君によく似たあの花は、あの日の君と、今の僕

 あれからどれぐらい走ったのか分からない。

 出店や提灯の灯りは段々と薄くなって、地面に生えている雑草も多くなってきた。

 顔を涙や鼻水で濡らしていて、現在の居場所すら認識出来ていない。

 それでも、走り続けた。

 やがて疲れ果て立ち止まると、見覚えのある場所に辿り着く。

 「…ここ、は」

 無意識のうちに、辿り着いてしまった。

 ここは俺の思い出の場所。

 俺の想いが始まった、あの思い出の場所。

 今も昔も、そこから見える景色には、俺の心を奪い取れる程力強くて、大きな花が咲いていた。

 そして、俺は思い出す。

 【あの頃】だ。

 俺の中で、理恵が絶対的な強さの象徴になったのは。

 そして、その頃からでもある。

 俺が、そんな理恵の強さに大きな憧れを持ち始めて、それを目指すようになったのは。

 理恵の優しさに混じった強さに憧れて、理恵に恋して、理恵に夢中になった。

 だから、高校に上がるまでは、ずっとその強さを、純粋に追い求めていた。

 誰にでも優しくて、誰にでも信頼されて、誰にでも好かれるようになれば、理恵に追い付くと思っていた。

 …でも、一度知ってしまった本物に比べれば、俺なんかがどれだけ努力しても、追い付くのは無理だと知った。

 だから、高校入学と共に空手部に入部し、無茶して今度は肉体的な強さを求めた…。

 望み薄だったが、それでもだ…。

 でも、もがいて立ち止まっていた隙に、その憧れの存在は遠くへ行ってしまった。

 「…は、はは」

 そうやって冷静になって考え直していたら、ある一つの事に気付いしてまった。

 「なんだよ…」

 確かにあの頃見た理恵に憧れたのも事実だ。

 あの頃知った強さを本気で追い求めたのも事実だ。

 理恵に、恋したのも事実だ。

 「は、ははは…あはははは!!」

 俺は馬鹿馬鹿しくなって、雑草の上に思い切り倒れ込んで笑い転げた。

 本当に、簡単な事に気付いた。

 なんだ、俺、ただ怖かっただけなんだ。

 自分の気持ちをぶつけるのが。

 拒絶されるかもしれない覚悟を背負うのが。

 「結局、全部俺のせいじゃねぇか、馬鹿野郎だな…はは、馬鹿野郎が…」

 今も俺の中には、憧れて、恋して、求めた人が確かに存在している。

 でも、その気持ちが通じ合う事は、もうない。

 そんな簡単な事を知るのに時間は掛かったが、やっと自分の運命の結末を理解する事が出来た。

 …辛い、痛い、悲しいよ。

 でも、大丈夫だ。

 理恵が、教えてくれた物がある。

 俺は、理恵の小さくて、とても力強い優しさを知り、憧れて目指していたからこそ、この痛みにも耐えられるんだ。

 その力強さが、反動のように俺に大きな傷跡を残していたとしても。

 俺は、いつか乗り越えられるさ。

 だから、だからこそ。

 今だけ…今だけだから、さ。

 「自分に正直になっても…良いよな?なぁ…理恵…」

 俺は、この思い出の場所で、大きな声を出してわんわん泣いた。

 まるで、子供の頃に戻ったように泣いた。

 いや、俺はいつだって子供だったんだ。

 あの頃から何も変わっていない。

 ただ、憧れていただけ。

 だから、この涙がいつか枯れて、枯れ尽くすまで泣くことができたら。

 俺は一歩踏み出さなければならないんだろう。

 もう、子供だからって立ち止まってられない。

 …じゃないと理恵が、安心できないんだろ?

 保健室のあいつの顔、見ただろ。

 あの男といる時のあいつの幸せそうな顔、見ただろ。

 俺は踏み出さないと…いけないんだろ?

 ……辛いよ、辛すぎるよ。

 無理だよ…。

 耐えられるわけないんだよ…。

 その苦しみを耐えられるだけの強さは、俺には無いんだ。

 今まで、俺の強さは、俺の一番大切な人が持っていてくれたから。

 その大切な人がいなくなってしまったら。

 「俺なんか、ただの弱虫で、ドジで、ちっぽけな存在でしか無いんだよ!」

 流れ出す大きな水滴は、止まるところを知らずにどんどん勢いを増していく。 

 俺は、俺は…


 ガサゴソ


 「っ!」

 誰か来てしまったようだ。

 何故だ。

 ここは、俺と理恵しか知らないはずなの…に。

 その瞬間、打ち上がっていたはずの花火の音はまったく聞こえなくなった。

 だって、そこには、俺の一番大切な人が立っていた。

 俺にとって一番だった、絶対に離したく無かった一番の宝物だったのに、掌の中に握られたままだと信じきり、離してしまっていた事にも気付けなかった、大切な人。

 俺は、理恵に顔を見られたくなくて慌てて隠そうとした。

 でも、理恵のその瞳は、俺の視線を掴んで離そうとしない。

 ……なんで?

 なんで、お前までそんな顔してるんだ…?

 鏡を見なくても分かる、理恵は、俺と同じ顔をしていた。

 なんでだよ、お前は、俺じゃないあいつと幸せになるはずなんだろ…?

 あいつと一緒にいるお前は、とても楽しそうで幸せそうだったじゃないか。

 お前が居るべき場所は、ここなんかじゃ無いだろ。あっちのキラキラした場所へ帰れよ!

 それに、そんな顔をしてるなら、なんで俺から目を離さないんだ?なんで俺の目をそんなに強く押さえ付けられるんだ?

 なぜ?どうして?どうやって?

 考えていたら、また大粒の水滴がぽつりと、地面に流れ落ちた。

 でも、さっきまでとは違い、その粒が頬を伝い水滴となる瞬間まで捉える事が出来た。

 …だって、涙を流したのは俺じゃ無いから。

 「先輩、元彼女と…いや、今頃はもう普通に彼女かな?あの人とより戻すんだって」

 理恵は、笑っていた。

 「元々、喧嘩してその成り行きで別れるって言い付けられただけで、お互いに未練タラタラだったみたい。まぁ、それも知ってたんだけどね?だって、そんな先輩に、私と一度付き合ったフリして、それで彼女さんに仕返ししたら良いじゃないですかって、無理矢理迫ったんだもん。分かってた状態で申し込んだんだからしょうがないよね?元から叶わない恋だったんだもんね?だって、夏祭りでその彼女さんと遭遇しちゃった時、二人の目が、完全にそういう目だったんだもん」

 ……そうか。

 そういう事だったのか。

 「だから、まぁ仕方ないかなーって感じ。ははっ、本当に笑えてくる」

 そうだ。

 理恵の瞳には、その表情には、俺が世界で一番憧れて、世界で一番大切な、世界で一番恋してたもの全てが詰まっていた。

 …俺には無い強さ。

 理恵はある程度話し終えると、そのまま俺の横にそっと腰掛ける。

 だから、俺も座り直した。

 やがて、蝉やコオロギの鳴き声が飽和するようになった頃。

 「花火も、夏祭りも、もう終わりかな」

 少し長い一瞬を過ぎた頃、俺は口を開けた。

 「ううん」

 理恵は顔を左右に振る。

 「この花火は、ここからが本番なんだよ」

 「え」

 「それを見るために、私はここに来たんだから」

 理恵は、あの頃のように、指を刺して俺に教えてくれた。

 「あそこ見てて」

 その光を認識した瞬間、この町一帯が、まるで昼間に戻ったんじゃないかと錯覚した。

 直後、鼓膜を揺らす大きな破裂音がこだまし、興奮に包まれた大きな歓声が、遠くから聞こえてくる。

 どうやら、祭りを主催した人たちは、最後の最後に粋な事をしでかしてやろうと、この祭りを締めくくる一番の花火を打ち上げたようだ。

 …そんな事されたら、この祭りを見に来た人たち全員、その衝撃を忘れないまま、ずっと余韻から覚めてくれないぞ。

 「蓮…」

 名を呼ばれ、俺は理恵の瞳を覗き込む。

 今度の理恵は、決して強い少女なんかじゃ無かった。

 既に、その大きな目は腫らしていたはずなのに。

 「うああああああ!」

 ……やっぱり、お前も一緒なんだよな。

 理恵は、確かに強い子だった。

 俺が初めて触れて、初めて知って、初めて味わって、初めて本気で憧れた、本物の強さを持った唯一の女の子だった。

 でも、例え理恵がどれだけ強くても、弱っちい泣き虫な一人の男の子を、ずっと虜にさせる力を持っていたとしても、全てを乗り越える力を、たった一人で持ってるわけじゃ無いんだ。

 理恵が味わった苦しみが、そして、その苦しみを必死に押し殺していた苦しみが、この華奢な身体に更にどれだけ強い苦しみを与え続けたのか、俺のような本当の意味で弱い奴には分からない。

 理恵は精一杯の力で、俺の服に顔を押し付けて嗚咽している。

 この状況で俺は、今までの自分を振り返っていた。そして、その不甲斐無い過去を導火線として、心の中で燻り出している新たな感情と、火薬を見つけ出す。

 何かを乗り越える強さなんて要らない。

 何かを諦める強さなんて要らない。

 …でも、これだけは。

 これだけは、どうかお願いします。

 大切な一人の女の子を、そっと抱き締めてあげるだけの、それだけの強さを。

 今の僕にください。

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花火 くまいぬ @IeinuLove

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