第2話 静物画と白雪姫

 まずは事情の説明のため、美術室で描きかけの絵とそのモチーフを見せてもらうことになった。今美術部全体で課題として描いているのが静物画では定番の作り物の果物を積み上げたもので、見た目を変えないため通常の授業時は皿に乗せたまま隅に置いているのだと言う。今は中央に置かれた色とりどりのフルーツを眺めたところ、デッサンや油絵の下絵と見比べて明らかに欠けているものがあった。


「リンゴがない?」


「そうなんです!!」


 突然会話に乱入してきたのは、キャンバスを抱えた一年生の影沙由美かげさゆみだった。望月と同じ美術部で、絵に対しての情熱は人一倍だと言う。自身のデッサン絵の登頂に描かれたリンゴを指さしながら、眼鏡の奥の瞳を真っすぐ有藤に向け訴えた。

「いきなりモチーフの一部がなくなってしまって、私たち困ってるんです。もう八割方描き進めている部員がほとんどだし、何よりここにリンゴがないと画竜点睛を欠くんです!」

「なくなったことに気付いたのはいつ?」

 有藤の問いに、望月が答えた。

「三日前かな。朝の時点でどうだったかは確認できていないんだけど、部活の時間にセッティングをしようとした部員が最初に気付いた」

「ふぅん……そのことがトラブルの原因てこと?」

「そうなんだよね。というわけで、次は演劇部のところまで一緒に来てくれる?」

「もちろん。でもその前に訊いておきたいのだけれど、そのリンゴは以前から美術部の備品なの?」

「そうだよ、数年前に購入されたものだと思う」

「だとすると、そのリンゴを書いた既成の作品も存在する?」

「ああ、あるよ。先生の描いた油絵とか」

 言いながら過去の作品のキャンバスを収納したロッカーを開け、望月は目的の絵を選び出した。

「これかな。質感とか色とか、見事だよね」

 有藤はじっとその絵を見つめて、満足そうに微笑んだ。

「……これはおあつらえ向きね。影さん」

「あ、はい」

「あなたもその絵を持って同行して」

「了解です!」

 指示通り影は自作と入れ替わりにそのキャンバスを抱えると、足早に有藤の背中を追った。

 自主性を重んじる個人参加型の美術部には、顧問の方針で部長は存在していない。そのため特に他の部員は連れず三人で演劇部の練習場所へと向かった。


***


 演劇部は今間近に迫った定期公演のための「白雪姫」の稽古の真っ最中で、部室として使用している教室ではなく体育館の舞台上に活動の場を移していた。どうやら通し稽古をしているらしい舞台に向かって体育館を歩いて行くと、袖に控えていた二年生の小道具係が渋い表情で階段を下りてこちらに近づいて来た。


「また美術部か、いい加減しつこいぞ」

「そう言われても、僕たちも絵が中途半端なままでは困るんだ」

「だったら、代わりを用意すれば良いだけのことだろ?」

「簡単に言わないで欲しい。こちらも作品を完成させるにはあれじゃないとだめなんだ」

「こっちは一週間後に本番だぞ! それこそ今更別のリンゴなんて――」


「ちょっと待ってくれる?」

 

 このまま二人を放置しても埒が明かなそうだと、有藤が口を挟んだ。

「リンゴというのは、白雪姫の劇中に使われる毒リンゴのこと?」

「そうだけど。何だよ、おまえも美術部か?」

「いいえ、生徒会よ」

「生徒会? 何だって生徒会がここに……」

 急に挙動が怪しくなり始めた小道具係に、有藤は劇で使用しているリンゴを見せてくれるよう依頼した。

「今練習中なんだ」

「大丈夫でしょ、見たところまだ七人の小人の小屋で目覚めたばかりのようだし」

 早くと急かされて断り切れず、小道具係は不承不承一度舞台袖に戻ると、リンゴを手に持って現れた。

「ほら、これだよ」

 見れば本物と見紛うような赤い質感も見事なリンゴだった。美味しそうだとさえ思ったが、齧ればえらいことになりそうだ。そしてある特徴があることを有藤は見逃さなかった。

「これ、ここに。ちょっとパンダの顔みたいよね」

 指さしたところに、最初からの模様ともしかすると同じように考えた誰かの手によるちょっとしたいたずらなのか、確かにパンダのような丸が小さく見えていた。そしてそれと比較するように、影の抱えていた過去の油絵も示して見せる。


「ほら、この絵のリンゴにも同じ模様の描きこみがある。これは一年以上前に描きあげられた作品だから、その頃からこのリンゴは美術室にあったのだという証明になる。。何か言い返すことはある?」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。確かにそれはうちが最初に用意したリンゴとは違う。けど実は、こっちだって重要な小道具がここにきていきなりなくなって困ってるんだ……」


 先刻の居丈高な態度が嘘のように、小道具係はしおれた様子で内情を吐露した。

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