最後の一振り一瞬にして

03

終わりは一瞬

 昨夜は真っ白な粉雪が一面に降り注いで、枯れ木にすら雪が積もっている。多少の積雪では新幹線は止まらなかった。


 それが唯一の救いだ。外を歩いているだけでも凍てつくような寒波で死にそうなのだから。


 去年ほどではないが今年も全国的に一日中雪が降っていた。都心を離れれば離れるほど、雪幅は厚くなる。


 雪下は砂利道だからこのくらいの方が丁度良いクッションだ。


 ここは車が通らない。見事に雪で膨れ上がったこの道を一人だけで台無しにするのは少々勿体ない気もするが。


 ここを通るのが目的の家までの近道なのだから致し方ない。サクサクと降り積もった雪に大きな足跡を付けながら歩く。


「・・・・・・はぁー」


 吐息は白く空でゆらゆら動き、徐々に消えていく。背筋も凍る。幼い頃もそうだった。

 

 この寒気が嫌でいつもよく厚着をしていった。

 

 視界の果てにまで雪は降り積もり、白の色彩は空に沈む白雲と同化している。ふと白雲の頭を見上げると、晴空の奥から小さな月が見え隠れしていた。


薄く、淡い、三日月が。





 祖父の家までは駅の改札を出て、すぐ左に曲がったところの大仰な並木道を抜ければ着く。


 山間部でなければ台地というわけでもない。単なる海沿いの平地だ。他にこんなうっそうと茂った並木道は無い。


 この並木道の木々だけは昔からこんなものだった。ある中心を取り囲むように木々が猛々しく生えている。


 体がまだ小さく未熟だった頃はそのスケールの差に圧倒されてしまったくらいだ。まるでその並木道が意思を持っているかのように感じた。


「・・・・・・この時期は見る影もないけど」


 呟いた口からは白い吐息がゆらゆらと揺れて出た。それはやがて頭上を旋回し消える。


 所狭しと押し合っていた緑葉はこの時期になると落葉する。ただの枯れ木だ。


 それでもこの並木道を見ると昔の記憶が思い起こされる。


 あの頃はまるで密林かのように見えた。本当に並木道かと不思議に思った時期もあったが、あるモノを見て、それは無くなった。


 この並木道の中間地点、それは道際にある。それは現代とは異なる時代に建てられたのか、ところどころ風化していたり、苔を被っている部分もあった。


 それは簡素な祠だ。


 供え物が供えられるほどの石造りの器もあったが、供え物らしき物はいつも見当たらなかった。


 あの祠に宿る神を信仰する人はいないことを示している。存在している時点で信仰対象となっていたものではあるのだが、信者がいなければあの祠にはもう神様はいないのかもしれない。


「・・・・・・っと、それよりも急がないと」


 思い出を思い起こすのはここまでにしておこう。やはり外で立っているだけでも体の隅から隅までが凍り付いてしまいそうだ。


 無数の落葉した茶緑色の葉を蹴りながら、早々に並木道を走り抜ける。


 日が当たりづらく、薄暗い並木道を抜けるとパアッと光が全身に吸い付き、視界が広がった。目の前に建っていたのは懐かしさを残した昔ながらの家屋だった。





「ふぅ、ようやく着いたな。中も想像していたよりかはまだ綺麗でよかった」


 砂の壁や障子、家具諸々の状態をさっき確認してきた。昔来たときと何一つ変わってはいなかった。


 埃っぽくないし、カビも生えていない。損傷すら見られない。定期的にメンテナンスは頼んでいるらしいが、ここまで綺麗に保てるものなのだろうか。


 微々たる疑問が頭をよぎる。だがそれは些細なことだった。


 全く悩むこともなくまずは綺麗、という事実に安堵し、思わず畳に寝ころんでしまった。


 数日分の着替えや日用品を詰めたバッグを床にドスンッと勢いよく置く。ここまで来るのに相当疲れが溜まっていたのだろう。


 変わらない内装を呆然と眺めていると、かすかだが祖父母の姿が思い浮かぶ。そう、一つ変わっていることといえば、この家の主である祖父母が居なくなってしまったことだ。


 もう、この家には誰も住んでいない。二年前に家の主はこの世を去った。


 なら、何故この家を遺すことにしたのか。祖父は死ぬ二日前に遺言を残して亡くなった。その遺言が無ければ、ここに家はない。


 元々、祖父母は元気でいつも活力に満ちていた人たちだった。昔からそこまで馴染みはなかったが、亡くなったという報せを聞いたときは信じられなかった。


 そのくらい元気だった。


 そんな人たちが遺言を急に残すとは、ある意味死期を悟っていたのだろう。元気だからこそ自分の死に時も分かってしまうのだろうか。それにしてもだ。


「悟ってたのに、遺言だけとはなぁ」


 そんな呟きを出すと、ふっと微笑する。


 亡くなる前の遺言がこれ一つだけなのだから両親含めた親族は過剰に重く受け止めていた。畳に貼りつく体を起こして家の中を見渡す。


 祖父母が一緒に遺した遺言は『この家を残しておいてくれ』だったらしい。




―――ピロンッ ピロンッ ピロンッ

 

ズボンのポケットに忍ばせていた携帯から音がなる。


「はい、もしもし」


『あら、もう着いたのかしら?』


「もちろん。家の中もあらかた見回ってきたところ」


 母からの電話だった。高校の冬休みの期間を使ってこの家へ行くよう頼んできたのも母だ。電話してきたのも無事着いたかの確認のようだ。


「昔来た時とまったく変わってなかったよ。どんな凄腕の業者に家のメンテナンス頼んだの?」


『凄腕だなんて。普通の業者に頼んだはずよ』


「えっ、そうなんだ?」


 この家は確か、母が生まれるよりも前に造られていて・・・・・・。祖父も生まれてからずっとこの家で育っていたらしいから、築百年は越している計算になる。


 まったく不思議なものだ。百年以上も前の建造物が廃墟どころか、未だに居住物として健在しているとは。


『懐かしいわ。あなたのおじいちゃんとおばあちゃん、毎年サボらずに家中を歩き回って掃除してたのよ』


 在りし日を思い出す母の中の祖父母の姿は自分の中でも容易に想像することができる。丁寧に重ねられていた座布団を三枚取って、そのうちの一枚に座りながら言葉を返す。


「二人の長年の腕のおかげってことか」


『ふふ。そうかもしれないわね』





 日が落ちるにつれて辺りは暗くなっていった。昼頃にも増してさらに吹き抜ける風が冷たくなった夜。薄く空に溶け込んでいた月は夜空にポツンと輝くばかり。


 今は懐中電灯を片手に家の敷地内に建っている蔵の中の整理に足を運んでいた。物置きと化していたそれはもはや蔵と呼べるものではない。


「・・・・・・っと。ようやく開いたな。どれだけ使ってなかったんだこの蔵」


 ズズズッと扉と石床が擦れる音が響いて、背丈ほどの扉が開いた。電灯で照らすと小さな埃がちらちらと舞い、古ぼけた調度品が上下に敷き詰められている。


 この蔵の扉を開いたワケはどうやら祖父母が大切にしていた遺品があるようなのだ。それを探しに来たわけだが、相当長い間放置されていたみたいだ。


 埃は砂のように積もっていて歩くたびに足跡がつくほどで、小さな埃が充満し鼻はムズムズして仕方がない。これでは探すこともままならない。


「・・・・・・しょうがない、対策してまた後でくるとするか」



―――ゴトゴトゴトッ ゴトッ



 ため息を含んだ言葉をもらし、踵を返した瞬間、物騒な物音が背後でうごめいた。もうとっぷり夜中ということもあってか、怪奇的な現象に悪寒が背中を摺り上る。


 反射的に振り返り、懐中電灯でホコリまみれの蔵を照らす。猫でも犬でもないことは明らか。そして感覚的に、誰かに見られているような・・・・・・、視線を感じる。


 何かがこちらを見ていることは感じるのに、あるのはただの物。それでさらに身の毛がよだつ感覚が身体を襲った。


 微かに震えた手は無意識に扉を閉めていた。





―――ああ、またこの夢か・・・・・・。


 真っ暗闇の中、気づけば黒く、細長い体をした異形と向かい合っている夢。利き手には『斬れ』と言わんばかりの無骨な刀が握られている。そしてそれは存外、しっくりくるものだった。


 自分の記憶には刀を持ったことなどありはしないが、夢の中では幾度となくこの鉄刀を振り回してきた。


 もうこれでこの夢をみるのは何回目かもわからない。この身を飲み込もうとしてくる異形を消え去るまで斬り続ける。全身黒い靄で形を成している異形は斬っても斬っても血は流れず、刀が錆びることもない。


 ソレは夢、空想、自分自身の恐怖の塊がそのまま出てきた感覚。見た目こそ、視界に入っただけで戦慄するようなおぞましい姿ではない。だがソレと対峙したときの恐怖感は凄まじいものだった。胸騒ぎが止まらない。


 最初でこそ好ましくない夢に夜を眠ることができなくなり、睡魔を抑え切って夜を明かしていた。十二の時から毎晩この夢をみるようになり、安堵と脱力感を含んだ汗で濡れた体で朝を迎える。


 精神がすり減るような夜を八年間明かした。もはや恐怖感は感じず、子供だましだと心の中で笑う。



ヒュンッ



 しなやかな一閃とともに刀が空気と触れ合う音が響く。異形は腹から真っ二つに斬れ、やがて消えていく。


 消えていく異形の体がこの空間を支配する闇に溶けていくのをただ眺めながら思う。


 本当にこれはただの夢なのだろうか。現実と夢、通じて意識がはっきりとしているのに加え、刀が異形に喰い込むあの生々しい感触。それらが芯に染みついて落とせなくなっていくこの不快な感覚。


 自分自身の奇異な夢という範疇で片づけられることなのかと疑心が生まれる。


 実は脳内に新手の障害があるのではないかとも考える。



もう一度、闇に包まれた空間めがけて一閃。



 刀の切っ先が通った跡からはまるで薄い膜が切り開かれたかのように、微光が漏れている。その光のもとへ歩み寄り空いた手で触れる。


「・・・・・・」


 光はじわじわと手に吸い付いていく。指先が光に染まり、手全体へ、腕から肩にまで一息で染まる。

 

 金色の膜が目がにまで届くと黒い視界は白く塗り変えられていった―――




ふっ、と視界が再び黒に戻る。


 チカチカとフラッシュが瞬く光景に飽いてゆっくりと瞼を持ち上げる。忙しない視界がゆっくりと開ける。


「・・・・・・ゔ」


 持ち上げた瞼はやけに重苦しく、すっきりしない。親指と人差し指でこりをほぐすように瞼に触れる。


―――昨夜は不気味な蔵から家の中に逃げ帰って持ってきた荷物の整理をしていたら、そのうちこたつの下で眠ってしまった。


 まだバッグの整理も済んでいないし、夜食を食べていないからお腹も減っている。


「一旦なにか腹に入れるか・・・・・・」


 仰向けにしていた体を起こそうとする。瞬間、左耳の方から水を啜るような音が聴こえた。


 近い。音の大きさから考えるにすぐ真隣。


 昨夜と同じだ。音は聴こえるのに、生き物の気配というのが感じられない。



ズズ ズズズー



 ばっ、と身を起こして音が聴こえた方を見る。


 障子を抜けて朝日が射し込むそこには、歴史で出てくるような和服を着た、そして狐の面で顔を覆う老体がしゃんと座り湯飲みに茶を入れているところだった。


 だが狐の面はお祭りでよく見かけるような可愛いデザインではなく、どちらかというと神楽で用いられるたちが悪そうなデザインをしている。

 

 驚きのあまり息が詰まる中、悪面を着けた老人は茶を入れるのをやめて言った。


「ほぉ・・・・・・わしの姿に声を上げぬとは。おまえさん、中々肝が座っておるの」


 しわがれた声を出してほっほっ、と老人は陽気に笑う。その笑いで幾らか安堵し問う。


「あんたは誰だ?」


「そう警戒せんでええ。わしはおまえさんの爺さん婆さんの知り合いじゃ」


 知り合い・・・・・・と言われてもピンとこない。こんな妖しい格好の老人は初めて会った。だがこの家が祖父母の家だと知っているからには本当のことなのだろう。


 だが、祖父母に会いに来たというのならば無駄足だ。


「なぜこの家に来たんですか。あの人たちはもう・・・・・・」


「わかっておる」


 一瞬込み上げた感情を鎮めるように答えた老人は何処からともなく細長い棒を取り出し、卓の上にゴトッ、と置く。


「わかっておるからこそ、お主に会いに来たのだ」


 どうやらこの老人が会いに来たのは亡くなった祖父母ではないようだった。


「俺に会いに来た?」


「そうじゃ。ほれ、この刀に見覚えはないか?」


 老人は細い指で卓に置いた黒ずんだ棒を指さす。鞘から柄まで全体が炭のような粉を被っている状態だ。正直言われないと分からない。


 でもこの刀は・・・・・・。


「何度も握ったことがある」


「そうか。どこでじゃ?」


「夢の中」


 そして夢の中でわけの分からない異形を切り続けた。ではなぜ夢の中の刀が現実にあるのか。


 その疑問に答えるように老人は腕組みして続ける。


「この刀はそこの蔵から取り出してきたもんでな。そしてその夢はお主の爺さんと婆さんが意図してみせていたのじゃよ」


「なぜ」


「・・・・・・やはりあやつはお主に何も話していないのだな。ふっ、しかたないやつじゃ・・・・・・しかたないやつなんじゃよ」


 老人はやれやれ、と難しそうな声をだす。湯呑みに手を付けて一息ついて言った。


「では今から、お主がなさねばならないことを教えるとしよう」




―――昔々


人々がまだ夜に怯えていた頃の話。


世間ではある妖怪が夜な夜な現れては人々の命を喰らっていた。


男も女も、子供も老人も、ソレと対してしまえば境はなく命を貪られ、喰い尽くされる。


女であれば身体から生気を全て吸い込んだ後、体を貪られる。


剛胆な男であればよく肉づいた体を貪られ、残った骨から生気を吸う。


老いた老人や子供は一飲み。


その妖怪は八つの頭と八つの命を持ち合わせ、鋼の如く硬い皮膚で覆われた体を持っていた。


「ヤマタノオロチ」


その妖怪はある日を境として突如現れ、人里に下りては人々を喰らうようになった。


人々の間では、どんな種であろうと蛇は体に毒を持つとされ蛇は理由なく殺された。


「ヤマタノオロチ」は一体の蛇が、無慈悲にも人々に殺された七体の蛇の魂を喰らうことで成された妖怪である。


初めは村々ばかりを襲っていた「ヤマタノオロチ」は都にまで現れるようになり、ついに討伐令が下された。


討伐令を受けたのはある剣士。かつて悪霊へと成り果てた肉親を刀の錆にした孤独な若者であった。剣士は一人で「ヤマタノオロチ」が棲まうとされる山へ赴いたのだった。


だが、赴いた時すでに幾百もの人々を喰い漁った妖怪は人の倍の大きさにまで肥大化し、人の手に負えるものでは無くなりかけていた。


剣士が八つの頭と戦い、ようやく獲ることができたのはたったの一つの頭のみ。


ここでこの妖怪を完全に殺し切ることは不可能だと剣士は悟り、妖怪を封印するという選択をする―――




 紫色の血が飛び散る。


 斬られた頭は地面に横たわり、残り七つの頭は苦痛に耐えるように凄まじいうめき声を上げた。


 八つの頭を四方にうねうねと動かし、妖怪は暴れる。命を吸われ、枯れ果てた木々は暴れる頭に次々と倒れていく。


 これが幾百人の人の命を喰らった蛇の妖怪か。


 まだ顔つきに若さが残る剣士は手負いの眼前の妖怪に恐れを抱く自分がいることを認め、思う。


 太い体は凄まじいほどの生命力と憎悪を内包し、もはやそれは尋常ではない域に達している。すでに斬った頭は断面から肉が盛り上がり、溢れんばかりに吹き出ていた血は止まり、おそらく再生を始めていた。


 醜く暴れるコレはやはり生き物などではない。


 妖怪だ・・・・・・。


 この間にも先刻やっとの思いで斬り落とすに至った頭が元の形を取り戻そうとしている。黙って眺める時間もほとほと無い。


―――ヒュッ


 縦横無尽に暴れまわる頭を捉え、刀を全力の速さと力で振り下ろす。


・・・・・・が、斬り落とそうとしていた蛇は裂けるような口を大きく開き、鋭い牙で受け止める。


『・・・・・・く』


 体を躍らせ、すかさず横薙ぎを入れる。それも刀身が肉薄するところで別の頭が振り落としてくる。やはり一人ではせいぜい一つの頭が限界であった。


 それに同時に七つの頭を斬り裂こうと意味は無く、一つでも命が残っていれば何度でも頭は再生しさらには一度消えた命さえも再生されてしまうだろう。


 このまま喰われるくらいなら逃げるのも良い。逃げることなら容易いが、今自身に課せられているのはこの妖怪を討伐せよ、との命令だ。それかはどうなろうと逃げられない。


『・・・・・・ふぅ』


と一息ついて右手に持つ長刀を見やる。その長刀は銀色の煌めきを放ちながらも、少し黒ずんでいた。この黒ずみは決して最初からあったわけではない。


 数年前、彼がかつて自身の肉親だった妖怪を斬ったときに付いたものである。以降彼はこの黒ずみを妖怪の怨霊が刀に宿った証と考えていた。


 そしてこの考えが合っているのであれば、この妖怪を完全に殺し切ることが可能となる。いくら永い年月を要したとしても。


―――必ず。


『必ず、私はこの妖怪を討伐してみせよう』―――




 そうしてかの剣士は妖怪を封印するに至った。だがこの封印はこの妖怪との因縁に幕を落とせるほどのものではなく、ここから剣士と「ヤマタノオロチ」の永き戦いが始まったのだ。


 封印が解けるごとに頭を落とし、蛇一体分の怨霊を剣に吸収し、また封印する。剣士はこれを六回繰り返して確実に妖怪の命を削り取ってきた。


 頭を落とすたびに剣に吸収されていく魂は、生の半ばで命を落とした蛇の寿命の塊でもある。一昼夜、一年、彼はいつ何時も剣を離さずだったからか、気付いたときには人の寿命を遥かに越していた。


 時代は移り変わり、時は止まること無く過ぎ去って行く。彼を知る者はついぞ己の妻と自分自身だけとなり、次の封印が解けるまで彼らは家を建て、永年同じ地で静かに暮らしてきた。


 そして、いよいよ最後の封印があと数十年ほどで解けるとなったとき、彼らの老いが急激に迫るようになった。


 いくら寿命が延びたといっても、永遠・・・・・・すなわち不老不死になったのではない。


 彼らは長命の身体になってから諦めていた子どもをもうけ、自身らの子孫に「ヤマタノオロチ」討伐を託すことにした。




「そして、あやつが討伐を託した者こそがお主というわけじゃ」


「まさか・・・・・・そんなわけ。だってそんなこと一回も聞かされていないんだぞ・・・・・・」


 寝起きの固まった髪をくしゃりと乱しながら喘ぐ。この老人の話がすべて真実ならば、とんだ

厄介事を託されたものだ。


 祖父にはその妖怪に立ち向かい、討伐することができたのかもしれない。だが、これまで何も知らずにぬくぬくと生きてきたただの子供にはそのような大それたことができるはずもない。


「自分にはそんなことできるはずもない、か?」


「・・・・・・えっ?」


「お主にはやってもらわねばならぬ。何があってもな。でなければ、またかつてのように多くの人間が犠牲になってしまう。・・・・・・だが、それ以前に一人の血縁としてあやつの願いを成就させてやってくれ」


 老人の言葉はどこか哀愁が漂い、そしてどこか懐かしい、なぜかそれに強く胸が締めつけられた。その感情が何なのかすぐに理解することはなかった。


「この頼みはお主に託されたものじゃ。そしてお主にしか成せないことでもある」


とさらに言い、微かに銀色の光沢を覗かせる刀をこちらに差し出した。老人はこちらの返答を待たずに立ち上がった。


「・・・・・・さて、ではわしはそろそろ行くとしようかの。妻を待たせてるのでな」


 立ち上がった老人は音もなく扉へ向かおうと、体を扉の方へ向ける。


―――その瞬間、なぜだかそれを引き留めたくなった。


 無意識下で手を伸ばした直後、老人は顔をこちらに見せず最後に言った。


「そうじゃ。言い忘れておった。『ヤマタノオロチ』の最後の頭の封印の場所はこの家からすぐ近くじゃよ」


 しばらくそう呟いた老人の背中をぼんやりと見ていることしかできなかった。思考が固まっていることに気付きはっ、とする。


「・・・・・・あ、ま、待ってくれ!」


 叫んだときには既に老人の背中は消えていた。

一人残された部屋は静かに朝日に照らされ、煌めいていた。


 その日の晩、太陽が完全に沈み込んだ夜更け、最後の頭は落とされた。

 




ガッガガガッ ガガーーー


 重厚な機械音と建物が崩れていく音が響き渡る。それらは白いバリケードに囲まれ、コンクリート舗装がまだ新しい道の前には、


『工事中 取り壊しのため立入禁止』


という注意書きが貼られていた。


 近く高層マンションが建てられる予定で、その用地の確保として現在古い家屋の取り壊しが行われている。


 この地域はかねてから若い世代の不足が社会的に危惧されており、今回この街自体がまるごとリニューアルされる予定になっていた。


 そして私はリニューアルが全て終わったころにこの街に引っ越そうと考えている。以前から何度か通り掛かったことがあり、気に入っていた街なのだ。


 だが、どこもかしこも新築だらけの街になるため、現実的に可能かどうかはまたそのときに判断しようと思う。


「・・・・・・ふふ。これから楽しみだな」


 この街の未来の姿を想像しながら胸を膨らませていると知らない声が私の足を止めた。


―――「おや、見かけない顔だね。こんなところで何をしているんだい?」


「へ?」


 自分に送られている言葉だと理解するのに数秒掛かり、後ろを振り向く。


「こ・・・・・・こんにちは」


 驚き、我ながらぎこちない挨拶を返し、声の主を見やる。年齢は・・・・・・四十代後半だろうか、ちらほらと白髪が浮いている。


「こんにちは」


 しかし、男はにこりと微笑んで挨拶した。


「驚かせて申し訳ない。これは私の興味本位の質問です」


「えっ・・・・・・と、近々この街に引っ越してみたくて、ちょうど休日なので一度来てみたんです」


「なるほど。たしかに古くなった建物はほとんどが取り壊す予定だと聞きました。ここはどんな街になるんでしょうかねぇ」


「昔からこの辺りに住んでいるんですか?」


「いえ。私もあなたと同じ・・・・・・二十代の頃から住んでます。ほら、ちょうど取り壊されているそこの家は私のですよ」


「えっ、そうなんですか!?」


 男はもう一度微笑んで「えぇ」と相づちを打った。


「・・・・・・悲しいですか?」


「いえ。私も本心では賛成でいっぱいです。昔はここの側にも並木道があったんですけど、私が住み始めた頃から、寿命なのか枯れてしまい撤去されたばかりなので」


「そうですか・・・・・・」


「えぇ。だからもう変わってもいいんです」


 そう微笑む男の言葉は穏やかで満足そうな声で包まれていた。そのまま「話に付き合ってくれてありがとう」と言い残し、私の横を通り過ぎて行った。


 青空を泳ぐいくつもの白雲を見上げながら私はまた歩き出した。

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