厄落とし

満天星

第1話

 「ねぇ~、聞いてよれん! カレシに浮気されてるかもしんないんだけど!!」

 ホームルーム前のざわざわとした雰囲気の中で、友人の青木あおきミホがまくしたてる。短い髪をかきみだし、明るくさっぱりとした性格の彼女に似つかわしくない表情で。

「……つきあいはじめてまだ半年くらいなのに、もう浮気とか、最低では?」

 恋の感想に、ミホは我が意を得たりといわんばかりに何度もこくこくと激しく頷いた。

「でしょっ?! なんかね、たまにだけどカレシのじゃない香水の匂いとかするし。あと、アタシとのデートの時に一回他の女の名前呼んだし。」

 ……それはもう、疑惑ではなく確定では。

「別れなさい。」

 恋の忠告にしかし、ミホは顔を曇らせた。

「それがさー、浮気の証拠とかあるわけじゃないし、難しくって。むこうは別れる気がないっていうし。」

 それはまた面倒な。

「なら、証拠でも探す? 私も手伝おうか?」

 他に方法もないだろうと恋が問えば、ちょっと困ったようにミホが両手をふる。

「いやいや、悪いよそんなの。恋だって忙しいんだし。……あーもう! 決めた! こうなったら縁切り様にお願いしてやる!!」


 縁切り様? と聞き覚えのない単語に恋が説明を求めるより先に、頭上から陽気な声が降ってきた。

「なになに~、ミホちゃんカレシと別れるの? じゃ今度は俺とつきあわない?」

りんくんか~、恋が義理の妹になるのはお得だけど、臨くんはちょっと。」

 整った甘い顔立ちをした茶髪のこの男は狩谷かりや臨。ーー恋の双子の兄であり、残念ながら恋のクラスメイトでもある。……本当に残念ながら。

「えぇ?! 何で?!」


「それは臨くん、君がいっつもテスト赤点だからじゃないですか?」

 からかいまじりに返事をしたのはミホではなく、この二年三組担任の朝比奈あさひな弥生やよい先生だ。

 二十代後半、おっとりとした美人である朝比奈先生は生徒からも人気で、親しみをこめて弥生先生と呼ばれている。

「えー、弥生先生が二人っきりで優しく教えてくれたら点数上がる気がする~。」

 ……たまにこういうことをのたまう生徒が湧くから、朝比奈先生も大変だろう。

 朝比奈先生を困らせるんじゃない、という意味をこめて恋は臨の肩に手をおいた。

「臨がそんなに勉強したいとは思わなかった。じゃあ今日からたっっっぷり、勉強しようか?」

「えっ! 恋はお呼びじゃないっていうか、俺は美人なお姉さんにつきっきりでいろいろ教えてほしいというか……痛い! 痛いって恋! 爪! 爪食い込ませるのやめて!!」

 ぎゃあぎゃあわめく臨のようすににこにこと微笑みながら朝比奈先生は手をたたく。

「ふふっ、二人は今日も仲良しさんですね~。さて、皆さん、今日のホームルームを始めますよ~。」

 

「それと皆さん急ですが、一限の数学は自習です。担当の水無月みなづき先生が来られなくなったみたいでして……。」

 ホームルームの最後に朝比奈先生が告げた言葉に、教室が喜びの声で沸くなかで、何故か臨は黙りこむ。

「……臨? 具合でも悪い?」

 苦手な数学が自習になった時は前にもあったが、その度に飛びはねて喜び、歓喜の舞を踊り出すあの臨がおとなしいのである。

 思わず恋が体調を心配するのも無理はない。

「どした? 臨。お前数学も水無月センセーも苦手だったじゃん? 嬉しくないの?」

 ようすがおかしいことに気づいた臨の友人が机の前まで行って覗きこむと、臨は血の気を失った顔を勢いよくあげた。

「……臨? お前、ホントに大丈夫か? 顔色すっげー悪いぞ? おまけに震えてるし。ちょっと保健室行くか?」

 心配してくれている友人の声も耳に入らないのか、どこか一点をうつろなまなざしで見つめた臨は、震える唇をゆっくりと開いた。


「水無月先生だ……! 水無月先生だったんだよ、俺が見たのは!!」

 血の気を失った青い顔の中で、ぎらぎらと臨の目だけが光る。

「おい、臨。お前何言って、」

 戸惑う友人の言葉を遮って、臨は叫んだ。

「俺が昨夜見たのは、やっぱり本物の死体だった……! あれは、水無月先生だったんだ!!」


 ーー当然ながら臨の叫びに教室は大混乱した。それはそうだ、もし臨の主張が真実なら彼らにとってもそれはあまりにも衝撃的なのだから。

「り、臨くん、それ、どこで見たの?」

 こわごわといったようすで、問いかけてくる女子生徒に臨は短く告げる。

「川。川のなかを流れてた。」

 臨の説明に反応したのは男子生徒の1人だ。

「あっ……! なんか、今日の新聞にそんなのあった気がする。でもあれ、死体じゃなくてでっかい人形じゃなかったか?」

 彼の質問がきっかけになったのか、数人のクラスメイトが口々にその記事の内容をあげはじめる。

「たしか川に、でっかい桟俵さんだわらに乗せられたマネキンが流されてたんだっけ? うちのじいちゃんが怒ってた。最近の若いもんはけしからん! って。流したのが何歳かもわかってないのに。」

 とはいえ、あまりお年を召していれば重い人形を川まで運べないだろう。

「うちもうちも。ばあちゃんなんか、神聖な川になんてことするんだ~! って怒りまくってたよ。たしかあの川、何かの祭りに使うんだっけ?」

 このあたりを流れている大きな川は一本だけ。この近辺の地域で、ひな祭りの時に使われる重要な川だ。

 クラスメイトの家の祖母が怒るのも無理はない。

「あれ? あれってただのいたずらじゃなかったの? 重すぎて人形が川原に流れ着いちゃったんでしょ?」

「っていうか、死体? 臨くんの話だと、死体が人形に替わったってこと? えっ、なにそれ??」

 最後の1人が口にした疑問に、ぎゅっと唇を噛みしめた臨は首を横にふる。


「よくわかんないけど、俺が見たのは水無月先生をのせた桟俵? が川を流れてるところだった。」

 アルバイトの帰り道で臨はその光景に遭遇したらしい。

 臨も最初は目を疑い、次にあれは人形ではないかと希望をいだいた、が。

「明らかに人形からはないもん出てたし。」

 月明かりとわずかな街灯の光だけでも、べったりと衣服に付着している血液が見えてしまったために、慌てて警察に通報したのだ。

「で、俺が見たとこからは更に流れていって、先のほうで川原にうち上がってたらしいんだけど、死体じゃなくてマネキンだったって警察の人にいわれて。」

 ならば暗かったし自分の見間違いなのだろうとーー半ば、そうであってほしいと願望をいだいて、臨は納得した。

 家族にも、ただのいたずらならわざわざ教えて怖がらせたくなかったのであえて言わなかった。

「でも暗かったから顔はそんなに見えなかったし、どっかで見た気がするな~、くらいに思ってたんだけど。」

 ーー今日、水無月先生の名前を聞いて思い出した。

「あの顔、水無月先生だったんだよ……。」

 力なく机に突っ伏して臨は呻いた。


       

        * *

 

       

「とはいえ、ほんとーにそうだっていう証拠もないんだし! いざ! 水無月先生のお家へ突撃するぞ、おー!」

 放課後。

 クラスメイトたちに昨夜の出来事を聞いてもらって少しだけ落ち着いた臨は、とにかく水無月先生の安否を確認しようと水無月邸へむかっていた。

「もしかしたら家にいるかもしんないし!」

 そう、もしかしたら急病になって家で寝ているとかあるかもしれないし。

「あんまり期待しないほうがいいと思う。」

 なぜかついてきた恋をちらりの見て、臨は肩をすくめる。

「っていうか、恋は帰ってもいいよ? 水無月先生のこと、苦手だっただろ? 俺と違う意味で。」

 水無月先生は……年頃は三十代前半の、それなりにイケメンと呼ばれる顔立ちをした数学教師だ。女子からの人気もあった。

 ……が、恋にはねっとりとした視線をーーそして臨にはじっとりとした視線をむけてくるので兄妹揃って苦手にしていた。

「臨を1人で行かせるほうが心配だから。」

 そんな会話をしているうちに、すぐ水無月邸へ着いてしまった。着いてしまったのだ。

「あら、お客様? どちら様かしら?」

 明るくオシャレな印象の家から出てきたのは五十代後半くらいの華やかな女性だ。

「え、えぇーっと、その、」

 勢いよく水無月邸へ突撃したはいいものの、何と言って挨拶すればいいのかわからなかった臨は、すぐ恋に助けを求めた。

「恋~! どうしよう、こんな時なんて言えばいいんだっけ??」

 驚いたように目を大きく見開く女性の前に、ため息を軽くついた恋が進み出る。

「はぁ……。やっぱり1人で行かせないでよかった。初めまして。私たち水無月先生の話を聞いて心配になってしまって……。」

 どんなに話を聞いたかは明言せずに、恋はそっと手に下げた紙袋を手渡す。受け取った女性は中身を見て嬉しそうに微笑んだ。

「あら! これ、亀甲屋の最中じゃない? わざわざ息子の好物を持ってきてくださるなんて嬉しいわぁ。あの子もこんなに生徒さんから慕ってもらえてるんだから、早く帰ってくればいいのにねぇ。ごめんなさいね、ご心配かけて。」

 水無月邸へむかう途中で恋が買っていた手土産だ。

「恋、水無月先生の好物なんて知ってたんだ?」

 臨の問いに対し、逆に恋のほうが不思議そうに首をかしげる。

「自己紹介の時に言ってたでしょ?」

「いや、ふつうその一回で覚えれないんだって。やっぱり恋って頭いいよね~。」

 そんな下らない会話をしている二人に、何を思ったのか水無月先生の母はぽんと手のひらを叩く。

「あ、そうだわ。ちょっと待っててね?」

 一旦家に戻った水無月先生の母は、数分で何かのノートを持って戻ってきた。

「よかったら、これ。あの子の日記帳みたいなんだけど、今どこにいるかの手がかりになるかもしれないし、持っていってちょうだい。」

 にっこりと笑みを浮かべる水無月先生の母に、戸惑うように恋が首をかしげる。

「いいんですか? 水無月先生のお母様がお読みになられたほうがよろしいのでは?」

 しかし水無月先生の母はちっとも気にしたふうもなく、ひらひらと手をふる。

「やあね、息子の日記を親が勝手に見るのはダメだけど、生徒さんが見るならあの子も怒れないでしょう?」

「……では、お借りしますね。ありがとうございます。」

 ペコリときれいにお辞儀する恋の横で、慌てて臨も頭を下げる。

「あの! ありがとうございました!!」

 いいのよ、と笑って水無月先生の母はそのまま出掛けていった。


「さてと、じゃあさっそく読んでみない?」

 ウキウキとした気分で近くの公園に向かいーーそこのベンチで日記を開いた臨は、すぐに後悔することになる。


「ん? これ、日記じゃなくて生徒の記録だ……しかも今年のやつ。水無月先生、毎年こんなのつくってたのか。」

 臨のことを会うたびに睨み付けてくるし、わざと難しい問題ばかり当ててくるし、臨にとっては割といやな先生だったので驚いた。

「あっ、うちのクラスもある! 二年三組……えっと、」

 ついつい自分たちのクラスを探してしまうのは仕方あるまい。

「あ、あいうえお順だからミホちゃんからか……なになに~、」

「ミホのことが書いてあるの?」

 ミホの名前に反応し、日記を覗き込もうとしてくる恋に、慌てて臨は日記を閉じた。

「見ちゃダメ~!!」

 なぜなら、そこには。

 名前、住所、家族構成、趣味、身長、体重、スリーサイズなどありとあらゆる個人情報が記載されていてーー備考には一言。

『顔は並み、だが身体は満点』

 ーーという最低なセリフが書かれていた。


(きっっも!!)

 何様だよお前。まさかここに書かれている生徒全員にこんな一言がついていないだろうな、怖すぎる。

(って俺と恋のは?!)

 気になる。が、今はダメだ。恋にまで読まれてしまう。

「恋~、喉渇いた~。自販機でジュース何か買ってきて~!」

 大して喉は渇いていないが二人分のジュース代を渡し、恋に買いに行ってきてもらう。

「何が飲みたいの?」

「あっついお茶!」

 思いがけず、冷えきってしまった心を温めたい。

(と、まあ今のうちに読むか!)

 名簿の中から自分たちの名前を見つけた臨は手早く流し読みした。早くしないと恋が帰ってくるので。

『狩谷 恋: 人形みたいな和風美人。スタイル抜群。俺の理想そのまんま。』

 ……続きにある気持ち悪い妄想は見なかったことにした。吐きそう。

『狩谷 臨: 恋の双子の兄。女にももてて恋にお世話される毎日……呪う。』

 更に続く呪詛じゅそも見なかったことにした。

「俺、もう水無月先生キライ……。」

 臨の中で、水無月先生は苦手な人物から更にランクダウンした。

 顔を手で覆って上向いた臨の額に、ポツリと雨粒が落ちてきた。

「うわ、雨とか最悪……ついてないなぁ。」

 ペットボトル入りの緑茶を2本買って帰ってきた恋がこちらを見て問う。

「通り雨みたいだし、どこかで雨宿りでもする?」

 恋の質問に、臨はアゴに手をやって少し考え込んだが、すぐに頷いた。

「あー、たしか来る時に神社見なかった? あそこで雨宿りさせてもらおうよ。」




 臨も恋も神社にたどりつくころにはすっかり雨に濡れてしまっていた。

「ここって何の神社なんだろ? 雨宿りさせてもらうんだし、お参りしてく?」

 まだ雨は止みそうにないし、せっかくだからと臨は境内へ進んでいく。

 その途中でふと、絵馬掛け場にずらりと並んだ絵馬が目に入った。

(こういうの勝手に見るのはよくないけど……ここって何の神様なんだろ?)

 絵馬を見ればわかるかと何の気なしに眺めた臨の目に飛び込んだのは、文字の攻撃。

『◯◯が死にますように。死にますように。』

『✕✕と縁を切りたい。二度と会えない遠くへ✕✕が行きますように。』

『◯✕が恋人と別れますように。』

 ぞくり、と臨の背中があわ立った。これ以上は読むべきではないと理性が止めるがーー目をそらすよりも先に、それは存在を主張していた。

『水無月 修一しゅういちが死にますように。』

 修一というのは水無月先生の下の名前だ。つまり、水無月はこの絵馬で呪われた? だから死体になって川を流れていたのか?

 気持ち悪さに耐えかねて、臨は前も見ずに走り出す。鬱蒼と茂る鎮守の森へむけて。

「じゃあ、あれはやっぱり水無月先生で……マネキンじゃなくて本物の死体だった?」 

 推測を口にした瞬間、臨の首筋にチリっとした痛みが走り、一瞬で目の前が暗くなった。



       *   *



「臨? 1人でどこに行ったの?」

 境内までは一緒にいたのに、気がつけば臨はどこかへ行ってしまったらしい。

 臨を探そうと辺りを見回した恋に、声がかかった。

「娘。こんなところに1人でどうした?」

 偉そうな口調に、低く落ち着いた声。絶対に、臨のものではない。

 わかってはいるが少しだけ期待して振り向いた恋は目を何度もまばたいた。


「なんでこんなところに侍がいるの……?」


 ーーなにせ、恋が振り向いた先にいたのは時代劇に出てくる侍そのものだったので。

「ん? 何だその珍妙な格好は。もしや貴様、異国の者か?」

「……しかも言ってることが思い切りお約束だわ。」

 主人公がタイムスリップする物語などでお決まりのセリフを自分が聞くとは恋も思わなかった。しかも、現代日本で。

 気を取り直して恋は侍と向き直る。

「ここには1人で来たわけではないので。兄と来ていますから、安心してください。」

 面倒だったのでこう言えば相手が引き下がるだろうと臨の存在を口にすると、侍はちらりと周囲を見回した。

「ふむ。見た限り誰もおらんが……つまり貴様、迷子か。やむを得ん、兄を探すのを手伝ってやろう。」

 頼んでない。そう反論しかけたところで恋のスマートフォンが鳴った。

「臨?! 今どこに、」

「おい娘、何だその面妖な箱は?!」

 近くで侍が何か騒がしいが気にしない。それより臨に今どこにいるのかを聞こうとしてーー電話の向こうから聞こえてきた声に、恋はうなだれた。

「申し訳ありません。狩谷 臨さんではないんです。……狩谷 恋さんでよろしかったですか?」

 穏やかな、耳に心地よい声。臨のものではない。

「はい。……何がご用でしょうか。」

 しょんぼりした声音の恋に、しかし向こうから聞こえる声は穏やかなまま、


「落ち着いて、聞いてくださいね。ご友人の青木 ミホさんが行方不明になりました。川原にミホさんの靴が片方落ちていましたので、我々は川に落ちたものと見ています。」


 恋を更なる地獄へ突き落とした。

「川に……って、ミホは、」

 どうなったんですかと聞こうとして、恋は口ごもる。さっき行方不明だと言われたばかりだ。

「我々、警察としては事件と自殺の両方で考えています。ーーなにせ彼女が、水無月 修一を殺害した可能性が非常に高いので。」

「待って下さい。水無月先生は殺されたんですか? 川に流れていたのはマネキンだったのでは?」

 それなのにいつ、水無月先生の死亡が確定したのだろう。おまけにミホが容疑者とは。

(あっ……、ミホの言ってたカレシって、まさか水無月先生だったの?)

 それなら疑われるのも、納得できないが理解はできる。

「水無月 修一の遺体の一部が海岸に引っ掛かっていたので死亡は確実です。青木 ミホはあなたもご存じの通り水無月と恋人関係にありました、が。」

 長いため息をついて、警察官は続ける。

「どうやら水無月は複数の女性と恋人関係になっていまして。浮気に気づいた青木が別れを切り出すと写真やら動画やらで青木を脅して別れさせなかったようです。」

 生徒と教師が恋人だったなんて知られれば、水無月だけでなくミホもまわりから白い目で見られるぞとでも脅したのか。卑劣だ。

「どうにもならなくなった青木が水無月を殺害して自由を手に入れようとしたのではと、我々としては考えていまして。」

 それなのに、ミホも川に入って行方不明になったと。

「いえ、ミホは泳げたと思います。自殺なら、もっと違う方法を選びませんか?」

「では、青木 ミホも何者かに殺害されたと? ですが青木に恨みを抱きそうなのは水無月の母親と一部の恋人くらいですが、全員にアリバイがあるんです。」

 他に、恨みをもってミホを害しそうな人間がいないのだ。だから自殺だと考えていたのだろう。

「……狩谷 臨さんと連絡がとれないというのも気になりますし、青木 ミホの関係者であるあなたも狙われるかもしれないので、充分気をつけて下さい。」

 通話は終わったが、恋はむしろそのせいで思考の渦に巻き込まれている。

 気になるのは、川だ。なぜ、水無月もミホは川に遺体を流されたのか。

「発見されるリスクも高いのに、どうして、わざわざ川に遺体を?」

 臨に目撃されたように、暗い時間に流したところで見つからないわけではない。それなのに、なぜ。

「あの川に何か意味があるの? それとも川に流すという行為そのものに?」

 遺体を隠したいなら、他にも方法がいくらでもあるはず。むしろ隠す気があるのかというくらいの処理方法だ。

「おい、娘。何をそんなに考える必要がある? 川といえばみそぎだろうに。」


 禊。桟俵にのせられた遺体。毎年ひな祭りの時期になると近くで行われている祭り。


「……つまり、これは禊?」

 厄を落とし、穢れを落とし、すべての災いを形代に移してーー桟俵にのせた形代を川に流す。

 ここで言う形代は水無月であり、ミホだ。

「誰が、何のためにこんなこと、」

 思い浮かんだのは、ミホの言葉。

『あーもう! 決めた! こうなったら縁切り様にお願いしてやる!!』

 絵馬に書かれた内容は、どれも縁を切ってほしいと願うものばかり。

 ーーつまり、ここは。


「縁切り様……、ね。」


 ミホの言っていた、【縁切り様】なのだろう。

 納得した恋はすたすたと歩きだす。拝殿へむかって。

「おい、娘。兄を探すんだろう? どこへ行く気だ?」

 置いていったのにも関わらず、恋より背が高い侍はあっと言うまに恋に追いついてしまう。

「拝殿。ここの神社の神様に、臨を返してもらうの。」

 恋の言い分に侍は首をかしげた。

「神様? ここは神職がいない廃神社だから神様もいないと思うぞ? 手入れもされていなかったし。」

 見ただけでそんなことがわかるものだろうか。

「だから、もしいるとすればそれは偽物だな。」

 挑発するような侍の発言に、拝殿の扉が勢いよく開かれる。


「ーー言ってくれるな、人斬り風情が。」




 中から出てきたその人物に、恋は目を伏せた。

「朝比奈先生……。」

 赤い生地に金銀で豪華な柄の描かれた豪奢な着物を身にまとい、頭に金の冠をかぶった姿はとてもふだんの朝比奈 弥生とは似ても似つかない。

 朱色の鮮やかな口紅を塗った唇は、恋にではなく侍にむけてのみ開かれる。

岡田おかだ 以蔵いぞう。貴様のごとき人斬りをこの世に招いてやったは、神たるこの我ぞ?」

 美人が台無しな形相で喚く朝比奈に対し、小馬鹿にしたように侍は嗤う。

「はっ、頼んでなどおらぬわ。大方、己の悪事の片棒を担がせようという腹積もりだろうが。」

 この言い分が気に入らなかったのか、朝比奈は柳眉を潜めてこちらを睨み付ける。

「悪事! 悪事だと?! 我は正しいことをしている!! これは、日ノ本の穢れを禊ぐためぞ?!」

 ぎゅっと朝比奈が握りしめたロープの先にいたのは、縛られた臨だ。

「臨! 大丈夫?」

 駆け寄ろうとして、恋は侍に肩を押さえられた。

「待て、娘。落ち着け、今行けばあの鬼女に捕まるだけだぞ。」

「誰が、鬼女だと?! 我は神だ!! 祀るものもなく、打ち捨てられたこの神社で、人の子の願いどおりに縁を切ってやったではないか!!」

 いや、やり方の問題ですと言おうとして、恋は気づく。

「願い通りと? つまり、臨やミホの死を誰かが願ったんですね?」

 珍しく、朝比奈が恋の声に反応した。こちらをふりむき、偉そうに頷いている。

「死ねと言わずとも同じこと。縁を切るとはそういうことだ。本人たちも、わかっていて願ったのだろう? ならば、その遺骸いがいをこの国のための禊に使ったところで何の問題がある?」

 いやそこまで望んでない人もいるのでは。

「それにのう、この国は穢れを溜めすぎた。溜まった罪と穢れは日ノ本に災いを招くゆえ、形代に乗せて川へ流さねば。人斬りや、そなたにならわかるであろう? 日ノ本のためにと刀をとった、そなたになら。」

 なるほど、と恋は理解した。それからちらりと臨へ視線をやる。

「つまり朝比奈先生にとっては、人々が願った悪縁を切ることではなく、国が背負った穢れを誰かにおしつけて清めることが重要なんですね? それはもう神ではなく、為政者か何かなのでは?」

 わざと挑発し、朝比奈がこちらを睨み付けた瞬間に、恋はペットボトルの中に入っていた緑茶をその目にむけてかけた。

「なっ、……っ! 小娘、我に何を?! この罰当たりめ!!」

 ぎゅっと目を閉じ、顔を庇う朝比奈の手から、ロープを握る力が弱まる。その隙を見逃さす、朝比奈からロープを奪った臨がこちらに駆け寄ってきた。

「おのれえぇえ!!」

 怒りに髪を振り乱しながら走ってくる朝比奈を、侍の刀が一閃した。



        *    *



 殺してしまった。


 今から五年前、はじめて人を殺した時、弥生の頭に浮かんだのはそんなひどくわかりきった現実だった。


『もー、ほんと最悪。うちの父親さぁ、勝手にあたしの名前使って借金したんだよ!?』

 きっかけは、弥生がはじめて担当したクラスの女子生徒からそう相談されたことだった。


 彼女の父親はギャンブル依存症で、ギャンブルにつぎこむためにいつだって食費はギリギリ。高校生になってようやくアルバイトできるようになった女子生徒の稼ぎさえも、父親に取り上げられてしまっていた。

 そしてとうとう、女子生徒は勝手に父親の借金まで背負わされることになったのだ。

 

 話を聞いた弥生が、女子生徒のためにその父親と話し合おうと思ったのも無理はない。

 けれど、残念ながら女子生徒の父親は話のまったく通じない人間だった。


『はあ? たかだか高校の教師が、家庭の問題に口を挟むのか?』

 ギャンブルに大負けして気がたっていた女子生徒の父親は、手にしていた酒瓶を威嚇いかくのように振り回した。

『危ないですから、やめてください!』

 悲鳴をあげた弥生は、女子生徒の父親ともみあいなりーー気がついた時には、女子生徒の父親の息はなかった。


 とりあえず女子生徒の父親を車にのせたものの、これからどうしようと悩んでいた弥生の目に飛び込んだのは、あの廃神社だった。

『こんなところに神社があったのね……。』

 祀るものもなく打ち捨てられた、寂れた神社の境内に、ぽつんとひとつだけ絵馬がかけられている。


 ーーそこにかかっていたのは、父親の死を願う女子生徒の絵馬だった。


 それを見たとき、弥生は理解した。自分は間違ってなどいない、正しいことをしたのだと。

 女子生徒の願いを叶えた自分こそが、彼女を救った神なのだと。


 やがて縁切り神社のうわさが口伝てに広がり、弥生に救いを求める人が増えてきた。

 そんな彼らの姿に気をよくした弥生は、しかし自分の行いで感謝されているのが、自分ではなく、この廃神社の神なのだということが気に入らなかった。

『本当の神が誰なのか、世に示そうではないか……!』

 神社の神として振る舞う時、弥生は別人を演じていた。……いや、弥生の中ではふだん高校の教師をしている自分が演技で、本物の自分はこの神社の神なのだと思っていた。

 そして弥生は決めた。

 神さえも覆せない運命を変えること、時間を操ること。この二つを同時に成し遂げて、自分がどれほどすごい神なのか証明してやろうと。

 対象に、かの有名な人斬りを選んだのは知名度もあったものの、何より人斬りの行動に自分の行いと重なる部分があったためだ。

『偉大なる我の神使にしてやろう!』

 それなのに、なぜか助けてやったはずの人斬りに斬られるとはーー皮肉なものだ。


 迫り来る白刃に、弥生の脳裏をそんな思いがよぎった。




       *   *

 


 その後。朝比奈は警察へ連れていかれ、病院で診察を受けた臨はすっかり元気になって帰ってきた。


「も~、朝比奈先生ってばそんなに俺のことが好きだったんなら、何も誘拐しなくてもフツーに告白してくれればよかったのにな~。ね、恋もそう思うでしょ?」

 なぜか、あの事件のことは臨のなかでそういう認識になっている。

 いわく、モテすぎて困っちゃう俺、ついに誘拐までされちゃった、とのこと。

「あの鬼女に惚れられるのは勘弁してほしいところだな。そして貴様らはいつまでここに通うつもりだ?」


 臨の問いに返事をしたのは、あの日神社で恋たちを助けた侍だ。

 今回のように廃神社に住み着いて悪さする者が出ないように、ここに住むらしい。

 ……そして、朝比奈の代わりに縁切り絵馬の管理もしている。

「え? 毎日だけど。カミサマも退屈でしょー、誰も来ないとさ。」

「誰かしらは来る!」

 ちなみにこの侍、朝比奈とは違って、平和的に縁切りさせているらしい。

「娘。何とかしろ。貴様の兄だろう?」

 湯呑みに入った温かい緑茶を飲みながら、侍はじとりとした視線を恋にむける。

「あ、助けていただいた日から臨はカミサマになついてしまいましたので……諦めて下さい。」

「いっそ俺が厄を落としたいわ!」

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