」


 ーーその触角を、残ったナノマシンを変形し剣の形にしたもので斬りつけた、イオが立ちはだかっていた。


「っ!」


 そんな、誰よりも頼りになって、でも誰よりも情けなくて。強いけど口下手で。誰よりも大好きな。

 いつも前に割って入ってくれるそんな背中を見据え、カエデは。いや、楓は涙目になりながら掠れた声で、誰にも聞こえない程小さく呟いた。


「...はっ、日葵っ」

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