第35話 孤独の選択

こういう時、どうして昔の事を思い出すのだろう。


もうとっくに死んでしまった前世の記憶なのに、私の脳に深く刻み込まれている。


――堀池ほりいけさん、また国枝くにえださんのこと悪く言ってたよ


身に覚えのない私の悪口。


昨日まで苛めのターゲットは他の子だったのに、知らない間に自分が新たなターゲットになっていた。


その時、理解したんだ。


苛める相手なんて、本当は誰でも良かったんだって……。






リオと別れてから、結局授業をサボっていることが講師にバレて教室に強制的に戻された。


あんな態度を見た後では、誰も私に関わってこようとする生徒はいない。


一人離れた席で座りながら、窓の外をぼぉと眺めていた。


「あいつ、よく戻って来れたもんだな」


小声で私を見ながら陰口を叩いている生徒の声が聞こえる。


「ほんと、ほんと。俺なら恥ずかくて、学園辞めるわぁ」


「ってか、侯爵家の人間が中退とかヤバくない? 末代までの恥だろう」


そう言って笑い合う生徒達。


好きに言えばいい。


どうせ、明日には別の奴の悪口を言い合っているのだから。


すると教室の端の方から私を睨みつけるように見ていたロゼが、どかどかと足音を立ててこちらに近づいてきた。


そして、私の前に立って腕を組みながら見下ろしてきた。


さっきまで泣いていたせいか、目が微かに腫れている。


「あぁら、誰かと思ったら恥さらしのエリザさんじゃありませんか? ここにはもうあなたの居場所なんてございませんのよぉ。皆さんが授業の気が散るとおっしゃるので、その鬱陶しい存在感消していただけないかしら?」


急に強気で突っかかって来たロゼに、私は睨みつけるように見上げる。


そこまでガンを飛ばしたつもりではないが、ロゼは目が合うと怯えるように身を縮めた。


私が怖いなら関わって来なければいいのにと思いながらも、私にいろいろ言われたことが悔しかったのだろう。


ここぞとばかりに張り合ってくる。


「そうだね。授業中はなるべく静かにしておくようにするよ」


私がそうあっさり答えると、全く手応えがないと感じたのか不満そうな顔で睨んで来た。


「それと、その話し方、なってなくてよ? 貴族の女性なら淑女らしい立ち振る舞いと言葉遣いをなさるべきですわ! あなたこそ、礼儀作法を一から学び直されてはいかがですの?」


ロゼは私に言われたことを根に持っているらしい。


確かに今の私は礼儀がなっていないし、淑女らしくもない。


しかし、これが本来の私なのだ。


「今更、繕うつもりはないよ。それに淑女の礼儀作法が人の陰口を叩くことなら遠慮頂きたいね。そういう趣味は私にはないもので」


私はそういって掌をさらっと見せた。


その態度が気に入らなかったのか、ロゼは真っ赤な顔をして更に私を睨みつける。


その隣で困惑した表情のセレナが一所懸命ロゼの袖を引っ張っていた。


「やめましょうよ、ロゼ。こんなことしても、意味ないですわ」


すると、ロゼはセレナの掴む手を振り払って、もう一度私に話しかけた。


「わたくしたちに恥をかかせたことを後悔させてやりますわ! たかが元他国の地方豪族ごときが、運よく高い地位をもらえたからって偉そうにしないでいただきたいですわね。わたくし、侯爵家なんて怖くありませんの。だから、あなたなんかの後ろ盾なんて必要ありませんわ」


彼女はそう吐き捨てて、私の前から離れていった。


置いて行かれたセレナは私とロゼの顔を交互に見ながら、悲しそうな表情を見せた。


セレナはあれだけ酷いことを私に言われたのに、文句を一つ言おうとはしない。


ただ黙って、私の元からロゼのところへ走り去っていった。


私達のやり取りの一部始終見ていたルークがおかしそうに笑い、こちらに近づいて来る。


「こうなったら侯爵令嬢も惨めなもんだな。誰もお前の相手をしたがらねぇ。今までの悪行が祟ったんじゃねぇの?」


煩い奴がまた来たと私は黙ってルークをきつく睨みつける。


「こわっ! そんなに睨むなよ、ヴァロワ領のお嬢さん。こういうのを悪因悪果っていうんだぜ? 座学平均以下のお嬢さんにはちと難しかったかな?」


私は呆れて小さく息をついた。


こいつは嫌味を混じれないと私と会話も出来ないのかと思う。


「あんたに比べたら私の悪行なんて高が知れているよ。それに、今のあんた、私より悪役が板についているようだけど?」


私の言葉にルークは一瞬言葉を失った。


前から思っていたけどルークって私と話す時、誰よりも悪役らしいんだよね。


ルークは苦虫を嚙み潰したような歪んだ顔をして、私の元から離れて行った。


その後ろに立っていたギルバートが心配そうに私を見つめ、そっと耳打ちをした。


「今のうちに皆に謝っておいた方がいいよ。このままじゃ、エリザが孤立しちゃうって」


ギルバートは賢くないが、性格はいい奴だ。


こんな状況になっても心配して忠告しに来る。


「もう遅いと思うよ? ギルバートも従兄弟だからって気を使わなくていいから。私は一人でも大丈夫」


そう言ってもギルバートは納得していないようだった。


本当に私のことなんか、構わなくていいのに……。


「オレはエリザの事わかってるつもりだから。エリザが無理してお嬢様やってたのも、皆に合わせて話をしてたのも知ってるから。だって俺たち、赤ん坊の頃からの付き合いなんだぜ? 一人でいいなんて言うなよ」


私もつい表情を緩めてしまった。


案外、ギルバートみたいな単純な奴が人の本質に気づいているのかもしれない。


「ありがとう、ギルバート。もし困った時は頼りにさせてもらうよ」


やっと納得したのか笑顔で頷いて、ギルバートも去っていく。


そうは言っても、これ以上お人好しなギルバートを私の都合に巻き込みたくはない。


私はふと目線を感じる方へ目を向けた。


そこには気まずそうな表情をしたウィリアムが立っている。


私にあんなことを言われた後だ。


話かけづらいのだろう。


しかし、これでいいと思った。


正直、これ以上ウィリアムとは関わり合いたくない。


婚約者なんて理由で庇われても嬉しくないし、今更アメリアへの気持ちを偽ることも出来ないだろう。


ウィリアムが顔を背けて教室を出ると、彼を見ていたクラスメイトがまたこそこそと話し始めた。


「見まして? エリザ、ついに婚約者にまで無視されますわよ。お気の毒ですわね」


「言って差し上げないで。可哀そうじゃありませんか。あんな悲惨な婚約者なんてわたくし、今まで見たことありませんもの」


「しかも、平民の女に獲られるなんて、目も当てられませんわね。凄惨すぎてわたくしなら死んでしまいそう」


そういって身体を揺らしながら笑い合っていた。


この間までアメリアの悪口を言っていた生徒が、今度は私の悪口を言っている。


本来なら侯爵家の私を恐れて、口を出す者なんていなかったはずだが、みんなで渡ればなんとやらというやつだろう。


集団心理とは恐ろしいものだ。


ウィリアム以外にも遠目から私を見つめる生徒が一人いた。


多くの生徒に囲まれているアメリアだ。


以前まではこの位置には彼女自身が立っていたというのに、今はそっくり私に入れ替わっている。


こんなものだろうと私はどこか達観していたが、アメリアはそうではなかった。


彼女のその憐れむような目は他のどんな貴族たちから浴びせられる目線より居心地が悪い。


彼女は今、どんな気持ちで私を見ているのだろうか。


お人好しな彼女の事だ。


何処までも純白無垢な感情で私に同情しているのだろう。


それが私を余計に惨めにしているとも知れずに。

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