第三話・「暗夜に赫く絶望の焔(3)」
頭に走る痛みに突き動かされるまま体を動かす。
叢真はそんな私の行動に首を傾げながらも、ずっと後ろについて来てくれている。最初の方こそ疑問を口にした彼だが、途中からは何も聞いて来なくなった。
聞いても無駄と判断したというより、私の意思を尊重しているという感じに見えた。
彼の優しさに顔を綻ばせる。
やっぱり彼と一緒にいると勇気を貰える――元気が湧いてくる。
そんな風に二人で災害に見舞われた街を駆け抜けていると、ふと、何かに気づいたように叢真が呟いた。
「命里。まさかここは……」
「…………」
私も目を見開いて驚く。
感覚に突き動かされるままに向っていたから、どこを目指しているのかは自分で理解していなかった。でも、ここまでくれば流石にわかる。
この場所は――
「美波の家か」
そう口にする叢真に頷く。
おそらく私が向かっていた場所はそこだ。よくよく考えれば見憶えるのある通りばかり、この感覚はあの子の家に向えと言っていたんだ。
理由はわからない。どうしてこの感覚がこの場所を指したのか、私にはわかりようがなかった。
でも、行かなければならないとそう思った。
私と叢真は速度を上げて彼女の家へ向かった。
既に周辺にある建物に火が乗り移って燃えている。もし仮に、あの家族によくないことが起きているのなら、一刻も早く向わなければならない。
速度を上げて向かった先で崩れた建物を発見する。
建物は倒壊しているだけで火はついてない、でもすぐに火が回ってしまう筈だ。誰もいなければいいけど、いるのなら早く向かわないと。
息を切らしながらも私は走った。
そして、建物が目前に迫ったところで――美波ちゃんを見つけた。
「美波!」
そう名を呼びながら叢真が彼女の元へ駆け寄った。
「ムラマ!」
叢真を見つけた美波ちゃんは彼に抱き着く、彼はそんな彼女をギュッと抱きしめ、優しく頭を撫でて安心させるように声を掛ける。彼女を抱きしめながら、彼は彼女の状態をしっかりと確認している。
私も二人の元へ向かった。
美波ちゃんは全身血だらけでボロボロの寝間着姿。おそらく寝ている最中に災害が発生したんだと思う、ひどく草臥れた様子をしている。
そんな状態の彼女は私達に懇願するように言った。
「ムラマ! イノリお姉ちゃん! お爺ちゃんを……お爺ちゃんを助けて!」
今にも泣いてしまいそうな表情。
叢真はその言葉を聞いて即座に勇夫さんのいるであろう場所へ向かった。
器用に瓦礫の道を越えて先へ進んで行く彼に、私と美波ちゃんはついて行った。少しして瓦礫の中で叢真が跪くようにして下を見る。
彼に視線の先には――瓦礫に押しつぶされた勇夫さんがいた。
「勇夫さん!」
そう彼が名前を呼ぶ。
「や、やあ……叢真くん、命里ちゃん」
ひどく辛そうな声ながら、彼はいつも私達に向けて言うような風に呼んだ。
「二人とも、わ、私のことはいい。美波を……美波を頼むよ」
「お爺ちゃん……」
涙声で勇夫さんを呼ぶ美波ちゃん。そして、悲壮感に包まれた表情の叢真が無言で彼を見る。
絶望に打ちひしがれているような暗い表情。拳を強く握り込むその姿は、溢れんばかりの激情を無理やり抑え込み、平静を保っている風に見える。
「い、勇夫さん……文子さんは、一体……――」
ひどく震えた声で彼は問い掛ける。
すると、スッと勇夫さんの視線がすぐ隣に瓦礫の方へ向いた。瞬間、叢真は何かに気付くと共に、さっき以上に表情を暗く、絶望に淀んだ目を見せる。
察しの悪い私は意図が読み取れず、勇夫さんの視線の先を少し眺めたあとに理解した。
血に
おそらく文子さんはその瓦礫の下なのだろう。
原型は残っているのだろうか?
所々、生々しい肉の破片がこべり付いているのがわかる。幸い、その場が暗いおかげか、美波ちゃんはそれが何かを強くは認識していないようだ。
でも――しっかりと赤々として血液が溢れているのは見てしまっている。
おそらく彼女もそれが何を意味するのか理解しているんだと思う……彼女は一切、文子さんの話題は出さず、そちらの方へ視線を向けなかった。
「うっ……」
あまりに凄惨な状態に思わず吐き気を催す。
多分一瞬の出来事だったと思う。本人は自分が死んだことにすら気づけないほど、刹那に起こったこと――痛いとか、怖いとか、そんなことすら思考にはなかった筈だ。
口元を押さえて悲壮感いっぱいの表情が零れ、その場でへたり込んでしまう。
胸が締め付けられるような感覚、声が出ずに涙だけが止めどなく溢れる。この感覚は久しぶりで――二度と感じたくなんかなかった。
「ごめんな……文子」
愛おしそうに瓦礫を見つめる勇夫さん。
大きな木の柱に押しつぶされるように下半身を固定されている。相当の重量が掛かっているのか、苦悶の表情を浮かべている。とても私や叢真だけじゃ退かせそうにないほどの瓦礫。
これじゃあ、とても……――
私が悲観的な思いに駆られていると、
「だ、大丈夫ですよ! きっとなんとかなります。絶対……絶対に、大丈夫です」
何度も〝大丈夫〟という言葉を繰り返す。勇夫さんにも――自分にも言い聞かせるように、彼は笑みを浮かべながら辛そうに言った。
あまりにも痛々しいその姿に私の胸が締め付けられる。
「本当に君は、優しい子だよ……」
そんな叢真を見て勇夫さんはそういい、穏やかそうな表情で彼の頭をそっと撫でる。彼は涙が溢れだしてしまわぬように、再びギュッと拳を強く握った。
本当は今にだって泣き出してしまいたいのに、美波ちゃんの前で泣くわけにはいかず耐えている。
綻ぶ心を無理やり固定している。
「美波、ちょっとこっちに来てくれるかい?」
「……なに? お爺ちゃん」
悲しそうな表情のまま、美波ちゃんは勇夫さんに傍に寄った。
シワシワの祖父の手が彼女の頭に乗せられる。優しく優しく頭を撫でる手を美波ちゃんは優しく握ると、彼女は堪えていた涙を零した。
そして、彼の視線は私と叢真に向いた。
「勝手で悪いけど、二人だから頼める……――
――二人とも、孫を頼むよ」
いつもの優しい表情で勇夫さんは言った。
「「――――」」
その言葉と表情を見た私はその場から動けなくなって、ただその光景を覗くことしかできなくなった。胸の中がいっぱいになって体を動かせそうにない。
痛い……胸が痛いよ。
現実を受け入れたくないと体が拒否反応を見せる。
こんな現実あんまりだ……この人はただ、孫の平穏を願っていただけなのに、どうして……どうして不幸にならなきゃいけないの?
あまりの不条理に絶望する。胸を押さえつけて、溢れる悲しみに耐える。
何度も何度も不幸を呪った。
この人達に降り注ぐ全ての厄災に怒った。
どうか、どうか……救われてください、救ってくださいと強く願った。
でも、それでも――願いは無意味に散る。
どんなに願ったところで、全て無意味で時間だけが淡々と過ぎ去った。
顔を伏せる叢真。伏せているせいで表情があまり読み取れないが、私と同様に深く悲しんでいるのだろう。
目の前で死に逝く人を見て、一番心を痛めるのは彼だ。
だって彼はそういうお人好しだ、人の不幸を嫌う――根っからのお人好しなんだもん。辛いに決まってる。
すると、少しして叢真が口を開いた。
「命里……美波を頼む」
「え」
俯きながら彼はそう言った。
私は彼の隣で声を発さず涙を零し続ける少女に目を向け、次に戸惑った表情で彼を見る。
しかし、彼はそんな私を無視して言葉を続けた。
「今から二人で避難所に向ってくれ、俺は少しした向かう。美波のこと頼んだよ」
淡々と彼は言った。
「ちょっと待ってよ! あなたは何をするの!」
「心配しなくても、すぐ行く」
「すぐって――」
彼の行動が理解出来ずにそう言葉を重ねようとすると、
「命里!」
「「ッ!?」」
急に俯いた叢真がそう大きく私の名を叫び、私と隣の美波ちゃんがビクリと肩を震わせ驚いた。
勇夫さんは何やら、やれやれという感じの表情を浮かべていた。
「頼む命里。先に……先に行ってくれ」
「…………」
彼らしくなく懇願するようにそう言った。
次に叢真は隣の美波ちゃんの頭にそっと手を置き、優しい表情を浮かべる。
「美波、命里と一緒に避難所まで行ってくれ……大丈夫、お前のお爺ちゃんは俺が何とかする。だから、今は命里と行ってくれ」
そう言葉を掛けるが、美波ちゃんは首を横に振る。そんな彼女を見て叢真は困ったような表情を浮かべる。
「なあ、頼むよ。あとで何でも言うこと聞くから、今はお願いだから行ってくれ」
「いや! 今、ムラマ死にそうな顔してる! いやだ! ムラマが行かないなら、私もここにいる!」
「…………」
駄々をこねる彼女に微笑を向けた後、彼の視線がこちらに向いた。
「――頼んだ」
「っ――」
微笑を浮かべながらも、真剣さの籠った言葉。
その言葉を聞いた瞬間、私は動かなかった体が半ば自動的に動き出し、駄々をこねる美波ちゃんを抱き上げた。
「命里お姉ちゃん!? 離して! 離してって!」
そう声を上げて暴れる彼女をしっかり抱き抱え、その場を離れる。涙を拭いて無理やり体を動かし、避難所へ向かった。
「ありがとう」
ボソリ、と呟くような声が背後で聞こえた。
長く付き合いがあるからわかる。あの表情をしている時の叢真は限界寸前だ、きっとここに私や美波ちゃんがいたって邪魔なだけ。それはきっと無意味に彼に枷を付ける。
そうだよ――いつだってあの表情をする時の彼は、辛いことがあった時だ。
だからこそ、こんな時の彼は諦めない。
そう、いつだって辛いことがあると彼は、自分の最も信頼している〝あの人〟を真似する。その時はいつも、何かを諦めないように自分を鼓舞しているんだ。
きっと無意識なんだろうけど、でも――彼にとってその人は、折れないための指標なんだと思う。
だから、私はそんな今の彼を信じる。
私はもう振り返らない。それだけが私にできることだから、振り返らず前へ進み続ける。
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