番外編

【番外編】ヘンリー

息子のセオドアを失って、ヘンリーはひどく落ち込んでいた。


娘エリザの婚約解消、側室の話もなくなり、全てを失った気分だった。


最後に王宮でファルロイド公に娘を殺されそうになった時、心が砕け散るような音がした。


その日から彼は、なんのやる気も起きず、一人屋敷に引きこもることが多くなった。


食事は喉を通らず、憔悴しきった彼は、ベッドに寝た切りの生活が続く。


そんな日々を暮らす中で突然、コールマンによって起こされた。


サディアスが王宮の兵士たちを連れて、ヴァロワ邸に乗り込んで来たということだった。


コールマンはヘンリーと妻のジュリアを連れて、隠し通路を使って逃げた。


この場所は当主であるヘンリーと執事長であるコールマンしか知らない場所だ。


コールマンはホールで兵士たちの相手をしていたルナに目配せをし、屋敷から脱出した後、外でルナと合流し、近くの村まで逃げ込もうとしたが、既にそこには敵兵の手が回っていたのだ。


彼らは急いで別の街に向かったが、そこでも長くは滞在できなかった。


時間はかかるがヴァロワ邸から遠い、小さな農村に逃げ込むことになったのだ。


そこで暮らし始めて、数か月もすぎ、寒々しい冬を越し、春が訪れた頃、ヘンリーの精神も少しずつだが良くなっていった。


王宮での騒ぎが起き、一連の事件が全てマルグリットが起こした事だと知った時は衝撃だった。


その一端に自分がいると思うと情けない。


しかし、それが切っ掛けで彼は立ち上がることが出来た。


自分一人嘆いてばかりはいられない。


性悪女に騙された弟の目を覚まさせなければいけないし、内戦でボロボロになった領地も立て戻さないといけないのだ。


彼は王宮に出向き、弟の裁判に参加した。


彼の目はすっかり光を失い、まるで魂が抜けた人形のようだった。


そして、彼の拘束期間を過ぎるとヘンリーが引き取る形でヴァロワ領に託された。


牢から出て、初めてサディアスがヘンリーを見た時、虚ろな瞳がばっと開き、涙を流した。


そして、ヘンリーの足元に崩れ、何度も謝った。


「兄上、ごめんなさい……、ごめんなさい」


その弟の情けない姿に何とも言えない気持ちになった。


しかし、あの心優しい弟がこうなってしまったのも自分の責任だと思い、彼はそんな彼を優しく抱き留めた。


今は起きた出来事ではなく、兄弟として弟をどう支えるべきなのか、考える時だと思ったからだ。


屋敷に帰ってからは、サディアスの話も聞くようになった。


彼は少しずつ正気を取り戻し、以前のように穏やかな表情をするようになった。


以前と言っても、サディアスがヘンリーの前で険しい表情でなかったのは、彼がまだ幼く、両親が健在の時だった。


それまでの長い間、ヘンリーとサディアスの間には深い溝があったのだ。


「俺はただ、兄さんに認められたかったんです。両親がいくら俺を認めてくれても、兄さんだけはどこか俺を否定的な目で見ていた気がしたから。俺は怖かったんです。俺が両親に愛されていたことが、兄さんの不快に繋がっているのではないかと思って……」


彼は正直にヘンリーにそう告げた。


サディアスがヘンリーに本心を話すのは、これが初めてだった。


ヘンリーは指を組みながら答えた。


「すまなかった。俺の態度がお前を怖がらせていたことは知っていたんだ。確かに俺は両親の愛情を受け、伸びやかに暮らしていたお前に嫉妬していた部分はあったかもしれない。このヴァロワ領の当主になるというプレッシャーも大きかったしな。しかし、それは全部ただの八つ当たりだ。お前の所為じゃない」


「そんなことありません。俺も配慮がなかった。怖いからと言って、逃げ出していたのは俺です。俺自身がちゃんと兄さんと逃げずに向き合っていれば、こんな事にはならなかった」


ヘンリーは今の彼の様子を見て、何も言えなくなった。


彼はあの一件でいろんなことを失ったのだ。


「お前は俺とは違う。もっと自由に生きろ。当主になることは俺への期待であり、父上も母上もお前には好きな人生を生きてほしいと願っていたと思う。それを阻んだのは俺だ。今更遅いとは思うが、お前に自由を返したい……」


サディアスは何か言いかけたが、辞めてそのまま黙った。


それを察したのか、ヘンリーが尋ねる。


「もしかして、次期当主にエリザが選ばれたことが不満か?」


すると、サディアスは頭を大きく振った。


「いいえ。俺は本気で自分が当主になる気などなかったのです。ただ、このような状況になった時、最初に俺を頼ってもらえなかったことが悲しかった。しかし、今考えれば当然です。彼女は兄さんによく似ている。芯のあるしっかりした子です。彼女ならきっと、この歴時深いヴァロワの地も守っていけると思います」


その言葉を聞いて、ヘンリーは小さく笑った。


自分の選択が間違っていなかったのだと安心する気持ちもあったのだ。






彼の気がかりは他にもあった。


それは妻のジュリアの事である。


セオドアが死んだ日から、ジュリアはおかしくなっていった。


しかし、彼女をここまでにしてしまった原因は実家のホールズ家、つまり弟の裏切りである。


彼はファルロイド公を恐れて、サディアス派についたのだ。


ジュリアが屋敷を追い出されて助けを求めた時、彼は拒否しただけでなく、その居場所をサディアスの兵士に告げ口をしたのだ。


完全に自分の居場所を失った彼女は心の行き場所失い、現実逃避をするように子供がえりが始まった。


最初は10歳以下の少女だったが、日に日に成長が見られるようだった。


今は恐らく15、6歳と言ったところだろうか。


ヘンリーを見ると、ジュリアは嬉しそうに彼に駆け寄った。


その手には庭で摘んだ花が握りしめられている。


「おじさま、お帰りなさい」


彼女は無邪気な笑顔でヘンリーに声を掛ける。


彼女は夫の事を同じ屋敷に住む親族の男性だと思っているのだ。


今は彼もそれを受け入れている。


「やぁ、ジュリア。今日もまた庭の探索かい?」


「そうよ。この時期は可愛らしいお花がたくさん咲いているの。どうせ、地面に咲いていても枯れるだけだもの。摘んで、食卓に飾るわ。そうしたら、おじさまも食事の時、愛でられるでしょ?」


彼女は嬉しそうに語る。


彼はそんな彼女の頭を優しく撫でた。


「そうだな。素敵なアイディアだ」


「おじさまならそう言ってくれると思ってたのよ」


彼女はそう言って、ヘンリーの前で一回りして見る。


そして、入り口に向かいながら、また楽しそうに話し始めた。


「おじさま、私ね、婚約者のヘンリー様に会うのがとても楽しみなの。もう文通の交換はしているのよ。でも、お姿はまだ拝見していないの。でも、私はわかるわ。ヘンリー様は絶対に素敵な人よ。だって、あんなにきれいな字で丁寧な文章の手紙を送って下さる人だもの。お会いしていないのに、もう恋をしてしまった気分。早く会いたいわ」


彼女のその言葉にヘンリーは心を痛めた。


きっと、昔のジュリアもそんな気持ちでヘンリーを恋しく思っていてくれたのだ。


それなのに彼は、この頃から彼女を裏切り、別の女性と関係を持っていた。


その女性が忘れられなかったのではない。


両親の言いつけで結婚させられる相手になど、興味がなかったのだ。


政略結婚に気持ちなどいらないと思っていた。


結婚すると最初こそ甲斐甲斐しかったが、すぐに癇癪を起すようになっていた。


その時はなんとめんどくさい女なのだろうと思った。


だから彼は外に癒しを求めたのだ。


しかし、こんな彼女を見てしまっては、自分のしてきたことがどれだけ罪深い事なのか理解した。


自分との結婚にここまで夢を膨らまし、素敵な家庭を作ろうとした彼女の好意を彼が裏切ったのだ。


だからこそ、彼女は癇癪を起した。


興味のない相手なら、そんなことはしなかったはずだ。


そして、二人目の子供が産まれた時にはろくに顔も出しに来なかった。


その日からだ。


彼女が屋敷に戻らなくなったのは。


「私ね、夢を見たの。すごくリアルな夢よ。私とヘンリー様の間に可愛い男の子と女の子が生まれるの。男の子は私に似てるけど、女の子はヘンリー様そっくり。全然言うことを聞かないから、大変よ。でね、その子供の名前がセオドアとエリザって言うのよ。素敵でしょ?」


彼女のその嬉しそうな顔に彼は耐え切れなくなった。


そして、顔を隠すように彼女の頭を優しく抱きしめる。


「ああ、とてもいい名前だ。きっと素晴らしい子供になるだろうな」


ヘンリーはこの時、初めて自分が本当の父親に成れた気がした。


家の為ではなく、自分の為に子供たちを残してくれたことを感謝しようと思った。

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