賢犬のバイト

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賢犬のバイト


ハスキー犬の兄弟を連れて散歩していると、四人に三人は振り返る。残りのひとりにしても興味がないのではなく、好奇心をコントロールする術を心得ているのだろうと思われる。リアクションはかわいいからこわいまでグラデーションがあるものの、いずれにせよ無関心でいることは難しいはずだ。東京のまちなかで大きな犬が二匹、のっしのっしと歩いている様子に何らの関心も示さないでいるのは不自然だ。

ハスキー犬の兄弟は、賢犬に直接談判して協力を要請してきた。二匹の飼主は初老に差し掛かろうとする音楽好きの経営者で、アクの強いタイプだが、同時によくあるタイプだということも言えてハスキー犬一匹ほどの目立った印象もない。

賢犬が最初に受け取ったメッセージは「ここから連れ出せ」というシンプルなものだった。送り主はハスキーたちだ。賢犬は単純なメッセージを受信したとき、あとに続くメッセージがないか、すこしの間待つ構えをとったが、後発のメッセージは届かなかった。つまり、どうやってという重要な部分は手前で考えろというわけだ。賢犬はネイルサロンにある唯一の漫画『飛ぶ鳥を落とす十三の方法』を読んでいるふりをしながら、方法を考えた。経験上、こういうときには放っておいても名案が浮かぶものなので、慌てずにアイデアを繰った。しばらくして賢犬は散歩代行のバイトを思いついた。しかし、飼主が旅行に出かけるのを待っていては、このハスキー犬を連れ出すために適したアイデアとはいえない。

もうすこし粘って、結局「愛犬の散歩スコア測ります」というコピーが思い浮かんだ。

カメラを持って散歩をすることであなたと離れた場所にいる愛犬の「本当のすがた」を確認できます、という謳い文句が続く。あとは軌道に乗っているユニコーン志望のベンチャー起業家を演じるだけだ。わざわざその気になって演技しようとしないでも、賢犬はそれらしい雰囲気を醸し出していた。どういうわけか、学生時代から「やる気が前面に出ないものの胸に熱いものを秘めている」タイプだと受け取られやすい。そしてそうした実物とは異なるペルソナであっても、何の苦もなく身につけることができた。経営者とはウマがあったのか、導かれるようにトントン拍子で話は進んだ。十分後、賢犬は飼主と並んで散歩コースの確認をしていた。しかし思ったより三倍は長いコースで驚いた。シベリアンハスキーはしっかり運動をしなければならない犬種だといっても毎日これでは大行事だ。毎日どころか二日連続でさえ御免被りたいところだが、メッセージの主はそんな弱気を許してくれない。実際、お試し散歩中にも飼主の目を盗んで兄弟はメッセージを送ってくる。

「これから神社の前を通る。我々はそこで修行をするから、毎日三十分間はここに繋ぐように」

なんの? と賢犬がメッセージを送らない先から「狛犬の修行だ」と追いメッセージが届いた。声質からみると別の犬だ。おそらくこちらが弟だろうと賢犬は考えた。やや幼さが残るのは兄を立ててというよりは、自身のキャラクターを確立させたい意図だろう。

「電車に乗って散歩に充てる時間を節約できないか」と打診された。すでに賢犬は長い散歩コースの半分以上を走らされており、そのおかげで修行の時間は四十五分になっていたが、兄弟は一時間みっちり修行に充てたいらしい。賢犬は自分が走りたくないのもあって積極的に協力したが、何度チャレンジしてみても駅係員は首を縦に振らなかった。


新宿駅まで出かけてくる人はいても、新宿駅から出かけていく人はいない。誰もが新宿駅に来て、それから用事を済ませて(あるいは経由すること自体が用事になっていて)新宿駅から出ていく。かつて新宿をホームにしていた浮浪者たちも、長いすったもんだの末に一掃され、どこかの収容施設か病院に送り込まれた。以来、新宿をホームにする者はネズミたちだけになった。彼ら以外のすべての者にとって新宿はアウェイ、お出かけする場所である。まれではあるが新宿に住んでいる者もいるにはいる。しかし、新宿に居を構えるものが追っているのは、もちろんホームの幻想ではない。彼らはアウェイにいること自体を本懐とする根っからのビジターであるか、騒がしさそのものを愛するフーリガン、またはその両方だ。彼らにとって競技そのものはお飾りにすぎない。誰かが用意した幸せの階段には当然見向きもしない。彼らが充分健康であれば、野垂れ死という夢について熱を込めて語ってくれるだろう。

新宿はビジターズホームと言ってもよかった。田舎者や観光客、田舎者の観光客が落ち着ける場所こそ新宿だ。どの交差点に立ってあたりを見渡しても、目につく人の群れはすべて同類だと言っていいからだ。なかには新宿に慣れている者がいる。だが新宿にとっての彼らは、他の田舎者や観光客と何ら変わるところがない。新宿にいる誰もが、どこかから来て、どこかへ去っていく。

望月が新宿駅で勤務することになってからしばらく経つ。ターミナル駅で駅員として働きたいという志願者の数はそれなりに多かったから、それなりの倍率を勝ち抜いて望月は新宿駅東口改札付きの駅員になった。場所を埋め尽くすほどの大量の人がどんどん溢れてきて、どこかの方向へ収まっていくその流れを見るのが好きだと気がついたのは高校生の頃だった。そこから一直線に駅員になる道を進んできた。正規の職員として鉄道会社で働くと乗務員になるコースも用意されるのだが、望月はそちらのほうへは寄り付きもしなかった。もし自分の意に沿わず乗務員業務へと進まされることになれば非正規職員になることも辞さない決意があったが、その決意を誰かに示す必要はこれまでのところなかった。

大量の人を見るというのは、人の顔を見ないで人と接することができるようになることだった。いつも人の顔色をうかがって、相手にとって良くない態度を取ってしまうのではないかという不安に侵食されていた望月は、いつも気にしていることがいつの間にか閾値を超えて、不安を裏返しにした爆発という形をとって周囲を驚かすのがパターン化していた。大量の人を見ていると、望月のなかから人の顔色という要素が消えていった。顔のひとつひとつはそのままそこにあるのに、顔色だけが消えていく様子が望月には面白かったし、自分にとって適した人との距離がそこにあるのだという確信を得た。目の前の相手の顔色を見えなくするチャンネルが望月に備わり、それで対応しているとそれぞれの関係にとっても良い進展が見られるようになった。しかし、関係が進むと次第に顔色が気になってきてしまう。そのうえ、顔色が見えないという見え方は、知人や友人、彼氏といっしょにいる時間が増えれば増えるほど、わからなくなっていってしまった。だから人間関係の維持のためにも、望月には大量の人を眺める時間が必要だった。

それにくわえて望月は寂しがり屋だった。他人から見て希薄だとされる人付き合いこそ望月にとっては欠かせないものだった。特定の人と一緒にいたいという願望はなく、誰でも良いから近くに人がいてほしいというのが偽らざる気持ちで、しかもそれは一日のうちのごく短い時間でも良いようだった。ある日、一九九〇年の駅で検札をする駅員の動画が流れてきたとき、望月のなかで何かが弾けた。彼女が理想とするコミュニケーションがそこには実現されていた。次から次へと行き過ぎる人たちと、彼らに目も合わせずに手から切符を受け取り、確認し、切符を押し返す駅員。そのときにはじめて、彼女は駅員になりたいと思った。

動画で見た検札駅員が成し遂げていた、あれほどまでにオートマチックで流れるような、しかも大量のコミュニケーションではなかったにせよ、改札付きの駅員としての客とのコミュニケーションを望月は楽しんだ。彼らには目的があり、しかもそれが移動であるためか、ほとんど皆一様に、一刻も早くこの場を切り抜けたいと焦り抜いているように見えた。さっぱりとスピーディに対応することが何よりも求められていたから、余計な取り越し苦労の入り込む余地は最初からなかった。望月は、自らの望むコミュニケーションの理想と客が求めるこちら側の対応が符合していることを僥倖と思い、大いにそれを楽しんだ。

彼女にとって何よりも許せないのは焦っていない客、焦っていないどころか分不相応にゆったりと構えて、こちらにむかって世間話を仕掛けてくるような客だった。老齢の男にそういうタイプが多かったが、彼女は文化的なタイプだったので敬老精神を発揮し、「ジジイだからしょうがない」「ババアなんだから目を瞑ろう」と諦めて対応していた。

次に許せないのは若い男だ。彼らは色目を使ってこちらを見てくる。それだけで望月は全身総毛立つ。そういう手合には激しい憎悪をあらわに対応することにしている。敬語こそ手放さないが、敬語を使っていれば何を言っても良いと思っているような攻撃性を隠さない。「私の話がわかりますか」「理解できますか」「七秒だけ集中してください」「大丈夫ですか」さりげなく自分のこめかみに指をそえるジェスチャーを忘れない。そうすると相手の方でも自らの過ちに気がつくのか、たいてい世間話を切り上げてスピードを早めることになった。どの段階まで「説明」が必要になるのかは相手によってまちまちだったが。

意外に多いのは犬を連れて改札を通ろうとする輩だ。彼らは決まって「一駅だけだから」と言う。犬を運ぶのには決まったルールがあり、たとえばケースに入っている犬は運んでもかまわない。彼らはルールを守り、犬の運搬についても慣れているのでほとんど窓口にはやってこない。窓口にやってくるのは、リードを引いて連れてきた犬を通してほしいという嘆願を携えた人だ。しかしリードを引いて連れてきた犬を通すのは無理だ。介助犬など例外はあるが、基本的に犬はそのまま改札を通って電車に乗ることはできない。

十四日連続で改札を抜けようとしたのが犬の通り抜け要望の最長記録だ。外は暑いから散歩を省略できたらと思いまして、とこれもまた十四回連続で同じことを言う。目立って汚れたところもなく、きちんとしたとは言わないまでも極端にカジュアルというわけでもない格好の男は、望月の分類によると老齢の男というよりは若い男に属していたが、やる気・元気の類はほとんど感じられず、身なりがどうであるかというのを通り越してみすぼらしい印象だった。

三日目にして同じことを言ってきたときにはすでに望月のいらだちはピークに達していたのだが、相手方は同じ駅員に対して同じことを言っているという意識がないようで、こちらを個人として識別していなかった。自らにとって都合の悪い仕組みがあり、それに対して直接、要望申立てをすることでどこかのタイミングで運良くゲートが開くのではないかとあまり期待しないまま楽観的に、つまりは深くは考えずチャレンジしてきている様子だった。望月のいらだちというのは職業的なものだったため、彼女は彼女でそのいらだちについて深く考えることもなく、ただゲートをピシャリと閉ざしていればそれでよかった。

五日目を越え、望月のことを個人として識別する意思も能力もない犬の通り抜け申し立て男に対して、おもにその意欲のうすさに、望月は個人的な好感をおぼえた。他人との関わりにおけるここまでの無関心になれるというのは彼女にとってひとつの理想でもあった。男が二匹のシベリアンハスキーを連れているということもあって、望月が駅員として新宿駅に赴任して以来、はじめての気になる存在になった。ただし職業意識のほうはそれに対して反発し、六回目を越えて同じことを言われても、はじめてその要望を受け付けたというように、最初の丁寧さを維持したまま対応した。

ある日を境にして、男は申し立てにこなくなった。何らかの事情があったのか、充分涼しくなったということなのかわからない。望月のなかでバランスがすこしずつ崩れ始めた。冬はすぐそこまできていた。


兄弟の修行は順調に進んでいるようで、心なしか賢犬に届くメッセージも威厳に満ちた声に変わっていくように感じられた。

「お主には礼を言わねばなるまい」「ほんにそうじゃ」

賢犬は御礼の品を期待したが、どうやらそういった具体的な形象はとらないようだ。

投げやりに、礼には及ばないですよと言ってみたら、「見上げた心がけじゃのう」と返ってきた。とうとうこちらからもメッセージを送れるようになったのかと驚いたが、それは違っていて、どうやら兄弟のほうで人語を解するようになったらしい。すぐさま賢犬はお役御免ということになった。具体的にはそれ以降、ハスキー犬の兄弟からメッセージが届かなくなった。

神の御使いは自身の御使いとなった人間についてはあまり敬意を示さないようだ。犬のよくないところが出ていると賢犬は思った。そのとき、二匹揃って賢犬のほうを振り返って見てきたので、彼は罪人のようについ目を背けてしまった。その後賢犬は通わさせられていた神社に行かなかったし、ハスキー兄弟にも、よくあるパターンの経営者の某にも二度と会うことはなかった。

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