第四話・「無意味に無情に」
命里が美波を連れて行ってすぐ、俺は勇夫さんの押し潰している柱を持ち上げようと力を入れた。
持ち上げようとして理解する。この柱は運よく勇夫さんの下半身を押し潰していないだけで、もう少しズレた位置にいたら、跡形もなく押し潰れていただろう。それほどまでに――重い。まるでこの家自体を持ち上げているような気分だ。
そんな風に思うほどの重量、力を込める為に全身が悲鳴を上げる。
ビクともしない木の柱――でも、それでも全力で持ち上げようとした。
腕が軋み、手の皮が剥けて血が漏れる。食いしばった歯が砕けてしまいそうだ、頭に上る血が血管を破いてしまいそうだ。
でも、諦めることなんてできない。
「うッ――!」
――諦めたくない。
「クソッ」
悪態を吐きながらも必死に力を入れ続ける。
こんな現実許せない。こんな事実は認められない。
こんなにも良い人が、こんなことで死んでいい筈がない。
ただ誰かの幸せを願い――誰かの幸せのために自身を使ってきた人。そんな人の末路がこれではあんまりだ、許せるわけがない。
俺の死力を尽くして救えるなら、手を伸ばして救わなきゃ……俺は意味を果たせない!
「うがッ、ぁああ゙……!」
「叢真くん」
こちらを見上げる勇夫さんが哀しそうな表情をする。
次の瞬間、ズルッと手の皮が大きく向けて柱から手が外れる。俺はその勢いのまま地面に腰を着いた。
クソ、クソ! どうしてッ!
項垂れるように地面を何度も殴る。自分の力の至らなさに怒りが湧く、焦燥に駆られ冷静に思考が回らない。そんな俺を見て勇夫さんが急に喋り出した。
「叢真くん、少し私の話を聞いてくれないかい?」
「……なんですか?」
俯きながら俺はそう聞いた。
周囲は既に火が燃え移り、ここら辺もサウナのように熱気を放っている。時機にこの家にも火が燃え移るだろう。こんな悠長な会話をしている暇なんてない。でも、今は彼の話を聞かなければならないと思った。
「私の息子……美波の父の事だよ」
優しい笑みが向けられる。
「あの子はとっても良い子だったよ。小さい頃から私や文子のいうことは必ず聞いて、私達があの子を叱ることなんて滅多になかったよ。まあ、手が掛からな過ぎて、親の私達はある意味では苦労したけどね」
「なんだか、美波に似ていますね」
「ああ、そうだね。本当に親子でそっくりだよ」
ハハ、と小さく笑った。俺もそんな勇夫さんを見て、思わず微笑を零すが、とても彼のように嬉しそうな表情はできなかった。
「そんなあの子は、私達夫婦の自慢の息子だったよ。優しく正義感の強い子、あの子が悪い道に進むところなんてちっとも思わなかった……きっと、最後のその時まで誰かのために尽くしていたんじゃないかな、ってそう思うんだ」
「…………」
「叢真くん。君はあの子に似ているよ」
「え――」
真剣な表情で思いもよらぬことは言われ、驚いた声を漏らした。
「誰かのために一生懸命になれて、誰かのために泣いてあげられる。少し言い方が悪いかも知れないけど、この際だし言わせてもらうよ。
君は度が過ぎるほどの――〝お人好し〟だ、
見ているこっちが心配になるくらいに自分が軽くて、相手が重く見てる。もう少し自分のことを考えてあげてほしいよ」
突然そう言われて動揺する。しかし、人からその旨の言葉は言われるので、少ししたら動揺も消えた。
……お人好し過ぎる、か。
自覚がないわけじゃない。自分でもどうしてここまで人のために行動するのかはわからない。無意味だと理解している、こんなこと偽善に過ぎないって判ってる。
でも――それでも〝人を助けたい〟って思ったんだ。
だってそれで誰かが救われてくれるなら、その行為はきっと間違いなんかじゃない。
何の価値もない
「ハハハ、やっぱり君は息子に似ているよ」
俺の顔を見た勇夫さんが笑った。
「君に対して説教クサい言葉が出てくるのはきっと、私が君を息子に投影しているんだろうね」
「そんなに……似てるんですか?」
「ああ似ているとも。親子なんじゃないかって思うほどにね」
ニッコリと笑みを見せて彼は言った。
「私が君に送る言葉の全ては、息子に対して言ってあげるべき言葉の全てだったんだと思うよ」
「…………」
「あの日、もっと息子と会話して、もっと言葉を伝えれば良かったんじゃないか。そうすれば美波は父親を失うことはなくて、私達も息子を失うことはなかったんじゃないかってたまに思うんだ」
「そんなことは――」
「うん、私もそう思うよ」
間髪入れずに返答される。
「どんなに言葉を交わしたところで息子の選択は変わらなかったと思うよ。そういう子だってのは私が一番理解してる。人のために生きた子だ――その最後はきっと誰かの為に使った筈だよ」
勇夫さんの表情は後悔を孕んでいながらも、息子のそんな在り方に誇らしげだった。
「だからこそ――今から君に送る言葉は、私の〝
「っ――」
鋭い視線が俺を刺す。
真剣な表情と共に向けられた視線の鋭さにたじろぐ。こんな表情の勇夫さんは見たことがない。固唾を呑んで彼の言葉を待つ。
「生きなさい――
どんな理由だって構わない、何をしたって構わない。
自分自身を生きなさい――」
「――――」
胸を穿つような言葉に絶句する。
その言葉はあんまりにもひどい。あなたが俺を息子に似ているというのなら、その言葉がどれほど受け入れられないものなのか、どれほど答えなければいけない言葉なのか判るはずだ。
だからこそか……。
突きつけられた言葉に俯く。
「わかったら私を置いて行きなさい。時機に火が回る、ここにいては君も死んでしまう」
口調を強くして勇夫さんはそう言った。
表情がきつく叱るような風に見える。でも、自前の人の良さが滲み出ているせいか、あまり怖いという気持ちにはならない。
…………俺、は――
ググッ、と拳を握る。
俺は何のためにここにいる。人を救うためじゃないのか? どうして逃げる選択肢を考える。
どうしてどうして――どうしてッ!
無力感に絶望する。こんな思いは二度としたくないと思ったのに、俺はまた繰り返すのか。
そっと立ち上がる。
その姿を見た勇夫さんが笑顔で言った。
「さ、行きなさい。君の人生はこれからも長いんだ、負い目を感じる必要はない。こんな老いぼれ一人のことなんて、忘れてしまえばいい。君に後ろ向きは似合わないよ」
「――――」
踵を返すように後ろを向いた。
体が重い――でも、進まなければいけない。でなければ彼の思いに報いることができない。
さあ、進め……前へ行くんだ。
前へ……前へ……――
――――、――――
――――、――――
――――、――――
――――、――――
「ふぅ――、
―――――――――嫌だッ!!!」
一歩踏み出したところでそう叫んだ。
「ッ!?」
勇夫さんは驚いた表情で俺を見る。俺はすぐさま振り返り、再び柱を掴んだ。
「何をしてるんだ叢真くん! はやく――」
「黙ってください!」
「っ――」
俺の威圧するような声に否応なしに口を塞ぐ勇夫さん。
「なんで君は――」
か細い声で問い掛けられる。
「死んでほしくないからです」
そんな俺の声に驚愕の表情を見せる。
「俺はただあなたのような人に死んでほしくないんです。あなたが俺や息子さんに生きてほしいと願うように、俺もあなたに生きてほしい」
「――――」
「そこに無意味とか偽善とか関係ない! 俺は助けたい人のために自分を使います、生きてほしい人のために命を張ります!
その上で――絶対に生きます!」
「…………」
これ以上の言葉不要だ。
俺はもう難しく考えるのは止めた。ここからは自分自身が思うままに行動する――ここに俺がいる理由を果たす。
すぐさまカウンタのフィーリングを開始する。
「
既に振ってある数値に上乗せを開始する。
肉体疲労のことは考えない――数値指定に全神経を乗せ、最善を尽くして救う。
「
基礎身体能力の向上。
「
腕力の向上。
熱が全身に巡り、特に両腕に熱が籠っていく。肉体が作り変えられるような感覚――筋肉が隆起する。己の肉体が別のものへ変わる。
沸騰しそうな熱を巡らせ結びを口にする。
「
ガチャリガチャリと自身の中の歯車が組み替えられ――その形を成した。
瞬間、思考がクリアに冷静になる。そして、己が成さなければいけないことに全霊を尽くす。
メシッ、柱を抉るように握り込む。
地面を踏み締め、全身から力を振り絞る。自身の全てを使って命を助ける。
「うッ、あががッ!」
「!」
勇夫さんの表情が驚愕に染まる。
力を込めた俺が柱を持ち上げると、ビクともしなかった木の柱がゆっくりと持ち上がり始める。ゴゴっと家全体が持ち上げられるように揺らぐ。
とても人間の所業とは思えない光景に、勇夫さんは開いた口が閉じられないでいた。
ビシッ――
「あが――ッ゙」
全身に痛みが走る。
当たり前だ、人が家を持ち上げるなんて、無理をしなければできるはずがない。
全身の骨が軋み、筋肉が断裂を開始した。
少しでも気を緩めれば全身がダメになる。
「いっ、勇夫さん!」
「……あ、ああ、わかった!」
呆けている勇夫さんの名を呼ぶ。
下半身の錘を取り払ったことにより、勇夫さんは這いずって逃げることに成功した。その様子を見届けた俺は柱を放してドゴンと家を落した。
力の抜けた俺はその場で尻餅を着いた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……ふ、
組み替えられた歯車が元に戻るように、肉体の構成が元のものに戻る。
「ッあ゙――!」
瞬間、全身に異様な痛みが走った。
風船の時とは比較にならないほどの痛み。今回はそれなりの時間と高めの限数、それに持ち上げた際に筋肉と骨をやった。これは当然の対価と言えるが、流石にキツイ。
あと少しでも続けていたら、俺はこの場から動けなくなっていただろう。
「叢真くん!」
這いずりながら心配そうに声を掛ける勇夫さん。どうやら下半身は真面に動かないようだ、動きを見ておそらく腰の骨をやっているのがわかる。
「だ、大丈夫です」
「さっきは一体……」
驚愕した表情でそう問い掛けて来る。
「あ、えー……か、火事場の馬鹿力ってやつじゃないですかね?」
「そ、そうかい?」
「そうですよ、きっと」
イマイチ現実を飲み込め切れないでいる勇夫さん。
正直、俺がその立場なら夢だと思うだろうし、その反応は仕方ないと思う。人力で家を持ち上げるって、それはもう人間じゃない。
「そう、か……君がいうならそうなんだろうね」
まだ少し納得し切れていない様子だったが、非常時につきそういうものだと理解してくれたみたいだ。
俺は痛む体を起こして、勇夫さんの肩を持って支えになる。
やはり腰がおかしいようだが、俺という支えがあればあることはできそうだ。こっちもさっきので大分、体にガタが来ていたから、その点は助かった。
「勇夫さん、行きますよ」
「ああ、よろしく頼むよ」
既に勇夫さんたちの家にも火が燃え移っている。休憩なんて悠長なことをしていたら、せっかく生き残ったのに二人ともお陀仏だ。
ガタの来ている体を引き摺って避難所へ向かい始めた。
「本当に君には驚かされてばかりだよ」
「そうですか?」
「ああ、君と会ってから私は多く救われた。本当に感謝しているよ」
「……ど、どうも」
マジマジとそう言われ、照れ臭くなった俺は視線を逸らした。
ふと、勇夫さんが空を見上げた。
「こんな日でも、星は綺麗だね」
「そう、ですね」
同じように空を見上げた俺は、そう同意するように言った。
こんなにもひどい日でも、星々は美しく
そうだ。どんなに辛くたって、日々は戻って来るんだ。生きてさえいれば、何度だってやり直せる。
希望を胸に俺は前を見た。
その時――
「え……」
目の前に得体の知れない何かがいた。
黒い巨体を持つ獣のような〝何か〟。その相貌はなんだか犬のように見えるが、明らかにサイズが大きい。犬のように見えるが、どちらかというと狼の様だった。
呆けた声を漏らしながら、脚を止めてしまった俺――瞬間、体が右に弾かれる。
「いさ……お、さん――」
ゆっくりと回る視界、俺が目撃したのは――
下半身を失った勇夫さんの姿だった。
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