第3話 リンゴとリンゴ
「なくなった? だからと言って、美術室から盗んで良いと言う理由にはならないけど」
「今さら信じてもらえるか分からないけどさ、決して盗んではいない。朝来たら、本物の小道具の代わりにこれが置いてあったんだ。だから仕方なく」
「すり替わったってこと? 一体誰が何のために?」
「知るかよ! 小道具として使う以外に全く価値のないものだしな」
「待って、そもそもすり替わったことにどうして気が付いたの? やっぱりこのパンダ模様がそれほど特徴的?」
小道具係は事もなげに首を振った。
「そういうことじゃない、見た目が全然違うんだ。同じようなイミテーションのリンゴを素材にはしているけど、二つの色の違うリンゴを半分にしてから貼り合わせたものだからな」
「……何でそんな面倒なことを?」
つい口を挟んだ望月に、文学には詳しい有藤が代わって説明した。
「あのね、望月くん。白雪姫の原作において魔女は三度小人の家で暮らす白雪姫の元へやって来るのだけれど、毒リンゴ以外のことはあまり知られていないでしょ?」
「うん、いきなり毒リンゴじゃないの?」
「違うわ。割愛されることが多いけど、一度目は紐で、二度目は毒の櫛で、三度目に毒リンゴ。その毒リンゴも実は半分だけ赤くしてあって、その赤い方にだけ毒が入っている。魔女は毒の入っていない白い方を食べて白雪姫を安心させるの」
そう言って、舞台の方を振り返ると正に白雪姫が紐で胸を締め上げられる場面だった。
「そうだ。今回の脚本はそこまで忠実に表現しているから、どうしても二色のリンゴが必要だった。俺が作ったのは、青リンゴと赤リンゴを半分に切って、乾くと透明になるボンドで貼り合わせたものだった。自分で言うのもなんだけど、ちょっとした出来だったんだぜ?」
「そんなに拘ってるなら、この赤いリンゴじゃ代用にならないでしょ?」
「それが、演出の部長がもう時間もないから脚本を一部変えてこれで行くって……脚本の副部長とは揉めたけど、押し切った形になってる」
「そうなの? でも半分しか使ってないなら、素材がもう半分ずつ残ってるんじゃない? それでもう一度作れば」
「捨てちまったよ。素材の余りなんて、普通に考えたらゴミと変わらないだろ。まさか小道具がなくなるなんて誰も思わないから……だけどもう一度買い直すだけの予算もないし」
小道具係の言い分も頷ける。この項垂れている男を三人とも何だか気の毒に思い始めた頃、二つ結びのTシャツを着た女子生徒の小道具係が舞台袖から下りてこちらにやって来た。
「ちょっと松永、何してるの? そろそろリンゴを籠に入れておかないと」
「ああ……それが」
さきほど美術部の所有であることが判明してしまったため、口籠る松永に代わって有藤がリンゴを彼女に差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
「え、良いのか?」
躊躇いがちに受け取った女子と、驚いたような松永に有藤は頷いた。
「取り敢えず、今は通し稽古を続けて。終わるまでここで見ているから」
有藤はそのまま床に座ると、望月と影にも座るようジェスチャーして、三人はそこからの芝居を見学した。ローブを着て籠を手に持った魔女が小人の家をノックすると、中から白雪姫が現れる。そして籠から取り出したリンゴを甘くて美味しそうだと勧められるままに口にしてしまう。途端に倒れてリンゴは転がり、舞台の照明が落ちると悲しげな音楽とともに小人たちの悲鳴や怒号が徐々にすすり泣きに変わって行く。
三度目は何をしても生き返らなかった白雪姫は、硝子の棺に寝かされて小人の手によって運ばれている途中、王子と出会ってどうしてもと請われ棺を譲る。白雪姫のあまりの美しさに王子が口づけをすると、リンゴの欠片が口から飛び出して白雪姫は生き返る。そこで大団円――というオチかと思われたが、魔女が白雪姫と王子の結婚式に現れ、赤く焼いた鉄の靴を履かされて踊りながら死んで行くシーンまで再現されていたことには驚いた。
「いや、良く出来てるね」
思わずその場で拍手した三人だったが、松永からリンゴを取り返すことは忘れなかった。他の部員が状況が把握できずにざわめいたが、有藤は的確に事情を説明して絵の完成のためにこれが必要だと自身の裁量を伝えた。
「とにかく、練習ではエアでやるか他のボールでも使って。本番の時は、美術部の了承のもとにお貸しするので」
望月と影にも事前に話をつけてからそのように手配すると、演劇部も自分たちの非を認め本番だけ使わせてもらえればと納得した。無事に返してもらえたことで、望月と影はとても嬉しそうだった。
「ありがとう、芽衣ちゃん。僕たちだけだったら、上手く説明できないし追い返されて終わりだったと思う。本当に何て感謝したら良いか」
「やだ、そんなこと……気にしないで」
頬を染めて照れつつ、手にしたリンゴにふと視線を落とした。その表面は、艶やかに一部が濡れている。
「これって、口紅?」
指で拭うと、指の腹が赤くなった。やはり白雪姫の唇の跡らしい。
「齧ると言うか、口づける感じね。ねえ、ちょっと」
「な、何だよ?」
呼ばれた松永は、どこかびくびくしながら有藤を振り返った。
「二色のリンゴの時は、魔女の方も口を付けたの?」
「ああ、そりゃな。二人で齧る設定だから」
「どちらも濃い目の口紅を塗っていたね?」
「その方が、舞台では映えるから」
「なるほど……」
その時有藤には、事象が線で繋がる様が見えていたようだ。
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